売買春+セックスワーク

「わいせつ雑誌」をめぐるメーリングリストへの投稿です。標記の問題に特化して書いた文章ではありませんが、売買春についての日比野によるまとまった態度表明になっていますので、特別にここに掲載します。
(初出 [aml 13989] わいせつ雑誌(その2) 99年9月18日)

社会運動の情報交換を目的とするメーリングリスト上のやりとりです。売買春についての日比野によるまとまった態度表明になっています。amlについては小倉さんのホームページを参照して下さい。

Date: Sat, 18 Sep 1999 01:24:23 +0900
To: “オルターナティブ・メーリングリスト”
From: Hibino Makoto < (アドレスが変わったので記述を削除しました)>
Subject: [aml 13989] わいせつ雑誌(その2)

以下は、私が8月23日に投稿した「 [aml 13648] わいせつ雑誌 」のレスに対するレスです。従って、いわゆる新規の「運動情報」は含まれていません。
関心のない方は読み飛ばして下さい。
amlは討論の場ではないのですが、私への私信ではなく、メーリングリスト上でレスを戴きましたので、投稿でお返事させていただきます。返答できない、というわけではないということを示した方がいいかと考えたためです。

性についてのやりとりは、各自が自分にとって切実なものを持っている場合が多く、感情的な言葉の応酬に陥りやすく、丁寧に相手の発言を聞いて応答するということが比較的困難なテーマであると私は思っています。その意味もあって、私はやりとりには時間をかけ、すぐにはレスは返さないことにしております。そのため、お返事が遅くなりましたことをお許し下さい。
また、私はamlに対する依存がありません。このメーリングリストで私の意見が通らなかったからといって私の生活には何にも影響がありません。その意味で、amlへの投稿は私の生活の中では優先順位がそんなに高くなく、レスは他のことに比べて後回しになります。

先にも書きましたが、性の話は、本当に各自が自分にとって切実なものを持っている場合が多く、皆が自分の関心のあるテーマに話題を持っていこうと知らず知らずのうちにしてしまいます。そしてその結果として、その場の多数派の関心のある事項ばかりが話題になり、その場の少数派が提起した話題は、いくらそれが言いだしっぺであったとしても、無視されることが少なくありません。私の経験でも、例えば、いくら「ホモフォビア(同性関係嫌悪)と闘う」事を看板にし目的とした集まりであっても、おおくの異性愛女性が参加した場合、女性が社会的におかれる位置や性的な暴力の話をするためにゲイやレズビアン・バイセクシュアルの抱える同性同士の関係の在り方がネタとして利用されるだけになってしまうことはめずらしくありません。実際に密接な関連のある話題だからこそ、話もそれやすいし、だからこそ、初めに提起された話題について、反応を返すことはとても大切なことだと思います。初めの発話者が問題化したいことについてコメントしたあとで、自分の言いたいことを返していくというのが礼儀ではないかと私は思っています。
わたしは、「MALE 1冊」を税関で取り上げられたことに対して抗議するために異議通告書を書きました。現在の国家は堂々と私の雑誌を取り上げ、私は今その雑誌をみることができません。お返事いただける場合には、まずこの点についてどう思われるのかを、初めに お返事いただけると幸いです。

私はこれまでにも何回か、レズビアン・ゲイ・バイセクシュアルの権利や、性別二元論を問うような投稿もしてきましたが、こんなにたくさんレスを戴いたのは初めてです。うれしいなあと思うと同時に、逆に、いったいどういった問題こそが人々の関心を集め、どういった問題こそが無視されるのかという事について、考えさせられています。

それでは、長いですが、おつきあい下さい。

日比野 真

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>> [aml 13662] Re: わいせつ雑誌

>> オーロラ自由アトリエの遠藤京子です。
>>
>> いろいろと言いたいことはあるのですが、とりあえず、上記雑
>> 誌に、下記のような事実がないと確信できる根拠を教えてくだ
>> さい。
>>
>> >> ことです。被写体になりたい人が被写体となり、撮影したい人
>> >> が撮影し、製本したい人が製本し、販売したい人が販売し、購
>> >> 入したい人が購入し、贈与したい人が贈与し、欲しい人がもら
>> >> い、上映したい人が上映し、見たい人が見ているだけであっ
>> >> て、作成から流通・消費のどの過程をとってみても、そこには
>> >> なんの強制も暴力もありません。つまり、「わいせつ物」には
>> >> 被害者がいないのです。ある写真等を「わいせつだ

 遠藤京子さん、はじめまして。
 コメントをありがとうございました。
 しかし残念ながら、遠藤さんがどのような趣旨で上記のようなご質問をされているのかが全く書かれていないため、遠藤さんが何をいわんとされているのかを私が正確に分かっていない可能性もあります。ですので、とりあえず考えられる限りのお答えを愚直にしてみようと思います。

 例えば、私がたった今使っているコンピューターのために不可欠な電気。この電気を私が使うまでの過程に、「なんの暴力も強制もなかった」と言い切ることは極めて困難です。原発のことを考えてみます。南アフリカ共和国のウラン鉱山で働いている坑夫(婦?)たちが被爆労働を強いられていた状況が改善されたかどうかを私は知りませんし、その労働者たちが他の職業を選択する権利を実質的に保証されている中でウラン炭坑の仕事を自分の自由意志で選択しているのかどうかを私は知りません。もしかしたら暴力飯場のような環境の中に監禁されて強制的に働かされているかもしれない、もし逃げたら家族が殺されるような環境の中で労働を強いられているかもしれない、その可能性を否定する根拠を私はもっていません。更に言うなら、例えば鉱山労働者の労働条件を改善しようと運動するものが殺害されるというようなことがあり得る(あり得た)という事は容易に想像できることです。現在私が使っている電気を発電する際に使われたウランが、ANCが政権について以後に採掘されたものであるか、それ以前に採掘されたものであるかを私は知ることができませんので、そこまで考えることは必要なことでしょう。また、敦賀原発を始め国内の原発で事故があったときに直接原子炉内等に入っていって床ふきやねじ回しといった必要不可欠な作業をする人たちが、例えば決して関西電力の正社員ではなく、寄せ場で集められてきた日雇い労働者であって、その労働者に他の仕事が選択できたかどうかも、私は自信がありません。同様のことは、ウランの輸送など、電気の流通にいたる全ての過程に言えることです。
 そしてこれは何も電気の話に限りません。「親の借金のかたに」「口減らしのために」親によって子供が捨てられ、預けられ、つまり本人にとっては強いられてどこかの農園や工場で働かされるということは、いくつかの第3世界の国では今でもそんなに珍しいわけではないということについては、いくつかの本が出ていたように記憶しています。
 更にいうなら、第三世界では「日給数百円」程度の仕事を毎日朝から晩までしている人たちがたくさんいます。これを、「低賃金の労働を、貨幣価値の高低などの世界規模の社会構造的な暴力によって強いている」と考えるかどうか、「自由意志でやっている仕事である」と言っていいのか、という問題もあります。

 それと同程度には、私が持ち込みを阻止された雑誌の作成から流通過程に何らかの「暴力」「強制」があった可能性を私は否定できません。そして、ここまで詳しく書かなかったという点においては私の「異議通告書」は不十分なものであるのを、認めます。ご指摘ありがとうございました。

 しかしながら、膨大な輸入品なくしてわたし(たち)の今の生活は成立しません。私にはそれら一つ一つ全てに対して、「そこに強制があったかどうか、暴力があったかどうか」を厳密に検討する時間もありませんし、そもそも私にはその意志がありません。「強制と暴力がないと確信できる」ものだけを使って生活を成立させることは、完全な自給自足生活でもしない限り不可能だと私は考えています。だからこそ、私がコンピューターを使う度に「今使っている電気に強制や暴力があるかどうか」と思い悩まないのと同様な態度で、異議通告書を書くに至りました。
私が持ち込んだ雑誌「MALE 1冊」の作成から流通の過程に「不当な強制や暴力が『ある』」ということが根拠をもって明らかであれば、あの異議通告書のような書き方はしませんでした。
 遠藤さん、もしあなたが雑誌「MALE 1冊」の作成から流通の過程に「不当な強制や暴力が『ある』」ということをご存じなら、お手数をおかけして申し訳ありませんが、お教えいただけないでしょうか。

 他人が個人で輸入しようとした雑誌に「強制と暴力がないと考える根拠」があるかどうかをここまで詳しく問題にしようとされる遠藤さんのことですから、ご自分の生活の中で使われる様々な輸入品に対しても同様な厳しい態度で接しておられるのでしょう。とても大変なことだろうとは思いますが、がんばってください。

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>> [aml 13661] Re:わいせつ雑誌

>> 小笠原です。
>>
>> 余裕がないので、一点だけ感想を書きます。
>>
>> 思想・信条の自由vsポルノグラフィーの暴力 というのは、古
>> くて新しいテーマなのでしょうか。
>> 日比野さんのお考えのすじみちが「理解」できるとしても、私
>> が、これを読んで、非常に嫌な気分になったことは、否めませ
>> ん。日比野さんのメール自体が、不快感を与える文章で構成さ
>> れていることは事実です。高田馬場から帰りの電車にのると、
>> 時々、座っている女性の鼻の先に、大きなヌード写真の掲載さ
>> れたスポーツ新聞を広げている一杯機嫌のサラリーマンを見か
>> けることがあり、非常に不快になりますが、その時の気分を思
>> い出しました。
>>
>> >> ん。つまり、「わいせつ物」には被害者がいないのです。ある
>> >> 写真等を「わいせつだ」と感じたり「見たくない、考えたくな
>> >> い」という人は、買わなければ、見なければ、流通に関わらな
>> >> ければいいだけのことです。あるものを見て「わいせつだ」と
>> >> 思ったり嫌悪感を感じるのはその人の価値観でしかありませ
>> >> ん。ある人にとっては嫌悪感をいだくものであっても、別の人
>> >> にとっては「とってもわくわくするもの」であるかもしれませ
>> >> ん。それほどまでに多様な価値観が今の社会にあるという事を
>> >> 認めることが、まず大切です。
>>
>> ある人にとっては、「とってもわくわくするもの」であって
>> も、別の人にとっては、嫌悪感をいだくものであるかもしれま
>> せん。少なくとも、日比野さんと私の感性も価値観も異なりま
>> す。「多様な価値観が今の社会にあるという事を認めること
>> が、まず大切です。」と、私にも書かせて下さい。
>>
>> 特に、MLのような所に、陰部描写+様々な場面仮想描写を行った
>> 異議申立書の全文を投稿されるというのは、日比野さんとは異
>> なった感性の持ち主を、全く無視されているか、または、こう
>> いう描写に慣れる必要があるのだよ、とでもおっしゃりたいか
>> のようです。
>> 繰り返しますが、少なくとも私にとって、これは不快以外の何
>> ものでもありません。私は、ヌード写真掲載のスポーツ新聞を
>> 全て暴力的に破棄するというようなことは考えていませんが、
>> 少なくとも、電車に揺られながら、好きな考えに耽っている自
>> 分の鼻先に、そんな写真を広げて平気でいる一杯機嫌の男性に
>> は、はっきりと、「不快ですから、その新聞、私に見えないよ
>> うにしてください。」と、お願いします。

 小笠原さん、丁寧なお返事をありがとうございました。
 残念ながら小笠原さんと私とでは何を不快と感じるかに大きな食い違いがあるようです。これは文化の違い、民族の違いとでも考えた方がいいのかもしれません。つまり、合意の形成は極めて困難だと思うということです。小笠原さんも、「不快だ」とは書かれておられますが、「陰部描写+様々な場面仮想描写」を伴う投稿をすることが「不当だ」「間違っている」とは書かれておりません。私は、公共の場でポルノを見るということは、「正しい/正しくない」「正義/不正義」の問題ではなく、「快/不快」「好き/嫌い」の問題だと考えています。その意味で、わざわざ小笠原さんに対して嫌がらせのメールを送ろうとは全く思いませんが、「陰部描写+様々な場面仮想描写」を伴ったamlへの投稿を自粛するつもりは全くありません。そうですね、ここでお返事できることは、「もし私が小笠原さんに対して私信をお送りすることがあれば、ここに書いていただいた内容を尊重して文章を書こうと思う」ということぐらいではないかと思います。小笠原さんのご希望に添えないことを、残念に思います。

 例えば電車の中で、私がモロだしのポルノを見ていたと仮定して、それに対して批判されたときには、私は2つの選択があり得ます。小笠原さんが書かれているように「不快ですから、その新聞、私に見えないようにしてください。」と、「お願い」された場合には、「ああそうですか」と言ってポルノを見るのをやめる可能性が極めて高いです。しかし、さも当然のことのように「こんなところでポルノを見るなんて何考えているの!」と強圧的に出られたら、おそらくそれを無視して見続けるでしょう。
 公共の場でポルノを見ることは、私は、その場にいる人たちの間で考えて決められるべき事だと思っています。「どこであろうと私がポルノを見るのは勝手だ、不快に思う奴などしらん。」と開き直って見ている人はデリカシーがないと思いますし、批判を受け付けず批判者とコミュニケーションしようとしないのは間違っていると私は思います。と同時に、「公共の場でポルノを見ることは許されるべきではない」という主張は誤った主張だと私は考えています。社会は複数の、相異なる文化を持つ人たちで構成されているのです。社会は、基本的に「私にとって不快なもの」に満ちあふれた場のことです。私にとって不快なものを社会の中から排除することは、まず不可能だし、もし可能であってもするべきではないと考えています。
 追加させて戴くのであれば、ゲイポルノを公共の場で見るということには、もう一つの肯定的な意味があります。ゲイ雑誌には多くのゲイポルノが掲載されていますが、それを公共の場で見るということは、公共の場でも自分のことを隠さなくても良いんだ、ということを自分で確認する作業でもあるのです。同性同士の間での性的な関係や行為はあらゆるメディアを使って非難され罵倒され続けていますので、本人にとってはまず自分の性的な感情を肯定し、受け入れることこそが大切です。そして、ゲイポルノは、多くのゲイ(を始め、同性との親密な又は性的な関係をつくりたいと考えている人たち)が自分と同じ感情を持つ仲間の存在を知り、安心するためにとても重要なものです。そして、ゲイ雑誌を持って街に出るということは、社会の中で、まさに公共の場の中でも、私が私のままで生きる権利があるんだということを本人が確認するためには、有効な、一つの方法でもあるのです。
 更に追加するのなら、今の社会には「わいせつフォビア」「セックス嫌悪」そしてその発露としての「性労働嫌悪」がパラノイア的に蔓延していると私は考えています。それと闘うという意味で、私は「パブリックセックス」「公共の場や人前でするセックス」に極めて肯定的です。やはり路線としては、私は小笠原さんとは正反対を行くのかもしれません。
(参考文献 「パブリックセックス」 パット・カリフィア著 東玲子訳 青土社)

 電車とかの場合は、どちらかが場所を移動することによって問題が解決できるので、どちらが場所を動くのかという問題でもあります。しかし残念ながら、amlではそういった選択ができません。
 あるコミュニティーが、どこまでの価値観の差異をその内部に抱えることができるか、という問題でもあるように思います。コミュニティーには必ず何らかの規制や限界があり、残念なことですがそのことは紛れもない事実であり、従ってamlはどこまでの価値観の差異を許容できるかという話でもあります。amlとして公式に、「陰部描写+様々な場面仮想描写」を禁止するという方針が出されない限り、私はこれまで通りの投稿を行います。もしamlが禁止の方針になったのであれば、メーリングリストへの参加を再考するかもしれません。

>> それとも、MLは、途中で読むのを止めるのも自由だから、全部
>> 読んでから、「不快だ」というのが悪い、ということになりま
>> すか?

(わざわざ私が言うまでもないことですが)小笠原さんが「不快だ」と思うことやそのことを表明すること自体が悪いとは全然思いません。しかしやはり、不快な文章は読まない、という選択しかないのではないかと思います。土屋さんも書かれておりましたが、私にとって不快な文章も既にたくさんamlには投稿されています。私はそういう投稿はすぐにごみ箱に移動させてしまい、読んでいません。(又は、しっかりと精読して他者の意見や思い込みを知るために利用しています)繰り返しになりますが、社会は、公共の場というものは、(例えそれが仮に「革命後」の夢の理想社会であったとしても)基本的に「私にとって不快なもの」に満ちあふれた場だということを忘れてはならないと思います。

買売春については最後にまとめます。

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土屋さん、さっそくの反応を返していただき、ありがとうございました。
土屋さんも書かれているとおり、検閲や性表現の国家による規制の問題と、わいせつとされるものに対する不快感、買春の是非(ああなんて買春者を差別した言い方なんだろう!)、性的な暴力の有無の話とは、関連はしますが基本的には別の話です。このメールの冒頭にも書きましたが、今回私が問題化した「わいせつ雑誌の持ち込みの禁止」の是非については触れずに、他の問題だけを話題にしようとした他の何人かの方々に対して、その旨をご指摘いただいたものとして、理解しています。ありがとうございました。

>> [aml 13672] Re: Re:わいせつ雑誌

>> つちや@エルデです
>>
>> >> 日比野さんのお考えのすじみちが「理解」できるとしても、私
>> >> が、これを読んで、非常に嫌な気分になったことは、否めませ
>> >> ん。日比野さんのメール自体が、不快感を与える文章で構成さ
>> >> れていることは事実です。高田馬場から帰りの電車にのると、
>> >> 時々、座っている女性の鼻の先に、大きなヌード写真の掲載さ
>> >> れたスポーツ新聞を広げている一杯機嫌のサラリーマンを見か
>> >> けることがあり、非常に不快になりますが、その時の気分を思
>> >> い出しました。
>>
>> ヌード写真は、自分の部屋でゆっくりと楽しむべきであり、電
>> 車の中で見るものではないと思います(でも、そのサラリーマン
>> は家で一人になれる部屋がなかったり、家に持ち込めないのか
>> もしれません)。
>> だけど、ヌード写真に対する不当な検閲、規制とそれに対する
>> 闘いについてこのメーリングリストでレポートすることは、何
>> ら制限されることではないでしょう。不快感を与える文章だか
>> ら、投稿しないでくれというのでしょうか。私にとって、日比
>> 野さんの投稿以上に不快感を与える投稿もありますが、嫌なら
>> 飛ばすだけです。
>>
>> >> 人権を守る市民運動の担い手であったりする方でも、女性を
>> >> 「買う」という、モノ化=対象化=非人間化に、何の問題も感じ
>> >> ないという方が、多いのでしょうか?
>>
>> 性表現の自由を勝ち取るということと、買春とどういう関係が
>> あるのでしょう?

>> [aml 13673] Re: わいせつ雑誌

>> つちや@エルデです
>>
>> >> いろいろと言いたいことはあるのですが、とりあえず、上記雑
>> >> 誌に、下記のような事実がないと確信できる根拠を教えてくだ
>> >> さい。
>>
>> >> >> ことです。被写体になりたい人が被写体となり、撮影したい
>> >> >> 人が撮影し、製本したい人が製本し、販売したい人が販売し、
>> >> >> 購入したい人が購入し、贈与したい人が贈与し、欲しい人がも
>> >> >> らい、上映したい人が上映し、見たい人が見ているだけであっ
>> >> >> て、作成から流通・消費のどの過程をとってみても、そこには
>> >> >> なんの強制も暴力もありません。つまり、「わいせつ物」には
>> >> >> 被害者がいないのです。ある写真等を「わいせつだ
>>
>> つまりは、この雑誌が「被写体になりたい人が被写体」になっ
>> てなければ、日本国内への個人所有目的での持ち込みが「わい
>> せつ物件」として禁止されてもいい、ということでしょうか。

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買売春について
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 残念なことに、私の投稿へのレスの中には、いくつもの「性労働者に対する差別発言」「買春者に対する差別発言」がありました。この手の発言はあまりに蔓延しているため発言者は何気なく当然のように発言しますし、罵倒・侮蔑された側の売買春当事者もいちいち気にしていては身が持たないのでたいていは受け流します。おそらくこのメーリングリスト上にも何人もの売春や買春の当事者がおられると思いますが、そのことはしばしば黙殺・無視されています。以下私はこの件について書いていきます。
 こうやって、売買春を非難する発言に対して私が応答し、説明することを強いられる状況こそが、「このamlの中で売春者や買春者が差別されている」状況の反映に他なりません。この様にしてマジョリティーはマイノリティーの時間を奪い、搾取し、弾圧してきます。
 しかし先ほど書きましたように、社会は、公共の場というものは、(例えそれが仮に「革命後」の夢の理想社会であったとしても)基本的に「私にとって不快なもの」に満ちあふれた場でしかあり得ません。(快/不快という基準では、そういった類の発言が私にとって「極めて不快な」ものであることはあまりにも自明です。)だから、このaml上にそういう発言をする人がいること自体が悪いわけではありません。と言うよりむしろ、様々な意見の食い違いがあること自体は当たり前のことであり、amlがそういう意見の食い違いを許容しながら存在し、各自が他者の考え方を知って考え直したりするために役立っていくことの意義の方が、現段階では大きいのではないかと思っています。
 と言いますのも、私自身、以前(といってもずいぶん前ですが)は「買春は恥ずかしいこと/よくないこと」「売春は最終的にはなくなるべき仕事」と考えていました。それが、ここ10年の間に様々な人たちに出会い、交流し、様々な考え方に触れ、様々なことをし、私自身がもう一度一から考え直していくなかで、私自身も考え方が変わったからです。(時期的に言えば、1993年に Alchemy Records から発売された「全力オナニーズ」のCD「奴隷復活」の中で既に、私は「売春労働者に労働組合を!」と唄って主張しています。)買売春については、まだまだ当事者の声すらちゃんとは社会には届いておらず、ステレオタイプな見方考え方が蔓延しているように私には思えます。この投稿が、あなたが自分のやっていることに自信を持ち、または、あなたがご自身の考え方を再考してみるための、きっかけの一つにでもなれば、とてもうれしいく思います。もちろん私の発言など「今さら何を言っているんだ、そんなの当たり前じゃん」と思われる方もおられるかもしれません。また、「それは少し違うぞ」と思われる方もおられるかもしれません。買売春の現場から性暴力を無くし、人をバカにしない/客と労働者が対等に出会える/風通しのよい買売春を実現していくための、若輩者の意見の一つとして、受けとめて頂ければうれしいです。

 「社会運動をする」ということは、自ら進んで搾取されるということに他ならず、人柱になるということと同義ですので、覚悟して書かせていただきます。

(但し一部の運動団体や個人に見られるような、運動を口実に自らが成り上がって権力者になることを指向し、友人や知人を搾取して当然という態度に出る人たちに対しては、その人がいくらセックスワーカーであっても、少なくとも今は、奉仕する気はありません。あしからず。)

(あらかじめの注釈:私の性別、私が性労働者であるか否か、私が買春をするか否か、については、それによって私の論旨展開が変わるわけではなく、カムアウトする必要性を感じませんので、少なくとも現段階で明らかにする意志がありません。)

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>> [aml 13661] Re:わいせつ雑誌

>>  国家権力の市民的自由への介入と、女性やこども買春などに
>> 特に見られる金を介在とした暴力については、レベルも環境も
>> さまざまで、どこの誰がどうしたから暴力、この場合は、事由
>> 意志による性的取り引き、という線引きを、第三者が行うこと
>> は簡単にはできないという立場もあると思います。

はい、私はまぎれもなく、本人以外が公的な形で「(ある行為が)自由意志であるかどうか」を勝手に決めることを誤りであると考える立場です。

>> しかし、多
>> くの外国人女性が、日本人の性的欲望の市場として、苛酷な移
>> 住労働を強いられ、女性シェルターなどに駆け込んでいる現実
>> を考えますと、のほほんと、「自由」とは言っていられない現
>> 実が、無視されすぎていると思います。

「外国人」
ここで小笠原さんが書かれているのは、日本に定住している外国人ではなく、移民として日本に出稼ぎにきている人たちや場合によっては騙されて日本に連れてこられた人たちのことですね。
「女性」
これは、性別違和を持たないでかつ、おまんこを持った、しかも女性に見え女性の性自認を持っている人(純女)のことですか。例えばオチンチンを持っていてオマンコを持っていない女性のことは含まれていませんよね。
「日本人」
日本に定住している定住外国人もこの文脈の場合には含めて考えた方がいいように私は思いますが、どうなのでしょうか。

事実として、多くの人が日本に移住し、性別を問わず「苛酷な移住労働を強いられ」ているのは本当のことだと私は思っています。その中には、性労働者として働いている人もたくさんいると思います。
また場合によっては、事実上の監禁状態や強制労働と言った方がいい状況を強いられている人もいるはずです。
小笠原さんが書かれているような事例においては、本当に過酷な、というより場合によっては不当な労働条件下におかれる人たちがいるのはなぜなのでしょうか。その理由として私は3点考えています。

*1:外国人差別
移民を認めず「不法滞在」というレッテルを貼って強制送還しようとする入管当局、通訳さえまともに付けない裁判所、日本語を話さない人や外国人に対して差別的対応をして本人の訴えをまともに聞かない警察、外国人は雇用しない事業主、外国人の入居を断る家主、日本の市民の外国人差別意識、などの存在こそが、過酷な、不当な労働条件を支えているし、移民労働者が声を上げて労働条件の改善を求めることを妨げているのではないかと思います。
(もしくは、移民などしないでも本人が暮らせるように帝国主義本国による第3世界への搾取をなくすことが必要ですが、ここでは触れません。しかし例え経済格差がなくなっても移民を希望する人は移民したらいいわけですから、上記の問題点の改善は必須です)

*2:女性蔑視と性的な暴力の容認(強姦文化)
ある同じ事項や意見であっても、外見が男性に思われる人と女性に思われる人が発言したのでは、その扱われ方に差がある、女性に思われる人の発言は軽く見られ扱われることが多い、ということ。バイアグラはあっという間に認可され、ピルはなかなか認可されなかったということ。避妊のためにコンドームは有効だと分かっていてもなかなかその宣伝すら教育しないくせに、より危険度の低いセックス(いわゆるセーファーセックス)のためにならコンドームの宣伝・教育はする行政や教育機関。性的な暴力を大した問題だと考えない社会。当たり前のようにセカンドレイプをするマスコミや裁判所。そんな女性蔑視で強姦文化な社会であるからこそ、日本で働く女性に見える(又は女性と扱われる)労働者が声を上げ、労働条件を改善することが困難な位置におかれているのだと思います。

*3:性労働嫌悪
「金銭を得るためにセックスを行うこと」がまるで自分の尊厳を捨てることに同意したかのように扱う社会、自分が性労働者だと友人や家族に対して名乗りにくい状況、性労働を違法とする法制度(売春防止法や刑法公然猥褻罪など)、こそが、性労働者が自らの労働環境を問題化し抗議し交渉し改善していくことを妨げています。

そしてその3点の更に前提として、実際に自分の国で働いたり仕事を見つけたりするのが困難だという状況、第3世界と、日本を始めとする帝国主義本国との経済的な力関係の不当性があると思います。そしてまた、女性とみなされる人たちの職業選択の幅の狭さ、男性とみなされる人たちに比して低賃金の労働しかなく高賃金を得ようと思ったら性労働しかないような状況の不当性もあります。

私は、小笠原さんが指摘されたような事例を無視して「全て人が自由にやっているんだから現状でいいじゃないか」といいたいわけではありません。寧ろ逆に、「のほほんと、「自由」とは言っていられない現実」を変えるためにこそ、社会の中に潜む外国人差別や女性蔑視や強姦文化、性労働嫌悪を問題化しなくてはいけないと思っています。そして今回の異議通告も、そういった文脈の中で書いています。(通関できなかったのが「ゲイ雑誌」だったので、女性蔑視の話はあまり触れられていないという事情はあります)

>> 人権を守る市民運動の
>> 担い手であったりする方でも、女性を「買う」という、モノ化
>> =対象化=非人間化に、何の問題も感じないという方が、多いの
>> でしょうか?

例えば重量物の運搬をしたり長時間の運転をしたりしてからだに過重な負担をかけ、その結果体をこわしてしまうような労働(ほとんどの現場労働がそれに該当するでしょう)、例えばベルトコンベアーの前で単純作業を延々と繰り返す仕事は、人の体を単なるモノとして、単なる道具として、単なる機械として扱うこと、「非人間化」ではないのでしょうか。
マクドナルドの「スマイル0円」(今もあるかな?)は屈辱的な「非人間化」された労働ではないのでしょうか。

なぜ、例えば「フットマッサージをする/されること」は「非人間化」ではなくて、「フェラチオをする/されること」は「非人間化」なのでしょうか?
同じようにお金のためにやる仕事であっても、なぜ口移しの人工呼吸は「非人間化」ではなく、キスすることは「非人間化」なのでしょうか。

私は、ほとんどの賃労働は、人間を「モノ化=対象化=非人間化」するものに他ならないと思っています。「人間的な」つまり単なる手足としてではない労働をできるのは、ごく一部の限られたエリートだけでしかありません。誰かが部品をつくらなければ、誰かが土のうや木材を運ばなければ、誰かがサービス業をしなければ、誰かが(金銭と引換に)嫌な仕事をしてくれなければ、今の社会は成立しません。そして、これは「賃労働」「貨幣」というものが存在する限り、未来永劫そうでしょう。
既に「私たち」は商品です。うれる/うれない(もてるもてない、恋人をゲットする、友人を作る、就職できる、仲間を見つけるなど)という評価を四六時中人からされる商品として生きることから逃げることは、できません。というより、そういう商品として生きないでも済むのはごく一部のエリートの人たちでしかないのではないでしょうか。

他の賃労働の場合はそうはいわれないにも関わらず、性労働の話をするときにだけ「モノ化=対象化=非人間化」ということが持ち出されるのなぜなのでしょうか。
理由は3つ。
1つは、性労働がいまだに「女工哀史」のような悲惨な労働条件におかれているからです。だからこそ、性労働者の労働条件は改善されねばなりません。
2つめは、今の日本が性暴力に満ちあふれており、そして多くの性労働者が性暴力にさらされているからです。日常生活で、恋人と、友人と、知り合いとの関係の中で、そして自分がセックスをする際に、通勤電車や会社や教室や家庭の中で、膨大な性的な暴力が振るわれており、それをやめさせることができていない現実が確かにあります。そしてまた、売買春の労働現場にも、性的な暴力は山ほどあり、多くの性労働者が性的な暴力の危険にさらされているのは事実です。しかしいくら性的な暴力をやめさせることが困難だからといって、性労働に対してだけ「モノ化=対象化=非人間化」だと言って性労働自体を否定的に考えるのは、あまりに粗雑すぎます。大切なことは売買春の現場から性的な暴力をなくすことなのであり、私たちの社会から性的な暴力を無くそうとすることです。性的な暴力を無くすための運動のスケープゴートとして売買春自体を利用してはいけません。確かに売買春現場には性的な暴力はありますが、売買春自体が性的な暴力なのではありません。
そして3つ目は、今の社会にロマンチックラブイデオロギーが浸透し、性労働嫌悪、セックス嫌悪があるからです。金銭と引換に、多くの見も知らぬ客と、セックスをする人は、自らの尊厳を売り渡していると勝手に決めつけられ、バカにされ、ないがしろにされています。結婚した一夫一婦の関係の中のセックスだけがことさら価値あるものだという誤った考え方が社会の中に広範に普及してしまっています。ことさら性労働に対してだけ「モノ化=対象化=非人間化」の労働だとレッテルを貼ることは、性労働に対する差別意識の反映・発露以外の何者でもありません。そういったレッテル張りこそが、性労働者自身の発言をないものとして無視する元凶であり、性労働現場の労働条件の改善を妨げていることを知っていただきたいなあと思います。付言するなら、この性労働嫌悪は国家の意思である法律「売春防止法」にもこのように明文化されています。「売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗を乱すものである(第1条)」「何人も、売春をし、又はその相手方となってはならない(第3条)」。もちろん、この法律は改めねばなりません。

つけ加えるなら、売春者は労働現場においてだけでなく、労働現場以外の日常生活の場においても、一層、性的な暴力にさらされ易くされています。多くの人に「売春者は性的自己決定権を放棄し人間の尊厳を放棄した」とみなされているため、「淫売は襲っても構わない」とでも言うような認識と、罵倒と、そして物理的な暴力が実際に多くの売春者に振るわれています。しかしこれは「売春をしているから」暴力が振るわれるのでは決してありません。「売春者への差別意識があるから」暴力が振るわれているのです。売春者がしばしば被る性的な暴力の原因は社会に蔓延している売春者への差別意識なのであって、売春行為が性的な暴力の原因なのではありません。売春者に対する性的な暴力を無くすためにこそ、性労働嫌悪はなくさなくてはなりません。

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>> [aml 13674] RE: [aml 13648] わいせつ雑誌

>> >> —–Original Message—–
>> >>  今回私が時間をかけて異議通告を行ったのは、「わいせつ
>> >> 物」という考え方自体が
>> >> 性の抑圧や独裁の産物だということに気付いたからです。何と
>> >> なくポルノを見るのが
>> >> 気恥ずかしかったり、ハッテン場で淫乱に遊んでいることをあ
>> >> まり人に言えなかった
>> >> り、性労働を買いに行くことが恥ずかしかったり、売春をして
>> >> いることを人には言え
>> >> なかったり、といったことと、モロ出しの雑誌を堂々と持ち込
>> >> めないということとの
>> >> 間には、密接な関係があるように思います。
>>
>> この異議申し立てには賛成ですが、性労働を買いに行くこと、
>> 売春をしていること、という表現には疑問を感じます。売春は
>> 性労働なのでしょうか。買春は趣味の延長なのでしょうか。
>> 一時期日本人の買春ツアーが問題になりましたがそのことにつ
>> いてはどうお考えなのでしょうか。
>>
>> taimatu

taimatuさん、こんにちは。
まず、「この異議申し立てには賛成です」とはっきりと態度表明をしていただき、ありがとうございます。
私は、売春は性労働だと考えています。
買春は、それ自体が暴力だとは考えていません。八百屋でトマトを買うのと、医者に診察を受けるのと、基本的には同じです。
「一時期日本人の買春ツアーが問題になりましたが」というのは、色々な立場からの問題化があり得たと思うのですが、taimatuさんがどのような視点から何を問題にしておられるのかが分かりませんので、お答えすることが残念ながらできません。お許し下さい。

————————————————————

>> [aml 13676] Re: [aml 13648]わいせつ雑誌

>> ishigaki さんは書きました:
>> >> この異議申し立てには賛成ですが、性労働を買いに行くこと、
>> >> 売春をしていること、という表現には疑問を感じます。売春は
>> >> 性労働なのでしょうか。買春は趣味の延長なのでしょうか。
>> >> 一時期日本人の買春ツアーが問題になりましたがそのことにつ
>> >> いてはどうお考えなのでしょうか。
>>
>> 私も ishigaki さんの意見に賛同したいと思います。特に性労
>> 働に積極的に従事する年代が若い時期である事も十分考慮すべ
>> きであるし、また、現状、性労働社会において重大な人権侵害
>> 事件が多発している事も無視してはならないのではないか、と
>> も思います。
>>
>> 随分前の話ですが「『ラパーン事件の告発』アルス会編、拓殖
>> 書房」等本当に恐ろしい話です。

とほほさん、こんにちは。
私もとほほさんと同様に、「性労働社会において重大な人権侵害事件が多発している事」を無視してはならないと思っています。
私の異議通告は、最終的には、「性労働社会において重大な人権侵害事件が多発している事」を無くしていくこと、性労働社会から重大な人権侵害事件を無くしていくことにつながっていくと考えております。

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以上、長くなりましたが、おつきあいいただきありがとうございました。
えっと私事になりますが、京都在住の方で私の発言に興味を持たれた方、是非お友達になりましょう。ご連絡お待ちします。

日比野 真

 

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