「虹の会」でのパレスチナ報告(2003/3/9)

 

かたつむりの会の機関誌「死刑と人権」(NO.126 2003/07/09発行)に掲載

●東アジア反日武装戦線の救援活動をしている「虹の会」の集まりに呼んでいただいてパレスチナの報告をしました(2003/3/9)。その記録です。テープ起こしいていただいたものに、少し手を入れています。リンク等はウェッブ掲載にあたり手を入れています。(ひびの)

ふう 東アジア反日武装戦線と私がであったのは1975年。三菱重工爆破があって、その時に私の周りの人ではけっこう、手を叩いている人がいたけれど、それでも捕まったら、パーッと引いていった。私は爆弾闘争について支持という気持ちはなかったんやけど、救援はせなアカンということで、家族の人が一番初めに立ち上がって救援運動はじめるんやけどSさんのお兄さんが初めに救援始めるんやな。救援に行くと「おまえは爆弾闘争を支持するのかしないのか」と突きつけがあって、なかなか一般の救援運動が出来へんかった。だから私なんかは、反日武装戦線の通信(支援連ニュース)の読書会ということで、ぜんぜん闘わない、「チンドン屋」のようなことを虹の会でやってきた。私が大阪に来たのが75年。三十年ぐらい前で。この間ずうっと、東アジアのことばっかりやってたんではないねんけど、この人らと出会う中で自分の非暴力というものを問い直された。私はコッチンコッチンの非暴力主義者だったんやけども。彼らの武闘で自分の非暴力を問い直させられた。彼らと同世代やろ。虹の会って何にもしてないねん。年に一回ゲストに来てもらって、それを死刑と人権に載るから「ああまだ・・」とアリバイをつくっているぐらいで。それで今年最後やねんけど。その頃に日本赤軍がパレスチナに渡って東アジア反日武装戦線の人たちも捕虜交換で向うに行ってパレスチナの活動するんやけど、自分の事として全然関心がなかったんやね。
 私は猫みたいに目の前にあることだけ追ってきたような・・だから「東アジア」のことも知り合いの知り合いが捕まったというふうな、なんせ具体的ななんか自分につながった事しかやってきてないからパレスチナというのは遠い事やと思っていたんやな。それかが、9・11以後、世の中の事あんまり知りたくないと思ってんねんけど世界のほうがパーッと突きつけるような感じで・・パレスチナのことも桧森さんという人が日本赤軍で「リッダ闘争」をして・・その桧森さんが焼身自殺して・・桧森さんはうちに来るとパレスチナの話をしてたんや。その話しかせえへんねん。だんだんパレスチナのことに関心が行くようになるねん。桧森さんが3・30に死んで4・2に荼毘、焼くねんけど、その時に「人間の盾」の話を聞くんやな。もうちょっと詳しく知ろうとしたら「ISM」のことなんか分かってきて、「ああ生きとってくれたらなあ」と思ったんやけど。「人間の盾」のことを知らずに桧森さんは死んだんやね。それからずっとISMのこと、メールが毎日来るやろ。N君が日本語訳したものを見るという感じで。それでパレスチナの話を京都に聞きにいったんや。そしたらMちゃんが私もパレスチナへ行くって、あの話を聞いて決心して。でも、どうやって行ったらいいのか分からんし、日比野君の話をみんなで聞いたらええのんちゃうというのがそもそも今日のことの始まりです。

日比野 始めまして。日比野ですが、「ひっぴぃ」と呼んでください。
 私は、十年ぐらいジェンダーとセクシュアリティーに関わるような運動をしてきました。
 最初に「性暴力」の話をします。(報告会で必ず配っている性的な暴力についてのパンフはここにあります)最近の私は、公的な場所で発言をする時には、必ず性的な暴力の話をすることにしています。どういうことか、ということから話しますが、「性的な暴力というのはどこでも起こることだ」ということを、私は身に沁みて理解するまでに、時間がかかったんですね。「性的な暴力というのは、特殊なところで起こる特殊な出来事だ」という誤解が、今の社会には非常に広く行き渡っているし、わたしも以前はそう思っていました。一番初めに私が性的な暴力の事を考えさせられ始めたのは、私の意に反して考えさせられたきっかけというのは、大学の一回生の時に、釜ヶ崎の越冬闘争の支援運動をしている時に、その学生実行委員会の内部で性的な暴力に関する問題があったんです。その時、ものすごくいろんな人の意見を聞くことが出来て、私自身が変わるきっかけをもらったんですが。で実はそれ以降何回も、そういう性的な暴力の話があり、しかも性的な暴力が問題になると場がたいがい崩壊する、話がちゃんとうまくいかない。大概みんな消耗してつぶれて、被害者は黙らされて、というのを何回も経験しました。しかも、自分で運動をつくっている自分の場所ですらそういうことが起こったこともあり、これは、「問題が起こってから何とかすればいい」と考えているその事自体がそもそも間違いだと考えるに至って、このチラシを配る事にしています。  何でパレスチナの話をしに来たのに性暴力だ、ということですが、どうしてかというと、人が一緒にいる時に、そこに力関係が必ずあると思うんですが、それを、「性的な関係というのは個人的なことだから」ということで、力関係の中身に対して皆で踏み込むということをしてこない文化の中に、私達は生きているなあと思っていて、そここそが問題になってしまうから。それはタブーではない。性的な暴力をなくすというか・・・

(自分自身が加害であるとか被害であるとかで、どういう経験されてこういう集会の前に話されることになったのか。どのような場面でどんな影響を受けていまそういう発言をされているのかが分からないから、ちょっと分からないです)

日比野 自分の経験の中で具体的に何があったかというと、自分達は「へなへないと」という企画をやってたんです。プロジェクトPというグループで。ここで性的な暴力があったということを参加者の一人が言ったときに、主催者がちゃんと対応が出来ないわけです(http://barairo.net/projectp/1998.html)。実際人が殴られるといったことがあった場合には、人が慎重に動いたり機敏に行動したりするであろうことに比べて、性的な暴力があったというときには、非常にのんびりとした動き方になるわけです。例えば「嫌だと思えば言ってくれたらいいし」だとか、「私達のいつものやり方には基本的には問題がなくて、例外的に何かひどい事が起きている」というような対応をするんです。実際、「こういうことされて嫌だった」と誰かが言ったとしても、あまり重要な問題だと考えないし扱われない。

(女性が被害を受けたとカムアウトされてそれに対して応対が不十分というか、なかなか皆が受け止められないということをおっしゃられているのですか)

日比野 レイプだけに限定する必要性を私は感じてないので。まずそっからはじまるんですよ。「レイプされたのならともかく、たかだか触られたぐらい」とくるんですよね。それは百%間違いで、その発言こそが暴力なんですよね。という話は、なかなか通らないんですよね。性に関する問題提起は社会運動の現場では一貫して黙殺、無視されてきたと私は思っていて、その影響がはっきりあって、「性的な暴力の被害を受けた」と言われても例外的な事件、一部のひとの問題と見なされる感じ。

(私は在日の立場から言わせてもらえれば日本の文化の中で、従軍慰安婦の問題とかなかなか一般の人には理解してもらえない。だから曽野綾子なんかはっきり言って「日本の女性も行ってたんだ、お金の為に。」そういう発言されてますから、ある意味でお金でやってる人と普通の人と分けてと言う文化がずうっと来てて、なかなか女の人たちも声をあげれないというか。ただ、今おっしゃってて分かりにくいと思ったのは、レズビアンの友だちにカムアウトされたことがあったんですよ。私にすれば彼女がレズビアンだろうが私は、たまたま好きになる人が女なんだからいいんじゃない。それは私に言われても。私が在日であるということは選択できなくてある日気がつくわけですよ。親の生活状態の中で。彼女達は私は選択していると思っていたんですよ。生まれながらじゃなくてたまたま好きな人がそうで自覚にいたると。すごくずれてて、だいぶ怒られてその中で自分がある日気づくと言う事に対しては同じで、それを受け入れていくのにすごく大変な時間が彼女達にかかるし私にもかかる。そういう意味においてはマジョリティーの今の社会の中で女性の性的被害というもの、言葉のレイプもあるし、いろんなものがあると思うんですけど。日比野さん自身がどんなふうに変わられたんかなあ、その衝撃を受けはったんがどういうことだったんかなあと)

日比野 一番最初は越冬の時に問題を指摘された時です。被害者に、「何が嫌だったの、ちょっと教えてよ」とか言ったら怒られるのね。「なぜそんな事が分からないの」とか、「知りたいのなら本屋に行けばいくらでも本があるでしょ」とかね。そう言えばそうだなと。他のいろんな差別の問題なら、本屋に行って自分で調べてくるのに、性暴力の事とか性差別の話って、全然勉強してなかったわ、とか思ってね、本屋さんに行ってみたら、知らなかっただけで本がたくさんあるわけです。仕方ないから一列バアーンと買ってきて読むわけです。すると知らないことだらけで、「えっ、えっ」と最初のショックとしてバアンとありました。そういう経験を私は積むことが出来た。運が良かった。そしてそれは、作為的努力ーー人のことを知るためには、自分とは違う立場にいる人のことを知るには努力がいる。それを性の事に関しては、私を含めしてない人がたくさんいる気がしていて、まず一番最初の、私自身の「あっ、知らんかった」今から思うとそういうのがひとつ。それから、そういう経験が何回かあっても、私も腰が重かったんですよ。だけど「どうして腰が重かったのか」ということを考えてた時に、性別、「男女という制度」それ自体が間違ってるということに気がつき、そう言わない限りダメだと。私自身が変わるのと時期的には大体セットで、性暴力の話の問題化を始めたんですね。人を呼ぶ時に「彼」「彼女」という言葉を使いますよね。人を呼ぶ時、「その人が男なのか女なのか」ということを私達が生きる際の一番基本にしていますよね。それが「ガン」なんだと。そこまで話が戻っちゃったんです。私自身、ジェンダーとは何なのかという事を考える中で、ジェンダーとは選択するものだという辺りから、「『男』も『女』も実際には存在しない。そう見なされている人がいるだけだ」と。結論だけ言うと、「男女という制度」自体が人を差別する事を目的としている制度であって、男女区別というのは全部男女差別であって、例外はない。普通に私達が生きてると「彼がどうたらこうたら、彼女がどうたらこうたら」とか言うよね。さっきも迎えに行く時に、「あの人は男?女?」とか言うわけですよ。私達はそういう文化の中に生きていて、そりゃ性的な暴力は起こるわねって。「おまえは、男なのか、女なのか」を気にするって事は、「相手が男か女か」でこちらの態度が変わるから、区別することは意味を為す行動であって。相手が男か女かで態度が違うのは、差別ですよ。ちっちゃいように見えるんですが、さっき「男の人に怒られる」と言われたでしょ。具体的なこと分からないですが、聞いていてそれは「性暴力」かもしれないと私は思いました。理不尽なことをして、悪いことして、怒られるなら仕方ないですが、そうじゃないのに男に怒られるというのは明らかに不当な暴力ですよ。それを「仕方がない」という諦めの文化の中に生きているんですよ。だって男は変わらないんだからとか、ヘテロかわらないんだからとか・・

(みんなそれぞれに努力した文化というか、何年か生きてる中でたぶんみんなしてきたと思うのに、努力が実って、実った部分もあるけど実らなかったこともたくさん持っている。それから諦めてしまう、と言うのは私も含めて周りにはたくさんいる。大事だったら今でもがんばるけどがんばりがいのないところではやはり諦めてしまうというのが多くある)

日比野 よく分かるんですが、残念ながら日本の中ではジェンダーに関わることは負けた分野で、特に上の世代ではね。明確に世代差があると思うんです。人々が集まった時にやっぱり基本的に「男女という制度」が幅を利かす場所でない場所なんてないんですよ、ひとつも。おかしな暴力、例えば「男が理不尽に怒る」みたいな文化がある、それが「性暴力」なんですよ。
 パレスチナの話に入りたいと思うわけですが、性的な暴力についてはちょっと言葉足らずで、まだ試行錯誤しているところなんですが、今言ったみたいな話が出来ることを確認するために時間とっているようなものです。タブーじゃないです。「パレスチナの話に来たんだから、こういう話は止めてくれ」という立場は私は不当で間違っていると考えています。ということを明らかにする時間でした。

★なぜパレスチナへ行こうと思ったのか

 私は去年(2002年)の終わりにパレスチナに行きました。ISM(国際連帯運動)に参加をしたのですが。バラタ難民キャンプというところに行って、運の悪い事に24時間で捕まりまして。生まれて初めて逮捕経験しました。正確には、イスラエルに着いた後まずテルアビブで2泊して携帯電話を買って、街の雰囲気を堪能して、翌日エルサレムに行き、そこでISMに合流して、一日トレーニングを受けて、翌日バラタに行って、一泊して、その日の夕方に捕まったんです。捕まって十日間拘留されて、その後裁判をやって、保釈されて、二、三週間イスラエルにいて、帰ってきました。「クローズド・ミリタリー・ゾーン(軍事封鎖地域)に私が立ち入ったので退去を求めたが拒否したので逮捕した」というのが向こう側の言い方でした。日本人ばかりでなく、アイスランド、デンマーク、USA、イギリス、ヨルダンなど8人で捕まったんですが、そのうちの5人は強制退去処分を受け入れてすぐに出国しました。3人は強制退去処分を不当だとして、強制退去処分取り消し訴訟をエルサレム地方裁判所に起こして裁判をしたんですね。初裁判の翌日に保釈されました。裁判は敗訴で強制退去処分が確定したので、10年間入国禁止。法律婚をするか誰かの養子になるかして苗字を変え、下の名前も読み方を変えたパスポートを作って、もう一回行こうかなと思っています。

(イスラエル側からしか行けないのですか?)

国境は全部イスラエルが管理しています。

(検問所じゃあないけどいくつか入国する場所があって、そこも管理は全部イスラエル側がやっていて、唯一、ガザ区内がパレスチナ側の検問所になっているんです)

(パレスチナの人が出国する時もイスラエルを通ってしか出れないのですか?)

(そうです)

(そうだったんですか。私は直接行けると思っていた。)

エジプトから行けるのかなあ?無理だよねえ?入れないよね?法的にはパレスチナ人は在日朝鮮人に近い。日本政府はイスラエルに近い。

(どういう場面でなぜ捕まったのですか?)

日比野 それはね、難民キャンプ歩いていて、「さて、今日はどこに泊まろうか。ちょっとあの家に行って、どこに泊まるか相談しようか」と8人ぐらいで路地を歩いていったんです。路地があって角を曲がったらイスラエル兵が一杯いて、運悪く捕まったんです。文字通り運が悪かっただけです、本当に。私達はイスラエル兵に何人も会っているわけですよ。現地に行って「あんた達は何しているの?」「なぜ家を壊しているの?」とかいろんな事を聞くんですけど。兵士には何人も会ってて、パスポート見せろと言うので見せたりしているわけですよ。要するに、たまたま作戦展開中、真っ盛りのところに出会ってしまって。向うもすごく警戒している。クローズド・ミリタリー・ゾーン(軍事封鎖地域)というのは、緊急法というのがイスラエルにあって、任意の場所を任意の時間帯にイスラエル軍は設定することができて、かつ、そこが軍事封鎖地域に指定されているということを明らかにする必要はないんです。いつでもだれでもどこでも、おまえは軍事封鎖地域にいるからといって捕まえる、そういう法律があって捕まったんですね。

(なぜパレスチナへ行こうと思ったの?)

日比野 京都で5月にISMに行った清末愛砂さんの報告会があったんですよ。清末さんのことは、ジェンダー・セクシュアリティーに関連するある場所で、前から知ってたわけです。そんなに話したことがあったわけではありませんが、清末さんに対しては、まずこういう隠れた仲間意識みたいなものがありました。社会運動のフィールドでジェンダー系の話をする人はすごく蔑ろにされていますから・・・。そのへんでの共感もある人だった。で、そいつが行ってきたと。 そういう共感があったところで報告会に行ってみて、話をしたところ「日比野さん、パレスチナ行こうよ。素敵な活動家に会えるよ」って清末さんが言うわけですよ。つぼをついた話を言われて。ISMという名前、そのとき初めて知りました。清末さんには特に何も聞かずに、家に帰ってからインターネツトで捜してみたんです。そしたらまたそれがいいんですね。

★ISMについて

日比野 すごく大事なんですが、「私達は、武装した戦いを通してイスラエルの暴力と占領に抵抗する、パレスチナ人の権利を理解します」--ISMの場合は、武装闘争する権利がパレスチナ人にはあることをハッキリと確認した上で、私達ISMはそれを選択しない、という言い方をしている。まず、このスタンスが、これなら乗れるという感じをもちました。それからもうひとつの資料「ISMについて」という資料を見てください。ISMというのは本当にオープンなグループで、ホームページとかメールで流れてくるのを見てるとこう書いてあるわけです。「エルサレムに着いたら052-502079に電話してくれ」。ホームページ見ていくと個人登録フォームというのがあって、名前と連絡先といつごろ来るのかということを書いて送信ボタンを押すと、個人登録が出来るわけね。すごくオープンな感じで個人を受け入れていて、しかもエルサレムに着いたらどこそこに電話してくれとか。来る時はビデオカメラ持ってくると良いとか書いてあって。すごく具体的で、スキーツアーに参加するかのような感じで。しかもそれが、「誰でも来てください」、しかも個人参加である。これは面白そうだと思った。なぜ行こうかと思ったか?ISMが面白そうだったからというのが一番大きいのと、それと「来い、来い」と書いてあるわけ。「パレスチナで会おう」と書いてあるわけ。私は医者ではないしエンジニアでもないしスキルないじゃないですか。ジェンダー系の活動家と言っても日本語でやっているんだし、そんなこと役に立ちませんよね。何が出来る?私は絶対足手まといになるのではないかとビビってたんだけど「来い、来い」と書いてあるの。何するんだろうと思ったら、食べ物を運んだり、非暴力行動に参加するだとか。一つ気になってたのが「ウイットネス」(目撃証人)ですね。現場に行ってものを見るだけでいいと書いてあった。でも実は私は、現地に行くまで納得していませんでした。私は本当に役に立つのか?でも「来い」と書いてあるから、面白そうだし行ってみるか、ということで行ったんです。

(英語はしゃべれんの?)

日比野 難しいものがありましたが、私はバックパッカーの経験があって(バックパッカーって何?)外国を一人で旅行する経験があって、2.3年に一回いろんな所に行ってるんですよ。生きていくための最低限の事については何とかなる、という自信があったんです。英語なんて通じなくても、身振り手振りでいけるんですよ。心さえオープンにしていれば大丈夫なんですよ。ダメだったら途中で帰ろうと思っていましたから。

(イスラエル兵と交渉すると書いてある)

日比野 交渉ってしゃべるんですけどね。下手な英語のほうがいいですよ。上手いと向うはペラペラペラペラと早口でしゃべってくるから。
 さっき清末さんの事を出したんだけれど、清末さんが「素敵な活動家に会えるよ」と言っている。私は勝手に意味を深読みしているわけね。日本ではジェンダーとセクシュアリティーの問題は非常に蔑ろにされて来たけれども、欧米は違うんですね。という事を私は知ってて。ヨーロッパだと、例えば同性同士の結婚を認めるということは、いくつかの国では法律が成立していて、かつEUの方針として「同性愛を処罰する法律を廃止するというのがEUの加盟条件」ですね。それから、これも賛否両論がいろいろあるんですが、例えばフランスでは国会議員選挙の候補者名簿は男女を必ず交互に、人数を半々にせよみたいな法律が通る。「社会運動する人は、ジェンダーセクシュアリティーのことに興味がある人のことである」と言ってもいいぐらい、ヘゲモニーが変わっているということを知っていて、そういうジェンダーセクシュアリティーの話の通じる活動家に会いたいと思っていたところに、清末さんの一言「素敵な活動家に会える」が来るわけね。
 日本にいてもたいした事ないし、頭の固い連中ばかしだし。ISMかっこよい。議長府に入って行った。「人間の盾」という言葉嫌いなんですが。あのいけしゃあしゃあとした感じね。ISMがオープンで個人を受け入れていった。党派的な動きを全然感じさせない。ということと、さっき言ったジェンダーとセクシュアリティーのフィールドでの信用のおける活動家に会いたいということと、その辺りが、私の個人的な理由です。個人で出来る事があるということが私の感覚にピッタリ。日本では組織だって行動しなければ何か出来ないみたいな雰囲気があるし、個人で動くと「勝手にやるな」とかあって、「発想が逆!」とかずうっと思ってた。日本の社会運動への恨み、つらみかが私のバネである事ははっきりしています。

★ウィットネス(目撃証人)の話

日比野 ウイットネスの話をここでしておくと、「とにかく来てくれ」と書いてあるのが実は私には意味がわからなかったです。そもそも私がいることに意味があるのか、と思ってたら、実はおおありで、「ただ単にそこに居ることに意味があるから、観光客でもいいから行こうよ」と私も言うようになりました。どういうことかというと、戦争やってるのね。わたしたちがやったのは、そこで何が起きているのか見るわけです。 (写真)これはちょうど家が壊されているところ。どうして壊したのだと抗議しているところなのですが、兵隊達なんていうかと言うと「いや、これは私がやったのじゃない。一部の悪いイスラエル兵はむちゃもするだろうけれども、必要がなければこんなひどい事はしない」と言うわけですよ。イスラエル兵も人間だからね。しかも、その多くは十代二十代の若者。そこに、面と向かって、全然恐くない非武装の市民が文句言ってきたら、普通の応答せざるを得ないわけですよ。みんな「戦場だから、むちゃがあっても仕方がない」と思っているでしょ。それを許さないわけね。戦場だからと関係なしに、「何であなたは人のうちを壊すの?」と戦争やっているところで兵隊に言うわけ。「これは人のものでしょ、何で壊すの?」。兵隊もみんな悪い事をしている事分かっているのです。
 で、ちょっと思い起こしてみると、私達の周りの生活の中でも、例えば誰かがいじめにあってるとか。さっき例を出した、誰かが性暴力の被害を受けたとカムアウトしたときとか、誰かがゲイ、レズビアンであるとカムアウトしたときに、それを無視したり白い眼で見たりすることかがよくあるわけです。それに対して「ちょっと話を聞いてみようよ」と中間の位置に立ってフェアな感じでちゃんと見ようという人がそこにいると、その場の状況って変わると思います。悪さする人が少数だけれど確実にいる時に、その少数の人が悪さできなくなるんですね。公然とはできないというか、やっぱり分かっているというか、ということで、ちゃんと状況を見ようと人がそこにいることが、ひどいことされる時の抑止力になる。

(一般に戦争というのは戦闘員がやるのであって一般市民の家を壊したら戦争犯罪ですよね。普通の市民の家は関係ないと思うのですが。戦争の意味というのは軍人同士がやりあうのが戦争であって勝手に一般の人の家をそういうふうにするというのは犯罪だと思う)

(イスラエルの側の、言い方があるのではないかな。テロリストの家だとか、ゲリラのとか・・)

日比野 常に、「テロリストから、イスラエル市民を守るため」。必ず何やってもイスラエル兵はそう言います。

(略奪もするの?)
(壊すって言ったら、とことん破壊尽くすんで、使えるもの、持っていけるものって私が見た限りなかったです。)
(目的としては使えないようにしているのですか?)
(家としての機能を全く果たしていないですね。阪神大震災のあんな感じです)
(場所はどこでもですか)
(どこでもです。バラタキャンプもそうだと思うけど私がいたのはガザと西岸なんですけどもちょっと歩いたらここ、ここ、ここって、歩くたんびに・・だから、ああこんなところまで来てしまったって最初は衝撃はすごく受けるんだけど、慣れてきてしまうぐらいあちこちにあります)
(無差別にですか?)
(そうですね、まさに無差別です。学校もよく壊されてるし、病院までいかなくても救急車はよく壊されてる。病院は自治政府の付属病院が多いんですよ。救急車は搬送中に攻撃を受けるというのはメールでも読んだし向うでも話に聞いたけれど、病院が攻撃されたというのはさすがに聞いていないです。)

日比野 ISMというのは「ウイットネス/目撃証人」になろうと呼びかけていて、そこに居るので、公然と悪いことするのが難しくなりますよね。

(写真)これ訳が分からないんですよね。壁に穴を開けているんです。イスラエル兵に聞いたら「テロリストの捜索の為に」やっているらしいです。この穴の向こう側にイスラエル兵がいるんです。こちら側にいるのがISMの創設者一人のネタ・ゴランなんですけれど、こう言ってるんですね。「どうしてこんなところに穴を開けるの?」「入りたいならあそこに入り口があるのだから入りなさい」。そういうやり取りをするんです。むこうからしたら、うっとうしいですよね。

 

(写真)難民キャンプの中は、こういうふうに荒らされてるわけですよ。これはどうかんがえたって弁解は出来ないんで。だけど、パレスチナ人だけがいたらこんなことが出来ちゃう。テレビが壊されていますね。どうして壊されているんだとイスラエル兵に聞くと、「あれは私がやったんではない。一部のイスラエル兵に悪い事をする人がいるかもしれないが私はしない」そう言いますよね。第三者の見てる人がいると悪さしにくい。
 もうひとつ思ったのは、バラタ難民キャンプにいてなかなか強烈なんですけど、、

(写真)これは外出禁止令が出ていて外に人がいないんですよね。ここに観光客が千人ぐらいいて、頭の悪い日本人観光客が「戦車!戦車!ちょっと記念撮影しましょ。」皆で行ってパチパチやっててごらんなさいよ。戦争できませんよ。そういうことです。「いる」ということで無茶をすることが出来なくなることがあるんです。それをISMの場合は自覚的に狙って効果的にやっているから、イスラエルからみると非常にうっとうしい話です。それを世界に発信しようとして、毎日インターネット使って状況の報告があってという感じですから。皆見ていないところなら思わず悪さしちゃうじゃないですか、嫌いな人に対して。誰にもバレないと分かってたら悪さする事があるでしょ。あいつ嫌い、絶対嫌いと思ってたらそういうことあるでしょ。人が見てるとなったら出来ない面があるわけですよ。

日比野 私が涙が出たというか、堪忍してほしいと思ったのは、ある病院に付き添いで行くわけですよ。その人が家まで帰らなけりゃいけないということで、歩いて帰るわけです。外出禁止令がパレスチナ出ていて (写真)こんな感じで人がいないんです。ここは普通、人が一杯いるとこですよ。ナブルスの市内、バラタ難民キャンプ。ここを歩くと撃たれるのでISMの外国人が周りを取り囲んで歩いて、撃ったら外国人に当たるようにして家まで送るということをするわけですね。で、行くわけですよ。路地の奥のほうに行くと、わらわらわらわら子供が出てきて、口笛を吹いて、拍手とか湧き上がって、「救いの神が来たあ」っていう雰囲気に街がなるわけ。たかだか5、6人で囲って行ってるだけなのに。でも、向うからしたら「見捨てられてないんだ」と、ここに救いの人がいるんだ、助けに来てくれたんだと、ものすごいの。私は何も出来ないでしょ。騒ぎがでっかくなるとまたイスラエル兵が来る、撃たれるかもと思うでしょ。でも分かるわけ。本当に人が来てくれる事、見られてることを欲している。皆が見ていないと何されるかわからない。実際そうだったわけ。虐殺もあったわけだし。サブラ・シャティーラの虐殺、ジェニンでもそうだし。国連の監視団すら入れないんでしょ。そういうことかがあるから、見られているということが抑止になるし、見られなくなったときに何が起こるかという事も分かっているから、ものすごく、「来てくれたあ」って。でも、何も出来ませんよ、私。その時が一番辛かったです。
 ウイットネスにすごく意味があるということがよく分かります。

(外出禁止令はずうっと出ているんですか?食料とかどうされてるんですか?)

日比野 それがね、私も本当に不思議なんですけども。外出禁止令は、一週間に一回とか解除されるみたいですよ。数時間。

(場所とか地域によって一日に二、三時間ぐらい、何時から何時まで、その間に病人を運んだり買い物したりとか。それも全然解除されないということもあります。)
(食料とか?)
(私がナブルスにいたときは67日目の外出禁止令がずうっと続いていたのだけど、みんなね店を開けてて。ちょっと大きな街だと必ず旧市街というのがあるんでどこでもね、街の真中に市場だとかあって、そこに行くには、検問所からちょっと距離があるんですよ。戦車が入って来たらこっちのほうの人たちが皆に「来た来た来た」と言ってバーッと店を閉じていく。そういうようなことやってて、そういうたくましさがあるとこにはあったし、シビアなところでは本当に出られないという所もあったと思います)

日比野 あと、ものすごいコミュニティーがしっかりしてて、例えば塩を隣どうし融通しあうのは当たり前。日本のマンションという感じじゃ全くない。

(家を壊され住めなくなった人たちはどこに行くのですか?)
(むこうはまだまだ大家族の制度が残っているので親戚の誰かの家に子供が預けられたりして、その家族はいっしょに住めなくなって、崩壊しちゃう場合もよくある)
(難民と言うので、テントでの生活を思っていたけれど、写真を見たらコンクリートの頑丈な家ですね)

日比野 私がバラタで泊めてもらったところで、難民で何年から住んでるのって聞くと、67年からって。私の生まれた年ですよ。35年間テントでさすがに暮らせませんよ。第一次中東戦争となったら48年ですよ。難民なんですけど立派な家に住んでいますよ。

(さっきちょっと出たテロリストの家族というのは向うは把握しているのですか。日本でいう住民票、どこに誰が住んでいるというのをイスラエルは把握しているのですか)

日比野 正確には分かりませんが、自爆攻撃は隠れてやらないで必ず声明が出ていますね。誰がやったか写真付きで出るわけですから。隠す方向では動かないですね。

(イスラエルはパレスチナ人はみんなテロリストと思っているのではないんですか。無差別にやっているのではないんですか。やはり特定の人を見てやってるんですかね。家を壊す理由を作っているだけでテロリストと言えば言えるんじゃないんですか)

日比野 イスラエル政府はパレスチナ人のジェノサイドをしたがっている。全部殺す全部追い出す。そこまで行かないにせよ、パレスチナ人は全部敵だというふうに思っている人たちはいます。イスラエルの兵士のやってること見たら「パレスチナ人は全部テロリスト」扱いだし。私はバラタ難民キャンプに行ったときのことですが、イスラエル兵が家宅捜索をしているわけです。一軒一軒廻って行って何をしてるかと言ったら、そこにいるすべての男達を連行しているわけです。14歳から54歳までの男の全員連行して、だから容疑者扱いですね。それは嫌がらせですよね。やるときは基本的には法律に基づいてやっていると言わざるを得ないので「テロリストの捜索の為にやってる」と必ず言うのと、それから自爆攻撃した人はちゃんと狙われている。それは自爆攻撃された人だけが狙われているのじゃない。

(聞いているとほとんどホロコーストですね)

日比野 そうでしょ。私もそういう印象を持っています。とくにシャロンというのは明確にその路線だと私は思います。

★難民キャンプの話

日比野 難民キャンプの話をまとめてしたほうがいいので・・・ (写真)
パレスチナのこと全然知らなくて、行ってからも知らなくて。ちょっとクイズです。レジュメの最後のページ。地図を見てほしいんですが。パレスチナはどこでしょう。色を塗ってください。

(かつてパレスチナの地に住んでいた人が追い出されて自治区に残っているひともいるけれど、シリアとか散ってるでしょ。その人たちがシリアに行ってもパレスチナ人と名乗っている人もいるわけですよね。)

(それぞれの国によってパレスチナ人の扱い方、地位はそれぞれで、例えばヨルダンなんかはすごく多くて発想としてはパレスチナ人はいないんだ、みんなヨルダン人なんだということなんだけれど実際に選挙権であるとか、パスポート発行されていたり保証されたりするんですね、これがシリアになると在日の人と同じ扱いで税金納めてても選挙権や公務員になる資格がなかったり、それからレバノンが一番ひどい。その場所によって自分はパレスチナ人であるという政治的な立場だとか生活とかいろいろ自分のアイデンティーを話すという事は政治的なものが出てくる)

日比野 歴史的にパレスチナと呼ばれていた部分はすべてを指します。パレスチナと呼ばれた土地に住んでいた人のうち、人口の6%がユダヤ人だったところを、移民でユダヤ人を増やしながら、イスラエルという国家を1948年に建国を強行したという歴史的事実がある。つまり、人の住んでいるところに別の国を作ったから、逃げて難民が出来たと言うのがスタートです。私も知らなかったのですが、西岸地区とガザ地区がパレスチナだと塗った人が多いでしょう。わたしもむこうで見たわけですよ。エルサレムの宿で、西岸地区とガザ地区をパレスチナ独立国家だとした地図を見たわけですよ。その地図を見てね、皆で「独立国家が出来ればいいねえ」と言ってたわけ。言ってたら、横にいたパレスチナ人が「ノーノーノーノー」と言うわけですよ。そしてイスラエルのハイファと言うところを指差して「私の父の土地はここにある」と言うわけですよ。実はそもそもイスラエル全部が占領地なわけです。パレスチナ人の帰還権が問題になるのはだからなんでしょうね。難民が自分の住んでた土地に帰る権利があるというのは、やっぱり言いたいというのはそういうことなんです。

(写真)後で知ってビックリしたのですけど、(ISMのメンバーの写真を見ながら)この人はISMの創設者の一人で私たちの指揮をとってくれたネタ・ゴラン、この人はイスラエル人なんです。ISMというのはイスラエル人を含めて一緒にやっている。ユダヤ対イスラム、イスラエル対パレスチナという対立の仕方そのものを拒絶する形に出てきている。多分、そういうことと関係があって、個人として登録して個人として参加するということになっている。このダーリーンとかも、私も英語苦手だからも、初めは会ってもあまりしゃべってはいなかったんだけれど、このダーリーンも米国籍のユダヤ人でした。裁判した人のうちの一人で、裁判したのはこのダーリーンという人と、ジョーシーというイギリスの人なんだけれど。しゃべってたら、私が川口大臣あてに要請文を出したよって言ったら「マコト、そういうの出してくれてありがとう」とダーリーンが言うのね。「自分達の問題に付き合ってくれてありがとう」というアプローチで来るのね。ダーリン以外にも、何人も米国籍のユダヤ人がISMに来ていました。これは現地に行ってから知った側面なんだけれど、おまえは何人なのか、おまえは何教徒なのかという問題ではないアプローチの仕方を、ISMはちゃんと現実に作り出していると。こういうのは私の感覚に近いので「行って良かった」と言う感じです。

 あと、言っておくと、なぜパレスチナのことしつこく言うかと言うと私が世話になったからです。
(写真)これは初めて難民キャンプに泊まった時ので、みな生きた心地がしない、すごい恐そうな顔をしてるね。この写真は明るいけれどローソクでやってて、実は電気は消えてるんですよ。夕方難民キャンプに入ってどうしようかとうろうろしてると、だんだん日が暗くなってきて、あれ、よく見たらあそこに戦車があるじゃない、こっちに砲口向いてるじゃない、どうしようって、こんなの生まれて初めてですよね。暗くなって仕方なく泊めてもらおうとここに入れてもらったらね、その家の人が言うわけよ、「窓の傍は寄らないほうがいいよ」って。「見てごらん、ここの穴、このまえ、流れ弾が飛んできた」って。こんなの初めてですよ。堪忍してほしいですよね。メンバーの一人ヨルダンのジャーナリストが全員にインタビューして廻ったんです。今の状況どう思う?って。私ねえ活動家自認していて、よう言葉出せへんかった。まあ、英語で言えと言われたこともあるのですが。何というか、死ぬかも、って。怖かった。

(写真)それから一夜開けた、翌日の昼ご飯なんですけども。このときはのどかで、外は非常に明るいし。で、だんだん分かってくるわけですよ。外国人ってなかなか殺されないんです、やっぱり。殺すと面どうくさいわけね。非武装で行っているし、なぜ殺したというとややこしいわけです。

(でも、そう思ってて殺されへんと思ってたけどポベさんの本読んでたら殺されるまではせえへんけどすごく殴られ血がタラタラ流す場面がISMのメンバーでもそういうのあるから遠足気分でというわけにはいかん場面もしばしばある?)

日比野 あると思います。それから入植者に殺された人がいたし、それからイスラエル軍がやつを殺すと決めたら殺しますから。こう歩いているでしょ。そしたらパスポート見せるでしょ。 「何してるんだ」「インターナショナル・ピース・メーカーだ。ウィットネス。目撃者やってるんだ」と言ったらね、 「ほうそうか、まあせいぜい気を付けるんだな」と(自分の銃を持ってパンパンと) 「ミステイクと言う事もあるしな」(パンパンと叩く) いつ死ぬか分からないということですよね。私も行く前に生まれてはじめて遺書を書きました。

(捕まらなければどれくらいの予定で行ったの?)

二週間ぐらいの予定で。私が行ったときにはISMの人数がすごい少ない時をわざと狙って行ったんだけど、人数多いと派手なデモとかしたりして。戦車の前に行って轢けるものなら轢いてみろ、って。でもね、暮らしている人たちは、それはいつもの事になっちゃっていて、折り紙とか持っていくと喜んでくれて、カメラとか向けると嬉しいみたいで撮られて遊ばれる。難民キャンプでどんな目にあったかという話を今ダアーッとやったんですが。

(写真)これは、あの難民キャンプから車で一時間ぐらいでテルアビブのカフェです。普通で、まるでフランスみたいな。地図を見てください。私が捕まったのは右側の地図でナブルスという街です。この街にいました。エルサレムと言うのは(イスラエルが主張する)首都で、私が釈放されてから泊まっていた宿のあるところです。 (テルアビブとエルサレム、右側の近畿の地図とそれぞれの写真を比較、テルアビブのカフェとイスラエル兵に壊された家の瓦礫) ちょっと車で一時間、大阪に行こうか。ちょっと石川県行って来ようか、京都行こうかという距離でこれです。これだけ雰囲気が違うんだけど、すぐ近くにあるということ。私もエルサレムに釈放されてからずっといたわけです。そうするとテレビをやってるわけ。BBCとかCNNとかを衛星とかでやってるのをテレビで見てるのね。するとナブルス侵攻、戦車20台。日本にいてる時と一緒。周りに活動家がいて電話で「さっきあそこで・・・」とか言ってるからリアルになるのですが、テレビで観たら日本と同じ距離感です。恐いなあと思いました。距離というのは私たちの中にあるというのがよく分かった。

★釈放された後に見たこと

日比野 私が釈放された後にどんなものを見たかということを話すと、(写真) これが入植地。わりと素敵な建物が国策で作られて。入植地とは何かということですが、ピンと来ない?それを考えるために、これは地図ですが。これは西岸地区の地図なんですが、これはオスロ合意とは何かを知る地図です。パレスチナは和平が進んでいると思っていませんでした?そのオスロ合意の内容がこれです。パレスチナ国家は独立国家でしたと幻想を持ってたけれど、パレスチナの完全自治区はエリアAだけです。向うの人がつくった地図の場合「バーンツースタン」と言ってますね。南アフリカになぞらえて。このぶちぶち切れ、そして幹線道路を全部はずされている。入植地とは何かというと、ここで出てくる、濃い色のちっちゃいやつです。要するに要所要所をちょっとずつとっていって。要するに北アメリカ大陸を占領していく過程での占領の最先端にある街があるわけでしょ。それと一緒ですよね。というのが、入植地。この地図を見て思ったのは、数百年前にアメリカ合州国が建国の時にやってきたことと一緒で、そして、日本政府がアイヌを侵略したのとおなじである、と。侵略して占領して自分の土地であると宣言をして、ということをやっている。今の世界は、このイスラエルを批判する事が出来る世界なのかといえば、違いますよね。これまでずっと、イスラエルのやり方の方がスタンダードだった、というふうな事を私は思ったりしました。

(入植というのは別に農業というわけではないんですか?)

 そこに存在していたパレスチナ人の町を破壊して更地にしてから新しい町をつくるということ。

(入植する希望者を入れていくということですか?世界中から帰ってくる人たちを・・・・)

 まずね、入植地にいる人は世界中から「帰って」なのか?という問題。ユダヤ教徒にはイスラエル国籍を付与して入国を認めているんだけれども、それは宗教でしょ。それと「帰って」というより「行って」か「来て」ですよね。

(ああ、そうですね。ごめんなさい)

 いえ、でもそうなんです。イスラエルはそういうふうに言うんですよね。

(一時、キブツとか言ってた・・・)

 社会主義の見本みたいに言われていました。

(シオニズムという思想が根っこにあるから、シオニズムという思想がイスラエルという国を支えている。そういう意味ではキブツもシオニズムの思想である。)

日比野 あと、兵役拒否の事が日本ではすごく知られているんだけれど、それはごくごく一部のごくごく少数派だということを事実として見ておかないと、間違える気がします。考え方として共感するのはいいし、わたしはそれをいいなと思う部分もあるけれど。

(写真)これはオサマさんという人なんですが、「ご飯をご馳走しよう」と私たちを呼んでくれたの。じゃあ、ということで、おうちに連れてって、という事で行こうとしたの。車に乗って行ったんだけど、検問に引っかかるわけ。このオサマさんというのは、エルサレムで生まれて育ったパレスチナ人なんだけど、IDカードもっていなければダメなんですよ。IDカードの常時携帯義務があって、ないと捕まって強制退去なんですね。どこへという話になるんですけど、追い出されるんですよ。実はこの人、自分のIDカード持ってなかったわけですよ。オサマさんが捕まってしまって。イスラエルは、どうやってエルサレムに住んでるパレスチナ人を減らすか、というふうに考えるから、何か口実を見つけて、IDカード取り上げたり発行を遅らしたり。で、持ってないと捕まえると。

 もうひとつ、法的なことで同じなのはパレスチナ人が一回自分達の場所から出て、例えば日本に来てもう一回パレスチナに帰るには、再入国許可書が必要なんです。それを持ってないと入れないんです。人から聞いた話では、三日とか十日とか期日が遅れただけで入れなかった人を知っている、と言ってる人がいて。パレスチナに住んでいるパレスチナ人を減らすために、それに関してイスラエルはすごくまめな感じです。

(写真)これは何でしょ。 これはエルサレムにあるパレスチナ人用の法的書類の発行窓口です。一箇所しかない。イスラエル人用はたくさんあるから並ばなくていい。なるほど、差別ってこういうふうにやるんだと思った。

 

(写真)イスラエルの中でもいろんな運動があって、これは「ウーマン・イン・ブラック」。すぐ横には青と白のカラーのイスラエル国旗を持った人が来て「おまえ達は国を売る気か」とか。殴り合いはないんだけれど。かなり激しい口論をやってて。

(その「なんとかブラック」というのは何?)

日比野 イスラエルの中に、占領に反対という事を運動する人たち、いろんな種類のいろんな路線の人たちがいて、その中のひとつです。「ウーマン・イン・ブラック」というのは、黒衣に身を包んで、街頭に立ち続けるという行動です。 (テープ交換) 何かこう見てくるとイスラエルという国はひどい国のように思えてきますよね。

(写真)普通の人の生活ここにありますよね。例えば、資料のほうについてる日本の地図、それを見てほしいんですが。地図で茨木市のところ見てください。私もつい最近まで知らなかったんですけど、こに西日本入国管理センターというのがあります。そこでどういうことが行なわれているのか。

★パレスチナの刑務所

日比野 パレスチナの刑務所、これがまたいいんですよ。刑務所の中に公衆電話があるんですよ。

(そこは独房?電話をかけると言ったら出してくれるの?それともフリー?)

2階建ての建物で、階全体のところで鍵がかかっています。だからいつでもトイレにいけるし、いつでもシャワーあびれるし、水もいつでも飲めるし、電話もいつでもかけられるし。皆うろうろ廊下を歩いている。初めて知ったんだけれど、ISMで逮捕された男5人はそこにいたんだけど、未決囚ですよね。そこは強制退去待ちの施設なんです。黒人がいた。イスラエルに黒人?って思ったら移民できているんですね。他の人も私と同じように裁判を受ける権利があると思っていたの。昨日ISMの活動家と会うことがありしゃべっていたら、「ああ、あの人たちは裁判は受けれないよ」って。欧米系の左翼系の人はうるさいわけ。何かあれば騒いで、マスコミともつながっていて、だからひどい事も出来ないで裁判も早くあるわけ。長引くと騒がれるから、ちゃっちゃっと終わらせるわけ。でも、普通の「不法滞在」移民労働者というのは相手にされないわけ。勝手に逮捕して、裁判も何年先とか何ヶ月先とか、これではないに等しいですね。一応未決囚ですけど。

(その間は入れとくわけ?)

その間に強制退去をのんで帰る人は帰ればいいんですから。私が逮捕された8人のうち、男5人のうち、私以外の4人は強制退去処分を受け入れて、自分の国の政府や大使館に話をつけて、もしくは自分のチケットの日取りを変更して、帰っちゃった、裁判なしで。そういうふうにさせたい人たちを入れる場所だった。私みたいに裁判裁判と言ってやったのは一人だった。非常に良かったんですよ、刑務所がね。ひどい目にあうかと思っていたら。ご飯もちゃんと食べれるし、おいしいもの食べれた。むしろ私は獄中のほうがいいもの食べてた。三食出てくるからね。タバコとかも廻ってくるわけよ。「これは何?」って言うとイスラエル政府からの配給って。カミソリとかも言ったらくれるし。運動も外の庭に出るんですよ。午前と午後の毎日一時間ずつあって。そして言うんですよ。洗濯するんだったら午前中、運動前に洗っとって、朝行って干して、午後の外出の時とってきたら乾くよって。イスラエルがいかにひどいかというその逆のことを言っているんだけれど。獄中の状況だけ見たら、政治囚ということもあったんだけど、日本の刑務所とはえらい違う。茨木市に西日本入国管理センターというのがあってね、そこにいろんな難民が入れられてるわけ。アフガニスタンの難民とかもいっぱい居るんだけれど、そういう人たちが自殺したいと言っているという話が一杯ある。さきほどの占領地とエルサレムが車で一時間の距離にあることを見たけれど、遠い話ではなくて同じような話は日本でもある。似たような話が日本の私達の生活で一時間の範囲内にいくらでもある。イスラエルはひどい。ひどいんですがね、ではそのことを、どの口で誰が言うことができるのか。ということを一杯考えました。

日比野による補足:ただしこれは私やその他の強制退去待ちの人のいた収容所の事例です。イスラエルは、「パレスチナ人以外」に対しては「人権を大切にする国」という路線で行こうとしているのではないかという印象を受けました。というのも、私が保釈されてからあとでパレスチナ人に話をしていると、「逮捕されてから二十四時間立ちっぱなしでいることを強いられた。その間水も食べ物ももらえなかった」「飲み水を要求したら、頭から水をぶっかけられた」「私はこれまで三十回くらい逮捕された」「私もこの前半年くらい砂漠の刑務所にいたが、あれは辛かった。それはともあれ、マコトおまえはよく頑張った」などという話をよく聞きました。パレスチナ人の場合は、誰が逮捕されているのかさえ明らかにされない、どこの刑務所に拘禁しているかを明らかにしない、家族の面会ができない、弁護士にさえ会えない、劣悪な収容環境、不十分な水や食事、逮捕の容疑事実さえ明らかにされない、裁判を受けられないなど、明らかに差別的な扱いがされています。)

日比野 私自身パレスチナへ行ったことで一つだけ態度をハッキリさせた事があるんです。それまでは日本における在日朝鮮人の法的権利をどう考えるか、ちょっとあいまいな意識だったんだけれど、向うに行って見てると、ちゃんと言葉で整理されてないんだけれど、在日朝鮮人の国政レベルでの被選挙権を含めた全ての政治的権利というのは、即時無条件で日本人と同じものにして当然だと、私の内部で腑に落ちました。それはイスラエルの状況を見て分かった。つまり、イスラエルの中でパレスチナ人がどういう目にあっているのか見たときに、あまりに日本の中での在日朝鮮人の権利と似ている、それをビックリして。このイスラエルにおけるパレスチナ人への扱いがダメな扱いなんだったら、日本でもだめじゃん、と考えた時に、それが私の中で踏ん切りがついた。明確に言う事にしました。思って帰ってきてみると、日本でそういうこと言っている人はあまりいない。私が知らないだけなのかな。在日朝鮮人に関して国政レベルの被選挙権も含めて完全に同じに即時無条件でするべきだ。ただしそれを使うかどうかは本人の勝手ですよ。国籍とは無関係に帰化なしに国籍とは別の市民権という発想で、そこまで行くのが当然だ、としないとイスラエルの批判できない。

★日本国籍を持つ人であるということ

日比野 それから、ちょっと相談なんですが、国家。私が逮捕された時に川口外務大臣に手紙を出したのね。私の事を何かしてくれという事は書かなかった。日本政府としてイスラエルのパレスチナに対する占領を批判してくれと要求したわけ。これは獄中で書いた手紙なんです。獄中でなんでこれを考えたかと言うとISMのスローガンは、何でもいいからできることはやろうという事なんです。その場で出来ることは何でもやろうと。
Do something! Do not do nothing!
(何か行動しよう!何もしないのはやめよう!)
私もそうだと思って、獄中にいたらそれを利用して出来る事はあるはずだと思って、何しようかと思って、川口外務大臣がこの頃パレスチナへ来るみたいだったから、こういうの書くと騒ぎになっていいかもと思って書いてみたのね。あの時考えたのは、どうやって「パレスチナを占領しているのは問題だ」という世論を作るかを考えて、私の位置でやるべきこととして書いたんだけど。日本政府にこういうことしろというのは、よりましな日本政府を作るという考え方ですよね。それから私が逮捕された時にね、テルアビブの日本大使館に迷って、電話したんです。「私逮捕されたんで、よろしく」と。電話したという事がどことセットになるかというと、

  1. 在日朝鮮人が電話をしたら日本大使館は対応するのか?
  2. そもそも私は日本大使館に電話をするという選択をするのか?

すごく微妙で迷った。でも私の中では決まった。在日朝鮮人に対しても日本政府と日本大使館はしかるべき行動をとるべきだ、と。私にとったのと全く同様の行動を日本政府は取るべきだ、と、言い切らないと、私の中では納得はいかない。そう思って、向うでも大使館の人にこのことを聞いてみたら、

「日比野さん難しい事言いますね」
「で、どうなんですか?」
「それは必要な事をするという事でしょ。」
「で、あなたは動くんですか」
「電話かけてきたら仕方ないんじゃないんですか」

現場では動くのは当たり前だという感覚はある。けれども、上司がなんていうか分からない、ということをその人は言ってました。そういうやり取りがあって私の中で踏ん切りがついたんですけれど、在日朝鮮人に対する行政サービスも日本政府の仕事であると言わなければダメだ、と。あいまいな態度をとるべきじゃない、というふうに私の中でなった感じなんだけど。それから、私が逮捕された時に日本大使館に電話したというのは、アナキスト的気分をもっていた日比野として、果たして妥当な行為だったか、ということが残るわけですよ。どう思います?

(どうして電話したの?一応知らせておかないとということで?)

ISMの人とも電話してたんだけど、英語にやっぱり不安があって、ほんとうに連 絡つけてくれるか不安だったんですよ。日本で動いてくれる人に連絡つけてくれ るか不安だったんですよ。言葉(英語でのコミュニケーション)がものすごく辛かったので、日本語でちゃんと伝えられる人に伝えようと思って、大使館に電話してみたらどうかなと思って。でも、こちらからは、あれしてくれとかはあまり頼まなかったら、向うでガンガン動いたんですが。結果だけ言えば、大使館に連絡したおかげで、新聞にも載ったんです。日本語文化圏で動いているから、英語でどんなニュースレターが送られてきても、それが広がるのに時間かかってしまう。今なら、日本に居る友達に直接電話連絡して、とかいろいろ考えられるけど。結果としては、それで大騒ぎになって良かったんだけど。どう思う?政府に頼らない?パスポート取っといてそんなこと言えるのっていう話から始まって、政府嫌い、政府いらない、アナキストだからそんな事言ってるのは趣味の問題で、そんな事より現実的に必要なことしたらいいんじゃないかとか、現実的に半分くらいは私の弁護士的な役割を日本政府は果たしているんですよ。だから、逆に言うと、イスラエル兵が私に対してひどい事をしないのはなぜ?でもそれは微妙に迷うわけ。日本政府があるからなのか、日本社会があるからなのか、私の友だちがいるからなのか、これまた微妙。なぜ私は殺されない?パレスチナ人はバンバン殺されるのに。正直言って分からないわけ。でも、思うわけ。日本政府動かない、日比野殺される。そういうこともありうるわけね。でも、微妙で「日本政府に何か仕事をさせよう」という方針で行くのか。「日本で暮らしている友だち一人一人が、直接イスラエル政府に文句を言う」というやり方もあるわけね。そっちのほうがいいのかな。

(頼るという事でなしに利用したらええんちゃうの。)

日比野 私はそうしたんですよ。私の意に反して金(税金)取られているわけだし、日本に居たら救急車呼ぶわけでしょ。同じ感覚で日本政府に仕事をしていただこうと。

(井上澄夫さんという人がタイに居た時に、クーデターか何か起こって、そのときに自分の身が危険になったけど絶対日本大使館に駆け込まないと、日本とタイとの関係で井上さんはそう思ってて。そういう話を25年ぐらい前に聞いた。それはずっと残ってて、だから外国に行くということは、特にアジアとか、日本が悪い事してないとこ無いやろうけど、そういうなんかあったときに大使館に駆け込むかどうかは、そのことを聞いたときからすごくあった)

日比野 駆け込むではないです。連絡をとって事実を伝えたんですね。そうしたら向うはサッサと動きはッたんです。

(それは仕事やからなあ)

日比野 そうなんです。邦人保護というのは仕事なんです。

(仕事せえへんかったら国会でいわれるやろ)

日比野 国会で叩かれますよね。ちょうど外務省が叩かれてた時だから下手うったらまた叩かれるというんで仕事してはったというのが、よく分かるんです。日本政府ホントによく働いたのね。捕まって裁判までしたのは日本とアメリカとイギリスなんですね。アメリカ大使館というのは、捕まった人に対しては、ほとんど何もしないわけ。日本大使館は刑務所まで車で迎えに来てくれたり、荷物を引きとりに行ったりとか、一杯してくれるわけ。ダーリーンが、何もしない米国大使館に文句言いながら、日本大使館にはとても感動していました。

(裁判の時の弁護士は?)

日比野 弁護士はISMの方から依頼していますので、そっちとの会話の中で私は意思決定しています。拘留中も、大使館員は、日本に帰れ帰れと、「処分を受け入れて帰るほうがいい」と言うのですが、こちらもこちらで独自に意思決定していますので、そのことを言うだけで議論はしない。大使館員は裁判の傍聴にも来ていました。ヘブライ語と日本語の通訳が一番上手に出来るのも、その大使館の人なんです。やっぱし日本大使館役に立つなあ、という事ありました。でも、所詮国の側ですので、信用とかは全然してないんですね。  
  ふうさんからもらった文章で「声なき叫び」を見た後で死刑廃止を言うのは大変・・・という感じ。私も、大学の中で性暴力が起きた時に警察を呼ぶな、とは、私はよう言わんと。「大学の自治だから警察呼ぶな」とはもう言えない感じがある。その辺の事で全部セットの感じなんです、私の問題のフィールドとしては。国をどうする。利用したらいいんじゃないかと私は思ってるんだけど。

(パレスチナ人は殺されるが日本人はバックボーンがあるからイスラエル兵が配慮すると言う意味で、自分がただの個人でなくて日本人である、というのは大事な事だと思うんですけど、日々の選択の中で自分がどういうふうに国家と付きあっていくかというときは、それは日比野サンのされた選択が主義に反してるとか倫理的におかしいとか全然思わない。それは当たり前なんじゃないかなと思いますけど。)

(自分で決める事だからあれこれ思わない。自分だったらどうするかという事だけでしょ。そのひっかかりは日比野さんの整理したものだから、他人がどう思うか、感想はあったとしてもとどの選択肢でも私はいいと思う。その人が決める事だもん)

日比野 もちろんそうなんだけど。

(利用できるものは一杯利用した人を見るのは好き。)

(だって、力とか無いじゃないですか。その時に、例えば、オウム真理教の人が廻りの人にボコボコにやられそうになっている時に警察が入った方がまだまし、とかね。そういうことってあるでしょ。そこで自分が出ていってボコボコにされても何もならなくて、というときに警察を呼ぶというのはある・・・そういうことってあるから。私は国の力は頼らないとはよう言い切らない。)

(利用してるというのは言い換えてるだけのような気がしますね。向うは利用されてるとは思ってないわけだし。日比野さんは日々の暮らしでどういうふうに対応したかということは、それぞれの問題ではないと思うな。ものすごく考えたいと思うな。)

日比野 私の場合は、どっちかと言うと、政府は利用したらいいんだと考えた方が現実的にいいんじゃないかと判断をして。それで、だったら、在日朝鮮人に関しても当然しかるべきと・・・この辺、皆どう思っているの?

(ちょっときれい過ぎるように思う。自分の中で一個の人間として、たくさん皆で組んでやるわけじゃないから、ISMに参加する時から一人一人でやってるという、カッコいいという、清末さんがおったのシンパシーがありのいろいろあって、その時一個人で行くということと、実際対峙して、難儀な事に出会ったときにはやっぱり、一個人を貫徹して、そこであなたは変わって、在日の事まで行くというのは、そんなにスッキリ出来たらいいけどもなかなかそうにはならないんじゃないかと思うんだけど)

日比野 どの辺がですか。

(利用するというのは逞しい、したたかとかね、しぶといとか言ったらいいんだけど言い換えてるだけの事のような・・・)

(例えば私なら、パレスチナに行ってパレスチナでいろいろ見てきて何か困難とか出来事に出会って、そのことが引っかかって考え始めるじゃないですか。考え始めた時に、あの時はああしたら良かったんかなとか、あるいはそのときに日本国家を感じた事とまた別の出来事に遭ったときにどういうふうに自分の中で反省したり、結論付けるかというのは、言葉だけに頼って考えると、理屈では割り切れるものがあるかも知れへんけど、でも多分そういうことよりも実際行って見てそこで感じてそれを繰り返すのが、回り道やけど誠実かな。国に対する評価というのも、自分の中でちゃんとしたスタンスが無くて、こういう場合に関しては国を利用した方がいいと思うけど、こういう場合は国は対峙するべき対象なんやろうなとしか、自分の中では整理つかない)

日比野 私も気がついてきた感じで、私は「守られてきたマジョリティー」だったから、これまで日本政府との関係を詰めて考える必要は無かった。だから、全部あいまいだった。

(もっと、日々の暮らしという事で言えば、別にそこに出かけなくてもISMに行かなくても、例えば、3月15日で確定申告は締め切りで、毎年毎年やって来たけれど、でも税金は発生してて、ぼくはほとんどゼロ所得だから、原稿料の源泉引かれたもの戻ってくるわけだけど、やらざるをえないわけね。でも、金はいいや、という事でやらないということもあるわけ。3,4年前までは子供の障害児の手当てをもらうためにはどうしても所得をあげないといけない。そのまえでは、母が特別養護老人ホームに入って、途中まで、特養に入っている人は無料だったけれどある時期から所得、年金に応じてお金を払わなければいけないことになったわけ。自己負担。そのときにはやっぱり税金はいるわけです。それは日々出てくるわけですよ。日比野さんは今まで出てこなかったかもしれないけれど、ぼくの中でなぞらえて考えるとね、差し迫っては、そしたら今年の税金どうするか。今は娘も死んだし母親も死んだしそういうことはなくなったけれども、後は還付金をどうするかということなんだけれど。)

日比野 私の場合は、今回のパレスチナ行きが非常に大きなきっかけになったんだけれど、その中身で皆さんどう思っているのかが知りたかった。

(邦人保護といってもいろんな段階ありますよね。大使館に連絡したら、例えば、自衛隊機が飛んできて、それに自分が乗って帰るんだったら嫌だけど。逆に裁判受ける権利あるわけでしょ。通訳が適当というけれど、裁判を受ける権利を行使するためにも。日本に居たら、国のやることは恩着せがましいというか、恩恵的に私らはお上に助けてもらうという事があるかもしれないけれど、でもやっぱり権利だから。それを全うするにも大使館を利用するというか権利行使ということで私はいいんじゃないかと思う)

(私はあらゆる権利は行使すると思います、自分は)

(彼が言ってるのはそうじゃないと思うねんね。国家権力に自分が関わってしまったことの問題意識。私は在日ですけど、共和国ではなくて韓国籍。韓国のパスポートをもって海外に居るという事になるんで、そういう場面に遭遇したとしても日本大使館に電話しませんね。一応韓国の大使館に電話します。そういう信頼関係を韓国の政府に私が持てるかといえば持てないような気がします)

(元々日本語の分かる人と話をしたかったのではないのですか。自分の状況を。それかがたまたま大使館になってしまった。)

日比野 言っておこうかなと思って電話した。不安は不安で、このまま抹殺される可能性まで常に考えながらいますので、言葉が分からないし、パレスチナ人はひどい目にあっているわけで、殺されているのも一杯見ているので、どうなるか分からないということがあって、知らせとくかと思って電話をした。

(日本の友人にかけるという選択はなかった?)

日比野 国際電話のかけ方が分からなかった。(今なら分かります)

(日本の誰かが受けるとしても、まずすることというのは、外務省を通じて現地の大使館に日本人が拘束されているから調べて動いてくれという事になりますね。現実にはそうすると思いますよ。効率的だと思います。そもそもパスポートもって出てるんじゃない。菊のご紋のはいった。あれは、この人は日本国の人間ですから、もろもろの方はよろしくお願いしますねというものでしょ。)

日比野 分かるんですけど、首尾一貫するんだったらパスポートを取るのが間違ってる。それもわかってるんですけど、でもそれは二つの選択肢がある。パスポート持ってるんだから当然と、どこまででは利用するけれど、ここからは利用しないという選択はするでしょう。

(日比野さん自身の中に選択肢はあるけれど、『立場が逆で友人が捕まり』もしその人の命が何らかの形で脅かされていて、その人から電話がかかってきたら)

日比野 本当に私にとって大事なことだったら、直接自分で行きます。手を抜きたいのだったら政府に要求します。通訳を金で雇って自分で行きます。
(ひびの補足:ただこれは、あくまで私のスタイルはこうだということだけで、こうすべきだとか、誰かを否定的に言っているのではないです。人によっていろんな選択肢を選ぶのは当然だし、その人が一番いいと思うやり方で動くのが大切だと思います。一応念のため)

(それと自分が大使館に電話しちゃったことで自分に中でなにかどうも落ち着かない、のですか。)

日比野 ここはアナ系の場所かな?と思って・・

(ではないよ。いろんな人たちが集まっている)

(アナキストはそんな助けもとめないのですか。)

日比野 助けを求めた覚えは無いんですよ。

(そんな事言ったって・・)
(それはすごい誤解やね)
(生きていけない)
(国家を否定すると言っても、百%否定は出来ないと思う。生きてしまっている僕というものがここにおるんやから。問題が出た時にどういう選択するかということしかぼくは無いと思う。日比野さんが捕まった時にいろんな選択が出来たんやろうと思う。そのときに自分が危ないという可能性もあるし何かそういうものに連絡しなければアカンというような思いがあって選択しはったんやと思うんやけどね。それを今、よかったのか悪かったのかというのは日比野さん自身の問題やと思うんやけど。ぼくならどうするかと言われれば、同じような選択きっとしたやろうけれど)

日比野 私の場合には日本政府に連絡する選択肢があったのです。在日朝鮮人の場合は

  1. 日本大使館に連絡するという選択肢はあるのかないのか
  2. 韓国政府に連絡するという事が、日本語しかしゃべれない二世三世にとって有効で意味があることなのか

という事まで考えた時に、どんな国家を、どんな形として想定して生きていくのが、私達のシステムとしていいのかなとか、そんな事考えるわけです。 言ってること、分かった?そこのところのビジョンを考えないとまずいんじゃないかと、遅まきながら思ったわけ。「私達」は考えてこなかったでしょ、そこまで。

(それは分かるんだけれど、その時に、日本人である私であるとか、健常者である私であるとか、女性である私はこうあるべきではないかというふうには私は立てたくない。自分以外の人たちはどういうふうなんだろうと想像力をすごく持ってないといけない、注意しないといけない、出会った人がどういう人なのか本当に分かる事難しいし自分が何も知らなくて人を傷つけているかもしれないという想像力は必要だと思いますが、そのことが自分を縛る、こうあるべきじゃないというふうに縛るのはしんどいと思う。アナキストだったらどう思う?という問いというものは、アナキストとはこういうふうにあるもんじゃないかというものがあるのかなと思って。それはちょっとしんどいんじゃないかな。)

(最初にね、日比野さんが、ここでは何でもしゃべれる気がする、とおっしゃってたでしょ)

日比野 微妙に違うんですけどもね。他での報告会の場所よりか、悪口みたいな事とか、思ってることをバァーンと出すことが出来るかも、という事をいったんです。

(で、そういうふうに思っているというのとそれからアナというのがそれこそ微妙にリンクしてるのんかなと思う。アナということでしゃべれると)

日比野 しゃべれると思ったのは、政府国家をどう見なすかという事に関して、少なくとも路線や考え方が違ってもかまわないですけど、それなりのビジョンを持ったひとと話ができるんじゃないかという期待があったということですね。
(アナじゃないです。)

日比野 で、私が気がついたのは、私と同年代で、外国に行って、例えばビルマに行ったり、インドネシアに行ったりとか、東チモールに行ったりとかで、話をしている連中に、「日比野は、所詮日本のことしか、しない人」とまでは言わないけれど、でも何となく「所詮、日比野、分かってないなぁ」という印象を持たれているということを何となく感じてたのね、これまでも。なんだろう。何となくこいつしゃくだなあと思っていた。それが、これかも。つまり日本政府との関係を私はこれまでちゃんと考えてなかった。
 で、話を戻して、イスラエルのことグタグタ言う前に、在日朝鮮人という存在をどう見なすか、全然考えてなかったなあと。誰が誰を批判できるんだろう。  

(今日の報告で資料に図があったでしょ。同じ縮尺でこの日本の中の茨木市と大阪市の距離というのとすごいなあと。ただイスラエルを見てきてこういうことがあったという事だけではなくて日本の事として話された。)

★旗の話

日比野 もう一つ話があるのですが、旗の話なんです。今日は虹の会という事で絶対持ってこようと思ってた。六色の虹なんですね。これは世界中のどこでも使われている、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーといったセクシュアルマイノリティーのことを祝う旗なんです。レインボーフラッグと言います。

(今ごろいって悪いけど、年齢が違うかして、カタカナとか英語とか分からん単語一杯あって、いちいち聞いたら悪いかなと思って聞かへんかってんけど、今も、トランスなんとか・・)

日比野 ごめん!

(いっぱいあった。私は人並み以上にわからんから。日比野さん、ぽんぽんぽんぽん使ってるから。)

日比野 トランスジェンダーって、自分の意に反した性別のものとして他の人から扱われる人のことです。
http://barairo.net/works/TEXT/2genders.html

(性同一性障害と言われているけれど、障害と言いたくないからなんですね)

日比野 三つぐらい議論があってね、その言葉(性同一性障害)使わないのはすごく自覚的に使ってなくて。私の中ではその言葉を知っていて使わない。で、トランスジェンダーって、すごく雑な言い方をしたら、性転換手術をしたい人、ウソなんですけど。

 で、話の続きなんですが、パレードに行ったわけです。実はテルアビブではこういった性的少数者のパレードが、私が行った2002年では二回目だった。やっぱりユダヤの文化圏もイスラムの文化圏も両方とも辛いの、私には。やはり性の感じは、「男と女がいて」っていうワールドで、すごい辛かったわけですよ。だからやっぱしパレード嬉しくって。だからパレードに行くと、いつもの感じに戻って。レインボーフラッグ。欧米では普通に知られている旗なんです。すごくワクワクして行ったわけ。嬉しいわけよ。

日比野 (写真)この参加者の右手に持っている旗が二つ。何でしょうか。

(イスラエルの国旗とレインボーフラッグ)

日比野 そうです。 この人は一般の参加者なんですが、実はそれだけではなく、イスラエル国旗とレインボーフラッグが、交互に実行委員会の手によって、集会会場やパレードの順路に大々的に掲揚されているわけ。分かりますか。日の丸が揚がっていると思って下さいよ。これは強烈です。 で、登場するのがこの人です。

日比野 (写真)この人はノアンというのですが、「ブラック・ランドリー」というグループがあって、「占領が続いている今は、カラフルなお祭りをする時ではない」と言って、「ブラック・ランドリー」(黒い洗濯もの)と言って、イスラエルのヘブライ語にすると(黒い羊)という意味があるらしいですが、こういう黒のいでたちで、ピンクのものを持って、その性的少数者のパレードに登場するんです(http://www.zmag.org/ZMagSite/Dec2002/katzprint1202.htm)。こういう人たちが使うのは、こういう三角、ピンクで書いた、これも分かる人には一発で分かるんだけれど、ユダヤ人に対してナチスがダビデの星のしるしをつけて強制収容所に送りましたね。同じようにナチスドイツは同性愛者を強制収容所に隔離・収容して抹殺してきました。その時に男性同性愛者につけたのが、ピンクのトライアングルで、女性の同性愛者につけたのが黒のトライアングルです。これはそれを模しているわけです。一つ考えなけりゃいけないことは、さっき旗を二つ持ってた人がいましたよね。この人もパレードに喜んで参加している。この人、自分自身が性的少数者で、ごく辛い毎日があって、だからこのパレードに来たわけですよ。この人にとっては、パレードでこの二つの旗を振るということは同じ意味を持っているから出来る事ですよ。つまり、性的少数者としてとても辛い思いをもっていて権利を獲得したいということと、ユダヤ人としてあるいはイスラエルの市民としてイスラエルの生存権を主張する事は、本人にとっては同じ「人権運動」なんですよね。ということを善悪の問題ではなくて、事実として認めざるをえない。
  でも、イスラエルというのは、建国そのものが侵略でしょ。パレードの実行委員会、主催者がさっき見たように二つのフラッグ立てることに対して、今は、カラフルなお祭りをしている時ではないとして黒づくめの出で立ちで登場する人たちがいるわけです。パレード全体で一万五千人参加するところをこのブラックランドリーの人たちは二百五十人ぐらい。

 

*話はまだまだ続いていくのですが、アルコールが入り食事する音や雑音で聞き取れず。テープおこしはこれで終わり。

■日比野のホームページには、報告会で使用している写真もたくさん掲載されています。 http://barairo.net/
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■The International Solidarity Movement(国際連帯運動/ISM)のホームページ http://www.palsolidarity.org/

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