27 thoughts on ““みんな”で、“対等なかたち”で、パレードを!(その5)”

  1. 皆さま
    いろいろなコメントをありがとうございます。
    議論が盛り上がってきており、やはりこのテーマを「タブー」にするのではなく、表で議論できていることを嬉しく思います。
    ところで、コメントでのやりとりがずいぶんと長くなってきています。
    書き込みをされる方は、はじめの方から順に、ある程度読んだ上で書き込みを頂けると嬉しいです。

    以前トラックバックを頂きました「玉野シンジケート」さんのブログでは、例えば

    『バディ』が、男の裸だけしかなくて、女の裸をのっけてないのは排他的だ!とかいわれると、さすがにびっくりするよねえ。

    など、「バイセクシュアル」の主張に対しての全くの無知から来るような書き込みもありびっくりするのですが、こちらもおってまとめて批判していく予定です。お楽しみに:grin:

  2.  前のページでは返答ありがとうございます。幾つか反論したいところもあるのですが、別のところで気になった点がありましたので先にそちらを指摘させていただきます。いわゆる横レスの形で失礼しますが、日比野さんの前ページの投稿(その4の12番)について。

     あの日比野さんの回答では、M-タクさんが問われている件、「ひびのさんが主体となっての「性的少数者」のパレードを開くために何か具体的な行動はおこされていますか?」に対する回答になっていませんよ。

     日比野さんの回答、

     >わたしは(略)東京の「レズビアン&ゲイ・パレード」の問題点を指摘したり、実際に実行委員会に意見を届けたりしています。

     それは単に『日比野さん主体のクレーム行為』の説明にすぎず、質問されているような『日比野さん主体のパレード』についての具体的な意思表明でも説明でもありません…。
     
    更に以下、

     >わたしのサイトで様々に意見交換をしたりもしています。
     >一部のゲイにある鈍感な考えを改めてもらい、コミュニティーの意見分布を変えるために行動するという方法で

     つまり意見表明を行いそれに対する反対意見と戦ったりはするけれど、現時点では「口で主張するだけ」である、ということですね。
     そしてそういう話だけなら、このブログを読んでいれば誰にだって分ることです。

     M-タクさんの質問は、要約すれば「いわゆる日比野カラーのパレード」の構想や「関西包括クィアパレード(例えば日比野プロデュース方式)」をやる主体的な意思や、具体プランがあるのかどうか、具体的な準備アクションを起こしているのか?を問うているものです。それに対して、「私はこのブログ等の議論でがんばっております」などという返答は、それが意図的な韜晦でないとするのであれば、単なる的外れです。
    不思議なのですが、こうした回答に、なぜあれだけの自己欺瞞めいた文章量が必要なのでしょうか。「私は具体的には行動していません。」の16文字で用は足りるはずです。
     あるいは、改めて私のようにはっきりと質問した場合、日比野さんの回答は違ってくるのでしょうか?

    …今の日比野さんは少しお疲れなのではありませんか?
    質問者の投稿の主旨を読解できず、議論の応答っぷりも混乱している現在の日比野さんのような状態で、今後建設的な議論が出来るか非常に心もとないのですが…。厳しい意見のようですが、せめて質疑応答を成立させる程度のレベルの維持はお願いしたいものです。もしお疲れなら、無理をせず休息を十分摂って下さい。

  3. masatomoさん、さっそくありがとうございます。
     これまでに何度も書いていますが、パレードの実行委員会だけがパレードの実現に貢献しているのではありません。様々な形で人々が関与し、パレードが成立しています。そういった意味で、パレード実行委員会に質問をしたり、こうやって議論する事自体が、パレードを創っていくための「具体的で主体的な」作業です。ですので、わたしのことを「口で主張するだけ」というような言い方で、実際になにもしていないかのように言い表すのは、そのこと自体が間違った認識に基づいていると言えます。
     このあたりのことは【(その3)コメント5】で既に詳しく説明しました。以下、再掲。

     吹奏楽部の例でも、(例2)の伊藤さんも、そしてわたしの意見も、いずれも実は、ある場所における差別をなくして、場をよりよいものにしていくための行動です。そういう「場に対する異議申し立て」をすることは、その場やグループを「誰にとっても平等で居心地のいい場所」にするための、とても建設的で、かつ誰かがしなくてはいけない必要不可欠な仕事なのです。その場やグループの問題点をわざわざ言葉にするのはとても大変な作業ですし、それをわざわざみんなの前で言ったりするということは、多大な労力です。そういった形で場の形成に積極的・具体的に貢献している人達に対して、「文句ばかり言っている」「自分では何もしない」というような否定的なレッテルを貼ること自体が既に、多数派側、権力者側からの、事実に反する一方的なものの見方なのです。

     それから、

    「いわゆる日比野カラーのパレード」の構想や「関西包括クィアパレード(例えば日比野プロデュース方式)」をやる主体的な意思や、具体プランがあるのかどうか、具体的な準備アクションを起こしているのか?を問うているものです。

     とのことですが、パレードは「ひびののもの」ではありません。というか、「ひびのカラーのひびの趣味のパレード」があっても別に構わないでしょうが、それは、さまざまな人達で協力しあいながらコミュニティーのお祭りとして一緒に創るようなパレードとは別のものでしょう。一連の流れの中で議論になっているのは後者のような、「コミュニティーのお祭り」としてのパレードですので、それはわたしだけで実現できるものではありません。仮にわたしがそういうパレードの主催側にいたとしても、わたしは、たくさんの主催者の中の1人でしかありません。「日比野プロデュース方式」といわれますが、そもそもそういう発想自体が、特定個人が私物化する形での企画の作り方を前提にしているようですので、そもそも場や企画の作り方としてそれは違う、としか言いようがないです。
     関西でのパレードは、本当にそれを望む人が多くなれば実現するでしょう。そういう状況を創るための努力はいろいろとしていますが、別に私だけの努力でそれは可能ではないし、また可能であってはいけません。
     と、はじめからこう書いたらよかったかしらん?

  4. ひびのさん、回答ありがとうございます。

    「ひびのさんが主体となってのパレード」というのは、言葉を借りれば「ひびのさんが主催者側のひとりとなっているパレード」のつもりで書きました。それに対して具体的に行動をおこしているかということについては、「いいえ」ということで解釈して良いですか。

    それと、行動をおこしていないならそれはなぜですか、という問いについて。

    自分が理想とするパレードを自らの手で立ち上げるという方法もある。それはそれとして、ひとつの形にはなるかもしれない。けれども、それをしてみたところで東京のパレードの問題(ひびのさんが問題にしていること)が現実に消え去るわけではないので、新しいパレードをつくるというのはその解決にはならないし、ちょっと的外れな意見だと思う。

    ということなのかなあ、と思ってそれを確認するために質問してみたのですが、いかがでしょうか。

    最後になりましたが、masatomoさん、僕の代わりにいろいろと発言してくださいましてありがとうございました。

  5. はじめまして。バイのものです。
    ひびのさんの主張を読んで、これまで自分が抱えてきた生きづらさの理由が分かった気がします。ゲイバーとか行っても、なんか居心地がわるいのはどうしてだろう、女の子と付き合ってたことを話すと皮肉を言われるのはなぜだろう、そんなことをよく考えていました。バイはゲイにさえ差別されてるんですね。哀しいです。でも、僕には何をすることもできません。
    ひびのさん、頑張ってください。

  6. taroさん

     わたしもはじめは、「なんで話が通じないんだろう?」と素朴に思っていました。
     「バイ」という名乗りを使う人も使わない人もいますが、1つの性別の人だけを好きになる訳ではない人達と知り合い、いろいろと話をしていく中で、自分と同じような経験をしている人はたくさんいるんだということをわたしも知りました。
     確かに異性愛社会の中でひどい扱いを受けるのもいやでしたが、それ以上にゲイ/レズビアンのコミュニティーでも、また同じ事が繰り返されるということに、悲しい思いをしてきました。
     しかし、世界に目を転じれば、状況は確実によくなりつつあります。どこのプライドマーチも、「レズビアン&ゲイ」からもっと包括的な名前に変化していますし、最低限LGBTの枠組みでものを考えるということは、良心的な活動家の間では「常識」になりつつあります。
     また、いろいろめげずに出かけていく中で、ちゃんと話をできるゲイに人にも巡り会えると思います。また、話のできるバイの友人をたくさん見つければ、鈍感なゲイの発言を聞かされても、そんなにめげなくて済むようになるかもしれません。
     まず、自分の人生をがんばって生きて、いろんな人に会って話をしてみてください!

  7. 青山直樹さん 【(その4)コメント11】へのレス

     こんにちは。コメントありがとうございます。
     既に何回も書いていますが、青山さんがバイセクシュアルを代表することができないのと同じように、わたしもバイセクシュアルを代表する訳ではありません。
     バイセクシュアルにも、様々な意見を持つ人がいると思います。また、バイセクシュアルの当事者だからといって、必ずしも筋の通ったことを言うとは限りませんので、その議論の内容を逐次検討することが、大切だと思います。
     ということで、以下は青山さんのコメントを少し再構成した形でのレスです。

    言葉の定義上、男性のバイはゲイという言葉に、女性のバイはレズという言葉に、広義では集約されていると思います。それは、男という言葉に、ヘテロとゲイが含まれる場合があるのと同様に、です。

    ゲイという言葉は、決して100%、男だけしか愛さない男、を意味するのではなく、50%男、50%女を愛する男も、!00%男、100%女を愛する男も、10%男、90%女を愛する男も、全て意味として含まれていると思います。

     ゲイという言葉が「100%、男だけしか愛さない男」だけを意味するのではないということ、全く賛成です。「ゲイ」という言葉は、その文脈によって、「100%、男だけしか愛さない男」を指して使われることもありますが、そうではなく例えば「10%男、90%女を愛する男」という人など、いわゆる「バイセクシュアル」を含んで使われる場合もあると思います。そう、どちらの場合もある。
     ただ、「10%男、90%女を愛する男」である人(パーセントは動くとしても)が、自分のことをゲイと認識するか、「ゲイではない」と認識するかは、本人が決めることです。「10%男、90%女を愛する男」である人はゲイとしての認識を持つべきだ、自身のことをゲイだと言うべきだ、と考えるのは間違っていますよね。
     青山さんの場合は、ご自身のことを「ゲイ」に含めて考えることに違和感はお持ちでないようです。そういったあり方は、尊重されるべきだと思います。しかし同時に、パーセントは動くにしても「10%男、90%女を愛する男」という人の中には、自分のことを「ゲイではない」「ゲイという括りでくくられるのは嫌だ」という人もいますよね。そして「レズビアン&ゲイ・パレード」という名称は、そういう人を疎外することになってしまいます。ですから、

    バイが阻害されているという感情は、日比野さんの個人的な受け取り方の問題になってしまわないでしょうか。レインボーパレードにしてもよいけれど、別にいまのままでよい、ということになると思います。

     ご自身のことを「ゲイ」でくくることに違和感のない青山さんのような人にとっては、「レインボーパレードにしてもよいけれど、別にいまのままでよい」ということになるのでしょう。しかし、自身のことを「ゲイではない」「ゲイでくくられるのには違和感がある」と考える人にとっては、「レズビアン&ゲイ・パレード」ではダメなのですよ。これは、決してわたしの個人的な受け取り方の問題を話しているのではありません。青山さんのようなあり方の人も尊重されると同時に、青山さんとは異なる感じ方をする人も同じように尊重されるためにはどうしたらいいのかを、考えてみてください。
     わたしは、様々なアイデンティティーを持つ人が、できるだけ対等に気持ちよく参加できる方がいいと思っています。だから、「レズビアン&ゲイ・パレード」ではまずい、と思っています。

    そこで、あえて別にゲイパレードを行うのは、ゲイ・レズというアイデンティファイを行いたい人々がいて、PRをしたいからです。他の批判ではなく、他を認めつつ、自分の主張を行う大人の態度です。もちろん、ゲイ内部にも批判の声はあります。しかし、いやな人は参加しなければよいし、その人たちだけで、別なパレードだってひらけます。

     もしパレードが、「ゲイ・レズというアイデンティファイを行いたい人々のパレード」であって、そういう人達だけに対して参加を呼びかけ、実際にそうなっているのであれば、青山さんのお話も一定の説得力はあります。つまりその場合、「ゲイ・レズというアイデンティファイをしない人」には全く関係のないパレードだからです。
     しかし実際には、パレードは「ゲイ・レズというアイデンティファイを行いたい人々のパレード」ではありません。今年のパレードのタイトルは「”みんな”でパレード!」でしたし、実際に「ゲイ・レズというアイデンティファイを行いたい人々」ではない人もたくさん参加していました。
     というのも、現実的な問題として「ゲイ・レズというアイデンティファイを行いたい人々」だけで集まることは不可能、もしくはそれではあまりに意味がないからです。
     同性とのセックスや親密な関係を持っている人の中には、「ゲイ」とか「レズビアン」というアイデンティティーを持つ人もいますし、持たない人もいます。「ゲイ」と名の付くどこのコミュニティーにいっても、そこには「ゲイ」というアイデンティティーを持たない人、ゲイではない人達がいます。そういった人達に対して「ゲイというアイデンティティーを持て」と強いるのは間違っています。そしてまた「ゲイというアイデンティティーを持っていないから」という理由で何らかの不利益を与えるのも、間違っていますよね。
     いま日本でパレードをするという時、「ゲイ」というアイデンティティーを持たない人達を切り捨てて、「ゲイ・レズというアイデンティファイを行いたい人々のパレード」をすることになんの意味があるのでしょう。既にコミュニティーに一緒にいる仲間の間に、全く不必要な分断を持ち込むことは、百害あって一理なし、だとわたしは思います。
     そうではなく、「ゲイ」「レズビアン」というアイデンティティーを持っている人も、持っていない人も、どちらもが対等に気持ちよく集まれるパレードを作った方が、ステキだと思いませんか?バーやサークルで会う人みんなで、一緒に気持ちよく歩けた方が楽しいと思いませんか?

    毎回ゲイ&レズビアンパレードに参加していますが、特段差別された、という意識もないですし、

    だって、わたし何も差別されてると感じてませんもん。多少あったとしても、ゲイの方と共有、あるいは包括していただける問題ですし、

     青山さんが個人としてそのように感じておられるということはわかりました。
     しかし、それはあくまで青山さんの個人のご意見です。
     ゲイの例でいっても、「特に自分は差別されているとは思わない」というゲイの方もたくさんおられることはご存じかと思います。そう感じる方がいるということは、私も別に否定しません。
     しかし、何らかの形で「バイセクシュアル」がゲイやレズビアンに差別されていると言っている人は、これまたたくさんいます。パレードの冊子の中にさえ、千葉市の「MAK-まこっち」さんが「先につながるパレードを参加者全員で作りたいです!バイセクシャルがゲイの世界で差別されないようにしたいな…。」と書いておられます(P.13)。実際にゲイコミュニティーの中で「バイセクシュアル」は差別されていると感じている人がいるという事実を、認めて頂けませんか?そして、青山さんとは異なる感じ方をしている人達のことも、尊重して頂けませんか?

    (なお、「レズ」という言葉をこの文脈で何の注釈もなく使うところや、女性専用車両への言及の仕方などから、青山さんはいまの社会で女性たちが置かれる状況にあまり関心がなく、また男性が持っている特権に敏感ではないという印象がぬぐえませんが、とりあえずここでは話が拡散してしまいそうですので、おいておきます。)

  8. M-タクさん

     なるほど、そういう趣旨のご質問だったんですね。

    ●例えばここ1年の間に、パレードのための会議を呼びかけるようなことはしていません。そういう意味では「いいえ」です。
     ただ実は、パレードという形ではありませんが、LGBTAQでオープンな企画は京都でも時々開かれています。去年6月に開催された「京都プライドパーティー」は、大盛況でした。また今年は「関西クイア映画祭」も開催できました。
     対社会的な意味も併せ持った、LGBTAQな当事者が集まる、誰にでも開かれた集まりは、別にパレードだけではない訳で、「パレードのために何かをしているかどうか」だけを聞かれても、どうも答えづらいものがありました。
    ●理由ですが、だいたい書かれているような感じです。上にも書きましたが、今はパレードという形での組織化ではなく、それ以外の形での組織化を試みているから、と答えることができるかもしれません。
    ●実は京都には既に「レインボーパレード」があるんですよね。ある人と話していて、それを大きくしていくようなアプローチでもいいんじゃない?と言っている人もいました。うん、確かにそういう手もありますね。

  9. 日比野さん。TOKYO Prideから返事きたじゃないですか。
    http://barairo.net/works/index.php?p=53
    >まず、今年は、3年ぶりの開催ということで、2000年~2002年のパレードの継続であることをはっきりさせるためにも同じ名称を用いる。
    現在の社会状況において、非可視化されがちなゲイ、レズビアンという存在をアピールしていくために、その名を入れる。
    また、現時点では、最も人的・経済的資源を投入できるゲイの参加動機を高めるためにもその名を冠したほうがいい。
    それ以上のセクシュアルマイノリティの名前を羅列するのは、メディアを通してアピールしていくうえで難しい。
    しかし、この名称は今後このまま固定するということではなく、検討しつつ、適切な時期に多くの人が賛同できる適切な名前があれば変更する。<

    あなたはもしかしたらこのTOKYO Prideの返事に同意できないかもしれない、またはこの内容は「間違っている」と判断するかもしれない。でも、前に言いましたが、決めるのは主催団体であるTOKYO Prideです。さらにあなたの意見を伝えることはもちろんできますが、ここまではっきりとした見解が出された以上、次の段階へと進む方が、建設的ではないでしょうか。
    NOVさんへのトラックバックで、「NOVさんは、個人とグループ、個人とパレードを分けて考えていないから混乱している」と題して書かれてますが、これにはmasatomoさんがとても分かりやすく反論されているので、それをお読みいただくとして。
    http://barairo.net/works/index.php?p=55
    ひとつだけ、私が付け加えるなら、あなたが掲げる「個人とグループ」という単純な2項対立は、実はありえないということです。グループだって個人個人のメンバーから成り立っているし、そのグループの特色や目的、歴史があります。イベントだって、場を成立させるための主催団体が必要です。
    個人がゲイプライドを表明するのと同じように、「まずはゲイ&レズビアンを中心に集まってやっていきたい」という人たちがグループや団体を立ち上げることに、誰も文句を言える筋合いはありません。「そういうやり方は間違っている」と意見を伝えることはできても、団体設立の自由は誰にでもありますから。もちろんここで開かれた団体である必要はあるでしょう。そして、そこに「私も一緒にやりたい」と参加表明することもできます。そうやって、もっと大きなたとえば「セクシャルマイノリティー全体の利益」を実現する団体に衣替えするかもしれません。でもそれを決めるのは、その団体であり、またその団体の成員です。
    「バレードは参加者もその主体」だというのは、ある意味そうですが、でもやっぱり厳然として、実行主体は別に存在しています。で、このパレードの名称の問題もやっぱり最後に決めるのはTOKYO Prideなのです。

    いろいろなバイセクシャルの人が、このブログに声を上げてきているのだから、あなたが中心となって、「バイセクシャルプライド」の団体なりネットワークなりを立ち上げて、来年のパレードに大挙して参加されてはいかがですか。
    または、みんなに歓迎される名称を具体的に提案されてはいかがですか。せっかく
    >そういった意味で、パレード実行委員会に質問をしたり、こうやって議論する事自体が、パレードを創っていくための「具体的で主体的な」作業です。<
    と、おっしゃるのなら。

    いま海外にいる自分が言うのも変ですが、今必要なのは具体的な一歩一歩の行動を積み上げていき、来年もまた再来年もパレードを成功させていくことなのではないでしょうか。1996年以降1999年まで、また2003年2004年とパレードは開催されませんでした。なぜでしょう。ぜひ考えていただきたいのです。3500人も集まって盛大に開かれた今年のパレードだって、薄氷を踏む思いで、やっとあそこまでこぎつけたことを。形あるものにあとからいろいろ言うのは簡単です。でもゼロから作り上げていくのはものすごいエネルギーが必要です。
    今回の議論で私自身驚いたのは、パレードにかなりの数のノンゲイの人が参加され、また名称に対しての疑問点をブログなりで表明していたことです。これは将来にわたってもしかしたら早い段階で名称の変更も起こりうるかもしれません。でも、同時にとっても残念だったのは、その人々がおしなべて「お客さん」の立場を一歩も出ていないことです。「レズビアン&ゲイじゃねえ」、というのならどうして準備の段階からもっと「主体的に」声を上げていかなかったんでしょう。または、どうして昨年、一昨年中止になってしまったときにこのような話が出てこなかったんでしょう。今年成功したからこそ、出てきた話じゃないですか? それぞれのノンゲイの方のお話をうかがっていて「それって、後出しじゃんけんじゃん」との思いを強くしました。

    TOKYO Prideが、何か巨大な整備された組織のように認識されているようですが、実は目に見える範囲の少人数でやっているものなのです。東京のコニュニティーについての日比野さんとわたしの認識の違いは、もうすでに何回ものこのやり取りの中で、明らかだとは思います。私はまだ存在していない、さまざまなセクシャリティーの人、グループその他具体的なつながりができてくれば、この問題も案外早く解決すると思います。そのためには、「具体的なつながり」ができなければならず、日比野さん初めその他ノンゲイの皆さんに期待するのは、「具体的な何か」を作り上げて持ち寄ってほしいということだけです。日比野さんもご指摘のとおりTOKYO Prideはけっして閉じた団体じゃありません。でも、ゲイの私にはバイセクシャルの日比野さんの個別具体的な利害を代行することはできないように、パレードがどういったらみんなが参加できる盛況な形で継続できるかは、形になったものを持ち寄るしかないのです。

  10. ご返答ありがとうございます。日比野さんのご意見の一端は、とてもよくわかります。その部分には論理的整合性もあり
    ます。しかし、ここからは論理ではなく、わたしの経験からの言葉になります。

    1.世の中の多くの物事は、論理的整合性とは無関係になりたっている。
    2.そしてそれは、人と人の繋がりと、信頼関係によって保たれている。

    日比野さんは、単に議論や話し合いの枠を超えて、無条件にパレードに参加し、協力し、貢献し、
    そしてそのことによって、親密な人間関係を築き、日比野さん自身の話を真剣に聴いてもらえる友人を
    パレード関係者等との間に築き上げていらっしゃるでしょうか。

    わたしの多くの友人は、このパレードのために具体的に求められる仕事をし、貢献し、内部での発言権
    を交友関係によって築き上げてきています。そして、このパレードがよりよいものへと進化し、成立して
    きています。

    求められる仕事をすること、それが、大切だと思います。ここでわたしが申しているのは、少数の人間により
    求める仕事や、日比野さんが社会的必要性を感じて行う仕事ではありません。多くのパレード主体側より
    求められる仕事、であり、具体的には、ご自身の考えを一度捨てられることにも繋がる仕事、です。

    わたしが言いたいのは、論理、ではない、ということです。言葉は元来、心を代弁する道具としては不完全ですし、
    言語特有の関係依存や文脈依存によって生じる誤解もあります。どんなに完璧に思える論理も、言語の性質上、必ず
    破綻している部分があります。

    パレードを、0から立ち上げて、今日のものまでにした人々に敬意を払い、ともに汗を流し、日比野さんご自身
    を彼らに受け入れてもらうことのほうが大切ではないでしょうか。そこから、真の議論ははじまるのだと思います。

    どんな社会でも、コミュニティでも、改善するべき部分はあります。外部からの声が、正当性を有している場合も
    あります。しかし、あなたから言われたくない、と言われてしまう場合もあります。それは、その人が語る内容
    に問題があるのではなく、言うべき必然性と、人間関係が十分に培われていないからです。

    パレード内部に、多くの知人、友人を持つわたしは、そのように感じます。正論、だと思われる内容をふりかざした
    主張ではなく、異論の相手に腹をわって、議論など関係なく、惜しみのない協力をしてみることが大切です。

    わたしの行うビジネスは、こうした努力によって、今も世界に広がっています。

  11. いろんな意見があるけど、わたしは、
    レズビアン、ゲイ、バイ、トランス、
    ヘテロ、クィアなどを名乗りたい人、あえて名乗らない人とか
    いろんな人が参加しているパレードなんだったら、
    いろんな人がいるって名前を見ただけで分かるパレードにしてほしい。
    とりあえず。

  12. >なおさん
    ゲイレズビアンパレードと掲げているところに、自分は「ゲイレズビアン」じゃないけど参加しに来る、というのは、どういうメンタリティですか? こう書くと、日比野氏は「それが傲慢なゲイによる排外主義だ」といって怒るけれども、「ああ、あれはおゲイやおレズの人がやってることね、私たちは違うわ」では澄まないものですか。これはあえて犯罪的に無邪気を装って聞きますが、どうしてもそのへんが、わからないのね、私は。ゲイレズビアンと掲げてある場所へ来て、その名称では私は入れないから、その旗変えろ、という心性が(この名称はいま「戦略的」に名乗っているのですと説明しても、変えろ変えろ、そもそもその戦略が成り立たない、と相手/呼びかけがわの事情は考慮しないで言い続けることとか)。
    たとえば仮に朝鮮人パレードがあって、チョゴリやチャンゴでにぎにぎしくパレードしている人がいるところへ、「朝鮮人と名乗るのは、そうでない人が入れないから、名前変えろ~」と言ってるようで、どうしてもフに落ちない。
    日比野氏は、同性愛の周縁は境界線があいまいなもので、そもそもゲイレズビアンという線引きが成り立たないからだ、というけども、そんなのは、エスニシティにだってなんにだって言えることで、純粋な朝鮮人も純粋な日本人もないでしょう。それでも朝鮮人をかかげてパレードをすることはできても(日比野氏は、できません、と言うかな?)、ゲイレズビアンをかかげてパレードをすることはできないのだろうか。

  13. 朝鮮人パレードはダメだから東アジア人パレードにしようとしたら、インドやシンガポールはどうするで、アジア人パレード、いや世界人パレード、……そもそもアイデンティティ語を掲げること自体がダメなんだ、と、そういや日比野氏はそうハッキリ書いていたような。アイデンティティ不要論、アイデンティティ罪悪論、ということか?

  14. 【その4の13】で頂いた日比野さんの投稿への返答です。
    http://barairo.net/works/index.php?p=51

     既にこの【その5】でも後半は、日比野さんに対する反論が沢山書かれ、日比野さん個人の対応の限界点近くのような気もしないでもないのですが、ページを2つ越えるようになると流れが分りにくくなる恐れもありますので、あえてここ5ページ目に私のレスも投稿させて頂きます。


     まず最初に、この一文から触れさせて頂きますが、

     >そのあげく「日比野さんの文章には理屈の不整合が非常に多い」と結論されるのでは、masatomoさんは単にひびのの悪口を言うために書き込みをしているようにしか思えないのですが。

     私は、日比野さんが主張されていらっしゃる『レズビアン・ゲイパレードという名前はバイ差別』という意見や、『グループの中にゲイ以外が居たら、その主体もゲイ以外でなければならない』という理屈には反対の立場をとっております。また私は直接、生身の日比野真さんのことを存じていませんから、この当該ブログのコメント欄に批判意見を載せる、という方法で、日比野真氏の思想・立ち位置への反対を表明しています。こうした議論の場では、相手の理論の不備や矛盾を指摘する論法はごく普通のことだと思いますが…?(ただし私は、自分の質疑応答がこの議論上の流れにとって、何かしらの参考、ヒントになればいい、ぐらいの気持ちでこの討論に参加しています)。

     もしかして日比野さんは、私が多数派のバックを持った何かで、一方日比野さんは例の「弾圧された少数派」代表のいじめられている悲劇的なヒーローヒロイン、のような思い込みのイメージを抱いているのではないですか?個人同士の議論に、多数派の弾圧も少数派の悲劇も全く関係ありませんよ。
    (対等な議論の場で、そうした弱者幻想的な甘えは一般的には通用しません、と一応釘を挿しておくことにします)。

     さて、立場表明したところで、いつものように頂いた反論について、いくつか片付けておきます(今回、テーマの違いによって、前後2つの投稿に分けようと思います)。
     ではまず、一つめ。以下の日比野さんの文章について。

     >●「マイノリティー/マジョリティー」の問題は、人数の問題ではなく、社会的な力関係の問題です。

     これが、実は頂いたレスの中で、いちばん可笑しかった一文です。
    「日本語」の辞書では、マイノリティは少数派または少数民族の意、対語のマジョリティは多数派の意味のはずですが。どちらも数の多い少ないを基点とする概念語であり、この日比野さんの起こした議論中にいくつも登場する重要なキーワードです。それがなぜ、日比野さんの頭の中では『「マイノリティー/マジョリティー」の問題は人数の問題でない』という不思議な結論になるのですか?(ため息をついてしまいます)。

     では具体的に以下、常日頃から「人数」の多い少ないに非常に拘っておられて、端々で敏感に反応する日比野さん独自のスタイルが読み取れる箇所を、あなたご自身の発言から抽出してみます。

    【その4の1から】
     >一番大切なことは、「少数派の権利を擁護すること」だと私は思っています

    【その4の1から】
     >多数派による場所の私物化に反対するということです。

    【その4の1から】
     >「私たち」の内部の少数派をないがしろにすることです

    【その4の1から】
     >「少数派を大切にする」ということをまず自分たちのパレードの名前で実践した方が

    【その4の2から】
     >「意見の多様性を認める」というのは、(中略) 文脈によっては多数派のワガママの開き直りの言葉になります。

    【これもついでに、上にある投稿の引用からですが】
    >多数派側、権力者側からの、事実に反する一方的なものの見方なのです。

     もういいでしょうか?
     さしあたって「その4」ページを中心に拾ってみましたが、これらは全部、「数の多い少ない」に基づいた日比野さん特有の主張です…。

     このように、『人数の問題ではない』とおっしゃる日比野さんの論理は、やはり『人数の大小』に過剰に拘っておられるようです。
     また、文の最後に

     >数字は関係はありますが、数字だけを根拠にしているのではありません。

     と、書かれても、もうあまり説得力がありませんね。

     そして、私も再度ここで、日比野さんのバイリブ理屈の根底にあるものは、本来のバイリベレーション行動ではなく、単なる少数者意識の肥大した被害妄想的クレームであるように思われる、という自説を繰り返しておくことにします。(ただしそのこと自体は別に構いません、日比野さんの内面のことですから)。
     私は、日比野さん本人にそうした自覚がなく、繰り出す理論が未整理なままで、実りも到達点も見えないクレーム闘争行為を続けていらっしゃる現状を、文章や論理の不整合を指摘するというやり方で批判し、再考や協調をお願いしたいのです。

  15.  上の続きです。そしておそらく私からの最後の投稿です。

     >それになにより、nyunnyuiさんの意見の中心は、わたしの主張に対する批判ではなく、ゲイの鈍感さへの批判です。ちゃんと文章を読んでください。

     バイ(おそらく)の立場からの渾身の投稿をしたnyunnyuiさんに、「日比野一派と思われたくないから。」とあっさり言われてしまう日比野さんの現ポジションへの皮肉と、さらに、そういう自己客観視が出来ていない日比野さん自身への論者としての批判の意図を込めています。皮肉も批判も、きちんと読解した上でちゃんと受け取って頂きたいものです。


     >●ゲイのほとんどが異性愛社会に対して特に公然と異論の声を挙げていないのと同様に、「バイセクシュアル」の人の多くは、特に公然と異論の声を挙げていないのだとわたしは理解しています.

     日比野さんが好んでよく使う比喩のようですね。
     それでは、「この現在のブログ上の議論で、日比野さんを理論面で支援し擁護するバイ論陣側の援護射撃が無いのはなぜですか?」とより直裁的に再度問うことにしましょう。この質問の場合条件は同じなので、日比野さんの言い訳専用のレトリックである「ゲイと同様に公然と~は少ない」は使えません。また、幾つかバイ(その他)の投稿があるではないかと言い逃れをされるかもしれませんが、現在進行中の議論の論理面で日比野さんをサポートすべく参加されている論者はいらっしゃらないようです。
     さて、どう回答されますか?

     私は本当は、こうした議論の場に、もっと頭脳明晰で主張に説得力や包容力のあるようなバイセクシャル側の論者が現れて、この混迷した状況を一つ一つほぐし、建設的な対話の場へ持っていくような主導権を発揮してくれればいい、と思っております。思うというよりもそう願っております。しかし現実は、今の時点では日比野さんの主張にはほとんど社会的な広がりが見られず、本来幅広いはずの非ゲイ属性サイドの力強い応援論者も現れず、極めてローカルな場所で、奇妙で極端な自説に固執する日比野さんと、呆れながらも説得や反論を試みる(主に)ゲイ側の論者、というとても寂しい状況だと思います。


     >「バイセクシュアル」の運動(最大広義)を自分の位置から担うと名乗りを上げられるのであれば路線についての議論を是非したいとは思いますが、もしそうでないとするなら、この一文は「余計なお世話です」と言っておきましょう。

     日比野さんはゲイ社会のあり方や実際のゲイパレードの運営から「余計なお世話です」と言われたと感じ取り、それに対してバイの立場から批判をしていたのではなかったですか?「それは多数派による許されない差別行為である」とブログを5ページも使って糾弾活動をしている最中ではなかったですか?「(外野から口を出しても受け入れられるような)開かれたセクマイ社会を作ろう」という主張をされていたとも思いますが…。それが、他者がバイセクシャル問題に触れると、今度は「余計なお世話」と仰るわけですね。
     これは私の推測ですが、日比野さんの主張の中にいつも見られる「少数派の無謬性」(及び「多数派は常に抑圧者」という思い込み)が、強いバイアスを日比野さん自身にかけてしまい、それで、ご自身の意見からも首尾一貫性を失わせてしまうのではないのですか?

     日比野さんの文章には、こうした矛盾点が多く見られるように思います(私が言うところの「不整合」です)。



     恐らくこれで最後、もう一つだけ。日比野さんのこの回答【その5の3、より】

     >別に私だけの努力でそれは可能ではないし、また可能であってはいけません。
     > と、はじめからこう書いたらよかったかしらん?

     日比野さんは、初めから書けるのならそう書くべきでした。
     しかし、随分と主張がトーンダウンしてしまいましたね。「また可能であってはいけません」という文節はなにやら、「当分そんなことは可能にならない、だから私が動き出すようなことは当分ない」という言い訳の予防線のようにも私などは感じてしまいました。
    そもそも、「私だけの努力でそれは可能ではないし、また可能であってはいけません」という発言、要するに『周りが手伝ってくれないと絶対無理、自分には無理(出来ないのは周りのせい)』とも読めますが、こういう風にも読めるような日比野さんの弱気な発言には随分がっかりしました。

     本当にいろんな人が何回も指摘し続けていますが、理想は高く遠大でも、やはり具体的にはパレードを作っていない日比野さんと、様々な問題点も抱えつつも何度もパレードを現実に実現させてきた歴代実行委員とそれを支える人達、を比べて、どちらに他者を動かす共感力や説得力があるかというのは、もう明らかな気がします。
     「外野席から、実績のとりあえず未だ無い人間が何かを主張すること」自体は別に構わないのです、しかしその声に振り向く人が少ないのは許せない(差別だ)、自分への反対者も多いではないか(これも差別だ)、という理由でヒステリーを起こしてはいけません。また、そういう経緯で抗議活動を起こしても賛同者はどうしても少ないでしょう。しかし、それもまた、多数派の弾圧でも少数者への抑圧でもなんでもなく、単に日比野さん個人の「やり方」に全て由来しているだけなのです。

     繰り返します。バイセクシャルの方々が日常で感じる抑圧感も、マイノリティ内部差別の問題も、私は実際存在すると思います。しかし日比野さんの理屈、主張が広く取り上げられず、支援を得られないのは、実はまったく別のところに問題があるからです。つまり、「バイが差別されているから日比野理論が指示されない」のではありません。(こんな個人攻撃的な文章は書きたくないのですが、理屈の帰結としてははっきりさせておきます)、特にパレード名称問題にまつわる日比野理論が支持されないのは、バイ差別の問題ではなく、(たまたまバイセクシャルだった)日比野さん個人の運動のやり方が「説得下手で空気が読めてない」からです。単にそれだけの話だと、私は思います。順番が実は逆だったということです。

     それに気が付くと、今回の論争は、ゲイとバイを巻き込む対立論争でもなんでもなく、小さな個人ルサンチマンの話でしかありません、残念ながら。

  16. 京都に「レインボーパレード」があったのですか。名前のとおり、いわゆる「性的少数者」の人達(もしかしたら異性愛者も?)が歩くパレードと連想します。このパレードの存在がもっと広く知れ渡ると良いですね。

    僕の要望に合わせての回答ありがとうございました。その心遣いをありがたく思っています。

    東京パレードの件については、また主張・反論、意見など読ませていただいた上で、思うところがあったら、またあらためてコメントさせていただくことにします。

    それでは!

  17. ピンバック: 玉野シンジケート
  18. ひびのまことさま、みなさま
    はじめまして。私は今のところヘテロセクシュアルであると自認しているものです。(それはたまたま今までの相手が「異性」であったというだけで、バイセクシュアルであるという可能性は否定できませんが、ここでは一旦自分がヘテロ≒マジョリティであるという立場を引き受けたいと思います。)なので、私の立場からこの問題について言及することは、セクシュアルマイノリティー(?)の「コミュニティー」内部の対立を煽ることによって、自らの特権や加害性を隠蔽することになりかねないと思い、ただ黙ってみなさまの議論を眺めていたのですが(←これはこれで問題だと思いますが)、議論があれっ?というところに展開したので、少しだけ発言させてください。永易至文さんの発言についてです。

     【(その3)コメント14】にて

    >あと、パレードが外国人の参加を断るというタトエは、今回の名前問題とはぜんぜん次元の違うことで、譬えになってないでしょう。東京パレードはだれも断ってないし。

    とおっしゃっておられますが、それ以前に【(その3)コメント1】にて

    >私もそのときは、歓喜の涙にほほを濡らしつつ、右手にレインボーフラッグ、左手に日比野さんの肖像画をもって、日比野委員長マンセーと叫びながら御堂筋でも烏丸通でも行進しますから。

    という発言をしておられるのはなぜですか?あるメタファーであると私は読んだのですが、ひびのまことさんを揶揄するための文章(ですよね?)にこういった表現をなぜお使いになったのでしょうか?
    私はこの言葉で非常に不愉快な思いをしました。外国人を断っていないといわれても、このような発言をする人とは一緒に歩きたくないなぁというのが正直な感想です。ここでの議論でしきりにゲイの鈍感さが挙げられていますが、それはゲイ以外のセクシュアルマイノリティへの差別だけでなく、セクシュアリティ以外の文脈の差別についても言えるのではと思ってしまいました。(もちろん永易至文さんだけをもって「ゲイの人は~」と思うのは間違っていますし、また、ゲイだけでなくマイノリティを自称する人(私を含め)は皆自分に対する差別以外は鈍感なものなのですが。)しかも不思議なことに、そんな永易至文さんが、【(その5)コメント13】にて

    >たとえば仮に朝鮮人パレードがあって、チョゴリやチャンゴでにぎにぎしくパレードしている人がいるところへ、「朝鮮人と名乗るのは、そうでない人が入れないから、名前変えろ~」と言ってるようで、どうしてもフに落ちない。

    とおっしゃっている。よほど朝鮮人がお好きなようですが、これについても異論があります。「在日朝鮮人」(ここでの朝鮮人って「在日」のことですよね?)の多くは「日本人」との「混血」です。当然「混血」であることを理由にパレード参加を断られるようなことはないでしょう。しかし、「混血」者にとって朝鮮人パレード(?)に参加するということは、自分を「朝鮮人」としてのみアイデンティファイするということです。つまり、「日本人」としての自分を否定することによって、パレードへの参加が許されているようなものです。
    また、「朝鮮人」という定義をいくら主催者側が「国籍に関わらず、朝鮮半島にルーツを持つ者」と定義しても、韓国籍の人や日本籍の人、ニューカマーは肩身の狭い思いをするのではないでしょうか。数では圧倒的に少ない朝鮮籍を持った「朝鮮人」も、こういった場では強者になることがしばしばあります。
    そして、何を主張するためのパレードなのかにもよりますが、どんな時にもチョゴリやチャンゴを登場させるのは、ステレオタイプを生産しているようで、私は批判的に見ています。特に、女性にだけチマチョゴリを着せて、男性はスーツで行進、なんてのには大反対です。チャンゴにしても、サムルノリやプンムルは性的役割がはっきりしているし、「朝鮮人なら血でリズムを感じろ~」というような発言もまかり通っているので、民族主義を高めるためのパレードなのかと勘違いしてしまうこともあります。もしそれが生活権を訴えるようなものなら、チョゴリにしろチャンゴにしろ、多くの「朝鮮人」の生活とはかけ離れたところにあるので、そのような場に登場させることについては疑問視せざるをえません。そしてもしそれが、「在日外国人」の人権を訴えるようなものなら、【その(5)コメント14】の

    >朝鮮人パレードはダメだから東アジア人パレードにしようとしたら、インドやシンガポールはどうするで、アジア人パレード、いや世界人パレード、……そもそもアイデンティティ語を掲げること自体がダメなんだ、と、そういや日比野氏はそうハッキリ書いていたような。アイデンティティ不要論、アイデンティティ罪悪論、ということか?

    というのも、「朝鮮人」パレードではなく、「在日外国人」の権利を主張するためのパレードとわかるような名称をつける必要があるのだと思います。「朝鮮人」としかアイデンティファイできない人たちだけの固有の主張があるのなら話は違いますが、「自分たちと他の外国人を同列にするな」という「朝鮮人」の主張の多くは、「自分たちは自由意志で日本に来たんじゃない。自分たちは歴史の産物なのだから特別に配慮されねばならない」というような意識が見え隠れします。自由意志か否かを決めるメルクマールを私は持っていませんが、こういう主張をする人ほど、日本で生きる上で日本語に不自由しないこと(←たとえそれが暴力的な結果であれ)の特権や、他の外国人及びニューカマーと呼ばれる韓国人に対して抱いている差別意識に非常に無自覚では?と疑ってしまうのです。また、「文句があるなら他でやれ」や、「もっと運営に貢献してから口を出せ」といった批判をよく耳にしますが、皆が東京や大阪といった朝鮮人の多い地域に住んでいるわけではなく、京都のように運動の地盤があるわけでもないのです。そしてほとんどの人が組織などの職員として活動しているわけではなく、日々の生活を通して、その人なりの活動をしているのです。このような不満を抱きながらも、今ある「在日朝鮮人」コミュニティの中でひつこく文句を言い続けるのは、それでも「在日朝鮮人」と名乗る人たちが行ってきた運動を、積極的に評価できる面もあるからです。いずれは袂を分かつことになるかもしれませんが、今のところ、このコミュニティをより良くしていきたいという気持ちの方が強いからです。

    アイデンティティ語を掲げるということは、その言葉にアイデンティファイしている人が、抑圧に抵抗する手段としては非常に有効ですが、少しでも特権を獲得すると(もしかするとその以前で?)、それはその言葉にアイデンティファイできない人を抑圧するかもしれない危険性を持っています。どこまでが弱者でどこからが強者になるのかを見極めるのは非常に難しく(だってそれは時や場所などの状況によって変動するものだから)、一度強者になってしまったらその特権を手放すのはより難しくなります。セクシュアリティの面でマジョリティに属し、今現在もゲイや他のセクシュアルマイノリティを抑圧し、差別を温存し、偏見を助長している私が、ゲイの方々に「アイデンティティ語を使うな!」と申し上げることは決してできません。ただ、アイデンティティの変化を楽しんだり、アイデンティティから自由になるというのも、ひとつの解放の可能性としてあるのではないでしょうか。ちなみに私にとっては、他者をどうのこうの言うよりも、自分の中と、「朝鮮人」社会に根強いホモフォービアを払拭することの方が先決ですね。

    少しと言いながら、こんなに長くなってしまってすみません。「いつからここは朝鮮人の愚痴をいう板になったんだ?」「アホちゃうか?」と思われる方がいらっしゃるかもしれません。いや、実際場違いだということは重々承知していますが、バイセクシュアルであるという視点から生まれたひびのまことさん主張と、「混血」であるという視点から生まれた私の主張と、それに対する反応が似ているなぁと思うところが多かったので、書き込ませていただきました。ただ、私はほんとうにセクシュアリティについて無知なので、どなたかを不当に不快にさせていたら申し訳ありません。私の無知や傲慢さに気づいた方は、指摘してくださると嬉しいです。こんなバカなやつ、と無視してくださってももちろん結構なのですが。間違って最後まで読んでしまったみなさま、ほんとに長々と失礼しました。

  19. >こでの朝鮮人って「在日」のことですよね?

    いいえ。在日問題を意図しておりません。ドイツ人が日本でパレードをする、でもかまいません(今年は日本におけるドイツ年でおまりますし)。それですと、あなたのの論旨は変わりますか?

    マンセーは北朝鮮的全体主義のイメージを下敷きに日比野さんを揶揄しました。旗と肖像画をかかげるイメージから、文化大革命中の中国をイメージして、日比野主席、万歳(ワンスイ)でもかまいません。

  20. なんだかな。永易さん、失礼ながら「にじ」が廃刊、失礼(笑)、休刊になった理由がわかる気がします。
    あなたの文章はあまりにも排他的・閉鎖的かつ独り善がりで読むに耐えません。

    パレードの名称に限って言えば、ひびのさんのは、とてもまっとうな主張だと思います。
    世界やアジアで「プライド」という名称が一般的になり、札幌でさえ「レインボーマーチ」というオール・セクシュアリティ・インクルーシブな名称をもっているのに、東京*だけ*がなにゆえに(いまだに)LGという狭い名称にこだわっているのか、
    主催者からは、納得の行く合理的な説明はついぞ聞かれません。

    そういえば、足掛け三年中止になった理由もよくわからないままですね。
    責任を追及する声があがらないことを奇貨として、反省も無く知らん振りですか。

    たしかに、過去のいきさつだの、ひびのさんの主張方法に問題があろうとも、
    わたしは内容が正しければ支持します。

    さて、今週末のレインボーマーチでは、札幌市長が参加し、北海道知事もメッセージを寄せているようですが、
    一方のTLGPでは、東京都知事や渋谷区長からはなにかあったんですか。

  21. はじめまして。tnさんにお聞きしたいことがあります。

    今年行われた「東京レズビアン&ゲイパレード」の名称が来年以降、「プライド」「レインボー」などtnさんが納得のいくような名称に変更された場合、tnさん個人として、パレードとのかかわり合い方にどのような変化がおきますか?

    「プライド」「レインボー」などtnさんが納得のいくような名称に変更された場合、「パレード」や母体である「TOKYO Pride」にどのような利益が生まれると思いますか?
    例えば、東京都知事や渋谷区長からメッセージはもらえるようになると思いますか?
    また、tnさんは以前、世田谷区議の上川あやさんに対し「特定の政治家に特権的にPRの機会を与えた」ということを猛烈に非難されていましたが、札幌レインボーマーチと札幌市長とのかかわりとはどう区別されているのでしょうか?

    もうひとつだけ。

    tnさんがパレードに参加する(もしくは、参加しようとする)目的はなんですか?

    よろしければtnさんのお考えをお聞かせ願えないでしょうか。よろしくお願いします。

  22. タカナシさま。

    レインボウマーチが行われる北海道札幌市のイベントである以上、北海道知事や札幌市長が挨拶をしたって特別扱いとは思わないですよ。
    しかも彼らは当事者ですらない、ゲストですから。

    渋谷区のイベントへ渋谷区とまったく無関係の世田谷区議がでしゃばることのほうが理解できないですね。

  23. A NOVさんのブログから飛んで来ましたが、ああ、またですか…、というのが第一印象です。
    一応、2000年の関西パレード騒動、ゲイフロント関西(当時)の改称問題で、リアルタイムで日比野さんを見ていた身としては、周囲の反応も含めて、何か全然議論が進展せず、ループしているという感じですね。残念ですが。

    いや、結論としては、私はNOVさんや永易さんより、日比野さんの方にずっと近いです。私はMtFレズビアンではありますが、レズビアンのアイデンティティはそれほど強くないですし、どちらかといえば「ゲイ&レズビアン」という言い方では排除される側ですから。東京プライドの理事に、有名なGIDの方がおられるにもかかわらず、何もされていないのには、大変忸怩たる思いすら持っていますが。
    ただ、今現在の情勢から言えば、性的マイノリティ=病気である性同一性障害という図式が5年前より強いですから、あえてゲイ&レズビアンを顕在化させる、という意図は、諸手をあげて賛同しがたいものの、むげに全批判も出来ない、というふうにも思いますが。

    にもかかわらず、私が日比野さんに共感(賛同、でなくて共感であることに注意してくださいね!!)できないのは、以下の点です。
    一つ目は、バイセクシュアルとしてのあなたの経験(肯定的なものにせよ否定的なものにせよ)が示されていないこと。いわゆるアイ・メッセージがないこと。
    二つ目は、バイセクシュアル差別の原因のひとつとされる「いいとこどり」について、あなた自身の見解が示されておらず、いわゆる強制異性愛社会に対して、バイセクシュアルであるあなたがゲイ(あるいはレズビアン)と、いかなる根拠から連帯できるかを、あなた自身の言葉で述べられていないこと。
    です。

    第一の点ですが、日比野さんはバイセクシュアルとして、ゲイ・コミュニティにおいて差別を受けている、とおっしゃっていますが、あなた自身が受けた差別とは、具体的にはどのようなものでしょうか。バイセクシュアルとして、苦しいと思ったのは、どのようなときでしょうか。反対に、バイセクシュアルであったことによって、よかったと思ったのは、どのようなときでしょうか。ゲイ男性をはじめとする他のカテゴリのマイノリティ、あるいはノンケの人に対して、バイセクシュアルのここが素晴らしい、と言えるところは、どんなところでしょうか。ばらいろネットの中ではそういうものも見えませんし、GFKその他でご一緒した時も、そういう話をおききしたことは、残念ながらありませんね。

    第二の点ですが、レズビアンの方からですが、バイセクシュアルは信用できない理由として、強制異性愛社会から利益も得ながら、同性愛者としても利益を得ている、そしてそのいいとこどりをしていることに無自覚だからだ、だから差別されても仕方がない、という話を聞いたことがあります。この言説自体は随分いい加減なものだと思いますが、それでも差別されているとされるバイセクシュアルもまた、特権を享受してい「も」する、という点は残りますね。それに対して、あなたがどのように自覚されているかが、全く見えてきません。さらに、にもかかわらず、強制異性愛社会を変えるという共通の目標に対して、どのようにすればゲイやレズビアンの人とも連帯できるか、という道筋も示されていません。そのような状況で、ゲイ男性やレズビアン、あるいはそのほかのセクシュアリティをもつ人にたいして、単に自分が差別されているというだけでは、やはり信頼を得るのは困難なのではないでしょうか?

    そういう中で、日比野さんの論戦は、単にパレードの名称を変えるという点においても、何ら実りをもたらさないばかりか、抜本的な解決を遠ざけているように思います。正直申しまして、以上の点についてお答え頂けないようであれば、黙って頂いた方がよろしいのではないかと思います。

    😎

  24. ちょっと書きすぎたかな。

    ま、区議の仕事をちゃんとやってれば何をしようが文句言わないけど、
    ハッキリ言って全然ダメ。
    いまだに議会でGID意見書一つ通せないんだもん。
    GID当事者でない尾辻さんでさえ今年の3月に
    府議会で意見書を全会一致で通させたのに。
    東京23区内でも例えば新宿区や港区で通っている意見書が
    なんで世田谷では通る気配がまったくないのか。
    よっぽどやる気無いか無能かってことでしょ。

    しかも、人口の3%がLGBTだとしたら
    人口80万人の世田谷区内には2万4千人もいることになる。
    その人たちを事実上ほったらかしにして、
    なんで区外で遊んでる暇があるんですかね。

  25. もしかしたらここ、上川さんやその関係者が読んでるかも知れないので書いておきますね。
    (スレの趣旨と違うので、もし不適切なら消して頂いて結構です→管理人様)

    私は上川さんの当選前から世田谷区の公文書からの性別削除運動に多少関わってるので、
    上川さんの他の区議、しかもLGBTフレンドリーだと分かっている人を数人知ってますけど、
    意見書に関し、上川さんから他の区議にとくに働きかけがあったという話はまったく聞きません。
    もしそう言うのがあれば、わたしは当事者の端くれとして、協力することにやぶさかではないけれど、
    上川さん自体が動かないんじゃしょうがないですよね。
    上川さんが当選した今、この種の問題で上川さん以外の他の区議が先に動いてくれるはずはないし、
    一人会派の上川さんに対して、他の会派が親切に動くこともありえないわけです、当然ながら。

    HPを見ても、特に区内の当事者の声を集めて運動を起こすふうでもないし。
    議会のポジションで意見書を通すのが無理でも、せめて通す努力はしてよ。

    このように、自分の区で先にやるべきことをせずにおいて、
    区外でGIDの代表面して、偉そうに振舞ってるからむかつくんですよね。

    ニュージーランドの世界唯一のトランスジェンダー国会議員のジョージナ・ベイヤーは
    アメリカのテレビのインタビューに答えて、
    「国会議員として選ばれた以上、自分を選んでくれた選挙区民のために働くのが最優先であり、
    LGBT運動は後回しになってもうしわけない」と言っています。
    ジョージナの反対をやっているのが上川さんです。

  26. 皆さま、いろいろとコメントありがとうございます。
    長くなってきたので、(その6)をつくります。
    私からのお返事もそちらに書きますね。
    (その6)http://barairo.net/works/index.php?p=57

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