講演会
「パレスティナとセクシャル・マイノリティ
  〜アイ デンティティ・ポリティクスを超えること(仮題)」

日 時:12月27日(金)午後6:30〜8:30

場 所:立命館大学衣笠キャンパス 啓明館321教室
   (京都市北区等持院北町56−1 電話:075−465−1111)

会 費:200円(資料代)

ゲスト:日比野 真さん(おかま。「プロジェクトP」メンバー。)

内 容:国際NGO「国際連帯運動」の活動でパレスティナへ行き、パレスティナ難民キャンプで活動中、 イスラエル軍に拘束され、このほど帰国した日比野真さんにその報告のほか、セクシャリティに関わる活動についても話していただく。この企画では、主催者の希望で「パレスティナ報告」とか「セクシャル・マイノリティ」だとか、一見異なって分業化されている物事を、あえてつなげて見る視点で主に話していただく予定。 アイデンティティ・ポリティクスを超えることに関心のある方は必聴。

アクセス:

地 図: http://www.ritsumei.ac.jp/mng/gl/koho/access-map/kic-access.htm

日比野真さんプロフィール: 京大在学中の94年からサークル「プロジェクトP」の立ち上げに加わり、「同性愛者」に限らず異性愛者など様々なセクシュアリティー(性別 ・性的指向・性的嗜好・性自認など)の者同士が自由にコミュニケーションすることを大切にする場を開いてきた。日比野さんご自身バイセクシュアルとして活動する中で、例えば「レズビアン・ゲイ ・パレード」が名称においてバイセクシュアルを無視していることなど、マイノリティー運動の名を借りて他のマイノリティーを無視するような日本の現在の「ゲイ」「レズビアン」運動に対する批判も行っている。「同性愛者」のみに限らず、異性愛を強要し、同性どうしの親密なまたは性的な関係に対して嫌悪するマジョリティ社会に、少しでも距離を感じる人たちがともに、そのような社会のありかたを問題にしていくことが大事だと日比野さんは語る。詳細はhttp://barairo.net/。近著に、『IMPACTION』131号、『週刊金曜日』2002年9月13日号がある。「京都新聞」 2002年6月3日づけ朝刊トップ記事「イスラエル治安当局・京の男性ら8人拘束」の見出しで登場。

主 催:自主ゼミ「アート・政治・身体のあいだ会」

連絡先: (省略しました)


以下は、今回企画するにあたって、山田・福村がそれぞれ話し合ってみたことです。12月27日の講演会で、ぜひあなた自身の声もお聞かせください。

●福村幸子より
 わたしが日比野さんをお招きしたいと思った原点は、やはりいまから6年前に出されたパンフ「現代京都における変態生活者の生息状況について(抄)」(プロジェクトP発行)の日比野さんのいくつかの文章でした。例えば、いま手元にないので記憶が不明確ですが、たしか巻頭での宣言で、わたしたちは同じというときのわたしたちはいったいどれほどおなじなのだろうか、というような視点を書かれていたことや、原一男監督の「さようならCP」を挙げておられたことなどが印象的でした。自分の仕事の新聞で、原一男監督や辺見庸や鶴見俊輔などを取材したことがあったのですが、原監督は「虚構」が現実を変える可能性について、辺見さんは鵺のような全体主義に立ち向かうために、葉っぱが身を震わせるようにでもいいから自らのことばで個的な表現をしていくこと可能性について、それぞれの視点から、99年の国旗国歌法などの立て続けの国会通 過、去年9月11日以降の虚無感へ立ち向かう各個人の方法を語っておられました。昔のわたしの知り合いたちから、自分自身の無力感に苛立っているという声をよく聞くようになりました。12月にはいろんな人がまた大阪で辺見さんを呼んで講演会を開く準備をしています。けれども、そういった著名人たちを呼んで講演会を開いたり、ピースウォークに出たりという、何か「イベント」をやって、何かをやったような気になる、という疑問がありました。そういえば、あのとき、朝日新聞の記者の方も似たようなことを言っておられましたね。日比野さんは、デリバリーチラシのなかで、いまほんとうに必要なのは身近な人たちでパレスティナ、戦争、身近な矛盾などについてじっくり話し合っていくことだね、というようなことを書かれておられましたが、ほんとうにそうだなぁ、そういうことをしているようで、なかなかできてなかったなぁと思いました。

●山田直子より
 私は日比野さんが週刊金曜日にも書いていた、「アイデンティティに固執して運動する事は、他者への配慮を欠いた運動になりかねない」という意見に共感して、でもそれは、当事者ではない、という私自分の後ろめたさにも似た批判であるのかもしれないと同時に思います。それを認めたうえで言うのだけれど、「他者のアイデンティティ」に乗り擁護するという立場をとるときにも同じ事が言えるのではないかと思う。何かをする、ということで例えばどこかの団体に「所属」するということにつきまとう閉塞感を感じるのだけれど(これは前も話してたね)そこから確かに自分の無力さ、のようなものが派生する。だからこそ、例えば隣のだれかと自分の言葉で語り合う、ということは大事だな〜と思う。日比野さんの話を聞くことで、所謂「大きな問題」が別 にどこか遠くで起きている物事ではないし、そういう話をすることは襟元を正して声を荒げることではなく私たちの身近なレベルで転がっている、関係性や他者排他の意識にも内在している社会の有り様なのだという視点を、色々な人と話せれば、と思います。

 

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