私たちにとってリブとは何か

プロジェクトPのワークショップのための書き下ろし。
「今の社会の問題は、例えば「多くの人々が同性愛についての知識がない」ことではない。知識の問題でいえば、人は一生、知識が不十分な状態で生き続けることを引き受けるべきだ。それは、ヘテロだけでなく、ホモもバイもレズもだ。……」
(「Project Press No.11」 97年3月19日)


 Project PressNO.11 97.3.19発行
 プロジェクトP発行
 書店販売価格 200円

私たちにとってリブとは何か

 結論からいうと自分が持っている「セパレティズム(分離主義)」「排外主義」と日常的に闘い続けることだと思うんだけど、どうかしら?自分のことだけ、自分に都合のいいこと・人とだけつきあっていきたいっていうのは、まさに、権力者になりたいってことなんじゃないの?

 今の社会の問題は、例えば「多くの人々が同性愛についての知識がない」ことではない。知識の問題でいえば、人は一生、知識が不十分な状態で生き続けることを引き受けるべきだ。それは、ヘテロだけでなく、ホモもバイもレズもだ。「問題」は決してホモフォビアだけではない。ここまでコミュニティーの中で文字として登場してきているけど、いったいぼくを含めてどれだけの人が「トランスセクシュアル」や「半陰陽」についての知識を充分に持ってる?はっきりしている。そんなに他者のことに興味がないのだ。そんな私たちのいったい誰が、「ホモのことなんか興味ない」っていうノンケを非難できるの?
 大切なのは、知識ではなく、自分の目の前に(たまたま)いる人とどれだけちゃんと向き合えるか、ではないだろうか。共存しようという意志。
 「ぼくは、バイセクシュアルのことには興味ないの。じぶんでやって」と言うか「ねえねえ、ぼくバイセクシュアルのことってよくわかんないんだけど、教えてくれない?」と言うか。後者のようなもの言いを可能にするような余裕を1人1人がもてるような状況をどうつくるか。(ここではたまたまぼくが経験した実例–前者はアカーのある1人の言葉。後者はG-FRONT関西のある1人の言葉–についてあげたけど、この「バイセクシュアル」の部分には、あなたの知らない、あなたには直接関係がない、だけどあなたの目の前にたまたま居合わせた誰かにとっては大切な何かが入るのよ。)
 国の役人が、原発や基地をつくろうという大企業の役員が、目の前にいる人の声とちゃんと向き合わず、無視することができるということこそが「権力」であり、だからこそ三里塚闘争などの闘いも生まれる。「強い」「力を持った」場所にいる人は、だからこそ目の前にいる人を無視することは許されない。目の前にいる人とちゃんと付き合うのが面倒なら、その場からも降りる(辞職とか)べきだ。
 そしてまた、自分が何者であるのかを相手がわざわざカムアウトしないと相手のことを考えなくても済むのもまた「権力」。いちいち異議申し立てされないと、相手のことを考えないでも済むことも、「権力」。でもね、いちいちそんなに他人のことを考えてばかりもいられないのよ!私だって楽しみたいもの。だから面倒でもぼくに直接言ってね、お願い!
 まず「バイセクシュアルだけの」「男だけの」「女だけの」「ゲイだけの」「レズビアンだけの」「○○だけの」グループを作ることからはじめる、というやり方は、新たな権力構造をわざわざ1つ、自分でつくることになる。どうしてわざわざ?「○○だけのグループ」の中なら確かに「○○」のこと以外は考えなくてもいい。えっほんと?「○○だけ」なんてホントにあり得るの?
 社会的な要求をする段階どころか、自分を取り戻し自分に自信を持つ過程においてすら、自分と「同じ立場(ステイタス)」の人以外は自分の助けにならなかった–こんな風に思う人が多ければ、当然自分と同じ立場の人しか信用できず、「○○だけのグループ」を作りたがるだろう。そんな風に思わされないで済むような瞬間を・機会を・時間を、少しでも多く創り出し、持つことこそが、私にとってのリブ。わたしも、あなたも、そんな瞬間を・機会を・時間を、を求めていませんか?求めてみませんか?



参考資料◆ベル・フックスの発言
(BELL HOOKS。「怒れる女たち(第三書館)」収録の ANDREA JUNO との対談において。)

・私たちは今、「他の人々を退け、押さえつけない形で、黒人同士が連帯するにはどうしたらいいか?」を話し合うべき歴史的瞬間にいるのよ。「誰かを認めても別
の誰かを仲間外れにせずに住む、こんな風に他者を認めるとはどういうことか?」を考える絶好に機会だといってもいいわ。
・あるディナーパーティーで隣に座ろうとした若い白人がいて、その彼女が開口一番「ルームメイトの黒人女性とうまくいかないんです。どうしてあの人がああいう態度をとるか教えてもらえませんか?」って聞いてきたのよ。私、言ってやったわ。「ねえ、–仏教について知りたいことがあると、初対面
のお坊さんをつかまえて『お願いです、30分で全てを教えて下さい』なんてこというの?」ってね。
・「自分と違う種類の人とつきあうにはどうしたらいいでしょう?」って聞かれる度に私が引き合いに出すのが、恋をしたときのことなの。…(中略)…「誰かに出会って好きになったらどうするの?相手と親しくなるために何をする?人種の違う相手の場合にどうしてそれを応用できないの?ってね。例えば、私が街であなたを見かけて素敵だと思う。そこでたまたまあなたを知っている誰かがいれば、私はたぶんその人に、「ねえ、私あの人すてきだと思うんだけど、何かあの人のこと知ってる?」って聞く。実際はいろいろと役に立つし必要な場合があるのに–恋愛や友情の世界ではよく使う、この立派な戦術を、政治的に微妙な違いが絡むとすぐ棄ててしまう。
・この社会では、同じ仲間が集まるほうがコミュニティーとしてのまとまりは簡単にできる。だから結局、参加者の8割がゲイでないっていう、そんなゲイの権利運動は想像もできないのよ!

 


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