TRanS (Team Respect and Solidarity)が主催する映画『最も危険な年』オンライン上映会の、最初の10月の会に参加した。その感想です。
『最も危険な年』(原題:The Most Dangerous Year)—実はこの作品のタイトルが、どうしても私には、強い躊躇と警戒感を抱かせた。「自分たちにとって」の都合しか考えていない映画なのではないか、と。自分たちとは異なる形での差別や抑圧を受ける人たちのことを無視していたり、自身がある面では抑圧する側でもあることへの想像力を欠いた映画なのではないか、と。
セクマイ運動が今ほど社会的に注目されていなかった時代、私(たち)が講演などで話をする時は、たいてい誰でも、一番はじめにこう言っていたものだ。
今から私がお話しすることは、一人の当事者である私の話や意見なのであって、全ての【カテゴリー名】がそう言っているとか、【カテゴリー】全体の意見だとか、思わないでください。
もちろんそれは、セクマイ課題が社会的に低く見られ扱われている現実に対する防衛という側面もあった。しかし、今、長らく日本のセクマイ運動を担ってきた者として、つまり、少数派(マイノリティー)の運動やその当事者の活動家がいかに自分たち以外の少数派に対して無知で無関心でひどいことをしかねないのかを実感している者として、最近の状況には懸念を覚えることも多い。特にそういった「少数派が『やってしまう』間違い」は、「自分たち『だけ』が被害者だ」というような言説や、「自分たちが『一番』差別されている」というようなもの言いが、容認されている時に、起こりやすい。
せめて主語を立てて欲しかった。作品名が「私にとって、最も危険だった年」とかだったら、そこまで私が警戒することもなかったのかもしれない。
そして、その懸念は、残念ながら的中した。