ブルカは女性差別?

 アフガニスタンのタリバンは、女性に「ブルカ」をかぶることを強制してきた。日本や欧米の一部の人たちは、このことを取り上げて、「タリバンは女性差別的だ」と主張し、人によってはタリバンへの攻撃を正当化する理由にさえしている。

 性別を理由にして人に何かを強いることがあれば、それは間違いなく性差別だ。ブルカの強制も、その意味で女性差別に他ならない。しかし私が気になるのは、ことさらブルカだけを、しかも日本や欧米に住む者たちが、安易に批判することができるのか、ということだ。
 化粧をしなければ仕事ができないのは、いったいどこの国のことだろう(化粧品は確実に体に悪い)。ハイヒールを履かないと仕事ができないのはどこの国のことだろう(履いてみれば分かります。ハイヒールは足が疲れます)。制服という合法的な制度を利用してスカートをはかせ、胸のあいた服を着せているのはどこの国のことだろう。脇毛を剃っていないと(他にも、高い声で話さないと、笑顔を見せないと、出しゃばらないでおとなしくしていないと、とか、いろいろある!)性的な商品価値が落ちてしまう文化が圧倒的に普及しているのはどこの国だろう。恋人に平気な顔をして美容整形をさせる者がいるのはどこの国のことだろう。文化による強制、社会の多くの人が「それが当たり前でしょ」と考えているためにそこに強制があるとさえ思われていない文化による強制、暗黙のうちに本人も逆らえないような雰囲気の中で行われる同意(という名の強制)、そういった強制が特定の性別の人に対してだけ強いられているのは、まさにここ、日本の、私たちの生きる社会のことだ。ブルカを強いるタリバンに比べて、日本や欧米が自由で女性の人権が尊重されているなんて、いったい誰がそんなに簡単に言えることなんだろうか。
 本当に残念なことだけれど、こういった女性差別は、ウーマンリブやフェミニズムの膨大な運動があったにもかかわらず今でも全然なくなっていない。日本で働く全労働者の平均賃金を比べたとき、男性のそれを100とした時に女性のそれは50でしかない(半額!)という事実、いまだにある女性を雇わない事業所(男子のみ募集は違法なのを知ってる?にもかかわらず、「男子のみ募集」の張り紙は街中にいっぱい!)、ドメスティックバイオレンスという形で振るわれる物理的な暴力の加害者のほとんどは男性であるという事実(今の社会では女性を殴ることは問題ではないと思われているからこそこうなる)、会社・通勤電車・研究室・教室・路上・家庭・集会会場・デモ・ライブ会場・芝居小屋・その他ありとあらゆる場所で性的な暴力が本当に蔓延しているという事実(例えば、女性として生活してきた人の中で、性的な暴力を全く受けてことのない人なんていったいどれだけいるのだろうか)、こういった問題は、日本の社会運動・市民運動・労働運動・左翼運動・そして反戦運動の中でも、全然重要な問題としては扱われてこなかった。
 こんな、日常生活の隅々に、そして運動現場の内部においてさえも、女性差別が蔓延する日本に住んでいて、日本の中の、自分たちの運動の中の、女性差別には何も言わないで、ことさら遠い国のタリバンのブルカのことを言い立てるのは、日本の中の、私たちの周りに蔓延する女性差別を隠蔽することにしかならない。
 あなたは、本当に、女性差別に反対なの?

西暦2001年12月9日発行

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