【資料】砂川さん(パレード実行委員会)宛の8/2付メールと、それへの返答

 「“みんな”で、“対等なかたち”で、パレードを!(その1)(その2)」のコメント欄での議論で、ひびのとパレード実行委員会とのやりとりのあり方が議論になりました。私の方から送ったメールと、それへの返答とを、資料として掲載します。
 なお、この記事へのコメントはできない設定にしてあります。「パレードの名称問題」についてのコメントは、「“みんな”で、“対等なかたち”で、パレードを!」のコメント欄でお願いします。
 砂川さんから頂いた返答についてのわたしのコメントは、また改めて。私の方でもこれまでに書いてきていることと同じく、いくつか意見が異なるところがありますが、対話が可能なお返事だと思いました。


From: ひびののメールアドレス
Subject: Re: 東京レズビアン&ゲイパレードの砂川です
Date: 2005年8月2日 18:05:11:JST
To: 【アドレス省略】

砂川秀樹さん
東京レズビアン&ゲイパレード2005さま
TOKYO Prideさま

こんにちは。
お忙しいところを、メールをありがとうございました。
こちらからのお返事が遅れてしまい、申し訳ありません。

先日は、東京の映画祭に伺ったところ、たまたまパレードの方が「ボランティアやりませんか~」と声をかけてくれました。
そのお声かけがとっても素晴らしいさわやかな笑顔だったものですから、こちらも思わず思っている言葉が気軽・率直に出てきました。その場でのやりとりは責任のある応対を頂きましたし、またその後ブースの方とも気持ちよく率直にお話ができました。さらに砂川さんから丁寧にメールまでいただき、本当にうれしく思います。

ところで、わたしがお聞きしたかったのは、なぜパレードの名称が「東京レズビアン&ゲイパレード」なのですか、ということでした。

既に様々なところで議論になっているのでご存じだとは思うのですが、せっかくの機会ですのでわたしの考えを少し書かせて頂きます。

【はじめに】
●わたしは、何らかの形で、ジェンダーやセクシュアリティーをテーマとしたパレードが開催されることは大切なことだと思いますし、またわたしもそれを望んでいます。わたしはパレードについていろいろな意見を公にしていますが、それはパレードができるだけ多くの人にとって、よりよいものになるようにという願いからです。
●他の例でいうと、例えば「戦争反対のパレード」の中にある同性関係嫌悪や男性中心主義についての批判を、「戦争反対のパレード」の内部でもわたしは行います。「レズビアン・ゲイ・パレード」に対するわたしの発言も、それと同様、(わたしの立場からみて)よりよいパレードをつくろうという意図からのものです。
●パレードのような公的な企画のことについては、誰にでも開かれた形で議論することが一番大切だとわたしは考えています。「みんな」の前でそれぞれが意見を言って話し合い、「みんな」が自分の頭でで少しずつ考えていくプロセスこそが、トップダウンではないパレードとコミュニティーをつくるためには大切だと思うからです。

【バイセクシュアルについて】
●「全ての教室や職場には同性愛者がいます」というのは、有名なもの言いです。それと全く同様に、歴史的にみても、現在も、将来も、「ゲイ」「レズビアン」と名の付くところの全てには、バイセクシュアルがいたし、またいると考えるべきです。
●パレードについても同様に考えます。「東京レズビアン&ゲイパレード」には、一番はじめから「バイセクシュアル」がいたと考えるべきですし、そのことは当時から明らかなことでした。
●したがって私の問いは、「バイセクシュアルを仲間に入れて欲しい」というお願いではありません。そうではなく、そこにいることが既に明確に分かっているにもかかわらず、「バイセクシュアル」を「レズビアン・ゲイ」とは異なる取り扱いをするのはなぜか、(分かっていたにもかかわらず、そうしてきたのはなぜか)ということです。
●異性愛社会の中で異性愛者以外の存在が不可視化(隠蔽や無視)され、「2級市民扱い」されているのと同様のからくりが、「レズビアン・ゲイのコミュニティー」の内部にもあるとわたしは考えています。「バイセクシュアル」は、「レズビアン・ゲイのコミュニティー(特にゲイのコミュニティー)」の中で、一貫してその存在が不可視化され、「2級市民扱い」されてきました。残念ながら「バイセクシュアル」に対する抑圧の存在に敏感なレズビアン・ゲイ(特にゲイ男性)は、決して多くありません。
●「レズビアン・ゲイのコミュニティー」から「バイセクシュアル」を切り離すこと、つまり例えば「バイセクシュアル」を排除して「レズビアン・ゲイのパレード」をつくることは、原理的に不可能だとわたしは思います。「ゲイ男性」の中には自身のことを「バイセクシュアル」だと認識する時期がある/あった人も一定数いるという事実からは、仮に「ゲイ男性」のみの利害を擁護する立場からみたとしても「バイセクシュアル」を排除することは適切ではないという結論が導かれるはずです。まずなにより、「バイセクシュアル」を排除することは、現実的な選択ではありません。
●「バイセクシュアル」は、「レズビアン」「ゲイ」といったアイデンティティーを獲得するための過程ではありません。「バイセクシュアル」の提示する問題は、「レズビアン・ゲイ」の提示する問題の部分集合ではありません。「バイセクシュアル」の提示する課題は、「レズビアン・ゲイ」と重なる部分もありますし、重ならない部分もあります。その意味で、「バイセクシュアル」と「レズビアン・ゲイ」とは、異なる利害関係を持っており、常に対等に扱われる必要がある、とわたしは考えます。「バイセクシュアル」の人が、「レズビアン」「ゲイ」のアイデンティティーを引き受けるように促されることは、本人にとって抑圧になります。
●「バイセクシュアル」を対等に扱うということは、例えばパレードが「レズビアン・ゲイのパレード」ではなくなるということです。もし本当は「レズビアン・ゲイのパレード」をしたいのであれば、どのような批判を受けようとも「レズビアン・ゲイ・パレード」という名称(と目的)は維持すべきでしょう。そうではなく様々なセクシュアリティーの人のパレードにするのであれば、「レズビアン・ゲイ」を中心とした発想や運営自体を放棄することを公式に確認する必要があると思います。「レズビアン」「ゲイ」は、「バイセクシュアル」と同様の敬意をもって扱われる、たくさんある少数派の中の1つでしかないことを、肯定的に確認するべきだと思います。名前だけ変えて実態は変わらないのでは、あまり意味はありません。(事項の「インターセックス」についてのところでも同様のことを説明します)

【「バイセクシュアル」以外のマイノリティー】
●わたしは、「バイセクシュアル」だけではなく、少なくとも「トランスジェンダー」「Aセクシュアル」「カテゴリーしない、またはクエスチョニング」という存在もまた、「レズビアン・ゲイ」と対等な形で明示的に扱うべきだと考えています。
●なぜなら実際に参加者に、そういったアイデンティティーを持つ人がいることが明らかであり、かつそれらを排除もしくは2級市民扱いすべきではないと考えるからです。わたしは、1昨年にAセクシュアルの人とご一緒させて頂いたパネルの場で、実際に東京のパレードの実行委員会(もしくはボランティアだったかも)として参加していたAセクシュアルの方とお話をし、「やっぱり、もしパレードの名前に『Aセクシュアル』が入っているとうれしい」という趣旨のご意見をお聞きできました。
●インターセックスについては、LGBTAQとは置かれている状況が違う側面も大きく、単に名前を列記すればいいというものでもないと思います。もし可能でかつ関心があれば、まず当事者の方と丁寧なお話をすることが大切だと思います。(「BTAQ」もしくは正確には「LBTAQ」についても、単に名前を列記すればいい訳ではなく、以下のサイトに書かれているような趣旨の問題—独自の課題に対しての取り組みを実際に行うことの必要性—がありますが、ここではこれ以上触れません)

参考:「LGBT」に「I」を付けくわえること:インターセックスは LGBT 運動の一員なのか?
http://www.intersexinitiative.org/japan/lgbti.html

【実際に名前をどうするか】
●以上のようなことから、わたしは「レズビアン・ゲイ・パレード」という趣旨のネーミングは、望ましくないと考えています。簡潔に2点にまとめると、以下のようになります。

(1)「レズビアン・ゲイ・パレード」という趣旨のネーミングは、様々なセクシュアリティーの人が参加しているという現実にそぐわない。
(2)「レズビアン・ゲイ・パレード」という趣旨のネーミングは、性的少数者のなかで「レズビアン・ゲイ」が比較的力を持っている現在の社会的事実を反映しているが、こういった現実は依拠すべきものではなく、むしろ逆に働きかけて変えていくべき対象だ。「レズビアン・ゲイ・パレード」という趣旨のネーミングは、目指すべき方向とは異なっており、不適切だ。

●ではどういう名前がいいのかということについては、「レインボー」「虹」「セクシュアルマイノリティー」「クイア/Queer」「プライド/Pride」「LGBT」など様々な試みがありますが、それぞれ一長一短なので、わたしとしては何とも言えません。それぞれの現場で、開かれた形で相談するしかないと思います。
●対外的には通りのいい「レズビアン・ゲイ」を採用する、という選択も、あり得ないことではないとも思います。ただその場合には、主催者内部で「レズビアン・ゲイのコミュニティーの内部にバイセクシュアル差別があること、それは改めるべき事であること、同性愛者を中心としないように努力すべき事」等について公式に確認し、主催者側がパレード参加者に対してそのことを積極的に伝え、同性愛者を中心としない運営を実際に行っていくことが一層求められるとは思います。(例えば以前「ILGA(国際レズビアン・ゲイ連盟)」のスタッフに「なぜ名称がLGなの?」と聞いたところ、「これは改めるべき事で、将来には改められるであろう」とちゃんと答えていました)

 わたしは、こんな風に考えています。
 比較的はっきりと書かせて頂いたので、もしかすると、砂川さんや、他のスタッフの皆さんとはずいぶんと意見が違うかもしれません。
 ただ実は、わたしは、砂川さんが以前書かれた文章

「東京レズビアン&ゲイ・パレード2000」の名称について(2000年4月14日付)

を読ませて頂いていて、仮に意見が違っていたとしても、対話を行っていくことは可能なのではないか、という印象も勝手に持っています。また、今年のパレードの冊子も拝見しましたところ、P.12のメッセージのページでも「バイ」の声を掲載して頂くなど、「みんな」のパレードのために努力されているという印象をわたしは持つことができました(ただし、男性ばかりという印象もありはしますが)。もちろんどのような企画であろうと、必ず不十分な点があるものですが、不十分な点があったとしても、よりよい方向に向けて努力しようとしておられる実行委員会の方々には、希望を感じます。実際に東京の映画祭の場で直接対面した方々とのやりとりでも、排他的な感じはなく、むしろいい感じでパレードが創られようとしているなぁという印象も受けました。
 実際「レズビアン・ゲイ」のネーミングの問題は、いろいろなところで議論になることなので、丁寧な対話をたくさん積み重ねていく以外に方法はないとわたしも思っています。「パレードの名称問題」として、企画化したりして、開かれた形での話し合いの場所などをつくるのもまた、いいかもしれません。わたしも、できる範囲で努力し、また可能なことであれば協力させて頂ければと思っています。
 ある時点に於いての選択が異なっていたり、厳しく対立したりするのは、残念ですがどうしようもないことです。しかしそういった中でも、お互いが意見を隠すのではなく、公の場で声を挙げ続けることがまず必要でしょう。そして、迷いながらも時間をかけて意見交換をし、ゆっくり直接対話し続けていくことが、大切だとも思います。

 東京のパレードももうすぐで、準備が大変なところと思います。これまでに書いたとおり、わたし宛のお返事は時間をかけて率直に話し合っていくことが大切だという側面もあると思いますので、当面のパレード準備の方を優先して頂いても構いません。急いで結論を出してしまうより、疑問や異論を、素直かつ直接的にお互い出しあって行くこともまた、大切だと思うからです。
 今後とも、よろしくお願いいたします。
 また、今年のパレードの成功を、心よりお祈り申し上げます。

ひびの まこと
 http://barairo.net/
 ひびののメールアドレス

【参考サイト】

●特集「バイセクシュアル」
http://barairo.net/special/bi/index.html

●トランスジェンダーを含まない「性的少数者雇用差別禁止法案」は撤回せよ
http://macska.org/index.php?p=36
LGBTの運動がゲイやレズビアンの権利に比べてトランスジェンダーの権利を下に置いている傾向があるという問題があるけれど、それについて過去に間違いをおかしたゲイの指導者がそれを反省した上で、どこが間違っていたのかを書いた文章です。

●「LGBT」に「I」を付けくわえること:インターセックスは LGBT 運動の一員なのか?
http://www.intersexinitiative.org/japan/lgbti.html

●問うべきは私たち1人1人の「生き方のスタイル」。
「同性愛者」を中心としないクイア運動を目指そう!
http://www.jimmin.com/2003b/page_009.htm
わたしの意見がコンパクトにまとまっています。

**このメールは、それが全文そのままの引用である限り、どなたに対しても公開や転送して頂いて構いません。

以下署名
☆━━━━━━━━━━━━━━━━……‥‥・・・ ・ ・
 ひびの まこと ひびののメールアドレス http://barairo.net/
…………………………………………………………………………
●関西クイア映画祭は1200人のご来場で大成功!
http://www.kansai-qff.org/

 


 
 

  From: 【アドレス省略】
  Subject: 砂川です
  Date:  2005年8月25日 12:30:38:JST
  To:   ひびののメールアドレス

パレード前にメールをいただいたにもかかわらず、準備等でバタバタしていたこともあり、回答が遅くなってすみません。
さて、いただいた質問の件ですが、TOKYO Prideの理事会の合意点と、僕自身の考えをお送りしたいと思います。

まず、TOKYO Prideの理事会では、パレードの名称については以下の点で合意しています。

・まず、今年は、3年ぶりの開催ということで、2000年~2002年のパレードの継続であることをはっきりさせるためにも同じ名称を用いる。
・現在の社会状況において、非可視化されがちなゲイ、レズビアンという存在をアピールしていくために、その名を入れる。
・また、現時点では、最も人的・経済的資源を投入できるゲイの参加動機を高めるためにもその名を冠したほうがいい。
・それ以上のセクシュアルマイノリティの名前を羅列するのは、メディアを通してアピールしていくうえで難しい。
・しかし、この名称は今後このまま固定するということではなく、検討しつつ、適切な時期に多くの人が賛同できる適切な名前があれば変更する。

そして、以下は、上記の内容を含みつつ、さらに僕(砂川)の個人的な省察を伴った返事です。

私は、パレードの運営者であり、研究者でもあるという立場から、2000年に東京で復活したパレードが「レズビアン&ゲイ」という名前を冠し、<現時点で>、その名前を踏襲し続けている理由を以下のように考えています。

まず、私自身の動機としては、読んでくださった2000年の文章の通りです。最初に私がパレードをスタートさせるには、私自身が自分のものと考えることができ、最も私にとって近しい(と誤解を含みつつも感じている)、他のセクシュアルマイノリティカテゴリーであるレズビアンという名前しか負えないという思いがあったからです(もちろん、「負う」という表現にはパターナリズムが潜んでいることはわかっていますし、レズビアンをも「負う」ということには問題があります。しかし、開き直るわけでありませんが、何かをスタートさせるには、常に少なからず問題が含まれているものと考えています。完璧な状態から始めようとすると、運動は始まりません<そういう運動なら始める必要はないという意見もあるかもしれませんが、私はそのような意見には与しません。それは結局何も生み出さないからです)。

当時は、私はそのように個人の思いとしてしか語れませんでした。しかし、今は、もう少しメタ的な立場から分析しています。それは、現在、日本でこの活動を主体的に担えられる集団が圧倒的にゲイであり、そして、実際には東京パレードの運営への参加は少ないものの、同様に担える集団的主体性を持っているのがレズビアンであるということです。そして、その<現状が>、東京のパレードにこのような名前を選択させる力となっている、というのが、自分の動機をも分析の対象とした結果の認識です。

単に、セクソロジーという学問分野の流通によって「同性愛者が誕生した」というレベルではなく、現在、ゲイやレズビアンが、まさにゲイやレズビアンとしての主体化を深化・拡大しつつあるのはひびのさんも意識されていると思います(学問分野では、そのような主体化に対して批判があり、言説的実践として解体されながらも、非学問的な言説空間では、逆の現象が起こっているように思います)。

運動というものは、主体性の強い存在が一定の数存在しなければ成立しません。そのような意味で、<現時点では>、ゲイやレズビアンがパレードはもちろんのこと、日本の(特に東京では)「性的少数者」に関係する活動や運動の最大の動因となっているのは間違いありません。

さて、ここでまで書いてきたことは、ゲイとレズビアンが、<現在の日本では(特に東京では)>、パレード運営の(圧倒的に)主要な担い手である、という話で、それが、名前の選択する際の力学を形成しているという話です。しかし、当然、だからといって、それが、即、「だから名前はレズビアン&ゲイに」に直結しないのはわかっています。そのような力学に抵抗し、違う名前を選択することは可能だからです。

しかし、私は、ここで、パレードの運営者として、「パレードの成功」について考えてしまいます。さまざまなアイデンティティを持っている人を包括できる名前で開催できればと思う気持ちは私にもあります。しかし、かといって、私は、ある程度の規模でパレードを実施すること、それにより、社会に対してインパクトを持つことの重要性も強く認識しています。そう考えると、やはり、パレードの主要な担い手を、人的・経済的資源として動員するためにはレズビアン&ゲイ(あるいはゲイ&レズビアン)」という名前を冠することが必要だと思うのです。特にまだパレードが定着したとは言えない現状では、そうやって、流れに棹をさすことが重要だと考えます。

また、最も重要な点として、日本ではこの種のパレード/マーチについての認識が低い以上、わかりやすい名前で可視化していく必要があるということです。その両方を考えあわせると、現段階では、やはり、この名前を選択するしかないだろうという判断です。もちろん、これが、ある種の強者の論理であることも認識しています。ですから、この名前に問題がないとは考えていませんし、常に議論を続けていく必要があるだろうと考えています。

現在、パレードには、他の「セクシュアルマイノリティ」に関心を持たなかったというゲイがたくさんボランティアスタッフとして来ます。そのボランティアスタッフに対して、他の「セクシュアルマイノリティ」についての話をする機会を持っています。パレードは、そういうことについて考える良いきっかけになっていると思います。そのようにして、他の「セクシュアルマイノリティ」への理解が広がる中で、現在この運動の中心的担い手となっているゲイからも、「名前を考え直そう」という考えが出てくることがあるかもしれません。

また、他の「セクシュアルマイノリティ」の人たちの運動がより活発になり、様々な運動の担い手となっていく中で、一緒に新しい名前のパレードを検討しましょう、ということになることも今後あるかもしれません。そのような双方の変化が生まれてくれば、必然的に名前は変更されることになるはずです。

「東京レズビアン&ゲイパレード」はまだまだ途上です。時間はかかりますが、見守っていただければと思います。

砂川秀樹
TOKYO Pride代表