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(文責:日比野 真)
プロジェクトPは、1997年10月4日以来、毎月1回「へなへないと」というカフェパーティーを開催していました。しかし1998年4月に開かれた「へなへないと」の場で性的な暴力があったことをきっかけに、「へなへないと」は中止され、今に至っています。
当時のプロジェクトPでは半年以上この件について話し合いを行ってきたのですが、残念ながら会としての総括を決議することができませんでした。プロジェクトP内で「へなへないと」を主催していたプロジェクトが実質的に機能を停止し(崩壊し)、当時のメンバー達による話し合いの場が成立しなくなってしまったからです。
今回プロジェクトPとして、会内にプロジェクトを設置して「2001年 夏だ!ストップ性暴力キャンペーン」を行うにあたり、この件についての最低限の総括を明らかにすることは不可欠であるとの判断から、この原稿は書かれています。当時のメンバーは既にプロジェクトPに参加していない人も多く、当時の「へなへないと」としての総括を出すことはできません。そこで、当時もプロジェクトPのメンバーでもあり、今回「2001年
夏だ!ストップ性暴力キャンペーン」にも参加している日比野が、個人の立場で総括を提起します。
毎日の生活の中でジェンダーやセクシュアリティーの観点で不自由な思いを抱いている人、ジェンダーやセクシュアリティーに関わる様々な問題を人と話してみたいと思っている人、様々な活動をしたいと考える人、自分と同じような境遇の性的少数者と出会いたいと思っている人などが、お互いに出会い、自由にリラックスして話し合えるような場所を創ることを目的として、1997年10月4日から、毎月1回原則として第一土曜日に「へなへないと」というカフェパーティーを開催していました。主催はプロジェクトP(正式には「レズビアン?ゲイ?バイ?ヘテロ?......?生と性はなんでもありよ!の会 プロジェクトP」)で、プロジェクトP内に「へなへないと」のプロジェクトを設置していました。「へなへないと」も何回も続けていくうちに、常連の方もおり、たくさんの方が参加してくれました。
日比野は、「へなへないと」を主催するプロジェクトには参加せず、つまり当時は直接には「へなへないと」に対しては責任を負わず、客として参加するという立場をとっていました。しかしながら「へなへないと」を主催するミーティングが崩壊したので、「へなへないと」の元請け団体であるプロジェクトPが、対外的に「へなへないと」の責任を負うことになります。その意味で、当時のプロジェクトPメンバーであった日比野が、個人の責任でこの総括を書いています。
「へなへないと」を開催した翌週には毎回反省会を開いていました。1998年2月の「へなへないと」後の反省会に、2月の「へなへないと」に客として来てくれたAさんが参加してくれました。そして「勝手に胸を触ってくる人がいて嫌だったし、ああいうことは今後も起こると思う」と言ってくれました。
この話を受けて当時のメンバーで、今後の「へなへないと」で性的な暴力が起こりにくくするためにはどうしたらいいか、対策を話し合いました。話し合いの結果
、次回以降は来てくれた人と積極的に性的な暴力の話をすることで、性的な暴力を起こりにくくしようということになりました。その当時の認識を以下に示します。
・プロジェクトPは「生と性はなんでもありよ!」という方向性を打ち出しているので、それを「自分の欲望のママに人の体に触っても許される」と勘違いされる危険性がある。実際、そのように勘違いした人が来たこともあったし、今後も来るであろう。
・被害を受けた人に「ここでは、『嫌だ』『止めてくれ』と言ってもいいんだ。ここでは声を出せば聞いてもらえる」と思ってもらうことが必要。また、すべての参加者に性的な暴力について考えてもらうきっかけを作ることが必要。そのために以下のような事項を参加者全員の1人1人に対して主催者の側から話しかけよう、ということになりました。
「自分が嫌な目に遭わされた場合に、嫌なことをしてくる相手に対して直接『やめてくれ』と言いにくいと思った場合には、いつでもそのことをスタッフに言ってくれれば、スタッフがその場で割って入って、止めるように相手に話しかける」
「もしその場で言うことができなくても、別の機会にスタッフにそのことを言ってくれたら、何らかの対処をするし、嫌なことをされてもあなたが悪いわけではない」
その後も毎月「へなへないと」は行われました。そして、1998年4月に行われた「へなへないと」の反省会の場で、「4月の『へなへないと』で性的な暴力があったと思う」と1人(Bとする)が発言しました。同時にBは、「被害者と加害者が誰であって、具体的にどのような状況下でどのようなことが起こったか、ということが問題なのではない。『へなへないと』を開催していた主催者が何をしていたかが問題だ」「あの『へなへないと』で性的な暴力がなかったと主催者は言い切れるのか?または、性的な暴力はいくら対策を尽くしても起きるときには起きてしまうのだが、主催者として性的な暴力が起きないようにやれるだけのことはしたと言い切れるのか?それを自信を持って言い切れないのであれば、今回の件についてちゃんとした対応をするまで、『へなへないと』は中止するべきだ」と主張しました。その提案を受け、5月以降「へなへないと」は中止されています。
その後、約半年にわたって、プロジェクトP内で話し合いを続けました。そして12月1日付で、4月の「へなへないと」における性的な暴力の被害者(Aさん)に対してプロジェクトPとしての手紙を渡しました。また、12月にはAさんがプロジェクトPのミーティングに参加してくれて、話し合うことができました。この一連の話し合いややりとりは誠実かつ真摯に行われ、お互いの間に憎しみが生まれるようなものにはならないで済みました。しかしながら、長い話し合いの中で当時プロジェクトPに参加していた者どうしで以後も共同して何かに取り組んでいく意欲が失われ、しかも12月の段階に至ってもまだAさんから批判を受ける状況でした。12月段階では何とかプロジェクトPとしての総括のための原案も提案され、「へなへないと」の復活も検討されていましたが、以後ミーティングが成立せず、現在に至っています。
イ)「主催者」の不在
当時の「へなへないと」責任者(Cとする)は、以下のような認識を、98年12月に作成中だった総括案の中で述べています。
責任者の甘さ:
「へなへないと」という企画はCがプロジェクトPのミーティングで「やりましょう」と提案し、開催することになった企画です。しかし提案をした時のCには、自分が主催者・企画責任者である、という意識がなく、自分がプロジェクトPという場所と名前におんぶにだっこ状態であることも意識していませんでした。
2月の反省会の時に話し合った対策をCが実行しなかった言い訳(**下記に注)を見ても分かるとおり、Cは場所やネットワークを作るには地道な努力が必要であることが分かっておらず、場所やネットワークは、「やりましょう」と言えば簡単に、自然発生的に手に入ると考えていました。そのような大変甘い考えを持っていたため、責任者であるはずのCは、「へなへないと」の場を作っていこうとする積極的な働きかけを特にせずだらだらと月に一回「へなへないと」を開いていました。そして年が明けた98年の2月頃からは、なかなか自分が思う方向性が定着しないことに疲れを感じ、なかばやる気を失っていました。そして5月以降「へなへないと」を中止してからもCは、ぐずぐずしてなかなか主催者としての責任を持って動こうとせず、結果
として半年以上もプロジェクトPの活動を停止させてしまいました。
(**注)言い訳
Cは「初対面の人に突然、ある程度の量の話をしなきゃいけないし、内容的にちゃんと話せるか自信がなかった。来た人にこちらからこの話題を一方的に話してしまうことの違和感も感じたし、セクハラの話を唐突に持ち出しても、遠い話だと感じられてしまうと、根拠を考えることなく「とにかくセクハラはいけないことだ」という風にしかならない気がしました。そんな話をするのはしんどいし、面
倒だと感じていた。いかにもセクハラをしそうな人がいたら話をしなければならないと考えていたが、でも幸運にも3月の「へなへないと」に来てくれた人は顔見知りが多く、その中にはセクハラをしそうな人はいないと感じられたのでセクハラの話をしなかった。4月に関しては全く忘れていた。」
私は、上記のCの状況認識に同意します。つまり、Cを含む当時の「へなへないと」主催メンバーには、主催者としての自己認識、責任感覚が欠けていました。その結果
として、「へなへないと」の場は誰が主催者なのか分からないような、混沌とした、悪い意味でのアナーキーな場所になっていたといえると思います。
性的な暴力は、そこに何らかの性的な欲望があるから起こるのではありません。相手をなめてかかってもいい、自分のわがままを相手に押しつけても許される、そういう状況であることを察知するから、人は非礼を働くのです(そして大切なのは、相手を自分より弱いとみなし相手をなめてかかることができるとの状況判断をするからこそ性的な暴力を振るうのですが、女性であるとみなすことやオカマであるとみなすこと、つまりオトコでないということが、相手をなめてよいということを意味する社会に今私たちは生きているということです)。相手が誰であろうと(女やオカマやその他マイノリティーであろうと)人に無礼なことをすることが許されない雰囲気があり、誰かがものを訴えたら皆でそれを聞こうという雰囲気があり、争いが起こればなぜどのようなことをしたのかを第3者にも分かるように説明することを強いられることがあらかじめ明らかであり、つまり常に周りの視線がある(監視という意味ではない)ことを意識させられるような、そんな雰囲気があればめったに性的な暴力は起きません。そして、そういったポジティブな、一人一人が大切にされるような場の雰囲気を作ることができるのはその場で最大の権力を持っているもの、つまり主催者です。その意味で、主催者がしっかりしていない、参加者が何かを言ってもまともに取り合えない、わがままや無茶をする人がいても主催者にも文句を言われない、そういう状況があると、そこは一層性的な暴力が起こりやすい場となります。そして実際、「へなへないと」はそういう場になってしまっていました。
ロ)性的な暴力についての無知・無関心
「2■事件の経過」にも書いたように、2月の時点で既に一度「へなへないと」で性的な暴力があったことがミーティングで指摘されていました。しかもそれは、被害者がわざわざ出向いて言いに来てくれたのでした。にもかかわらず「へなへないと」ではなおざりな対策しかとらず、つまり事実上無視し、結果
としてさらなる性的な暴力を誘発しました。これはもちろん前項(イ)で見たように「主催者としての意識のなさ」として説明することもできるのですが、それだけでなく、性的な暴力についてのその当時の「へなへないと」主催者側の認識の問題としても見なくてはいけません。というのも、例えば2月に起きた事件が性的な暴力の事件ではなく、例えば暴力的な殴り合いの事件であったなら、果
たして同じようないい加減な対応を「へなへないと」主催者はしたでしょうか。「へなへないと」主催者たちが性的な暴力を軽視していた、または性的な暴力についてあまり関心を持っていなかったからこそ、いい加減な対応しかしなかったという側面
があります。
実際、4月の事件のあとで「へなへないと」を中止しミーティングを重ねる中で初めて、プロジェクトPでは性的な暴力の話を丁寧に扱いました。話し合いを進めていく中で、性的な暴力についての各自の見解にかなり大きな食い違いがあることも初めて明らかになりました。
「へなへないと」主催者が性的な暴力についてまともに考えていない、性的な暴力についての主催者の中での合意すらない、そういった状況と平行して、もちろん、「へなへないと」に来てくれた様々なお客さんたちの状況も同じようなものであったのではないかと思います。つまり、主催者が「性的な暴力を許さない」というヘゲモニーを発揮しなくても、その場にいる人たちの間で性的な暴力を許さないという意識が共有されていれば、それなりに効果
があるのですが、そういった事実はおそらく無かっただろう、ということです。主催者も、お客さんも、性的な暴力についてはあまり関心が無く、つまり軽視して容認する態度をとった。もちろん、そういった状況を作った、そういった場を作ったのは主催者でした。
私自身の経験から言っても、ジェンダーやセクシュアリティーを考える場所や団体に参加している人には、自分が何らかの組織的な活動、他者の人生に影響を与える行動をしているという自己認識や責任感覚がない場合が多々あります。他者から意見されたり批判されても「私がやりたいからしているだけ。だからそれが嫌ならあなたが来なければいい」などと考えて真摯に取り合わず(これは、自分が作っているヘゲモニーへの批判を封じ対話を拒否し他者を排除する言説です)、自分の聞きたくないことには耳を貸さず、「みんな、ボランティアでやっているのだから、自分はやりたいことだけやればいい」と言って(行為の影響を受ける人に対して行為主体の都合を一方的に押しつける行為。単なる責任逃れ)、結果
として無視する事がよくあります。今の社会、つまり男性中心で異性愛強制で性別二元論を強いる社会の中でのマジョリティーの行動様式は、まさにこういう無責任体制です。権力とは、自分の嫌な話を聞かなくてもよいということです。「ここは自分の場所なんだ」という開き直りが許されて、自分の考えや行動を他者に説明しなくてもいいということです。今の社会は、権力を持った者たちが他者の存在を無視し他者の思いをないがしろにすることが当たり前の社会です。そういった社会のあり方に違和感を感じる者たちも、自分たちが少し権力を持てるようになり、自分が場を組織したり人を集めることができる側に回ると、とたんにマジョリティー面
をします。「もしあなたが参加したいのなら、参加してもいいのよ」。そういった傲慢さは、場を作ることや表現をすることに伴う様々なやらなくてはいけない雑事に「知らん顔」を決め込み、人に矛盾を押しつける姿勢につながります。問題点を指摘されても、自分が興味がないと軽視してもよいと思ってしまいがちです。
例えば自主的な劇団でお芝居を打つことを考えてみて下さい。どこの劇団でも、何万何十万円というお金を全員一人一人が負担して公演をします。自分がやりたいことのために支払いをする(金銭的にも、労力やエネルギー的にも)のは当たり前のことです。しかし「自分はひどい目に遭ってきた」「マジョリティーの他の人であれば簡単に得ることのできた特権を自分が得られないのはひどい!」などといった意識のあるところでは、自分からわざわざ何らかの支払いをしてものを作っていくという姿勢にはなりにくい。それどころか、マジョリティー社会の中で自分が得られなかった(得られない)権力を得るために、場やネットワークや運動を使おうとすることさえあります。自分が好きでやっているくせに「何かをしてあげているんだ」と考え、批判を受ければ心底心外に思います。
社会の中で孤立し、ないがしろにされているマイノリティーは、たくさんいます。ジェンダーやセクシュアリティーについては、今でも、そうです。そういった、日常生活の中で仲間が見つからず、1人で闘わざるを得ない位
置にいいる人たちは、「ジェンダーやセクシュアリティーを考える場」には参加してくれることも多いでしょう。なぜなら、自分一人ではそういった場所を作るネットワークや力がまだないからです。既にネットワークを持ち自分の生活が安定している人は、自分たちで場を作り、「自分は自分のためにやっている」「やりたいことだけすればいい」とうそぶくことで、本当に今孤立し場を必要としている人たちを搾取することができます。場を必要としている人は、「ここに居させてもらうために」多少のことは我慢するでしょう。うるさがられ煙たがられるのをさけるために、主催者に意見することを遠慮するでしょう。(そしてこれはまさに「対価型セクシュアル・ハラスメント」が起きる状況そのものです。)
残念ながら、当時の「へなへないと」にもそういった状況があったと私は思います。参加してくれたお客さん1人1人と向き合わなくても、自らに寄せられた意見に耳を傾けなくても、ジェンダーやセクシュアリティーについて考えるための場を必要としているたくさんの人たちの存在を口実に利用して、自分にとって都合のいい場を作り続けることは可能でした。こういったあり方は、私自身がこれまで批判してきた京都の他のいくつかのセクシュアリティー系の団体のあり方と全く同じものです。唯一の救いは、遅まきながら「へなへないと」を中止することで、さらなる被害者を作ることと「誤った運動のあり方」を普及させること、を避けることができたということでしょうか。
当時のプロジェクトPでは、上記のような認識を他の人たちと共有することができませんでした。残念ながら、自分たちの持っている特権(ネットワークなど)を、自分のためだけに使うのではなく社会の状況を変えるために使おうということを共有することができず、それ以前に「へなへないと」のミーティングは崩壊してしまいました。
12月の時点でプロジェクトP内でだいたい合意された内容は以下の通りです。
「へなへないと」で実際に起きた事件を引きずっているので「体を触られる」ということを中心に話し合われました。現時点では、私は、上記の性的な暴力の定義にはやや異論がありますが、それ以外は基本的に同意できます。
私は、性的な暴力とは、
1)相手を自分より弱いとみなし相手をなめてかかることができるとの状況判断をするからこそ行われる暴力の行使
であると思います。そしてそこには、
2)相手を女性であるとみなすことやオカマであるとみなすこと、つまり相手が男でないことが、相手をなめて侮蔑してもよいという理由になる現在の支配的な性意識がある
ということが重要だと思います。
例えば、事前の相手の許可無く勝手に相手の体を触ることや、相手をじろじろ見ることなどは、相手がやくざであればしませんが、相手が女性であると思うことで、可能となります。
(2)は、今の私たちの社会が性別秩序(ジェンダー・システム)の社会であるということと同義です。私たちの社会は、「男」と「女」によってできている、と思われています。赤ちゃんが産まれれば「男か女か?」が気になり、トイレや銭湯は男女別
に分けられています。ことさら人を二種類に分けるということは、単なる区別ではなく、権力関係の形成を主たる目的とした行為です。つまり、「女男」という言い方は存在せず、必ず「男女」と男が先に書かれることからも明らかなように、男性というカテゴリーに分けられる人が女性というカテゴリーに分けられた人を支配するために、男女の性別
分けは存在します。そして、性的な暴力は、そういう性別秩序が社会の中で支配的になった結果
起きるものでもあり、また「女はなめてもいいんだ」という意識を作り出す装置でもあり、そして、性別
秩序の日常的な物理的表現でもあります。ライブハウスで、クラブで、電車の中で、教室で、職場で、家庭で、実に様々な性的な暴力が、毎日毎日振るわれています(強かん・痴漢などの性的な暴力、対価型及び環境型のセクシュアル・ハラスメントなど様々な形で)。そういう日常の中で、性別
秩序への抵抗や闘いをあきらめさせられ、性別秩序を無くしたり変えたりするのではなく、性別
秩序のなかで相応の地位を得ることで性別秩序の中で生きようという意識が形作られていきます。1998年以降様々に考え続けることで、私はこんな認識に至りました。
従って、少しお客に話しかけるだけで性的な暴力を防ぎ得るという2月時点での「へなへないと」主催者側の認識はあまりに甘いものだったと今では思います。今の私たちの社会が、そして私自身が、まだまだ全然性別
秩序を相対化し得ていない現在では、ジェンダーが私たちの体や意識に深く染みついています。だからこそ(2)のような意識を実は自分が持っていることを理解することができず、「当たり前のように」「いつものように」行動することで人は性的な暴力の加害者になってしまいます。
そしてもう一点。「へなへないと」には、レズビアン・ゲイ・バイセクシュアルや女装者などのセクシュアルマイノリティーが多く参加している場でもありました。また、今の社会の女性差別
と闘う意識や運動をしている人も参加していました。これらの人たちは、何らかの形で、今の性別
秩序に違和感を抱いている人たちです。にもかかわらず、性的な暴力が容認される場になっていました。なぜでしょうか?一つには、直接自分の利害関係に関わること以外には関心を示さないでいられる、ということだと思います。男性として生きる人の多くにとっては、性的な暴力は他人事です。だから知らん顔ができます。そして第二に、女性として生きる人や多くのトランスジェンダー(広義)にとっては性的な暴力は日常茶飯事ですが、だからこそ、性的な暴力と闘うことが男性ヘゲモニーを根本から問う闘いであることを無意識のうちに知っており、性別
秩序の制度の中にとどまろうとする限り、いらぬ波風を立てない方が得策ということになります。そうやって被害者は見殺しにされます。また第三に、既存の様々なジェンダーやセクシュアリティーの運動が、実は中途半端な運動であって、ジェンダーや性別
秩序そのものを無くしたり変えたりすることを望んでいない、という面もあります。「男女平等」「同性愛者の権利」という発想はジェンダーの存在を前提とし、ジェンダーの存在を再確認し、つまりジェンダーを擁護し、性別
秩序を再生産する発想です。中途半端だからこそ、性に関わるすべての問題の根本が実は同じだということがなかなかピンと来ず、性的な暴力の問題と自分の問題とを別
の問題だと考えてしまいがちです。
(この項は、ジェンダーやセクシュアリティーのことについてあまり時間を割いて考えたことのない人にはやや難しいかと思いますが、後日改めて、わかりやすく書ければと思っています。今回は初稿ということもあり、まだ表現がこなれておらず、一部分かりにくいことをお許し下さい)
上で見たとおり、ジェンダーが意味をなし、ジェンダーが有効に機能し、性別秩序が幅を利かしている場所は、すなわち性的な暴力が蔓延している場所です。誰かが何らかの特別
な行為を行い、それがたまたま性的な暴力になるというのではありません。特に何もない、いつもの状態こそが、そこに性的な暴力が存在し、性的な暴力いつものように隠蔽されているいつもの状態です。従って、もし性的な暴力をなくそうとか減らそうとか考えるのであれば、性別
秩序を相対化することが必要です。最低でも、ジェンダーを擁護しないことは、本当に最低限不可欠な事項です。むしろ正確には、もう既に身も心もジェンダー化されてしまっている私たちにできることは、最大でもジェンダーに加担しないこと、ジェンダーを擁護しないようにつとめるくらいでしかないのではないかというのが、最近の私の実感です。性的な暴力をなくすためにわたしが何かをすることができるなどというのは、思い上がりも甚だしいのではないかとも思います。
もう少し詳しくいうなら、私は、今後何か組織的な行動を起こし、何らかの場所を作るときは、この文章に書いたような性的な暴力についての認識を一緒に行動するメンバーと共有できるよう、できる限りで努力します。性的な暴力についてある程度自覚的に取り組まない限り、作られた場は必ず性的な暴力を容認する場所になる危険性がとても高くなります。また私が参加する様々な場所でも、まず第一に、その場で一番権力を持っているもの(主催者や当局)こそが、自らの責任で性的な暴力についての取り組みを行うべきであるということを、表現していきます(男女雇用機会均等法改正法でセクハラ防止の配慮義務が事業主に課されたのは、従って極めて正しいありかたです)。事件が起きてから(正確には、それまで当たり前のようにそこにあり隠蔽されてきた性的な暴力が何らかの機会にたまたま顕在化した場合に)そのあとで何らかの対策をとろうとか被害者のフォローをしようとか考えるのでは、確実に手遅れであり、ほぼ例外なく事態は悪化します。なぜなら、あらかじめ性的な暴力のついての取り組みをしようというくらいの認識がないということは、性的な暴力やジェンダー擁護の問題の重要性を分かっていないということであり、そういう人が事件後に被害者に対してできることはセカンドレイプ以外にはないからです。私は今ではこのような認識にいたり、自分が参加している場所で、少しずつこのことをいろんな人に伝えていきたいと考えています。
(2001年8月7日)