川のながれを聞きながら。ピクニック気分で。
■2003年4月27日(日) ■出町柳三角州ふきんにて ■ちょっとしたお願い:35cm×35cmくらい(レコードジャケット)の大きさのボードを各自で作って、それにあなたの思いを書いて、家を出たときから人に見えるように持って、会場まで来てください。あっでも、私は無理という人はいいです。強制はしませんので。 |
「桜をみながらじっくり話してみる!!」 2003/4/5 出町柳三角州 撮影:高橋正徳 |
■呼びかけ: 参加者みんなが呼びかけ人 |
■問い合わせ 090-1156-3039(ひびの)←当日問合せ先です。 https://barairo.net/jikkuri/ |
顔の写真をクリックすると大きな写真をみることができ、1人1人が描いたボードも読めます。
「戦争反対!!」とデモに参加して大声で言う私と、学校でおとなしく授業を受けたり「あの先生ゲイみたいに見えるけど違うねんで」とか言って笑う友人に何て言っていいのか悩む私の差がありすぎるような気がして、日々身近な人にどきどきしながら「イスラエルはパレスチナを侵略してよくない」とか言うと「私は中立だからどちらの立場にも立たない」と言った友人に何て説明したらいいのか、とか激しく悩んでいる。文章にもなっていないけど、私はそういうことを色々な人と話したい。デモで叫んでいる私と日常の私の差をうめたいし、そうすることで強い人にものを言うとか、なごやかな日常に疑問をつきつけるとかしていけるのではないかと思うからです。まずはあなたとわたしから。せんそうはんたい。(もりもとみきこ)
じっくり話しあうこと。お互いを、認めあうこと。耳をかたむけること。ひとりひとりの思いを話すこと。ズレがあっても、向きあう。4/5の「お話しする会」第一回目をして、私が思ったこと。感じたこと。戦争というテーマがあったんだけど、話はもっと基本的な、人との関わりをいっぱい話した。やっぱ、そうだよ。足元をちゃんと見なくっちゃ。自分なりで、いいから、かためていかなくっちゃ。背伸びしすぎないよう。やるべきことは、やれることは、何なのか。そんなんを考えるのは、結構楽しいかもって思った。テレビをずーっと見てるより、生身の人間と会いたい。話したい。すぐ、ひきこもってしまいがちな私ですが、そうしたいんだ。あきらめたりは、したくないんだ。
2003年4月12日 のえ
戦争は終わったの?誰にとって?
私にとっては、京都での毎日の生活が戦場です。
男中心社会/異性愛中心社会/言いたいことを意見する人を排除する同調圧力/被害者づらするマジョリティー/「いいこと」しているつもりの社会運動/自身の生活上の特権を手放さない「いい人」
解放が必要なのは日本社会だ!!(ひっぴぃ ♪♪)
バグダット陥落のニュースが大見出しで伝えられ、イラク攻撃は一つの大きな山場を終えた。新聞やテレビ等マスコミでは、これから徐々に戦争中の緊張ではなく、今回理不尽に殺された数千人のイラク市民はなおざりに、のうのうと戦後復興の話が中心になるだろう。それと共に「僕たち」の意識の中でイラク攻撃そのものが過去の歴史になっていくだろう。今日、何かが終わったのだ。
「戦争反対!」そんな声をあげてデモに参加した人、何かが間違っているとは思ってはいたけど自分一人が表現したところで何が変わるの、とニヒルに構えていた人、様々な人がいると思う。しかし単純に結果
だけ見ると攻撃がやむわけでもなく、日本政府がアメリカに強く抗議するわけでもなく、戦争反対の思いは実を結ばなかった。僕は悔しい。「国益」と言う時に決してその対象にならない人々の想いが大量
に消費されてしまったような気分だ。確かに何かが終わってしまったのだ。
しかし、決して終わらせてしまってはいけないものがあると思う。今日こうして生きている「僕たち」には明日があり、毎日の「日常」が待っている。一方で、正義という名の不正義もいつまでも続くだろう。イラクの次はシリアか?北朝鮮か?僕は不正義の中にある「日常」を強く意識する。この共存関係をどうにかしたい。
何かを持って「日常」に帰ろう。忙しい毎日かもしれませんが、紙屑を丸めて棄てるようにこの事件を簡単に片付けてしまいたくない。その為に、これを読んでくれているあなたとじっくり話をしてみたい。本当にこれが「過去の歴史」になる前に自分と向き合いたい。そして何かを始めよう。(じみい)
桜をみながらじっくり話してみる。なぜ戦争に反対?どうしたら止められる?
2003年4月5日(土)13時
■案内の詳細はここです。この日は総勢12人の参加がありました。