共犯者には、ならないよ!

 政府が設置した「慰安所」という名のレイプセンターに連れてこられで強かんされ続けた元従軍慰安婦たち、その元慰安婦たちが、たった今も日本政府に謝罪を求めている。その声を日本政府は、日本社会は、私たちは、黙殺し続けている。
 元従軍慰安婦の問いかけには応えない、日本がやった戦争の被害者の声を無視する、そんな日本社会のあり方は、元慰安婦に対するセカンドレイプに他ならない。それは、たったも今も、元慰安婦たちが戦争にさらされ続けていることを意味する。今わたしが、本当に「戦争反対」と言うのであれば、「従軍慰安婦問題」正確には「旧日本軍性奴隷制度」のことも考えずにはいられない。
(以下の文章は、2001年3月に書いて、私が出演したライブ会場で配布したものの再掲載です。)


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 2000年の12月に、「女性国際戦犯法廷」という民衆法廷が東京で開催された。日本軍によって慰安婦(=性奴隷・**注1)とされた元慰安婦たち約60名を含むアジア諸国からの多数の参加者と、のべ5000名の傍聴者が参加した。法廷では、天皇裕仁(昭和天皇)と、東条英機などの当時の政府・軍の高官が起訴され、極東国際軍事裁判の当時に適用可能だった法を適用して、人道に対する罪としての強かんと性奴隷制の不法性を検討した。
 ガブリエル・マクドナルドさん(旧ユーゴ戦犯国際法廷前所長)ら4人の裁判官たちは、法廷に提出された証拠を検討し、被告人天皇裕仁には「人道に対する罪」である強かんと性奴隷制についての責任で有罪であるとの認定をした。いわく、「そもそも天皇裕仁は陸海軍の大元帥であり、自身の配下にある者が国際法に従って性暴力をはたらくことをやめさせる責任と権力を持っていた」「天皇裕仁は自分の軍隊が『南京大強かん』中に強かんなどの性暴力を含む残虐行為を犯していることを認識していた」「強かんを防ぐため必要な、実質的な制裁、捜査や処分などあらゆる手段をとるのではなく、むしろ『慰安所』制度の継続的拡大を通じて強かんと性奴隷制を永続させ隠匿する膨大な努力を、故意に承認し、または少なくとも不注意に許可した」。また裁判官たちは、「慰安所」制度の設置と運営について日本政府の国家責任を認めた。
 正直な話、私はこの「天皇裕仁は有罪」という判決に、当初は突飛な感じを受けた。確かに裕仁には戦争責任があるし、裕仁が戦後なんら裁かれずに、象徴天皇制というあいまいな制度を作って延命してきたことは間違っていると私も思っていた。裕仁が死んでアキヒトが即位する際には、天皇制反対のデモに私自身参加していた。しかし、性暴力を受けて生き続けた被害者であり、組織的強かんの被害者である元慰安婦たちが、裕仁もとうの昔に死んだ2000年の今日に声をあげ主張をしたときに大きく出てくるものが「天皇裕仁の有罪」であるという事に、本当にびっくりした。「えっ、そんなことが大事なんだ?」。
 あまりの意外さにいろいろと調べてみた。
 被害者たちが、戦争中だけでなく戦後もなお貧困と孤独の中で苦しんでいる(**注2)一方、加害者たちは何ら裁かれず表社会の中で堂々と生き延び続けているという現実の中で、「このような理不尽な現実に年老いて死を意識した被害女性たちは、尊厳と正義の回復を求めて、責任者処罰を強く訴えるようになった(松井やより)」という。そして、今回の法廷が「不処罰の循環を断つ」というメッセージを持っていることを私は知った。
 なるほど!、と思ったのはこの時だった。
 性的な暴力は何も慰安所だけにあるのではない。私の生きる京都市左京区のなかでも、私たちの友人知人恋人の間でも、職場や学校や研究室においても、電車の中でも、そしてライブ会場でも、性的な暴力は蔓延している。「嫌だ!」と言っても相手にされず、抗議すればけむたがられ、仲間だと思っていたはずの人にも結局は敬遠されてしまい、被害者が見殺しにされ、被害者が孤立を強いられ、加害者は相変わらず普通に暮らし、いつものように性的な暴力があふれているこの日常。友人知人間で起きた、会内で起きた、社会運動団体の内部で起きた、家庭内で起きた、自らが主催した企画の中で起きた、性的な暴力を問題化し、誠実に取り組んだ場合に、その場に参加するものたちが被害者の問いかけをちゃんと受けとめることができずに、場自体やお互いの関係自体が崩壊してしまうということは、一度や二度ではなく私自身が経験してきたことであった。自分の生活の「外で」起きている不正(例えば、野宿者の公園からの排除・イスラエル軍のパレスチナへの軍事攻撃)には「何が正しいか」「どうあるべきか」という事を考えて行動することは比較的たやすい。しかし、自分の生活の「なか」で起きた不正、例えば具体的な性的な暴力を問題化することは、本当に困難だ。その困難さのために、「まあいいか」「仕方がないか」「運が悪かった」などといって被害者だけが諦めを強いられている現実の中を「わたしたち」は生きている。
 多くの場合、不正は力を持った者によって行われる。その加害者によって守られ、その加害者の世話になり、その加害者に教えられ、その加害者に雇用され、その加害者がいて初めてつくられる素敵な場所に客として参加し、その加害者がいるおかげで受け取ることのできる恩恵を得ている人たちは、自分が受けているメリットを失う危険を犯してまで被害者の味方をするか、それとも被害者を見殺しにし切り捨てて自分のメリットを守るかの選択にさらされる。そして、残念ながら多くの場合は、被害者は見殺しにされる。なぜなら、誰だって一度くらいはそうやって見捨てられてきた経験を持っている。「私だって、そういう辛いことはあったわ。何回もね。でも、我慢したの。だって、無理よ。あなたも、そんなにわがまま言っていないで、我慢しなさい!」。こうやって被害者の主張は「わがまま」にされてしまい、それでも諦めずに加害行為を追及すると、今度は被害者が、場の秩序を破壊する者として周りに非難されることになる。
 かくして力を持った者のわがままはまかり通り、性的な暴力をなくすことは無理なことで、だから今の社会の中でできるだけ自分が力を持つか力を持つ人に守ってもらうという生き方を選択するようになる。
 民間基金でお茶を濁そうとし国家責任を明確にとろうとせず裁判では時効を口実に賠償を拒む日本政府と日本社会を目の当たりにして、元慰安婦たちが「責任者処罰」を主張するようになる道筋は私にはピンと来る。性的な暴力の被害者がPTSD(**注3)から回復し「再統合」するためにも、加害者が弁明責任を負って謝罪することが不可欠だ。間違いを間違いとして、社会的に公の場ではっきりと確認すること。例え加害者本人が謝罪する意志がなくても、市民社会がそういう加害行為を許さないということを裁判を通じて公的に確認すること。こういったことは、セカンドレイプがまだ社会の中に氾濫する現実の中であるからこそ必要なことだ。
 そして元慰安婦たちにとって、加害者とは日本の国家であり、裕仁であった。そういった加害者たちの責任を追及することがどれだけ大変なことであるかは、日本に住む人であれば知らない人はいないだろう。しかし、そういった「責任」を、あいまいにするのではなく、「天皇裕仁は有罪」ということが最低限必要な事である、それは譲れない一線なんだ、そのことをはっきりと示したのが女性国際戦犯法廷であった。
 それはつまり、天皇裕仁をこれまで処罰せず、力を持った者の不正を「やむえないもの」として許容してきた「わたしたち日本社会」への強い批判である。いや正確には、慰安所の時代から今に至るまでずっと続いてきた強かんを許容する文化のなかで、そんな強かん文化とうまく折り合いをつけながら、毎日の日常生活の中で起きている性的な暴力に関しても責任者処罰まではしなくてもいいだろうと加害者となれ合って毎日の日常生活を送っている私への、強烈な批判であった、と私は受けとめた。私自身の中に潜む「強かん許容意識」を洗い出すためにも、21世紀の今を生きる私の日常生活の中の性的な暴力を許さないためにも、「不処罰の循環を断つ」ことは私自身の課題であり、私が私の日常生活の中で今しなくてはいけないことだ。
 140社以上のマスコミが取材したにも関わらず「天皇裕仁は有罪」という判決を報道した大手新聞社は(赤旗を除くと)皆無だった。私の周りの様々な社会運動に関心を寄せる人たちの間でも、女性国際戦犯法廷のことが話題にのぼることはほとんどない。性的な暴力やジェンダー/セクシュアリティーに関わることはいまだに「一部の人」だけが考えればいいことだいう雰囲気は、残念ながら支配的だ。私たちの知り合いの中で具体的な性的な加害・被害行為があったときにさえ、加害者である友人や加害者である恋人、加害者である権力者との人間関係の継続を優先して被害者を見捨てることのほうが一般的であるという日常から考えれば、別におかしいわけではない。自分が自分の日常生活の中で闘うことを諦めて、他人にも闘うことを諦めさせようとする人たち。現行秩序の中で居場所を確保しようとし、自分の生活を守るために他人にも現行秩序を維持する共犯者になることを強いようとする人たち。
 希望とは、どう考えても非現実的な(と私も思ってしまう)裕仁の責任追及を、2000年になっても諦めずに続ける人たちの存在(韓国の日本大使館への抗議行動は「今でも」毎週行われいる)であり、日本社会の中において、右翼の脅迫にも関わらず九段会館で女性国際戦犯法廷をやり遂げた人たちの存在だ。
 加害者が誰であろうと、性的な暴力を許さない。そういうメッセージを元慰安婦たちが自分たちの生活の中の具体的な事実から証拠を示して提起し、それに応えて女性国際戦犯法廷が裕仁の有罪を宣言した。そういった厳しい生き方を、私は私の日常生活の中で選択することができるだろうか。    
(2001.3.30)

注釈

(**注1)
 慰安所で行われていたことは、ほとんどは、売買春(労働としての性的サービスの売買)ではなく強かんだ。もし労働であるなら、いつでもその仕事を辞めて身の危険を感じないで帰ることができなくてはならない。それができなかったからこそ、従軍慰安婦制度は性奴隷制度と呼ばれ、強制労働としてILO専門家委員会でもつい最近でも取りあげられている。
 強かんであるかの判断は、慰安婦たちが強制連行されたかどうかではなく、まして個々の性交渉(強かん)の際に抵抗したかどうかでは決してなく、被害者が実際にその場から安全に立ち去ることが可能であったかどうかどうか(または、性交渉を拒絶しても身の安全を確保したままそこに居続けられるか)で考えられるべきだ。本人が望まない性交渉は、強かんである。

(**注2)
 性的な暴力の被害者は、まず直接の加害者によって強かんされ(ファーストレイプ)、次に被害者を見殺しにする社会の中で傷つけられる(セカンドレイプ)ことが多い。「セックスをすると汚れる・傷物になる」「強かんされたのに抵抗しなかった方が悪い」「性的な暴力の被害に遭うのは、被害者に何らかの落ち度があったからだ」「被害者が挑発したから性的な暴力を受けた」などといった単なるデマと誹謗が残念ながら社会の中に広範囲に共有されているので、多くのサバイバー(性的な暴力を受けて生き抜いている被害者)は自分の経験を友人や家族や恋人に話すことさえできないことも多い。話せば「どうして逃げなかったのか」などと非難され、話さなければ孤立する。直接の強かん被害で心身を壊していることの上にさらに、こういったセカンドレイプがサバイバーの生活を脅かす。

(**注3)
 心的外傷後ストレス障害。ポスト・トラウマティック・ストレス・ディスオーダー。

このテキストをチラシにして配布した時に、同時に収録したコラムがあります。


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コメント

“共犯者には、ならないよ!” への3件のフィードバック

  1. このテキストをチラシにして配布した時に、同時に収録したコラムがあります。
    ●私たちはジェンダーを擁護する共犯者。制度の外に出る気は始めっからない
    http://barairo.net/works/index.php?p=45

  2. 「天皇裕仁は、強かんと性奴隷制についての責任で、有罪」
    「天皇裕仁は、強かんと性奴隷制についての責任があり、人道に対する罪で有罪」との判決を出した女性国際戦犯法廷(2000年)について、日常における性的な暴力の問題に引きつけて考えてみる。

  3. ひびの まことのアバター

    【140社以上のマスコミが取材したにも関わらず「天皇裕仁は有罪」という判決を報道した大手新聞社は(赤旗を除くと)皆無だった】と書きましたが、朝日新聞も記事化したらしいということを後日ご指摘頂きました。

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