以下は、【米国便り16】に(少しだけ)関連する余談です。
自民党が日本国憲法24条の「両性の平等」規定を見直すよう提案しています。このことに絡んで、日本の一定のフェミ業界では大きな危機感が抱かれ、「憲法の男女平等を守れ」と強く主張している人がいます。
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●日本国憲法
第24条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
●自民党「憲法改正プロジェクトチームの論点整理(案 )」(2004/6/10)
各論>四 国民の権利及び義務>4 見直すべき規定
婚姻・家族における両性平等の規定(現憲法24条)は、家族や共同体の価値を重視する観点から見直すべきである。
http://www.kenpoukaigi.gr.jp/seitoutou/20040610jiminkaikenPTronten2.htm
●「憲法24条の改悪を許さない共同アピール」
http://www.geocities.jp/herasou/kaeru/whatsnew/wn_20040707_stop.html
<<
わたしは、どうもこの「憲法を守ろう」系の危機感を共有出来ません。改憲がそう簡単にできるとは思わないし、なんだかんだといいながら男女平等は基本的に日本社会に根付きつつあるので、国民(!)投票でそんなのが通るとは思えない、からです(というのは表面的な理由)。
で、こののどかさは、バックラッシュを受けているわけではない、マジョリティーとしてのわたしの、白人的な、余裕というかおおらかさなのでしょうか。もしかして、そういう側面もあるのかも、と一瞬思いました。
ただその上で、「憲法を守れ」式の運動にわたしはもう飽き飽きしています。「自分たち」以外の誰かが「自分たち」の既得権を攻撃してくる、という図式の運動には、わたしは全く関心を失っています(こちらが本当の理由)。
わたしは改憲論者です。現行日本国憲法は、第九条を含め、アジアへの侵略戦争から目をそらして国体=天皇制を維持するために作り出された不十分なものです。少なくとも、憲法の前文には、朝鮮併合とアジア各国への侵略の歴史を具体的に記述してその加害の反省の上に立っていることを示すべきでした。また第一章の天皇制の規定は全て削除して、君主制国家としての日本のあり方を共和制国家に変えるべきです。第九条も「国際紛争を解決する手段としては」「前項の目的を達するため」を削除して、自衛のために国家が軍隊を保持することを明確に禁じるべきです。もちろん自衛隊は即時解体、日米安保条約は破棄して米軍基地を全てなくすべきです。「第10条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める」との規定は改め、日本国籍を持たない旧植民地出身者とその子孫も日本国籍所有者と全く同等の(国政選挙の被選挙権を含む)政治的社会的な権利を持つようにするべきです。居住の事実のみに立脚して権利と義務を構成する、市民権型の制度を採用することを明記するべきです。
そしてもちろん、性別には「男・女」の二つしかない(両性の平等)ことを前提にし、しかも婚姻をその男女間のみに認めることを明記している第24条も、性別二元論に基づいているものであるので、改訂するべきです。「結婚した男女二人で構成する家族」を社会の基本に据えるという事自体がそもそも間違っているんであって、その間違い自体を残した上で「家族の中の男女平等」だけを主張されるとまるでお笑い番組を見ているような気になります。「大人になれば結婚すること」を自明視する社会自体を変えるべきだし、結婚しない人が何の不自由なく生きることのできる社会をつくるべきです。従って、現憲法第24条は、決して守るべきものではなく、むしろ逆にその改正を主張していくことこそが「私たち」の仕事なのではないでしょうか。
(実態はどうかはよく知りませんが、例えば1996年に制定された南アフリカ共和国憲法では性的指向による差別を禁じるだけでなく、「marital status(婚姻の状態/配偶者の有無など)」を根拠とした差別をも明文で禁じています。)
日本の左翼や社会運動は、長年、「憲法を守れ」式の既得権防衛的な内向きな発想に閉じこめられてきた、とわたしは感じています。「私たち」の生活の中の実感をもとに「よりよい」社会のあり方を考え、新しいあり方を社会の構成員に対して提案していく。多数派を説得するために出向いていく。自信を持った少数派として社会の多数派に対して立証責任を進んで負っていく。自己を少数派であると自覚した上で、多数派を説得するために策を練る。そういった外向きの行動パターンが、「護憲」という発想には感じられないのです。一部の悪い人が「多数派の利益」を害する攻撃をしている、だから「私たちの利益」を守ろう、憲法を悪い人から守ろうーーそこまで分かり易い言い方をするのはさすがに日共(日本共産党)くらいかもしれませんが、既得権防衛的な運動に時々わたしはこんなことを感じます。
「現在の私たちの生活」は、守るべきものなのではなく、変わるべきもの、変えるべきものです。「現在の私たちの生活」を守るべきものだと感じるとすれば、それはその人が今の時点で特権を持っているということです。「憲法24条への攻撃は男女平等への攻撃だ」などという言説は、憲法24条はまるで守るべきものであるかのような認識を普及させます。「男女という制度」そのものに対する取り組みや、性別二元論を解体していくような取り組みをする必要はないと言っていることと結果として同じ効果を持ってしまいます。自民党の主張する憲法第24条の改正に反対する人は、第24条が自民党のいうように改正されなければ、今のままでいいとでも思っているのでしょうか。現状のままならいいのでしょうか。自分では、第24条をもっとよりよいものに変えるための運動をする気はないのでしょうか。
(このあたり、「男女という制度」それ自体を解体していく動きの契機を持っていた「ジェンダーフリー運動」が、それへの攻撃を右派から受ける中で、「男女の違い自体をなくしたいわけではない」と「言い訳」をせざるを得ない状況に追い込まれているのと似てはいます。でも、「憲法24条を守ろう」は、それを越えた、「男女という制度」を積極的に維持・再生産する機能をも持っているので、わたしには違和感は大きいです)
自民党の改憲試案に対する一部フェミ業界の反発に対して、わたしがなぜぴんと来ていないのか(と言うよりなぜ違和感があるか)についての説明でした。実際には、女性差別に反対しジェンダーフリーを進めてきた人たちこそが、真っ先にLG運動を支援してきたという面もあります。ですので、ことさら敵対したいわけではありませんが、せっかくなのでざっと思っていることを書いてみました。このあたり議論になるところかと思いますので、是非またどこかでお話ししましょう。MLのレスやサイトでのコメント歓迎です。
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hippieさま
日比野さんのパレスチナ関係の講演とかを、1、2回聴きに行ったことのある野原燐(ハンドルネーム)(男性)と言います。関連したことを最近少し考えたので少し反応させていただきます。
>>日本の一定のフェミ業界では大きな危機感が抱かれ、「憲法の男女平等を守れ」と強く主張している人がいます。<<
「危機感」というのはわたしも少しいぶかしい気がしました。わたしの感覚では男女平等というのは法のアプリオリに組み込まれていると感じており、戦前的パラダイムに本気で戻せるのか、え?え? と突っ込めば法的常識の範疇では答えられないと思うのですが。こういう動きは侮蔑してやるという感覚を広げていけばよいのではないでしょうか。
>>また第一章の天皇制の規定は全て削除して、君主制国家としての日本のあり方を共和制国家に変えるべきです。<<
同意します。
>>「現在の私たちの生活」は、守るべきものなのではなく、変わるべきもの、変えるべきものです。<<
同意します。
さて、24条改正論ですが、
>>「大人になれば結婚すること」を自明視する社会自体を変えるべきだし、結婚しない人が何の不自由なく生きることのできる社会をつくるべきです。<<
まあいちゃもんつけになるかもしれませんが、「結婚しない人」というカテゴリーはちょっとあやしい、と感じる。とりあえずわたしは、未婚の母から生まれた子供が増加し幸福に暮らしていける社会を作っていくべきだと考えています。子供を作らない自由は認めます。人間存在とはその過半が泥のようなものではないでしょうか。仏教で言う「生老病死」とは泥のような対象化しにくいエリアです。そうしたエリアを敬遠し生きていく方向に流していこうとするベクトルがわたしたちの世界には流れているのではないでしょうか。そうであるとすれば子供を作らない自由を行使したとしても、同時に子供を育てる自由を行使した方が良いのではないでしょうか。
日比野さんは子供について一言も触れていないので過剰反応になりますが。子供をどのようなイメージで見ているのかが問題です。子供は愛の結晶ではありません。不定形で不安定な他者です。
護憲派批判という文脈で書かれていたので、別の文脈でのちょっとした違和感について書いてみました。もちろん批判未満であることは自覚しております。
とりとめのない文章ですみませんでした。
関連表現が下記にあるので、よかったら併せて読んでください。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20040905#p1
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野原燐
コメントありがとうございます。 「男女平等というのは法のアプリオリに組み込まれている」というのは、法律の文字の上ではそうですが、現実は明確な女性差別社会であるのもまた現実ですね。なので、「「現在の私たちの生活」は、守るべきものなのではなく、変わるべきもの、変えるべきもの」という時の「変わるべき現在の生活」の中に、現在の女性差別社会も含めて明示的に書いた方がよりよかったかな、と野原さんのコメントを読んで思いました。 「危機感」について言うなら、自民党の改憲試案には私は危機感を持ちませんが、厳に存在する今の目の前の女性差別を変えるために何もしない人たちの多さに、わたしは心からの危機感を持っています。
「子供を育てる自由を行使」するかどうかは、個人が決めることで、他人がとやかく議論することではないと思いました。
お返事ありがとうございます。RES遅れて失礼しました。
>>「男女平等というのは法のアプリオリに組み込まれている」というのは、法律の文字の上ではそうですが、現実は明確な女性差別社会であるのもまた現実ですね。<< そのとおりですね。
>>「子供を育てる自由を行使」するかどうかは、個人が決めることで、<< そのとおりですね。 ここ にコメントいただいた「甘すぎるよ」に対する感想を、ここ に書きました。では。
リンクが結べてなくて失礼しました。下記です。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20040923
はてなダイアリー - 彎曲していく日常
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