日本における「バイセクシュアル」の可視性の歴史

 tummygirlさんが、「バイセクシュアルの不可視化を可視化する」という観点で、素的な文章を書いてくれました!
 相変わらず遅くなりましたが、せっかくなので、ちょっと書いてみます。私もtummygirlさんに負けず、長くなったので、いくつかに分けてお返事(笑)
 まずは、日本における「バイセクシュアル」の可視性の歴史について、最低限押さえておきたいこと。

日本における「バイセクシュアル」の可視性の歴史

>日本ではまた多少違うような気がしますが(すみません、こちら
>についても運動史には詳しくないのですが)、やっぱりGとLと
>が常に協働してきたかというとそういうわけでもないし、BやT
>がしばしばすでに存在していたということもあったようです。
バイセクシュアルの不可視化を可視化する(tummygirlさん)

 少なくとも日本のレズビアンコミュニティーでは、歴史的に「バイセクシュアル」は可視性を獲得していたことは、最低限押さえておきたいです。

【1】日本のレズビアンのコミュニティーや運動の中では、「バイセクシュアル」は、存在するだけではなく、かなり初期から可視性を獲得していた

 日本で、一定の規模の、今に繋がるセクマイの運動が始まった初期の時点から、少なくともレズビアンのコミュニティーでは「バイセクシュアル」は明示的に顕在化していました。
 私の知る限りでもっとも初期では、ILGA日本femaleセクションの内部に、「バイセクシュアル・プロジェクト」が創られたらしいです(1989年)。(日本各地での バイセクシュアルに関連した動き
 アカーを除名された(自分で辞めたのだったっけ?)掛札悠子さんが創っていたミニコミ「ラブリス(1992~95年)」は、「レズビアンのミニコミ」ではなく、公式に「レズビアンとバイセクシュアル女性のミニコミ」でした。単に名前だけではなく、例えば実際に、バイセクシュアルの西村桜さん(後述のOLPの会員でもありました)の文章も継続して掲載されていました。掛札さんの著書「『レズビアン』である、ということ(1992年)」を読めば、必ずしも掛札さん自身が「バイセクシュアル」のことをちゃんと分かっていた訳ではない(**注1)という気もしますが、そうであったにもかかわらず、公的な動きをする時にちゃんとレズビアンと「バイセクシュアル」とを対等に扱っていたということは、ちゃんと記憶されるべきです。LOUDも、場所を創った人は皆レズビアンであるにも関わらず、設立当初から明示的に「バイセクシュアル」を対等に、可視化して扱っていることも、忘れてはいけないと思います。
 また、いわゆる商業ベースでの最初の雑誌「フリーネ」「アニース」も、そもそも編集長の萩原さん自身がバイセクシュアルでした。こちらも「女性を愛する女性」「レズビアンとバイセクシュアル」「セクシュアルマイノリティー」と言い方を変えつつも、「同性愛者」中心主義とは一線を引いた動きとして存在していました。1994年には「ウィミンズ・バイネット」というバイセクシュアル女性のグループも作られています(~97年)。
 関西でも、もちろん内部ではいろいろと争いがあったのは事実ですが、少なくとも「私たち」の中には「バイセクシュアル」が含まれるという点については、リブをする人たちの中では前提として共有されていた印象があります。(今思えば無理があるとは思いますが、OLPの「L」は必ずしも「レズビアン」には限らないとか、ゲイ・フロント関西の「ゲイ」は必ずしも「男性同性愛者」という意味であるとの合意が公式にはないとか、そういう形でしのいできた歴史があります(**注2))
 こういう状況は、もちろんそれぞれの場所で「バイセクシュアル」たちが声を上げ、レズビアンたちがその声を無視するのではなく、双方向で話し合われてきたということの反映です。東京のウィークエンドは「バイセクシュアル女性」の参加を巡って分裂したりもしているようですが、それも、ちゃんと内部で一定の議論の積み重ねがあった歴史の証明にはなると思います。
 関西のグループOLPの会員のつづらよしこさんが「バイセクシュアルの問題を軽んじているわけではないんだけども、問題化できていないだろうなと思っています」と発言しているところ(**注3)などからも、少なくとも関西では、ちゃんとした議論の一定の蓄積があることが覗われます。(付言すると、OLPは、その時点で既にトランス女性の参加も権利として公式に保障していました)

【2】ゲイコミュニティーにも「バイセクシュアル」は明示的に存在していた

 「バイセクシュアル」という看板を引き受けて名乗っていた人は、事実の問題としてゲイコミュニティーにも以前からいました。また、主にゲイが中心になって開催されていた、南定四郎さんがやっておられた「第3回東京レズビアン・ゲイ・パレード(1996年)」が問題になったときにも、既に私(たち)は、コミュニティーや運動の内部における「バイセクシュアル」の取り扱いについての意見表明も公式に行っています(**注4)。
 ですので、「バイセクシュアルはいなかった」「バイの意見は聞いたことがない」などという言説を(特に以前からの活動家の)ゲイが言っている場合には、単にその人がバイの意見にちゃんと耳を傾けてこなかったという怠惰な歴史を白状しているに過ぎません。(takashiさんが、去年の「パレード名称論争」を経て「バイセクシュアル」の意見を調べようとしたというのは、それはそれで確かに素直でいいことではあります。しかし「今ごろになってやっと」バイセクシュアルの意見や存在に関心を示すということの無邪気さは、私には「素直でいいこと」では済まない、「マジョリティーの鈍感さ」にしか思えません。takashiさんが今するべきことは、ご自身の無知と鈍感さによってこれまで犯してきたかもしれない過ちについて、ちゃんと振り返って反省することだと思います。)
 例えばtakashiさんや永易さんのように、残念なことに、ゲイの活動家たちは、レズビアンに比べても本当に「バイセクシュアル」の話を聞いてこなかった、という歴史があるのは事実だと思います。(「バイセクシュアル」からも問題提起を一定誠実に受け止め、主体的に考えようとしていた初期の運動の例外としては、これもアカーをキックアウトされた佐藤雅樹さん―ミニコミ「KICK OUT」の編集長―の例は挙げておきます。また、MASH大阪がMSMという言葉を使ったり、「ゲイとバイセクシュアル男性」という括りを使うのは、ゲイ系の運動では例外的な状況です。もちろん、「バイセクシュアル」とちゃんと向きあうことをしてきたゲイの個人には何人も私は出会っていますが、残念なことにそう人たちの意向はゲイコミュニティーでは主流にはなっていません)


 せっかくなので、パレードについてもここでも書いておきます。

●「東京レズビアン&ゲイ・パレード」という名称は、もともと「ゲイ男性中心主義」の結果

 以上のような歴史を知る者としては、「東京レズビアン&ゲイ・パレード」という名称を私が知った時、「これは『レズビアン&ゲイ』と掲げているけれど、所詮はゲイ中心の企画だろうな。おそらく、レズビアンのコミュニティーの歴史や蓄積などを丁寧に踏まえて創られている企画ではないだろう」という印象をまず受けました。現在のTokyoPrideは「名称問題について意見が寄せられたのはひびのの一件だけだ」という認識らしいですが、コミュニティーの歴史をみるのであれば、まさにそういう認識こそが「ゲイ男性中心主義」の結果です。コミュニティーの中の多様性に少しでも関心があるのであれば、「公式には意見を聞いていない」などという官僚答弁はできるはずがありません。また、事実の問題としても、砂川さんが「レズビアン&ゲイ・パレード」をやろうとした第1回の時に、既にその名称に対する異議は出されています。そのことは砂川さん自身が名称問題についての悩みを正直に書いた文章(「東京レズビアン&ゲイ・パレード2000」の名称について(実行委員長 砂川秀樹 2000年4月14日))において明らかです。ですので、東京PrideもしくはLGパレード実行委員会に必要なことは、既に第1回の時に出されていた名称に対する批判について黙殺してきたこと、もしくは少なくとも必要な検討を行ってこなかったという不作為に対して、その過ちを認めて反省した上で、必要な責任を果たすことです。

(**注1)必ずしも掛札さん自身が「バイセクシュアル」のことをちゃんと分かっていた訳ではない
「ぽこあぽこ 12号 特集『バイセクシュアル』である/ない、ということ(1999年)」収録「バイセクシュアルは これまでどのように言及されてきたか(抄)」(P.91)を参照のこと。
(**注2)ゲイ・フロント関西の名称問題については以下参照のこと。
「ヒッピーの言っていることも分かるんだけど、それはなんか、中華料理屋に行ってフランス料理がない事に文句を言っているように思える」という意見について(2001年)
(**注3)現代思想・臨時増刊号「レズビアン/ゲイ・スタディーズ」(1997年5月) P.70参照
(**注4)「第3回東京レズビアン・ゲイ・パレード(1996年)資料集」に詳しい。ただこのパレードの時も、まずは「『レズビアン・ゲイ』以外のセクシュアルマイノリティーを利用するようなことになるのをさけるためにも、性の多様なあり方を積極的に打ち出していった方がいい」「もはや『レズビアン・ゲイ・パレード』は、レズビアン&ゲイのみに支えられレズビアン&ゲイだけのことを訴える、レズビアン&ゲイだけのものに留まらず、広範な人々が関心を寄せ、積極的に関わる非常にオープンな企画になりつつあるのではないでしょうか」などというアプローチ(「バイセクシュアル」の可視化を目指すのではなく、同性愛者中心主義を批判する)がメインだった。ただその後の資料集では、ひびのは以下のように書いている。

バイセクシュアルの扱いはレズビアン・ゲイにとっての試金石なのです。レズビアン・ゲイを排除し、黙らせ、居心地を悪くする異性愛社会の在り方と、バイセクシュアルを排除し、黙らせ、居心地を悪くするレズビアン・ゲイのコミュニティーは、どっちもどっちなのです。バイセクシュアルの男女は「2流市民」「名誉白人」としてレズビアンとゲイのパレードに参加させていただいているのではないのです。

“日本における「バイセクシュアル」の可視性の歴史” への1件のフィードバック

  1. ピンバック: ROAD OF THE MONKEY

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