パレード作業班ミーティング・レジュメ

(文責・レイカ)

 「バディ2000年6月号」(テラ出版)で「大阪レズビアン・ゲイパレード 2001」という名称の下、パレードについての速報が掲載された際、その記事と呼応する形で出されたパレード呼びかけ文文中の呼びかけ人7名のうち、池田さんと石井さん2人以外の5名の方は、名前を読んだ分には、おそらく、社会的に男性とされる方のように読むことができると私には受け取れました。 また、「レズビアン・ゲイパレード」という並列の名称があるにもかかわらず、実行委員会は「男性」の%が高いと読み取れました。 この点を、当時の呼びかけ人の方はどう考えていらっしゃいますか。 また、当時の呼びかけ人の構成において、社会的に「女性」と受け取れる方が少なく、「男性」と受け取れる方の%が高いのは、どうしてなのですか。

 第1回の準備会では、私の目から見て、社会的に「女性」(注釈: 一見して女性に見えなおかつ女性としてジェンダー化されてきたように見える人、以下省略)とされている人の発言量に比べて、社会的に「男性」(注釈: 一見して男性に見えなおかつ男性としてジェンダー化されてきたように見える人、以下省略)とされている人の発言量の方が多いように私には感じられました。個々人の特性をさしひいても、議論の場で「男性」がしゃべり慣れており、「女性」が話を聞く立場に居つづけることに慣れているという構図に私は違和感を覚えました。
 みなさんはこのことに気付かれましたか。また、それをどう思われますか。

 パレードの「合意」の文章にある「少数者の意見に積極的に耳を傾ける」ということは、「社会において被抑圧的に"女性"としてジェンダー化されて来た人―例えば会議の場で発言しなくてもそれほどおかしなこととは思われない存在とその立場―の意見に、積極的に耳を傾ける」というように、また、「特定のグループの都合が常に優先されるような場にはしない」ということは、「社会的に"男性"としてジェンダー化されてきた人の都合が常に優先されるような場にはしない」と置き換えて読むことが可能ではないでしょうか。 私は、パレードについては第1回準備会の「合意」と同様、レズビアン、ゲイに限らない、自分も含むさまざまなセクシュアリティ―の人が、全員、不快な思いをせず、楽しんで参加できるものにしたい、という意見を持っています。
 そのために、パレード参加者のなかで、抑圧、被抑圧という二分された立場を絶対に作らないようにしたいと考えています。 また、私は、自身について、性別違和感を持っており、女性という性自認を持っていません。けれど、幼い頃から今にいたるまでの成長の段階で、社会的に女性としてジェンダー化されてきた者であるという自覚を持っています。その自覚を持つ者として、自分の意見を発言し続けていくことが、必要であると思っています。
今回、それらを実践するために、このような問題提起を行い、まずは、本日、第1回作業グループミーティングに参加されるみなさんの意見をうかがいたいと思いました。
 また、第2回以降のパレード準備会でも、会に参加する方に、当問題についての意見をうかがいたいと考えています。
 準備の段階も含めて、パレードに関わる社会的に「男性」とされる人が、社会的に「女性」とされる人に対して、抑圧性を持たないようにするには、みなさんはどのような関係作りをしたらいいと考えていますか。

(本稿は6月10日に提案したものを改訂したもの・第2版)

「関西でのパレード 話し合いの記録(2000年==>2001年)」に戻る

一つ前のページに戻る