虐待をうむしくみは「私たち」の内部にもある

 ドメスティック・バイオレンス(DV)のサバイバーのために創られたシェルター内部で、サバイバーに対する虐待が存在する。こう書くと、意外に思う人もいるかもしれない。しかし、本テキストの著者、米国在住のエミ・コヤマさんは、米国のDVシェルターに自身がサバイバーとして滞在した経験から、また他のサバイバーの証言から、さらに自身がDVシェルターで従業員として働いた経験から、シェルター内部での虐待の存在を説得力を持って指摘している。
(書評:『フェミニズムへの不忠~DVシェルターにおけるサバイバーへの虐待~』)
(インパクション139号に掲載 2003年12月)


書評『フェミニズムへの不忠~DVシェルターにおけるサバイバーへの虐待~』

フェミニズムへの不忠 虐待をうむしくみは「私たち」の内部にもある

 ドメスティック・バイオレンス(DV)のサバイバーのために創られたシェルター内部で、サバイバーに対する虐待が存在する。こう書くと、意外に思う人もいるかもしれない。しかし、本テキストの著者、米国在住のエミ・コヤマさんは、米国のDVシェルターに自身がサバイバーとして滞在した経験から、また他のサバイバーの証言から、さらに自身がDVシェルターで従業員として働いた経験から、シェルター内部での虐待の存在を説得力を持って指摘している。
 シェルタースタッフがセックスワークへの嫌悪感を持っているので入居者が自分の仕事について話せないこと。スタッフによるクイア差別。麻薬対策を口実に行われる入居者への事細かな監視。アルコール依存の/ホームレスの/精神病の/HIVポジティブの/身体障害のある/持ち物検査を受けない、そんな女性たちの入居を拒否するための「拒否リスト」の存在。そしてスタッフの指示に従わないと追い出すぞ、という有形無形の脅し。
 反性暴力運動が力を付け、シェルターが行政の財政的支援を受けるようになっていくなかで、非白人や貧困層の女性が排除されていく。本テキストの中でアンジェラ・デイビスさんは、女性への暴力を「犯罪」として扱うことに依拠し国に頼って解決しようとした運動を批判してこう述べている。「人種差別、男性支配、階級的偏見、同性愛嫌悪が完全に染み込んでいる国が、またそれによって成り立っている国が、しかも暴力を通じてそういうことを行っている国が、女性の人生における暴力を小さくすることなんてできるだろうか?果たして私たちは、国に頼るべきなのだろうか?」。
 コヤマさんは、「レイプ・クライシス・センター」というDVシェルターでボランティアとして働き始めた時には、「シェルターの規則もより良いものに変更できる」と信じていた。しかし実際にシェルターに関わる中で、システム内部における「権力と支配の力学」にちゃんと向き合わない限り、「いくら改善しても、私たちはただ、もっと慈善的な(ゆえに操作的な)虐待者になってしまうだけではないだろうか。彼女に花を買ってきて『愛してる』とキスするようなたぐいの虐待者に」、と考えるに至ったという。曰く「自分自身の正義感や良心を過信し、フェミニストである自分は意識が高いからチェックを受けなくとも他人を不当に扱ったりはしないだろうと思いこむ、われわれの習性自体が問題なのだ」「必要なのはシェルター従業員たちに高い意識を要求することではなく、平均的な意識の持ち主であっても責任を果たさざるを得ないようなチェックとバランスのメカニズムを構築することである」。
 この文章を書いているわたし自身は、反DV運動に直接関わったことはありません。なので、日本のシェルターの具体的な状況については書けません。
 しかし、自身で様々な場を組織したりグループを創った経験から考える時、コヤマさんの指摘は納得のいくものでした。
 組織の一員になるということは、ただそれだけで、社会的な権力を持つ/持たされることを意味します。誰かを仲間はずれにしたり発言を無視したり、さまざまな形で自身の「権力」を乱用した記憶は、私のものでした。場や組織のために、「今この場所」がつつがなく進むために、「小さな暴力」「見えにくい差別」に目をつぶり、告発を聞かない振りをし、自身の不満も押さえつけ黙ってしまう。実はそういう過ちは、「少数派の権利のため」「戦争に反対するため」といった正しく必要な課題を掲げて人が集まる時にこそ、起こり易い。
 心からの善意で行動しても、何の悪意がなくても、必ずしも良い結果だけを生むとは限らない。このことは、「労働者の革命」が強制収容所を生んだ歴史や、対外的には重要な問題提起をしつつも運動内部では女性を差別してきた日本の左翼運動、そして「バイセクシュアル」を二級市民扱いする一部のゲイ活動家の存在を知っている私には、十分理解のできることでした。
 またさらに、ここ数年の間、私は周りで起きた具体的な性的な暴力と取り組んできました。そして、「性暴力」という言葉がヘゲモニー/権力争いの道具として安易に使われかねない/使われている、ということにも気付きました。自分の大切な友人による被害の告発にはことさら敏感に反応する。しかし自分の友人が加害者として名指された時には、それとは異なる基準で行動する。特に、女性(特にFtF)の友人が加害者として名指された時に、運動内部や各個人の中にある二重規範の存在が明確になります。自分(たち)が得する時には「性暴力!」といって大きく騒ぐのに、自分(たち)に不利な時には無視をする。「誰が自分の仲間か」を計る踏み絵として「性暴力」という言葉が使われる局面に、私は何度も会いました。
 シアトルの、バイセクシュアル/トランスジェンダー/レズビアン/ゲイのコミュニティで活動している Northwest Network 代表のコニー・バークさんは、「体制派の反性暴力組織は、暴力を普通じゃないもの、犯罪者が意識的に選択した結果として捉える」が、そうではなく、「権力の濫用はこの社会にあまりにも普通に行き渡っているので、私たち一人ひとりが個人的・組織的権力や特権を悪用しないという選択を意識的に行う必要がある」と主張し、「さもなければ、何もしないでいると虐待に加担してしまうことになりかねない」と本テキストの中で述べています。
 サバイバーに対する視線と同様に、性的な暴力の加害者を「自分たちとは別の存在」「何か特別な悪意を持った人」だと見てしまうクセは、私たちに蔓延しています。そして逆に、「あの人は信頼できる」「私の友人は大丈夫」「この場は安心」といったような意識こそが、性的な暴力の顕在化を妨げ問題をこじらせる温床だ、という事実は、残念ながらほとんど認識されていません。
 コヤマさんは書いています。「私たちは、女性共通の経験という認識に挑まなくてはならない」「女性はこの社会において実際の権力を持たないという考えに挑まなければならないし、私たちのすべてが自らのさまざまな権力や特権を愛情豊かなやり方にも虐待的なやりかたにも使うことができるということを明らかにしていかなければならない」「(そうすれば)フェミニズムは生き残り、今までよりももっと強いものになるだろう」。
(2598文字)


*著者のエミ・コヤマさんは米国オレゴン州の「インターセックス・イニシアティヴ」代表。全米女性学協会第三波フェミニズム部会の代表でもある。

アウロラ発行、六〇〇円。
WEB販売は以下で。
URL:『フェミニズムへの不忠~DVシェルターにおけるサバイバーへの虐待~』

“虐待をうむしくみは「私たち」の内部にもある” への3件のフィードバック

  1. ご本人から指摘を受け、著者であるエミ・コヤマさんのお名前の表記方法を、「コヤマさん」に改めました。

  2. ピンバック: 椿姫

コメントは受け付けていません。