対談・結婚制度とシングル

対談です。わたしは「結婚なんてアホちゃうか」などと言いたい放題!新入生歓迎のための対談企画でした。
(初出「京都大学新聞」第2192号 97年4月1日)

 

京都大学新聞

第2192号
(1997.4.1)
4-5面に見開きで掲載
1部100円

注文は京都大学新聞社(Tel 075-761-2054)

雑賀恵子
大阪産業大学・神戸市立外国語大学非常勤講師。社会史。論文に「有用なる身体への配慮を巡って」「貧困かたりつつ…そして」ほか。「いついかなるときも開き直ってこそ一人前のビンボー人さ!」。
ひびのまこと
最近「エヴァ」にはまっている超悪質な若専のおにいさん。プロジェクトPなどゲイやレズビアンのコミュニティーにも顔を出している。「ちゃんと世間にケンカうってこそ一人前のオカマさ!」。

 

対談・結婚制度とシングル

雑賀:はじめに、「結婚制度とシングル」という問題を話すときはまず制度の角度から話していきたいというのがわたしの基本的な立場です。というのは、既婚やシングルといっても、実際は個別色々な関係があるわけで、どういう生き方、どういう他者との関係性を持つかというのはきわめて個人の問題で個人が引き受けるものだと思う。ただ、いわゆる「結婚」という場合、戸籍婚?恒常的な対関係の社会的な認知?家族形成というのが暗黙の前提としてあって、これが通常選択としてではなく踏むべきプロセスとして位置付けられている、これは社会の在り方と密接に関わってくることでこれを話すことによって、他者との関係性の持ち方は多様であるし、自分が選び取っていけるものだよということを明らかに出来ればいいな、と思ってます。とはいえ、この対談を編集部から依頼されたとき「シングルというのは社会的に抑圧されていて、そのシングルをあえて選択している立場から発言して欲しい」から、と言われたんだよね。私自身は、シングルが既婚者に比べてとりわけひどいとも思わないし、むしろ、シングルが、あるいは専業主婦や共働き女性が、といった範疇で分類することは制度の面からは語れるだろうけど、だから主婦がひどいとかシングルがひどいとか言うつもりはなくて、むしろそうやって分類されたり類型化されることには苛立っているんです。類型化された主婦とシングルで自分を位置づけてお互い非難し合うといった、不毛なケンカなんて興味ないしね。でまあ、自分のことで言えば、相手を想定することなしに「結婚したい」と思ったこともないし、肩肘張って「あえてシングルの道を選択した」わけでもまったくない。気が付いたら現在のところこうなっちゃってる、という、ただそれだけの話です。

ひびの:アンタねえ、そんな優等生みたいなこと言ったら文句が言いにくいじゃないのよ。「ご説ごもっともでございますわ」。

雑賀:お褒めいただき誠に恐縮でございます。

ひびの:でも、私は実は正直言うと結婚なんてアホちゃうかというふうに思っていて、基本的にはひとにもそのことは言っている。ただ、ひとがするのは勝手だから、それについては好きにしたら?という態度でいます。例えば披露宴のパーティーなんかも、「敵」の政治集会という側面が強くなってしまうことの方が残念ながら多いから、基本的には行かない。ただし行くんだったらそれ相応のことはさせていただく。

雑賀:それ相応のことというのは怖いな。(笑)

ひびの:私が最近出た披露宴のパーティーでは、例えばオカマの生き方を称賛するビラを当然のことながら全員にまいたし、自由スピーチのコーナーもあった。それに、いろんな「性的指向(註1)」とか「モノガミー(註2)」とかいう言葉をあなたは知っていますか、またどう思いますか、とかいうアンケートもあったし。そういう、いろんなセクシュアリティーや生き方があるってことを考えるきっかけとなる場としてのパーティーでなければ、僕は行く気が全然しないから。特に収穫はなかったけれども僕はそれなりに楽しかった。だからしたい人はすればいいということです。

雑賀:他人がどういう披露宴をしようとあんまり興味ない、というか相談されないかぎり口を挟む気はないし、皮肉じゃなくて本人がそれで喜んでるんだったらいいじゃない。でもね、戸籍婚ってことを取り出すと、いいとか悪いとか言う場合に、イデオロギーの問題から攻めていくよりは経済とか福祉とかの問題から考えたほうが現在のところクリアというか、有効というか・・・

ひびの:戸籍制度はいけないよ。廃止するべきよね。

雑賀:わたしもそう思う。なぜ、戸籍?戸籍婚ね。これがあるかというと、まずイデオロギーとして天皇制家族国家制度だとかの方向で言われることがある。あまり攻め方として有効性を持たないのじゃないかというのは、乱暴にはしょって言っちゃうと、戸籍?イエ(天皇制)があるから差別があるのじゃなくて、差別が戸籍?イエ(天皇制)を支えているわけでしょう。あんなものぶっつぶしたらいいとは思うが天皇制が残存しているのは結果の問題であって、それそのものが根幹でも原因でもない。今日は大事な問題だけど「出自」差別や「民族」差別だとかに踏み込むことは到底出来ないので、ひどく舌足らずですけど。戸籍婚のことに限定して言えば、なんで今制度としてあるかというと実態的にはイデオロギー面より、福祉の問題が大きい。つまり、高齢者の世話を家族に吸収させたいわけよ。実際にはヨメというか、専業主婦が必要なわけで、そのためにいわゆる「百三万円枠」がある。つまりサラリーマン世帯の場合、夫が稼いで扶養家族手当、健康保険や年金、税金の控除などで優遇して妻を家に引き止めておきたい。既婚女性が働く場合は、この優遇を既得権益として守るためにパート労働などで年間所得百三万円以内の枠内にとどめておこうとするから、資本にとっても安価で恣意的に引き出し可能な労働力の溜り場として便利なのね。別にわたしは女性も仕事を持つ「べき」だとも言わないし、目下のところ無償労働として意識されている家事労働の在り方もおかしいとは思う。でもまずは、戸籍婚が社会的に持つ意味ということから始めたいわけ。で、税金の問題だったら、戸籍制度を廃止して国民総背番号制へ、ということにはっきり言って賛成なのよ。つまり市民登録にしよう、そして個人と社会の契約論にしてある程度の年齢以上は家事労働を労働として認知し処置したうえで完全な専業主婦からもシングルからも税金を取ろう、と。ま、そういうのが大前提の話。ただね、一方である時期戸籍婚が一定程度の女性の権利保証の役割を果たしていたことは認める。例えば、戦後すぐから十年くらいの間を見ているとね、農家に多いのだけれども「足入れ婚」というのね。「田植え嫁」って言葉があるんだけれども、農繁期に一応祝言をあげて結婚という形を取って、嫁だからということで無償労働をさせる。そしてバンバン働かせて、いらなくなったら家風に合わないとか気に食わないとか言って・・・

ひびの:家風に合わない、ですか。すごいねぇ(笑) 一身上の都合って言うのと同じくらい都合のいい言葉ですねぇ(笑) 何でもアリですねぇ。

雑賀:そうそう。そんなこと言って、実家?生家?とにかくそこに追い出してしまう。身の上相談や事例などで調べるかぎり一九五〇年代までは事実としてあった。そこで何がアドバイスされたかというと、女性弁護士や女性の家裁担当官が「とにかく籍を入れろ」という。日本国憲法で個人の尊厳と男女の法律的平等の理念が掲げられており新民法において妻に権利が認められているのだから籍を入れて権利を確保しなさいということね。意識としても実態としても女性の評価というのが現実になされていない状況下における時期の制度婚というのがある程度の意味があったというのは認める。

ひびの:ステップとして?

雑賀:そう、結婚というのは家ではなくて当事者相互の関係であり、ある意味では契約だということを徹底させるということでね。けれども現在そのために入籍するかどうかということでは有効性はほとんどないと思う。財産分与のことに関しても判例として「内縁の妻」というのは認められているわけだしね。それよりも破綻した場合の財産分与や遺産の問題、子供に対する親の扶養義務というのは他の法律なりで補完できるでしょうし、むしろ必要と感じるならば相互で契約を交わすなり遺言書を書くなりしたほうがすっきりする。とはいえ個別のことをいうと色々あるだろうから法的制度も必要ではないと言うわけではないけれど。でもそれが、戸籍婚というのが一番有効かというと今はデメリットの方がはるかに大きいと思うわけ。大体いちいち届け出だして目腐れ金というか扶養家族手当だとかにしがみついて、低賃金固定されて、かつ養ってもらっているだという引け目を感じて、つまらないじゃないの。一概に揶揄するつもりはないんだけど、判子を押すときも「主人に聞いてから」とかさ、言ったり言われたりするのもなんとなくそういうもんなんだと思ってしまう「妻」も相当数いるわけでしょう。「妻の座」ってのがあるのかないのか知らないけれど、それはごく個人相互の関係の取り方にかかってくるわけで、別に法的主張、というか届け出して認めてもらうこともないんじゃないの、と思うわけ。で、結婚というのが何かっていったら、本当を言えば同性でも猫でもなんでもいいんだけど、とりあえず一応男女が一緒に住んである程度のカップル性を獲得したら、それだけでいいのじゃないの、というか、本人同士や必要とあらば親兄弟を含めての周りの受けとめ方で処理すればいいんで、戸籍婚という形で制度化することはない。

ひびの:そのあたりの言葉はヘテロの女としての(と、勝手にレッテルを貼ったけど)さいがさんの位置を表明していて面白いなと思うんだけども。戸籍制度や、戸籍制度によって安定した関係として幻想されている結婚のイメージをちゃんと拒否しないと、戸籍婚を支持する側と同じ穴のムジナの話をしているような気がしてならない。「よりよい結婚制度」なんていらないよ。それから「主人」という言葉を使うかどうかとかいうことも主要なことではないんじゃない。というのもつまり、わたしひびのと「主人」と言う人とは現状で選択している位置が違うということはあるけれども、それはそれで…

雑賀:いきなり来ましたね(笑)。いや、主人という言葉を使うのはおかしいとかそういうことを言いたいのではなくて、大枠の制度の話をしているわけで、その大枠の意図するところというかデメリットというのを自分で意識化している人がどれほどいるかという・・・

ひびの:いや、僕は(みんなが)そこまで馬鹿だとは思っていないんだよ。

雑賀:でもそういう風にさせられているでしょう。

ひびの:そういう風に仮面をかぶることを強要させられているということは確かだとは思うけれども、そこで生きている人たちはもう少ししたたかだと本当に思っている。全部わかってそうしていると僕は思っているけどね。

雑賀:そう、そこでさっきの話をもう少し続けたいんだけれども、八〇年代までは結婚するよりももっと自立した女性へと言われていたわけよ。そこで何が自立かって言ったときに、「自立」という言葉だけが自立していて、自立って言う言葉の意味というか内実がよくわかんないわけ。収入のある仕事をして自分の生活を支えられて好きなことをできて、なんてことだけでいうと、現実的には仕事を持ってもどこかで管理されているわけだし好きなことなんてそうそう出来ない。じゃあ、やるとしたら専業主婦の方がよっぽど楽だし時間的余裕も作れるという面がある。これは上野千鶴子さんなどがかなり意識的、戦略的に言い出したことなんだけれど、結婚しちゃった方が楽よ、と。家に入って、ダンナの月給で暮らすことはリスクが少ないし、家事を適当にやってこれもダンナの金でテニスクラブだとかに行ったらいいじゃない、そういう風に選択している女性は増えているよ、これを女の子たちは戦略的にやっているんだ、少なくとも結婚するのは保守化傾向だとか責められる所以はないと。自立して社会に出るっていったって、男がしんどいの以上に女はしんどいし、昇進や月給の対男性比は最終的に六割ぐらいだし、それだったら主婦をして自分のしたいことを趣味の範囲でするほうが面白いわよ、というわけ。言い出すことが意識的、戦略的だというのは「社会に出る」ことが現実的にどのような状況かということを明らかにするということと、結婚するかどうかで保守的か否かという物差しを差し挟むなということに力点が掛かっているのじゃないか、とわたしは受けとめているから。

ひびの:夫に対して体さえ売っていればそういうことができるんだからねぇ。

雑賀:そういうこと。ただ、わたしは、果たしてそんな結婚生活があるのか、そういう風に描写していいのかとは思うけどね。いじましい気がする。「社会に出る」のも「家庭に入る」のもどちらも退屈といえば退屈なのだし、会社で働くか専業主婦かって分け方も(上野さんたちがそう分けているわけではないのだけど)嫌ね。

ひびの:で、僕はそういう状況に対してきちんと向かい合っていきたいと基本的には思っている。まず「なぜ、あなたは結婚したいのか?」。結婚という言葉をあえて使うのですから、そこには「同棲」なんかとは違う何かが意図されているはずですよね。では「結婚をする」ということはどういうことか。入籍をすることを伴って結婚披露宴パーティーをして、社会的に認められた家族を作るという側面と、それから実際にお互いが恋愛的な関係でいるということを意味する。それからもう一つ法的に言うと、夫は妻に性行為を強要できて、妻はそれを拒否できないという関係のことを意味する。それくらいをトータルに含有していることをおそらく「結婚」という言葉は意味していると思うんだけども、そうでない選択というのが面白いという可能性というのはホントにないのか、と。そういうことを割と真面目に考えているところが僕にはあります。僕も三十になりまして、高校を出て一応大学に今僕はいて、その大学で友達になった人、例えば僕は寮に住んでいたのでその時に知り合った人たちだとか、京大新聞もやっていたし他のサークルもやっていたのでその人たちだとか、そういう人たちを見ていてもやっぱりほとんどの人が結婚をする。大体確かに三十代というのは、ちゃんと就職をして結婚をして子供をつくるというかたちを迎える人が割と多くて、「半端な」かたちで、つまりちゃんとした就職も結婚もせずに暮らすという人というのは非常に少なくなって来る。これからどういう風に暮らすのかなということを僕も考えるし。で、実はこれは僕だけではなくて、例えば『KICK OUT』というゲイのミニコミで書かれていたのですが、その時の特集テーマが「仕事」で、それによると三十才前後になるとみんなそういうことで悩むようです。要するに勢いとか雰囲気とかノリとかではやっていけなくなって、自分がホントは何をしたいんだろうかということを考える、ということを彼も書いています。で、そういうときにヘテロの人というのは結婚をして子供をつくるというシナリオにのることによって、いわゆる一つの面白いゲームというか、そういうことに身を任せるという選択を割とするんですが、オカマはいつでも仕事を辞めて一から一人身でやり直せるみたいなところがあって…

雑賀:それはどうして?

ひびの:男性同性愛者、あるいはバイセクシュアルを含むかもしれないけれども、オカマは現実にまず男でしょう? 男は女に比べて仕事が山ほどありますから。

雑賀:あぁ、機会の問題ね。でもそれはゲイであるということと関係がない。

ひびの:いや、関係はあると思う。機会の問題もありますし、それからヘテロの人は結婚をしたり子供ができると仕事を辞められないんです。それから今のバイト先でもいるんですが、家を買うとか。そういう風に安定した家庭を持った暮らしを選択する人がヘテロの男には多いなあと思う。ホモの場合はそもそも結婚できない/しないから、初めからそういうレールには乗れないのよ(自由度が大きいってのはいいことだわ!)。で、もう一つ言うと僕自身も、なるほど人はこういう風にして結婚したくなるんだなあということを最近になって思ったということです。僕は今確かにフリーのバイトをしているんだけども、その他にサークル活動とかいろんな運動団体の活動(註3)とかあってすごく忙しい。で、まだ好きなことをして忙しいからわかるんだけど、仕事をして忙しいとか、例えば会社員だったら朝の七時に家を出て帰ってくるのは夜の十時や十二時だと、そんな風な暮らしをしていると、現実としてほとんど自分の時間がない。自分の時間を会社とか仕事に取られるというのが状況としてある。そういう人が多い。そうすると自分で家事とかをする気はしない。洗濯はしないし部屋は散らかるし飯もつくらない。帰ってきて自分の話とかをちょっとしたいとか思っても、自分の時間軸と重なっている人がいなければできっこない訳でしょう。そんな中で話をしようと思ったら、誰かに会いに行かなくちゃいけないよね。ちょっと電話をしてみて「なぁ、○○。久しぶりやなあ。今日会わへんか。」とか言って。そしたら相手が「いや、ちょっと子供が…」とか「ちょっと奥さんが」とかそういう理由で会えないという。

雑賀:そうそう。(笑)

ひびの:そういうかたちの人が多くなる。そうなると自分のホントの話ができる人を探そうと思ったら、若い人を(別にホントは若い人でなくてもいいはずなんだけどね。でも時間があるのは若い学生が多いの。それにぼく若専(註4)だし。)何らかのかたちで見つけてそういうサークルなんかをやってみるとか、もしくは京都だったらメトロ(川端丸太町下がる)だとかのいちげんさんに会えるクラブとか、ゲイバーとかのいっぱいある木屋町?註五?に、わざわざ出て行って話をしなくちゃならない。でもそういうことをしようとすると、夜の十時に帰ってきて、一時間かけて木屋町に行って、二、三時間しゃべって帰るというのはやっぱりしんどいよね。心の中でもしんどいし、体力も落ちてくる。それからもう一つ、やっぱりセックスもしたい。ということになったらやっぱり自分の家に誰かがいて欲しい。自分の料理をつくって欲しいし自分の話を聞いてくれる人が欲しい。そういう風に男の人が思うようになるというのは、僕は最近は十分理解できる。理解ができるというのは、そういう風に人がなる精神的な状況というのがよくわかるということです(あれ、自分のことを言ってるのかな?)。そういう状況に置かれた人たちがどういう選択が可能かというときに、(その答として)結婚しなさいと。結婚をしておくさんをめとっておくさんにそれをやってもらいなさいと。そういうことになっていくのを見て、あぁなるほど、つまり人々の素直に生きたい思いが結婚というかたちに回収されていく理由というのはこういうことなんだなあということが、最近すごく合点がいくようになりました。合点がいって悪いことがあるのかと言われれば、そこはやはりひねくれ者のひびのです。例えば僕にはゲイの友達がたくさんいて、彼らは女の人と結婚するという選択肢がないんです。結婚をしたい人はすればいいと思うんだけども、結婚をしないというかたちで、しかもそういうゲイたちが楽しく暮らせるということを、やっぱり僕自身の課題として考えたいという風に僕は思っています。(すっ飛ばして言えば、たかがゲイが居心地よく暮らせないようでは、バイとしてのひびのはいつまでも窮屈だわ!)つまり、九時?五時で仕事が終わればまだましなんだけど七時?十時で帰ってくる人たちがそういう風に結婚に追い込まれていく状況が問題なわけで、結婚をすることの是非が主要なテーマではなくて、結婚でない選択肢をどうやって可能にせしめるかということを僕はまじめに考えたい。

雑賀:大枠では非常に賛成。で、結婚ではない選択というのはこの対談の依頼の仕方にもあったようにシングルとなってしまって、そうでもないよ、ということをひびのさんと考えられればいいな、と。ただね、ひびのさんが自分の位置から話しているのでこちらも話さなきゃ駄目なのかな、とさっきから暗黙にいじめられているわけで、実はそれって逃げたい。恋とか愛とか、性とかの問題にも踏み込んでいかなきゃならないんだろうけど、それをなるべく避けようとしている訳で。サイガには自分にとっての愛も恋もいまはもうわかりましぇーん。恋をしていないという意味ではなくて。それに個人的な性のことこんなとこでゆうてまうとヨメにいけんやないか。(笑)やっぱりわたしにも漠然と結婚したいかなあ、なんて一瞬思うこともある。というのは、ひとりで生きていくことにほとほと疲れているのね。個人的なことで話すと、わたしの場合毎日決まった時間割りというのはなくて曜日によって家を出る時間は違うし、在宅日数も多い。春休みや夏休みなど二ヵ月ほど続くわけね。で、精神面でも経済面でも職業的にある不安定さはわたしの場合特殊ですからここでは言わないけど、長期在宅しているときなどとくに朝起きる理由が見つからない。で、一週間以上も他人と電話回線やファクスを通してしか喋らないということもある。突発性欝というか、そんな状態になるときがあるのね。で、そんなとき、男でも女でも猫でもいいから「桜が咲いたね」なんてつまんないことでも話し掛けられる相手がいればいいなあ、とか、他人の輪郭や体温を感じたいなあとか、ふと思う。それは、他者の不在を欠如として考えてしまうときでね、欠如と受けとめなければいいことね。まあ、もう少し、女性シングルの友人とよく話すというか聞かされる話で言うと、老後の問題。私自身は将来のことを想定して行動することが出来ないというかしないのであまり自分のことを考えてこなかったけど、どうも長生きしそうなのでこりゃ困ったな、と。何かというと、貯金もなくてシングルで女性の場合、賃貸住宅に住んでいるとかなり状況はシビアなの。学生は別だけれども、三十代以上になるとある程度年齢を踏んだら男性シングルでも部屋は見つけにくい。公団で独居用といえば一DKとかいうことでシングルが社会的にどう認知されているかということはいうもアホらしいからさて措きます。見つけにくいというのは、家主がなんだかんだわけのわからない理屈をつけて嫌がるわけ。爺さん、婆さんになったら、火を出したり倒れたりするかもしれないから危ない、とかね。現実問題として女性の場合はとくに、いろんな理由を付けられるんだけれども、とにかく住みにくいんだよね。ま、シングルは損だなんてことを言いたいんじゃないし、愚痴ほどくだらないことはない。つまるところ、貧乏が憎いです、ってことね。で、その友人たちの話を続けると、これから家賃がどんどん上がっていく。ところが、わたしの個人的な友人関係で言えば、収入というのはどんどん上がっていくわけではない。その時に老後はじゃあどうするんだという問題についての話も多いのよ。

ひびの:それはいくつぐらいの年の人ですか。

雑賀:三十代から四十代前半かな。その中のひとりは、住居の問題と話相手やら精神面での安定というのかな、女友達とかなりいいマンションを借りてシェアしてる。彼女は外資系会社に勤めて翻訳部にいるんだけど会社勤めにもう飽き飽きしていてフリーランスになりたいのね。かたや現在フリーランス。で、前者の会社勤めということを利用して高級(?)マンションを借りたの。会社というバックがなければ貸してくれないし、二人でなければ家賃が払えないということで利害が一致した。いつまでってことはお互いの個人の生活環境の変化もあるから、住居の契約更改時毎に考えましょ、というのね。あとの何人かはひとりで住んでいて、とりあえずステディな関係の人間はいない。でね、そういう話になると老後の恐怖感(?)というのはあるわけ。だけど、結婚して解決するなんてだれも思ってはないんだけれども、とりあえず今の状況のなかでひとりで生き抜けるかといったらなんとなく結婚しているほうが楽そうで安定しているように見える。と、同時に結婚したり別れたりしてる知人の例をたくさん見ていて、つまらないよねえとかしんどいよねえ、という気持ちもある、というか想像できるのね。この想像も周りを見ていてそれを手がかりにしてということにずぎないだろうし、もちろん相手との関係性の問題だから相互の関係を作っていけばいいようなものなんだけれども、もう相手にメチャクチャ惚れててポーンと勢いで結婚しちゃうなんてことは到底出来ない。

ひびの:共感する部分を先に言うと、サークルを一緒にやっている女の子で、一人で暮らしていて新聞の勧誘とか人が訪ねて来たときに、すごく怖いと言っている。それは要するに女の人が一人で暮らすということはレイプの可能性を帯びているということで、現実にそのことに対して社会というのは女の人に対して非常に不利な対応しかしないし、結局責任は全部女の人に負わされるというのがあるから。そういう意味を含めて、女の人が一人で暮らすというのは非常にしんどいんだということは僕は共感できます。その上で、シェアの話がさっきも出ていたけれども、一人で暮らすという選択をしたいとは僕はあまり思っていない。さいがさんは一人で暮らしたいですか?

雑賀:わたしの場合は誰かと暮らしたいとかってのは相手を想定しないと答えられない。それから、恋愛の対象となる人と「一緒にいたい」というのと「生活したい」、「寝たい」と「子供を作りたい」というのはまったく違うわけね。少なくともわたしの場合直結しない。で、個人的なことをもう少し言うと全然子供は欲しくない。子供を作って家庭を作るっていうのがちょっと自分ではどういうものなのか想像できないんです。それだったら、ある程度の緊張を持ったエロティックな関係を保っていくほうが、例えば毎日(でなくてもいいんだけど)の連絡と週に二、三回逢うとか三十分で行ける距離に住んでいるとかが理想。まあ、これは現実との折り合いの問題を考えるとちょっとしんどいだろうし、相手なしの空想のお話なんだけど。でも、誰かと暮らしたいかなと思う気分の時もある。実際臆病なんですよ、きっと。私は料理を作るのは好きなんだけど、自分のために作っても全然面白くないわけ。料理ってさ、やっぱりプレゼンがあってのことで、人に食べてもらって美味しいなんて言ってもらうと楽しいじゃない。でもそれが毎日続くってのは別。分担するにしてもね。つまり日常のルーティンとしてね。

ひびの:ルーティンとして続く必要は必ずしもないんじゃない?そのへんでさいがさんと僕とは全然違うなと思うんだけども、実は僕は親元を出てから基本的に全部シェアの生活なんです。吉田寮に五年間住んで、そのあとポンポコハウスっていう所で一軒家を三人で借りて住んでいた。そこでは料理はたいていは一人で食べるけど、気が向いたときに僕が作るし、気が向いたときに同居人が作る。外食も多いし。料理を作る前にご飯を何合炊くかというのをもちろん考えるから、食べるかい? ってきいて食べるって答えたらそれに合わせて炊く。そういう関係は僕にとっては割と日常のものとしてある。こんな風に何人かで一緒に住んだら一人で暮らすことの不都合さはほとんど解消されるのよね。解消されないのはセックスというか性欲の部分。つまりそれは恋人と住んでいるわけではないし、セックスフレンドと住んでいるわけではないからなんだけど。日常的に昨日あった話をするときに、ある意味で話の合う人としか住んでいないから、ある程度の話はつきあう。ある程度でしかないわけだけど…。そういう風に住むことができれば、それは十分オルタナティブとしてありうると思うんだけど。少なくとも僕にとっては十分にオルタナティブなんです。そしてさらに言うなら、ノルウェーに行ったことがあって、そこで若者が??日本では若者というと男の人をさしますがここでは若い男女という意味で使っています??一つの建物を実力占拠して、勝手に自分たちでバーを開いたり、喫茶店を作ったり、書店をやったり、ラジオ局を開いたり、卓球をしたり、住む場所にしたり…とにかくそんな場所にしたりしている所があるんだけども、そいつらと話をしたらこう言うわけです。「It’s our right to live together for youth ! 」要するに若者が集まって住んだり一緒にいろいろなことをするのは当然の権利だと。社会とか国家はそれを保証するためにあるんで、それは当然のことだと。これは発想がある意味で逆転しているわけです。そういう考え方、たまたまノルウェーの話をしたけれど、それはヨーロッパの社会運動の文脈で見た場合に、ほぼ確立された自明な前提なんです。若者たちが自分たちで集まって集団で??大事なことはこの「集団で」ということなんですが??住むこと、もしくは例えばコミュニティセンターのような集団で集まる場所があることは若者の権利なんです。それはだから若者が実力占拠して住むとか、もしくは何らかのかたちで社会的な場を、イタリアとかではホントに町にいっぱいコミュニティセンターのような場所があるし、そういう場を手に入れている。仕事が終わって疲れて帰ったら仲間がいるとか、そういうカフェにみんなで行けるとか、行ったら集まれるとか、そういうかたちが担保されさえすれば、結婚という制度に入らなくたっていいんじゃないか。仲間がいるし、友達がいるし、話ができるし、しかもそれがパブリックな場で、多くの人がいればセックスをする人も見つけることができるし、そういうことを日本で言うのはなかなかはばかられるのは何故なんでしょうねえ。(笑)

雑賀:何故なんでしょうねえ。(笑)それにはさっきから言っているように制度の問題もあるんだろうけど、日本ではという風に言及できるかどうかわかんないけれども、単婚が一般的だという幻想が根強くあるんでしょうね。あとなんとかなるしね。切迫感が薄い。私は理想としては老後はプライベート空間がかならずあって、緩やかな共同体というのがいいかなあ。コミュニティというのがイヤだから。ルールを決めても決めなくってもいいんだけども、プライベート空間というのが常になくって、例えば食事は一緒にすることに「なっている」というのはイヤだ。自分についてのことなんだけど、一人でいたいと思うことも多いから。そうでなくて、緩やかな空間の中で住めればいいなとは思う。家族というリジッドな関係でまとまっていない人たちが空間を作って、それぞれが自室を持っている。それでなおかつ公共の空間も持っている。そんな風に住めればリスクも少ないだろうと思う。ジジババだけってのはちょっと寂しいけどね。やっぱり若いぴちぴちしたのも要るかな。それから若い人というのは可能性があると思うんだけど、じいさんばあさんというのは可能性がないわけよ。経済的にもね。

ひびの:男はある。この辺がはっきり言って女から見ればすごく皮肉かもね。ゲイの友達がいて時々言っているんだけど、僕たち家族みたいなものだよねと。ホントにそれはそうなんですよ。今言っているのは僕より少し上か僕と同年代の人なんだけども、やっぱりカムアウトして当然のように自分がオカマであることをさらしながらそんなことを気にしないで、つまり日陰者としてではなくって、ごく普通に生きて行くってことを、集団的にやり始めたのはたぶん僕らの世代が日本で最初だと思うんです。その人たちっていうのはある意味ですごい信頼関係があります。しかも信頼感があるくせに、他人は他人だっていうことにものすごいシビアです。これはやってみればわかるんだけど、オカマで、男を好きになって、そのことを何とかしたいという人が集まった時に、集まったその人たちはみんな他人なんです。これはもう一緒に生活したら決裂以外あり得ないほどに、やりたいことも考えていることも生活スタイルも全然違うんです。ホントに違うんです。にもかかわらずこの人たちは分裂したり別れたりすることによってではなくて、同じサークルを作って社会に表現して人が集まる場を作ることによって、自分たちの場所を作ってきた。だからそういう意味では、しょせん他人は他人ということに関しては半端でないくせに、信頼関係はやっぱりすごいんですよ。それはすごくわかる。例えば老後は一緒に住もうよと言うわけです。で、なんでアンタと一緒に住まなくちゃいけないのよ、バカ、とかやっぱり言われるわけです。でもね、そんな一緒に寝ようとか言うんじゃないのよ、同じ家に住もうって言うんじゃないのよ、同じアパートでとなりに住んでたら、ホラ、例えば引越の時とか病気の時とかいろいろできるじゃない?という風に実際に言っているし、可能性として男だったら老後は自分で年金だとか蓄えができるわけだし、家だって買えるわけだし、十分可能なんです。男性であったらね。それはすごくいいなあと僕は思ったのね。まあ、実は冗談でしか言ってないんだけどね、みんな。

雑賀:信頼関係? いいねえ。これは知らないから質問なんだけども、例えばレズビアンのグループでそういうことはあるの?

ひびの:今言ったみたいな話はないかもしれない、というより僕は知らないけれども、女の人たちはそういう風にレズビアンなのかバイセクシュアルなのかそれともヘテロなのかと、男みたいには単純にはやらない。すごくみんなちゃんと自分っていうものを放棄しないで、そこで勝負を張っている人が多いから、レズビアンのっていう風にはならないけれども…

雑賀:ごめんなさい。じゃ、女の人同士で。

ひびの:女の人同士で一緒に住んでいる素敵な友達っていうのはいるし、僕と同じように三人で一軒家を借りている人たちもいます。その人たちとすごく話が合うのはどうしてかって言ったら、みんなカタギの仕事についてないっていうのがあるんだけど…。

雑賀:そうなんだよね。女の人同士で住んでいると新聞なんかでも紹介されるし、たいていの場合同性が多いんだけど、何人かで一緒に住むことはあるんだけどもそれに踏みきれるっていうのは「自由度」の問題が多いよね。

ひびの:そうそう。だからこの結婚とかシングルの話は、フルタイムになったら、どうしても男女間のカップルでの結婚という制度に整流されてしまう割合が高いのは確かだね。

雑賀:というより、周囲の負荷がかかるのね。今はどうなのかわからないけれど、ある程度歳をとっても結婚をしないでいると、何か問題があるんじゃないかとか言われるわけね。性格が悪いとか…う! これは自分でも認める…アル中だとか…凶暴だとか。

ひびの:男にもてない、女にもてない。ひがみも入りますよねえ。(笑)

雑賀:ほっといて。(笑)で、会社も日本的な集団生活が色濃く出る分だけ、(そこにいる人も)そういうのは辛いと思うのよ。私の場合だとまわりに大学関係者が多いんだけど、割とシングルの人がいるし、結婚というかたちで何かがかかってくるということはまだしも少ない。現実には男の男によるセクハラなんかがあるみたいだけど。何で結婚しないんだとか。共同で住むかどうかっていうのは、私は今しか生きてないから老後のこととかを担保におくのはイヤなんで、将来のことなんかを考えるのはイヤなんだけど、現実問題として長生きしそうだ、多分。(笑)酒も飲まないし、最近なかなか死なせてくれないし。ということで、一応友人なんかとそういう話になったときに、結婚っていうのは本当にいいクッションとして用意されているな、という気持ちはある。ちょっと考えてみれば結婚なんてのは別に解決でも何でもないし、一つの形態に過ぎないっていうのはすぐわかるんだけど、特にプロセスとして用意されている。結婚すればしんどくなくなるであろうという期待はかなり持たされていると思う。もう一つは安定感ね。五、六人で住む安定感よりも、二人で住む密着度の方がおそらく高い安定感が得られるという、これはオブセッションだと思うんだけど…

ひびの:結婚してもいつまでもつか、どうせすぐに飽きるんじゃないの?っていう感じはするけど、まあ好きで恋愛して一緒に暮らしていくことをとやかく言う気はないのよ。でも現実には、この人を!好きになって、この人と…というふうになっている人よりはむしろ、「誰かと」一緒に住みたいとか「誰かと」結婚したいというかたちで結婚とかをする人の方が僕は多いような気がする。とにかく結婚するために適当なところで妥協したりとか。どうなんだろか。

雑賀:どうなんだろう。一概に言えないと思うんだけど、やっぱり若いとき、二十代前半までに結婚しちゃうのは、ロマンチックなイメージが強いんじゃない。ただ年をとるとさあ、「よーし結婚するぞ」と自分に言い聞かせる気合い結婚か「まあこんなもんかな」という悲哀結婚か、だよね。

ひびの:繰り返しになるかもしれないけれど、「何はともあれとにかくいずれにせよ結婚はめでたい」というような常識は本当にうっとうしいよね。

雑賀:そうそう。

ひびの:僕の友達がどんな理由にせよ元気に幸せになるってことはそれは嬉しいことだし(ほんとかなあ)それをネタにパーティするってのも全然楽しいのよね。だけどそういう遊びをするってゆうことと、なんかみんなが祝わないといけないような雰囲気を押しつけられる「結婚披露宴」とはやっぱり違うんだってことをわかってもらうのは、なかなか難しいな。それぞれの状況の中で一人一人が選択した立場の違いでいがみ合ったりしないで、国家や社会に干渉されずに、そして過剰に守られて社会的役割を負わされたりせずに、「私たち」は仲良くなりたい。そのためにも、法的には戸籍制度、制度的には世帯持ちを優遇する社会システム、社会的文化的には異性同士が結婚するのが当然、結婚してこそ一人前といういまの日本社会に蔓延している意識、などはなくしていきたいと私は思います。


「謹啓 とても長い対談におつき合いいただき、感謝に堪えません。
この度、京都大学新聞社御編集部の御媒酌により、ひびの家長男まこととさいが家長女けいこの対談整い、同右の紙面と相成りました。つきましては、お近づきを願いたく、ご多忙中誠に恐縮とは存じますが、シングルを貫くことはもちろん、恋愛や恋人とのセックスなどにうつつを抜かさず、生活のすべてを戸籍制度との闘いに捧げられんことをご期待申し上げます。謹言」

雑賀:あら、誰かなんか言ってるわ。まあ、私は適当に遊んでるので、がんばってね!

ひびの:かわいいあ・な・た、プロジェクトPにも遊びに来てね!。

(以下、好みの男のタイプの話、その他が続く。)


註1:性的指向
性的な興味の方向性。それは、特定の性別(ex.男)であったり、特定のしぐさであったり、特定のモノなどであったりする。

註2:モノガミー
1対1の対の関係のこと。またそれを指向すること。

註3:サークル活動とかいろんな運動団体の活動
日比野が関わっているのは「レズビアン?ゲイ?バイ?ヘテロ?……生と性はなんでもありよ!の会 プロジェクトP」という京都のグループと、「ゲイフロント関西」という大阪に事務所をもつグループ。問い合わせ先は(ネット上では省略します)。

註4:若専
性的な好みのことをゲイの間ではよく◯◯専という。ふけ専、デブ専など。

註5:木屋町にもたくさんゲイバーはあります。詳細はゲイ雑誌の広告を見て下さい。ゲイ雑誌は、さわや書房(河原町蛸薬師角)・恵文社一乗寺店(高野交差点上がる1つめの信号東入る南側)・リーブル銀閣寺店(白川今出川下がる)等で買えます。


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