3:たまには独り言を

 1998年12月5日に行われた企画「女?男?いちいちうんざりよ!–性別の二元論を問い直そう」の当日配布パンフレットに書いた独り言。
(初出「女?男?いちいちうんざりよ!–性別の二元論を問い直そう」資料集 98年12月5日)

初出収録元

「女?男?いちいちうんざりよ!–性別の二元論を問い直そう」
資料集

発行:変態生活舎

 

発行日:1998年12月5日

価格:非売品・企画参加者に配布

以下の文章は、1998年12月5日に行われた企画「女?男?いちいちうんざりよ!–性別の二元論を問い直そう」において日比野が発言した要旨を、その後の様々な意見を参考に改訂したものです。性自認と性別の二元論の話を分かりやすく分析して書いた、おそらく日本でも数少ない文章です。是非読んでみて下さい。

 

 

たまには独り言を…..

日比野 真

 で、実は私は「性別二元論の解体」とか「ジェンダーフリー」とか言いたいからこそ、ここまで文章を書いてきたのであった。

 ギー・オッカンガムの「ホモセクシュアルな欲望」がわくわくするのは、それが同性愛者のことを社会に「分かってもらう受け入れてもらう」ということを微塵も考えておらず、むしろ逆にホモフォビア(同性関係嫌悪)に気が付いた者たちこそが社会の在り方を根底的に変えていこうと呼びかけているからだと今は思っている。曰く、「問題なのは、ホモセクシュアルな欲望なのではなく、ホセクシュアリティへの不安なのだ。つまり、説明しなければならないのは、ホセクシュアリティというたった一言がそれだけでもうすでに、近づきたくない気持ちや嫌悪感を呼び起こすのはなぜなのかだ。」

 私が他人事をネタに大きめの企画をするのは「レズビアン・トレビアン・笹野みちる」以来のことで久しぶりだ。
 性別違和の問題は、私にとっては基本的に他人事だ。私はこれまで一度も(というより実は正確には昨年までは、なのだが)男子トイレや男湯にはいるときに違和感や戸惑いを覚えたこともなかったし、性別欄には当たり前のように「男」と答え続けていたのだから。だから、GIDネタ(性別違和にまつわる問題領域のことね)は、私にとってはネタの一つでしかない。ネタである以上そこで要求されるのは、当事者を不当に搾取しないこと(又は当事者を搾取していることを確信を持って分かった上でネタにすること)だ。……ところで、当事者って誰のこと?

 私がここ数年優先して取り組んできたことに、バイセクシュアル(**注9)の問題がある。そしてバイセクシュアルの顕在化(正確にはバイセクシュアルというカテゴリーの拒否)を主張する際のスローガンとして私が愛用していたのが、この企画のタイトルにもなった「女!男!いちいちうんざりだ!」というセリフ。これは、「男が好きなのか、女が好きなのか」ということだけにしか目が行かず、性別二元論をこそ強化し続けているゲイ(やレズビアン)の運動と強制異性愛社会に対してのアピールだった。つまり、性指向(性的指向。**注10)を考える際に、常に「男女」という性別を中心にしてしまうことへの批判を目的として使っていたものだ(付言すると、このスローガンの元ネタはフランスの「革命的ホモセクシュアル行動戦線(FHAR)」のスローガンだよ)。で、実はこのスローガン、私の意図を離れて、一部のトランスジェンダーの間で受けがよかったようなのだ。なるほど、確かにゲイやレズビアン、そしてヘテロの人たちにとっては、男女の性別を軸としない性指向の在り方といういのはショッキングなものであったし、とても意味のある主張だと思う。しかし、このスローガン、性自認の話としても考えることができるのだ。性自認の話としても考えると、私は怖くてこんなおそれ多い言葉はとても口にできない、ということも最近は痛感している。こんなこと、性自認の問題なんて、これまで考えたこともなかったのだから。
 今回私が性別の自己決定権などという主張を発表するのは、今後も私が「女!男!いちいちうんざりだ!」と言い続けていくためにはどうしても必要不可欠なことだと思ったからだ。これが、公式な理由。

 私の個人的な時間の流れで言えば、別の言い方もできる。実は「バイセクシュアルとしての」私の置かれる問題については、京都の左翼仲間も、プロジェクトP(及びその前身)やゲイ・フロント関西で知り合ったどんな人も、当事者以外はなかなか興味を示してくれなかったし、始めはあまり相手にされなかったという歴史を私は感じている(別に非難しているわけではないよ、世の中そんなものです。やっぱりバイネタはほとんどの人には他人事だしね)。だからこそあえて意固地になって一人で踏ん張ることにもなったのだ。でもそれが、孤立した闘いであった(ある)ことは、私にとってはとても残念なことだった(逆に言うと、その間に一緒に行動してくれた人には強い連帯感を感じていた)。
 GIDネタ(**注11)は、民族ネタ、性労働(セックスワーク)ネタと並んで、そのうちちゃんと考えようとここ数年間思っていた事項の一つだった。「そのうち」で済まなくなりいきなり優先順位が上がったのは、どっかほかの団体や人脈ではなく他ならぬ私に対して性別違和の話(というより自分のこと)を向こうから話しかけ、時間を共有して言語化しようとし、どっかほかの団体や人脈ではなく他ならぬ私と一緒に問題化しようと働きかけてくる人が現れたからだ。で、実はこれには困った。いきなり来られても、GIDネタはよく分からないのだ。とはいえ、「相手にされなかった」という自分の経験と同じ思いを相手にさせるというのは、あまりに情けない。私自身がいろいろ考えるのにとっても時間が必要だったし、そのテンポが遅すぎたために(それだけが理由でもないが)結局一緒に表現することはあまりできなかったけれど、だからこそ今日のイベントは私にとっての宿題の発表会なのです。何点ぐらいもらえるだろう。
 付言するなら、ことここに及んで、セクシュアリティー系の左翼活動屋という私のアイデンティティーを維持するためには、GIDネタを自分の言葉と立場から問題化できないということには耐えられないと感じていただけなんだけどね。だいたい日本の左翼や知識人は、やるべき仕事を全くやってこなかった。最低限の言語化さえ当事者にやらせて「男の自助グループ(但しその自覚無し)」をいつの間にか形成していたこれまでの(主に男の)左翼(新旧問わず)に変わる、新しい左翼運動(つまりよりましなファシズム運動)ができるといいなあと、私は思うのであった(ひと事のような言い方・私の趣味)。

 私にも(そしてあなたにも)時間や余裕の限界というものがあるわけで、今後ずっとGIDネタを中心にして生きていくというわけでは、私の場合はやはりなさそうだ。次は何をネタにするのだろう、ってことは、誰と付き合おうかなっていうことと同じなんだけどね。私の持ちネタは、(決してアートではなく、暴力の行使を引き受けたファシストとしての自覚のある)左翼の再建、あなたの持ちネタは何ですか?

**注「左翼」という少数民族  左翼というと実は悪いイメージしかない人が多いかもしれない。私がイメージしているこれからの左翼というのは、セクシュアリティー(最大広義。性別・性役割・性自認・性指向・性暴力・性労働・その他いろいろ)やレイシズムを問題化していくような人のことです。ヨーロッパ圏の左翼や、南アのANC、フィリピンの活動家、メヒコのサパティスタ民族解放軍、など、よその国の運動は、セクシズムとレイシズムは中心的課題の一つです。以下参考までに、南アで数年前に制定された憲法の抜粋をリンクします。日本で誰かが革命を起こしたとしても、こんな憲法を作れる人はいるのかな?

 

注釈

バイセクシュアル(**注9)
 人を性的な欲望の対象としたり好きになったり愛したりする時に、相手の性別が関係ないか重要ではない人。または、人を性的な欲望の対象としたり好きになったり愛したりする時に、相手の性別が男でも女でもいい人。またはそういう欲望の在り方。日本語では「両性愛(者)」と訳しますが、あまりこの訳語は使われていない。(詳しくは「バイセクシュアル」特集ページをどうぞ)

性指向(性的指向。**注10)
 性的な興味の方向性。人によってそれは特定の性別だったり、しぐさだったり、ものだったり様々である。性別以外の要因がより重要である人もいるので、男女のどちらの性別に関心が向かうか、というわけでは必ずしもない。

GIDネタ(**注11)
GID(Gender Identity Disorder。性同一性障害のこと)に関連する問題領域のこと。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>