【米国便り18】アジアにおける植民地主義、もしくは15年戦争と米国

 今回の米国滞在は、わたしにとって、米国と日本との関係を考え直す、とてもいい機会になりました。

 今回のツアーでは、米国の複数の都市で
「Tumbling Down the Empires Within:
 Quest for Justice in Queer Politics and in Our Lives」
というタイトルで話をすることになりました。エミさんは、気軽に「アメリカ人をぎゃふんと言わせてやって下さいよ」と言うのですが、米国が世界最大の帝国主義国なのは確かだとしても、それをいま財政的に支えているのは日本だし(米国国債を買い続けて戦費の実質的負担をしているのが日本)、それに何より日本だってアジアにおける帝国主義国。米国批判(やイスラエル批判)は全て自分に返ってくるのです。少なくとも日本は、被害国として植民地主義を語ることができる国ではないです。しかも過去の反省という話で行くと、これまた日本も米国に負けず劣らず情けない。
 米国で開催される国際バイセクシュアリティ会議(バイコン)で基調講演をするのですが、バイコンには「今の米国の外交政策が支持出来ない」からという理由で参加をボイコットする人も公然と出ていました(そんなに大きな流れになったわけではないみたいだけど)。そういう人がいる事自体は納得出来る話です。実際、おそらくアラブ系の人はそもそも米国入国や参加自体が困難だろうし、そんな中で自分は簡単に入国出来るからといって単に参加したらいいのかという話も当然出てくるでしょう(といいつつ、バイコン会場でそんな話をしているところをみたことはなかった!)。
 そして基調講演の日が8月6日。そう、広島に原爆が投下された日です。これ、何か話の題材に使えないかと少し考えたのですが、これがなかなか難しく、結局触れることができませんでした。このあたり、日本において、主に日本に住んでいる人を相手に話をすることとは勝手が違うことを体験出来たことが、わたしには新鮮でした。いろいろ考えさせられました。

 実はわたし、エミさんといろいろとお話しをするまで、日本が米国に戦争で負けたことは基本的にはよかった、と安易に考えていました。エミさんは米国の加害性に飽き飽きしていたようですし、そのことにこだわっていたようにわたしは感じました。わたしはわたしで、日本の加害性にこだわっていたので、話が時々すれ違ったりしたのです。原爆の投下自体も、民間人に対する大量虐殺なのは事実で、国際人道法にも反する間違ったことだとは思うのですが、でも日本だって中国を始めアジア各国でさんざん大量虐殺をしてきたのだし、原爆投下がなかったらもっと戦争が長引いていたかもしれない、とか実は思っていた部分もありました。(15年戦争についてではなく)太平洋戦争に関して言うなら、日本が加害者で、米国は被害者だ、と考えていました。いわゆる戦後民主主義の革新陣営(但し新左翼以降)の認識枠組みの中で、日本によるアジア侵略を加害行為として位置づけ、米国に負けることで日本は軍国主義から脱することができた、みたいに何となく思っていました。最近こういった認識に対して「自虐史観」というレッテル貼りをする一派がいるのですが、単なる右派の言いがかりだとまじめに考えていませんでした。
 ところが、エミさんとお話ししていて、どうもわたしのこういった認識には、一つ決定的な間違いがあるようだと気がつきました。米国は、いかなる意味においても、社会正義や侵略防止や自衛のために大日本帝国に対して戦争をしていたのではない、米国と日本は、共に帝国主義国として世界の利権を争っていた、というか、欧米列強は日本を含むアジア各国を侵略・植民地化しようとしてということが、わたしの認識からすっぽりと抜けていたのです。実際、そもそも米国の建国過程自体が先住民への侵略ですし、フィリピンが米国の植民地だったことからも分かると思いますが、米国も、その当時から、日本同様の帝国主義国でした。
 もちろん、「だから日本のアジア侵略は正しかった」という結論にはいきません。日本が生き残るためと称して、もしくは大東亜共栄圏という口実でアジアを侵略したのは間違いです。
 しかし、日本の侵略と加害行為ばかり並べ立てるいわゆる革新陣営のもの言いを「自虐史観」と呼ぶのは、ある側面では当たっているのです。米国やヨーロッパ諸国がしていることを日本もしただけなのだ!というのは、全くもって正確な状況認識です。そして、だからこそ、その選択は間違っていた、欧米諸国が実践し日本も実践した国際スタンダードの方こそがそもそも間違っている、と「私たち」はいま主張しなくてはいけない。
 欧米列強が日本を含むアジア各国を侵略・植民地化しようとしている状況の中で、自身が欧米と対等な帝国主義国になってアジアを侵略・植民地化する側にまわるという方法をとるのではなく、むしろ逆にアジア各国と協調して欧米による侵略と植民地化に対抗する闘いを進める、という試みを本当はするべきだったのです。米国によって日本は解放された、みたいな認識は、米国による侵略と植民地化の意図を隠蔽するものです。そんな視点がわたしには欠けていました。

 このように認識が変わると、日本国憲法に対する評価も変わってきます。学校では、日本国憲法の柱は「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」だとわたしは習いました。典型的な「戦後民主主義」の認識枠組みです。でもこれ、ウソですよね。なんかおかしいなとは思っていたのですが、日本国憲法の最初に書いてあるのは、その三つのいずれでもなく、天皇のことです。実は日本国憲法は、素直に読めば、天皇制=国体を護持することを第一の目的とした憲法なのです。第一章が天皇条項だということはそういう意味です。
 実は日本に戻ってから、わたしも「ポストコロニアリズム 知の攻略」(姜尚中編著)」などを読んでみて一層分かったのですが、憲法第九条は天皇制を残すことと取引するために入れられた条文という側面があるようです。日本国憲法は、アジア侵略を基本的に正しいと思っている天皇制を残したい日本の植民地主義者と、米国の植民地主義者たちとの野合の産物という側面もあったのだ!
 【米国便り17】でも書きましたが、わたしは以前から改憲論者でした。それは素朴に条文を読んだ違和感から来るものでしたが、15年戦争、太平洋戦争と米国と日本との関係のあり方を見直していくと、わたしはさらに一層自信を持った改憲派になったのでした。

[ASIN:4878934387:image]ポストコロニアリズム 知の攻略」(姜尚中編著)


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投稿者 hippie : 2004年9月16日 17:23 | トラックバック
コメント

以下の部分に大変共感いたしました。特に、アメリカやヨーロッパの「スタンダード」であった帝国主義に合わせたことが日本の誤った選択であった、という点。

右派から、では具体的にどういう政策を取っていれば良かったのか? と詰め寄られると答えに窮したりもするのですが、このようではない別の現実、別の歴史を想像=創造する力を持ち続けたいと思います。

「実はわたし、エミさんといろいろとお話しをするまで、日本が米国に戦争で負けたことは基本的にはよかった、と安易に考えていました。エミさんは米国の加害性に飽き飽きしていたようですし、そのことにこだわっていたようにわたしは感じました。わたしはわたしで、日本の加害性にこだわっていたので、話が時々すれ違ったりしたのです。原爆の投下自体も、民間人に対する大量虐殺なのは事実で、国際人道法にも反する間違ったことだとは思うのですが、でも日本だって中国を始めアジア各国でさんざん大量虐殺をしてきたのだし、原爆投下がなかったらもっと戦争が長引いていたかもしれない、とか実は思っていた部分もありました。(15年戦争についてではなく)太平洋戦争に関して言うなら、日本が加害者で、米国は被害者だ、と考えていました。いわゆる戦後民主主義の革新陣営(但し新左翼以降)の認識枠組みの中で、日本によるアジア侵略を加害行為として位置づけ、米国に負けることで日本は軍国主義から脱することができた、みたいに何となく思っていました。最近こういった認識に対して「自虐史観」というレッテル貼りをする一派がいるのですが、単なる右派の言いがかりだとまじめに考えていませんでした。
 ところが、エミさんとお話ししていて、どうもわたしのこういった認識には、一つ決定的な間違いがあるようだと気がつきました。米国は、いかなる意味においても、社会正義や侵略防止や自衛のために大日本帝国に対して戦争をしていたのではない、米国と日本は、共に帝国主義国として世界の利権を争っていた、というか、欧米列強は日本を含むアジア各国を侵略・植民地化しようとしてということが、わたしの認識からすっぽりと抜けていたのです。実際、そもそも米国の建国過程自体が先住民への侵略ですし、フィリピンが米国の植民地だったことからも分かると思いますが、米国も、その当時から、日本同様の帝国主義国でした。
 もちろん、「だから日本のアジア侵略は正しかった」という結論にはいきません。日本が生き残るためと称して、もしくは大東亜共栄圏という口実でアジアを侵略したのは間違いです。
 しかし、日本の侵略と加害行為ばかり並べ立てるいわゆる革新陣営のもの言いを「自虐史観」と呼ぶのは、ある側面では当たっているのです。米国やヨーロッパ諸国がしていることを日本もしただけなのだ!というのは、全くもって正確な状況認識です。そして、だからこそ、その選択は間違っていた、欧米諸国が実践し日本も実践した国際スタンダードの方こそがそもそも間違っている、と「私たち」はいま主張しなくてはいけない。
 欧米列強が日本を含むアジア各国を侵略・植民地化しようとしている状況の中で、自身が欧米と対等な帝国主義国になってアジアを侵略・植民地化する側にまわるという方法をとるのではなく、むしろ逆にアジア各国と協調して欧米による侵略と植民地化に対抗する闘いを進める、という試みを本当はするべきだったのです。米国によって日本は解放された、みたいな認識は、米国による侵略と植民地化の意図を隠蔽するものです。そんな視点がわたしには欠けていました。

 このように認識が変わると、日本国憲法に対する評価も変わってきます。学校では、日本国憲法の柱は「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」だとわたしは習いました。典型的な「戦後民主主義」の認識枠組みです。でもこれ、ウソですよね。なんかおかしいなとは思っていたのですが、日本国憲法の最初に書いてあるのは、その三つのいずれでもなく、天皇のことです。実は日本国憲法は、素直に読めば、天皇制=国体を護持することを第一の目的とした憲法なのです。第一章が天皇条項だということはそういう意味です。
 実は日本に戻ってから、わたしも「ポストコロニアリズム 知の攻略」(姜尚中編著)」などを読んでみて一層分かったのですが、憲法第九条は天皇制を残すことと取引するために入れられた条文という側面があるようです。日本国憲法は、アジア侵略を基本的に正しいと思っている天皇制を残したい日本の植民地主義者と、米国の植民地主義者たちとの野合の産物という側面もあったのだ!
 【米国便り17】でも書きましたが、わたしは以前から改憲論者でした。それは素朴に条文を読んだ違和感から来るものでしたが、15年戦争、太平洋戦争と米国と日本との関係のあり方を見直していくと、わたしはさらに一層自信を持った改憲派になったのでした。」

Posted by: 攝津正 : 2006年2月20日 22:41
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