ストップ性暴力キャンペーン(by barairo.net)

(2003年5月版)

ひっぴぃ ♪♪ことひびのが、パレスチナ報告会など様々なところでお話をさせていただく時に、必ず配布していた性的な暴力についてのテキストです。PDFファイルは以下にあります。


 性的な暴力について考えるための参考資料

 

■「たった今、ここで」 性的な暴力は起きる可能性があります。

いや正確には、これまでの毎日の中において、既にずっと起き続けています。

■この場で責任ある地位にある人は、
  性的な暴力について取り組む義務があります。

集会やデモの主催者、ライブの主催者、事業主や教師・医師など現場で責任ある地位にある者も、当然、性的な暴力に取り組む義務を負うべきだと私は考えます。男女雇用機会均等法では事業主の法的義務が明示されています。

■今日最も加害者になりやすいのは、
  主催者やパネラーです。

「今この場所」が存在するために重要な人、場所をつくってくれた人、力を持っている人こそが、最も加害者になる可能性が高くなります。

 

なぜいまここで「性的な暴力」なの???

 意図せず、思わず、思いがすれ違ったり、コミュニケーションが失敗したり、結果として人を傷つけてしまうこと、などは、本当は人間関係にはつきものです。性的な暴力も、他のトラブルのように解決できればいいのですが、実は、そうならないことがあまりに多いからこそ大きな問題になります。性的な暴力の問題を適切に取り扱うことができずに、被害者個人が本当にまいってしまって結局その場所に居られなくなることのなんと多いことでしょう。そして周りの友人たちも信頼関係が崩壊し、場所自体がなくなることも珍しくありません。
 性的な暴力は「暗闇で見知らぬ人から振るわれる」ケースだけでは決してありません。
 サークル、クラブ、ライブハウス、集会、パレード、パーティー、二次会、教室、職場など、たくさんの人が集う場所は、性的な暴力が起きる可能性のある場所です。また、そういうところで出会った人との間で、性的な暴力が振るわれてしまうこともあります。正確に言うなら、人と人との関係の中には、それがたとえ恋人や友達同士であっても、どこにでも性的な暴力がある可能性があります。
 ではなぜ性的な暴力の問題は難しいのでしょうか。
 私たち一人一人には、何ができるでしょうか。
 一緒に、考えてみませんか?  


■「性的な暴力」とは

 強かん/レイプだけが「性的な暴力」ではありません。例えば痴漢など、本人の望まない身体の接触を強いられることも性的な暴力です。また、トイレののぞき、いたずら電話、コンパでお酌をさせられることなども、広い意味で性的な暴力です。恋人だからといってセックスをしつこく強いたり、断ったのに無理強いすることも性的な暴力です。性的な暴力とは、暴力のうち、性に関係のあるものすべてを指します。
 男性から女性への暴力だけではなく、女性同士、男性同士、女性から男性への、その他様々な形の性的な暴力があります。
 性的な暴力がふるわれる時には、「男女という制度」の力関係が関係している事が多くあります。

■「男女という制度」ってなに?

 私たちの毎日の生活の中には、様々な「力関係」があります。例えば、お金持ちかどうか、先輩/後輩の関係、上司/部下の関係、技術を持っているかどうか、年齢、腕力、などです。外国人が家を借りられないことがあるのも「力関係」です。
 そして「男女という制度」も毎日の何気ない生活の中にある力関係の一つです。
 女性差別、「らしさの性別」の押しつけ、強制異性愛、性別二元論など性のしくみに関わることをあわせて「男女という制度」といいます。例えば同じ仕事をしても女性の給料が安いことは女性差別のあらわれです(*注)。女性だけが化粧を求められるのは「女らしさ」の押しつけです。無自覚に「彼氏できた?」「いつ結婚するの?」と聞くのは強制異性愛です。
 私たちの生きる社会は、肌の色によって空間を分けることは差別だと認識しますが、性別によって空間を分けることはなかなか差別だと認識しません(トイレ・銭湯だけでなく、制服・ランドセルの色・名簿の記載なども当然のように男女で分けられています)。相手の生まれた地域によって結婚するかどうかを決めることは差別だと認識しますが、性別によって恋愛することは差別だとは考えません。人のことを呼ぶ時に「彼女/彼」といった性別で人を表すことはあまりにも日常的です。赤ん坊が産まれたらまず「男か?女か?」に関心が行くことが当たり前になっています。
 このように、 性別を根拠にして異なる行動をすること、つまり性差別は何か例外的な出来事ではありません。「男女という制度」は私たちの生活の基盤の一つになっています。

(*注)全職種を平均すると、女性労働者の得ている賃金は男性の約半額です。(パートを含む)

■それは「いつものこと」

 だからこそ問題化することが困難です。
 女性の賃金が低いことはみんな知っています。ではそれが今の社会で大問題になっているでしょうか。なぜ女性だけが脇毛を剃るのでしょうか。女性を二級市民として扱うことは、まるで「あたりまえ」であるかのような毎日です。テレビや週刊誌では「ホモ」「レズ」が相変わらず笑いのネタにされています。毎日の通勤電車を例に出すまでもなく、性的な暴力はあまりに私たちの生活の中にあふれています。(そもそも、「男女という制度」自体が性的な暴力です。)
 だからこそ「いつものように」「普通に」行われている行動こそが、実は性的な暴力である可能性があるのです。

「私は性的な暴力を受けた」となぜ言いにくいのか。それは、おそらく周りの人たちにとってはそれは「いつものこと」で「たいしたことない」から「気にするなよ」と言われかねないことが、自分にあらかじめ分かっているからです。それどころか「私だって毎日こんなにしんどいのを我慢しているのよ、それくらい我慢しなさい。何であなたの事例だけ特別扱いされなくちゃなんないの?」と言われかねない。しかも多くの場合、性的な暴力は、比較して力のある人が力のない人に対して振るうことが多い。自分より強い人を批判するのは大変なことです。
 「それは性的な暴力だと思う」と言われてなぜ心外な気がするのか。それは、もしかすると、これまで「あたりまえ」のように享受してきた特権の放棄を求められているからかもしれません。  

■例えば

●よる一人暮らしの部屋にあげたり、泊めたからといってセックスに同意した訳ではありません。肌を露出した服を着ていても、セックスしたいとは限りません。二人でデートをした、一緒に食事をした、高価なプレゼントをあげた、さっきディープキスをした、以前セックスしたことがある---これらのいずれも、「いま」セックスを強いてもいい理由にはなりません。セックスを途中でやめるのも、すべての人の権利です。
●上のような事例でも、「本当は嫌なんだ」という声は、「わがまま」「自分勝手」だとされて無視されることがあります。しかし、思い起こしてください。
 トラブルになった場合に立ち戻るべきルールは「人の身体を触ったりじろじろみたりするためには、事前の、相手の、明示的な許可が必要」。無断で相手の身体に触ることが、いついかなる時でも、相手が誰であっても、許されない、という訳ではありませんが、もしトラブルになったらこのルールに戻りましょう。
 上のような事例は決して「わがまま」でも「自分勝手」でもありません。
●なぜそれらが「わがまま」「自分勝手」だと思われているのでしょうか。その理由を考えてみましょう。
 私たちは、毎日の生活で精一杯です。そもそもこの毎日の暮らしが間違っているかもしれない、なんてことは考えないで済まそうとしています。
 でもそれは、大きな力関係に身をゆだねて生きることではないですか?
 性的な暴力がトラブルとなって深刻化するのは、「自分の今の生活を守ろう」とみんなが行動してしまいがちだからではないでしょうか。被害者の告発に丁寧に耳を傾けず、それどころか告発自体をやめさせようとしたり、皆でつるんでそれをなかったことにしてしまおうとするからではないでしょうか。

■いまできること

 何かことが起きてから急に性的な暴力のことを話そうとしても、かなり大変です。「ことが起きる前に(正確には性的な暴力が顕在化する前に)」性的な暴力について時間をとって話し合ってみませんか?お互いの関係が少しでも安定している時に性的な暴力について話しておくことで、将来に向けてのコミュニケーションの可能性を広げることができるのではないかと思うのです。
 このチラシも、そういった思いから、書かれています。

 

人のことを呼ぶときに
「彼女/彼」「おじさん/おばさん」「お姉さん/お兄さん」
というような呼び方は避けましょう。

  • 体つき、声の高さ、服装、しぐさ振る舞いなどの外見でその人の性別を決めつけるのは、性別の自己決定権の侵害です。
  • 本人の事前の了解なくその人の性別をばらすことは、不当なアウティングになります。性別はプライバシーです。
  • 人をあらわすときに性別で人を代表させること(「彼女/彼」「おじさん/おばさん」「お姉さん/お兄さん」など)はジェンダーの擁護に加担することになります。
  • 性別による呼称は、全ての性差別の基礎となるものであり、最も広範に行われている性的な暴力だと思います。

 


性的な暴力の被害にあったら

●あなたは、自分が「嫌だ」と感じることをされたら、「嫌だ」と言うことができます。「嫌だ」と表明するに際して躊躇や遠慮は必要ありません。また、相手が自分の発言をないがしろにして聞いてくれないのではないか、と感じるときには、「それは性的な暴力だ」という言葉を使うことが、有効なことがあります。

●もし相手に「嫌だ」と言ってもやめてくれない場合には、あなたは周りに助力を求めることができます。第三者の目撃があるところでは、不当な暴力が振るわれる可能性が低くなります。

●自分の感じたことを表現することで、その場の雰囲気が壊れたり、話題が変わってしまうことについて、怖れる必要はありません。誰かがその場で「嫌だ」と本人が思うことをされたということは、その場の成立条件に関わることですので、その場の雰囲気を壊してでも皆で話し合うべき事項ですし、最優先の議題です。(しかし現実には、周りに話してもセカンドレイプされるだけのことが多いのは事実です。残念なことですが。)

●ちょうどそのときにはハッキリと「嫌だ」と言えなかったとしても自分を責める必要はありません。また、後からその気持ちを伝えることも可能です。

●一人で抱えてしまうのではなく、自分のされたことや自分の気持ちを友人などに聞いてもらうことで楽になることがあります。また、各地の女性センターなどで「フェミニストカウンセラー」をみつけて相談することもできます。

●被害にあったショックで落ち込んだりしんどくなることがあります。人を信用できなくなるかもしれません。それはあなたの正常な反応です。少し体を休めて、自分を甘やかしてみましょう。少しずつ自分で力を取り戻していけるはずです。

●悪いのは加害者であって、あなたではありません。あなたにどんな「落ち度」や「すき」があったとしても、あなたが性的な暴力を受ける理由にはなりません。


もし「性的な暴力だ」と言われたら

●それは、相手はそのされた行為を本当に嫌がっている、という意味で解釈して理解するといいと思います。

●もしあなたが「たいしたことはない」と思ったとしても、そのことを相手に言う前に一度立ち止まってみましょう。相手が何をいやだと思ったのか、それはなぜか、今はどんなことを感じたり思っているのか、丁寧に耳を傾けてみましょう。

●「それは性的な暴力だ」と言われて心外な気がしましたか?そんな時には、「もしかすると、これまで『あたりまえ』のようにつくってきたその人との関係のあり方に問題があったのかもしれない」と考えてみるきっかけにもできます。

●いずれにせよ、自分のした行為に対してのクレームなのですから誠実に対応することが必要です。

●丁寧に話をする中で、もし自分の間違いに気がついたら、素直に謝ることができます。


もし友達に相談されたら

●まず、あなたの時間の許す範囲で、その人の話を聞いてみましょう。あなたが「たいしたことはない」と思っても、あなたの意見を言う前に、まず相手の思いを聞いてみましょう。被害者は話を親身に聞いてくれる人がいることで思いが整理させることがあります。

●あなたが聞いたことを、本人に無断で警察など公の場所に話すのはやめましょう。争うかどうかを決めるのは本人です。

●客観的で公平な第三者の目撃があるところでは、不当な暴力が振るわれる可能性が低くなります。あなたにどんなことができるか、考えて、そして本人に伝えててみましょう。

●「サポート」と「事件の仲介」とは違います。またその両方を同時にすることは困難です。相手が求めているものがどちらなのか、自分にはどちらができるのか、考えましょう。  サポートの場合は、その人を精神的にもサポートすることが目的ですので、発言内容の真偽を確認することや、発言内容が合理的か否か、正当かどうかということは中心的な問題ではありません。性的な暴力の被害を受けると、過去の別件の被害を思い出してしまったり(フラッシュバック)して、本人以外には「行き過ぎ」と思われるような発言をすることも少なくありません。しかしその本人にとっては、そういった混乱した状態に陥っていることが問題なのです。サポートをするのであれば、そういった混乱も含めて、相手をいったん受け入れ、相手の状態につきあうことが大切です。  それに比して事件の仲介をする場合には、事件の事実関係を当事者同士で確認する作業が必要になります。それは、「被害者」を、「被害者であると主張している人」として扱うことを意味します。これは単に相手に共感することとは別のことで、「被害者」につらい思いをさせることです。しかし仲介をするなら、こういった過程は避けられません。


●人と人との関係や、人と人とのコミュニケーションには、場合によっては暴力的な側面が伴うことがあります。その意味で、性的な暴力であっても、それが双方の関係の中の問題として扱われるべき場合もあります。性的な関係も、性的でない関係がそうであるのと同様に、取引や駆け引きの対象ともなりますので、第3者にはそれが一見不当な性的な暴力だと思えたとしても、そう決めつける事には慎重であるべきです。

●人の体を無断で触るようなことは不当ですので「嫌だ」という思いが無条件で尊重されるべきです。しかし、本人にとっては嫌なことでも、不当な暴力ではないこともたくさんあります(例:「デートを断られたのが嫌だった」「自分の提案に反対されたのが嫌だった」)。誰かの「嫌だ」という声は、一回は最優先の議題として取り扱われますが、大切なのは誠実な話し合いをするということであって、尊重する/されるべきであるかどうかは、その内容次第です。

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