日常の会話の中で第三者を指し示す言葉、それが三人称の人称代名詞。具体的には「彼女」「彼」とかです。でもこれ、考えてみるとすごいことで、「性別」で人を表すのね。つまり、「私たちの文化」においては、「その人の性別」に対してこそ一番関心が持たれているってこと。
赤ちゃんの誕生の時に始めに聞かれる質問も「男の子?女の子?」。相手の性別によって自分の態度や接し方を変えることは「あたりまえ」。というかむしろ、そういったジェンダーのコードに沿って行動しないと一体どうやって人に接したらいいのか分からない、というくらいまで「私たち」はジェンダー化されていると言ってもいいのかもしれない。「女らしさ」や「男らしさ」の強制に異を唱える人も、恋愛やエロの領域で「相手の性別」がことさら基準になっている現実自体にはめったに疑問を挟まない。「私たちの文化」は、たとえフェミニストやレズビアンやゲイの活動家であっても、「男女という制度」にどっぷりとつかっている。
そしてだからこそ、そんなにもジェンダー化されている「私たち」だからこそ、いろんな試みが出来ると私は思っています。例えばたった今から1時間、性別を示す言葉を一切使わないで誰かと会話してみる、ということを試みてみると、いかに自分が性別にこだわった文化の中にいるのかを実感することが出来ます。
ご存じかと思いますが、英語文化圏では「(女の人が)結婚しているかどうか」にことさらこだわる文化が(以前に)存在しました。女の人を表す時に名前の前に必ず「Miss」か「Mrs」をつけて、結婚しているかどうかをいちいち必ずこだわって区別する文化がありました。でもそういう区別自体がよくないということで、結婚しているかどうかを区別しない別の新しい言葉「Ms」がつくられました。今ではこちらが標準になっている感があります。これは言葉の文化を作り替えるのに成功した事例です。でも、それでもまだ、「相手の性別にこだわっていちいち区別する」という事自体は廃止されていませんね。
で、まじめな話として、わたしは、「特に必要ではない時には、わざわざ性別を持ち出して性別で話をするのをやめよう!」と訴えています。女性差別はまず何よりある特定の人たちを「女である」と見なし区別することから始まるのだし、同性関係嫌悪(ホモフォビア)もトランスフォビア(「典型的な女子もしくは男子」ではない人や、また「典型的な女子もしくは男子のようにしないこと」に対する嫌悪感や恐怖感。例えば「女か男かよく分からない人」に対する嫌悪感や恐怖感)も、「女らしさ」「男らしさ」が過剰に信仰され社会的に機能しているからこそ生まれます。だからこそ「特に必要ではない時には、わざわざ相手の性別を気にするのをやめよう!」なのです。そして具体的な例として、いちいち人のことを「彼女」とか「彼」とか呼ぶのをやめよう、とも提案しています。
実は日本語では、「彼女」「彼」といった性別の入った人称代名詞を使わないで会話をしたり文章を書いたりすることは、そんなに難しくありません。例えばこの【米国便り】の1〜9まで、実は私は一度もそれらの言葉を使っていません。でも、特に違和感なく文章を読めていたでしょ?
ところが、英語だとそうはいかない。「she」「he」はともかく、「her」「him」などを使わないことは、とっても大変なことなんだ、と何人かの人に力説されました。
さて実は米国ではクイア系の方とお話する機会が私は多かったんですが、何人かの方が、私と話をするまさに一番最初の時に、「あなたはどんな人称代名詞で呼ばれたい?」とちゃんと尋ねてくれました。まず何より、私の見かけで勝手に「彼女」とか「彼」とか決めつけないで、ちゃんと私に直接聞いてくれたのが嬉しかったです。「性別とは基本的には本人の性自認のこと」「基本的に相手の性自認は尊重するのが礼儀」「外見(性表現)でその人の性自認を決めつけることは出来ない」というのは、トランス系(に限らず本当は社会の中で人々がジェンダーとつき合うため)のある種の「常識」みたいなことであると私は思っています。なので、まず最初に「あなたはなんと呼ばれたいのか」を聞いてくれたのは嬉しかった。ただ同時に、ことさらこのことを聞かれたということで、「her」「him」などを使わないで英語で会話することはかなり大変なんだということを思い知らされたということでもあります。日本語だと、わざわざこんなことを聞いたりしないで、ジェンダー/性別をはずして話をしたらいいんですからね。そういう選択をすることが英語では困難なんだな、と感じました。ジェンダーの配置についての言葉の文化という点で、英語と日本語には違いがあるなと感じた時でした。
さて、聞かれた私の答えはこうです。「Please call me"makoto"」つまり、「彼女」「彼」ではなく「マコト」と呼んでください、と答えました。なぜかこれはいつも必ず笑いをとっていました。なぜか受けていた!
余談ですが、今後英語文化圏で、「彼女」でも「彼」でもない人を指し示す人称代名詞として「makoto」が普及したら面白いな、などとエミさんとお話ししていました。十年後には性別不詳な人とかはみんな当たり前のように「makoto」と呼ばれるようになったりして(笑)。
もしくはまじめな話でいうと、三人称単数を「they」「their」で表すのもありだということです。なんせ英語の古典であるシェークスピアの使っている用法だということ。しかし、エミさん何でこんなことまで知っているんだ、もぅ、物知りなんだから。
●「男女という制度」について考えるための参考URL
https://barairo.net/works/TEXT/2genders.html
https://barairo.net/works/TEXT/Wherever/Wherever-j.html
●ある友人から「日本語だと、漢字の中にすでにジェンダーを意味する字が入ってる」と指摘されました。全くその通りですね。
投稿者 hippie : 2004年8月29日 13:22 | トラックバック
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