永易至文さんの発言は、精神障害者を差別するものだと思います

 東京プライドが、実行委員の応募にあたってボランティアなりの経験があることを求めることに関連した永易至文さんの意見が、東京プライドの現職の理事としていかに無責任で厚顔無恥かは、既に書きました。今回は、永易さんシリーズの第2弾です。

 永易至文さんは、パレードなどのコミュニティー活動が「ごたごたする」理由として、「メンタル的に不安を抱えたり、あるいはメンタル的に傷つきやすい人が集まる傾向がある」「ある種、自分のなかの不全感や欠損感を抱えた人が、それを埋め合わせるものを調達しようとして集まってくる傾向」を挙げています。
 そして当然ながら、あまりに安易にこういう言い方をする永易さんは「精神障害者を差別するものだ」と批判を受けています。

 コミュニティー活動に、メンタル的に不安を抱えた人(など)が集まってくる傾向があることは、私は事実だと思います。しかし永易さんの最大の問題点は、永易さんご自身も「メンタル的に不安を抱えたり、あるいはメンタル的に傷つきやすい人」であり、永易さんご自身が「ある種、自分のなかの不全感や欠損感を抱え」ていて、「それを埋め合わせるものを調達しようとして集まってくる傾向」を体現している可能性に、真摯に向きあっていない(少なくとも私にはそう感じられます)という点だと思います。
 ここであわててつけ加えますが、このことは、特に永易さんだけがメンタル的に不安を抱えていると言っている訳ではありません。私を含め、そして永易さんだけではなく様々なコミュニティーの活動家たちも、一般的な話として「メンタル的な不安を抱えた人」であり、「自分のなかの不全感や欠損感を埋め合わせようとして」活動をしているという側面がある、と私は思っています。
 コミュニティー活動にメンタル的に不安を抱えた人(など)が集まってくるのは、いってみれば当たり前のことです。毎日の生活の中で差別され、疎外され、ないがしろにされているからこそ社会的マイノリティーなのですし、社会の中でそういう扱いを受けている人たちがメンタル的な不安を抱えるのもまた、至極当然のことです。
 だからこそ、コミュニティー活動は、そもそも始めから「メンタル的に不安を抱えた人(など)が集まってくる」ということを前提として、創り上げ、運営していく必要があると私は思っています。


 

「トラブルは他人が起こすもの」と考える傲慢さ

 にもかかわらず、永易さんは、自分以外の人に対して「メンタル的に不安を抱えている」「じつはものすごいエネルギーを持っています」などというレッテルを貼ろうとします。自分のことは棚に上げて、他人に「濃い人」とレッテルを貼り、まるで「トラブルは(自分以外の)そういう特殊な人が起こす」とでもいうかのような偏見を広めています。

 また、メンタル不安を抱えた人が、そうやってあちこちのサークルや活動でトラブルを起こしながら、それらを渡り歩くことも観察されています。あるいはまえのサークルでのトラブルを、つぎの場所でぶちまけては、つぎつぎにトラブルに巻き込んでいきます。(永易至文さんのコメント

 正直に思っていることを書いているという点だけは評価してもいいですが、当然ながらこういう発言は「精神障害者を差別するものだ」と的確な批判を受けています
 トラブルというのは、双方の関係の中で起きることです。もちろん場合によっては片方だけが間違っている場合もありますが、「自分の側にもトラブルの原因はなかったか」と問い返す謙虚さも少しは必要ではないでしょうか。
 もし永易さんがコミュニティー活動に参加したいのであれば、まずご自身が言うところの「メンタル不安な人」であることを認めることが必要だと思います。コミュニティーにおける様々なトラブルの原因を、誰かに「メンタル不安な人」というレッテルを貼って、責任を他人に押しつけて誤魔化すのは辞めるべきです。「メンタル不安な人」が居ない場を求めるのではなく、「メンタル不安な人」たちと一緒にどうやってコミュニティー活動を続けていくのか、そのために自分はどんな努力をしなくてはいけないのかを、自分自身の課題と責務として考えるべきなのです。

 

「連絡がつかなくなる」ことの原因は、「メンタル不安な人」だけにある?

 具体的な問題について、考えてみましょう。例えば「突然連絡がつかなくなるのは困る」ということは、集団で社会的な活動をするときには確かにその通りです。
 しかし私であれば、そういう問題に対しても、「突然連絡が付かなくなるのは困る」ということを、まず会の集まりの場で皆で話し合って、確認することを繰り返すことで、対処しようすると思います。もっと具体的対処方としては、例えばメールアドレスだけではなく現住所もお互いに交換するという方法もあります。
 それにそもそも、ちゃんとお互いの個人間の信頼関係ができれば、突然連絡がつかなくなるというようなことも可能性は大幅に減ります。会の内部で、各メンバーが言いたいことを十分に言い合えない雰囲気があるからこそ「突然いなくなる」ということが起きている面が大きいと私は思いますので、まず会のあり方を風通しのいいものにすることで、この問題に対処しようと私はすると思います。
 永易さんに即して言うなら、自分のことを棚に上げて他人のことを「メンタル不安を抱えている」「濃い人」「トラブルメーカー」だと見ているような人ですので、残念がらそんな人に自分のことを話そうと思わない人も多いのではないかと想像します。そんな、差別的で「上から人を見下ろす」ような雰囲気が会内部で容認されていると、(一部エリート活動家以外の)会のメンバーが自由に自分のことを話すことができず、結果的に「突然連絡がつかなくなる」人がいるということも一層起こりえてしまうような気がしてなりません。

 「突然連絡がつかなくなる」という例で考えてみても、組織のあり方や会の雰囲気、永易さんのようなものの考え方の方にこそトラブルが発生する原因がある可能性もある訳です。にもかかわらず、本当に一方的に、他人のことだけを「メンタル不安」と決めつけ、自分の立ち居振る舞いや組織のあり方への自己省察の姿勢も見せず、精神障害者への差別を開き直った上で、相手だけに一方的に責任を負わせようという永易さんの思考回路には、感嘆するばかりです。永易至文さまは、なんとご立派な方なのでしょうか。
 ゲイ男性として長年ご立派なご活動をなさって来られた永易さんはもうお忘れなのかもしれませんが、ごく一般の「ノンケ社会」のなかで、言いたいことを言えなくなったり、内心に反する行動を思わずしてしまったり、そういうことの積み重ねで鬱になってしまったり、その場に結局いられなくなって逃げ出さざるを得なくなったりすることは、多くのゲイ男性も経験していることではないのですか?そういうゲイ男性に対して、その場の構成員から「無責任だ」「精神的に不安定だ」などというレッテルが貼られたりすることもまた、決して珍しくないと私は思うのですが、いかがですか?
 永易さんは、それと同じ事をしています。自分が少し社会的な権力を身に付けたら、今度は自分がされてきたことを他人にするというのは、どこにでもよくあることであるとはいえ、本当に残念なことです。

 

永易至文さんの発言は、精神障害者を差別するものだと思います

 永易さんの考え方が自己中心的な傲慢なものであること、「メンタル不安」を口実として利用して他者だけに責任を転嫁するものであることはこれまで書いた通りです。では、これは精神障害者に対する差別的な発言なのでしょうか。
 ある他人に対して、その人の行動を具体的に検証するのではなく、「メンタル不安な人」というレッテルを貼って対等な対話から排除しようとしていること。自分自身を「メンタル不安な人」のカテゴリーからはずして考え、まるで「メンタル不安であること」が悪いことであったり、トラブルの原因であるかのように書いていること。自分の参加する組織や社会を「メンタル不安な人」でも安心して参加できるものにしていく方法を一切考えようとしておらず、むしろ逆に「メンタル不安な人」をトラブルメーカーだと罵倒し、「メンタル不安な人の引き起こすトラブルから組織を守る」という発想をしていること。
 言葉としては「メンタル不安な人」という言い方をしていますが、まさにここに書いたような被害や抑圧を精神障害者は受けているのではないかと思います。その意味で、永易さんのご意見に対して「それは精神障害者への差別に他ならない」という指摘があるのは、私には当然のように思えます。
(残念ながら私は、精神障害者に対する差別についてそれほど詳しいわけではありません。ですのでこの点について不充分なことを書いていたら、特に読者の方にご指摘頂けると嬉しいです。)

 

永易さん的な行動様式を一掃することが必要

 さきに私は、「問題は、TOKYO Prideによる恣意的な選別の可能性と、永易至文さんの無責任」のエントリーで、永易さんの意見を「結局は自分の特権を開き直るもので、「昔からの左派運動」によくありがちな、「運動内の二重規範」を実践する自己中心的なものの考え方となっています」と書きました。自分を特別扱いし他人とは別の扱いをする、という永易さんの行動様式は、自分のことを棚に上げて他人に「メンタル不安」とレッテル貼りをする事にも一貫しています。
 私たちがもし本当に社会のあり方を変えようと思うのであれば、必要なことは、こういう永易さんのような、しかし永易さんだけの問題ではなくコミュニティーや社会の中、そして「私たち」自身の中にいくらでもどこにでもある「ものの考え方」「行動様式」に反対しつづけることだと、私は思います。

 永易さんシリーズですが、次回は「永易さんのような『エリート活動家』が、ワガママと無責任を開き直るからこそ、コミュニティー活動がごたごたする」という内容の予定です。更に更に、楽しみにお待ち下さいませ♪

 

“永易至文さんの発言は、精神障害者を差別するものだと思います” への4件のフィードバック

  1. 永易さんの意見表明の仕方の問題性については、ひびのさんと同意見です。私は、精神病・神経症・人格障害…であったからといって、運動やコミュニティから疎外されるべきではないと思います。信頼あるコミュニティをベースにしたいというのは分かりますが、人間が複数関わる場には葛藤や紛争はつきものです。そもそも葛藤が生じる条件そのものを抹消しようとすることは、複数の主観の争いそのものをなくそうとすることであり、民主主義の否定なのではないでしょうか。

    ゲイを含む性的少数者のコミュニティが、精神病・神経症・人格障害等々のラベリングをされた人を排除しないものであることを望みます。そもそも性的少数者のほうも、多数派から勝手に表象されラベリングされてきた存在のはずでしょう? その意味で「精神病」者と性的少数者は似た位置にあるといえるし(性を病理化することを避けるとしても)、共闘していけるはずです。

  2. 直接のコメントではありませんが、自身が経験したことを記載させて頂きます。

    欧米国からの入退室管理システムを輸入販売する企業にて:

    ある日新人社員が入社しました。入社2日目に新人社員が無断欠席しました。会社側が電話にて、人材紹介会社へ問い合わせると、本人が「その初日に社内の特定の社員から非常に傷つく言葉を受けた、、、。辞めます。」 との事のようでした。その後、下記経営者の驚く発言が連発です。

    「幻覚?妄想?なにそれ~」「よかった~そんなの取らないで~よかった~」 と、

    そうであろうとなかろうと、非常に障害者を馬鹿にした発言です。

    そばで聞いていた私は、大変ショックを受けました。健常者として雇われた社員が、突然の病気・事故により障害を受けたとしたら、「は~い うちの会社は即退社・解雇しますよ~」とでも言っているようなものです、それも社員の前での発言でした。

    ※誰一人とも、好んで障害を持つ人はいません。

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