昨日1月21日は、いろんな人といろんなお話をした1日だったので、ちょっと報告。
関西クィア映画祭関係の用事でドーンセンターに。用事を済まし、地下でやっている写真展「コミカル&シニカル 韓国と日本の現代写真:二人の女性のディレクターから見た一側面」に行こうとすると、偶然にO.G.C.(大阪ゲイコミュニティー)の会報発送作業に遭遇。暫しパレード談義など。非攻撃的な形で、率直に意見交換できたことがよかったです。
パレードの名前については、多くの人に感心がありそうなことなので、少し付け足して、詳しく書き直しておきます。
●「レズビアン&ゲイ・パレード」というネーミングは、例えば「日本人で健全者の同性愛者のパレード」というネーミングをすることと同じです。つまり、いま目の前にいたり、これまで一緒にいたり、もしくはこれからパレードの参加者として想定して呼びかける対象の中で、わざわざその一部分だけを取り出して敢えて名前に掲げる(従ってそれ以外を隠蔽/不可視化する)ことになるから。同性愛者ではない人が「私たち」の中には存在することが既に明らかになっている現在、あえて「レズビアン&ゲイ・パレード」という名前を付けることは、「意図的な排除」「同性愛者以外への差別」もしくは「無意識のうちの同性愛者中心主義」と言われても仕方ないです。
補足すると、例えば「人間には、男と女がいます」「人は思春期になると異性に恋をします」というものの言い方をする人は、特に悪意があるわけではないことがほとんどです。問題は、そこに悪意があるかどうかではないです。そうではなく、その発言内容が、「結果として」ある人たちを不可視化/無視していることです。
もし、「人間には、男と女がいます」「人は思春期になると異性に恋をします」というものの言い方をするのを批判するのであれば、それと全く同じ論理構成で「レズビアン&ゲイ・パレード」は批判されます。
●実はわたしは「名称こそが中心的な問題だ」とは考えていません。仮定の話ですが、名前は「レズビアン&ゲイ・パレード」だけど、参加者の誰もそれが「同性愛者のパレード」だとは思っていないという事実があったり、バイフォビアやトランスフォビア、性愛強制主義、女性差別の問題点がパレード参加者にも充分認識されていたり、対外的に目につくのが同性愛者ばかりということがなかったり、要するにそれが実際には「同性愛者のパレード」ではないのであれば、逆に名前だけ「レズビアン&ゲイ・パレード」でも別にいいです。
しかし現実には、パレード参加者の多くは「自分のこと(だけ)」を表現したくてパレードに参加しています。「ボクはゲイだから、パレードに参加した!」とか。特に、ゲイ男性が持っている様々な特権(男性であること、性愛者であること、性別主義者であること)や、トランスジェンダーではないということの特権とか、さらには日本人であること、健全者であること、住む家があるということ、その他様々な点ではマジョリティーでもあるということについて、パレード参加者の大多数が自覚的であるとはわたしは感じていません。
「そんなややこしいこと」を考えないで、まず「ボクはゲイだから、パレードに参加した!」という人が多数いること、おそらくまずその事実に基づいて話をする必要があります。
だとすると、「レズビアン&ゲイ・パレード」という名前は「レズビアン&ゲイ」のエンパワーには役に立ちますが、同性愛者以外には否定的な効果しかありません。ゲイ男性の活動家がせめてもう少し自身の持つ特権に敏感であれば検討の余地もあるでしょうが、現在の日本の状況下では、「『レズビアン&ゲイ・パレード』という名称の問題点を指摘すること」は、残念ながら必要なことですし、また実際に同性愛者に対して、同性愛者以外の人に目を向けさせるために有効に機能してしまっています。
●現在の日本の状況下で「レズビアン&ゲイ・パレード」という名前に反対することは、まず何より同性愛者自身のするべき仕事です。同性愛者自身が、自分の時間を使って、自己中心的な名称を改めようとしてこそ、強制異性愛社会を批判する時に説得力を持つことができます。
社会というのは、公的な場というのは、自分とは異なる立場の人が沢山いるということ。にもかかわらず放っておくといつも特定の人たちが場を私物化しかねないこと。そういった場の私物化は「悪意のある意図的なもの」ではないことも多く、そういう「社会的な力関係」が私たちの周りにはあること。だからこそ、何かを発言したり行動する時には、「自分の立場から、自分のことだけを考えて行動する」のではなく、意識して、自覚的に、ちゃんと周りも見ながら発言すること。「自分が中心になる社会」を求めるのではなく、「自分は『沢山あるうちの一つ』」という以上の存在ではない、ということを踏まえて行動すること。
同性愛者を中心にするのではなく、様々なセクシュアリティーの人たちが対等に尊重される場づくりを自身で実践していてこそ、異性愛中心主義の社会をちゃんと批判できるということに、気が付いて欲しいです。
(※関西レインボーパレードについても少し意見交換しましたが、それについてはまた改めて書くかも)
ところで、「コミカル&シニカル 韓国と日本の現代写真:二人の女性のディレクターから見た一側面」。結構にぎわっていて、楽しかったです。
個人的には、男子学生服の男体に女子顔を乗せて写真を創った写真が、好きでした(苦笑)。液晶モニターの枠も凝っていたし、趣味に走っていていい感じ。(参考イメージ:写真展『サンクチュアリ-arrange』)
「コミカル&シニカル」韓国と日本の現代写真
二人の女性ディレクターから見た一側面1/17(水)~1/31(水)12:00ー20:00 月休館
atドーンセンター地下プール跡
入場料 300円
http://www.dawncenter.or.jp/kozent/servlet/kouzalst?no=00287
http://poolphoto.exblog.jp/ドーンセンター(大阪府立女性総合センター)地階プール跡にて、写真展『コミカル&シニカル/韓国と日本の現代写真:二人の女性のディレクターから見た一側面』が開催されます。
韓国側は写真家のパク・ヨンスク、日本側はサードギャラリーAyaの綾智佳が務め、両ディレクターによって選出した、活躍の期待される16名の若手写真家が、〈笑い〉をキーワードに、様々なアプローチで構成した作品の数々を展示。韓日双方の文化の違いや共通点を発見することができます。
使われなくなったプール跡という異空間での発表という、ユニークな試みも楽しみの一つです。作家リスト
【日本】浅田政志、小松原緑、みとま文野、佐伯慎亮、渡邊耕一、池田朗子、山下豊、梅佳代、
【韓国】申恩京、波惹、嚴殷燮、金奎植、金東鈴、盧順澤、金華用、河惠貞
報告は続く…
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