ユージンのプライドの日、企画から戻って、Portlandのエミさんのおうちに戻ってきてくつろいでいた時のことです。窓の外で「タタタタン」と乾いた音がしました。なんか聞き覚えがあるな、、、そう、これって銃声じゃない?パレスチナ以来二年ぶりの銃声でした。「あぁ、なつかしい」。
そういえばさっき車が急発進する音もしたなぁ、怪しい雰囲気だなぁ、と思っていると、お隣の家に人が逃げてきたりしている。怪我しているみたいです。案の定しばらくしたら、救急車とパトカーがわんさか登場して、家の前の路地を占領してしまいました。
Portlandでは、エミさんのおうちに泊めて頂いていました。エミさんのうちのあたりはPortlandで「もっとも危ない」地域なんだそうです。ある人によると「観光客が行くなんてもってのほか」らしいです。つまり要するに、黒人がたくさん住んでいる地域、なんですね。実際、近所ではギャング同士の争いがあって、一月に一度くらいは人が殺されているとか。
「危ない場所」というと、日本では例えば寄せ場がそういわれています。東京の山谷、大阪の釜ヶ崎(「愛隣」地区 )、横浜の寿町など、日雇い労働者(や野宿者/ホームレス)がたくさんいる地域のことです。汚い作業着を着たオッサンがたくさんいて、道路は汚れていてションベン臭くて、小さな飲み屋がたくさんある、あの雰囲気の町。こわ〜い、というイメージを持っていませんか?そして事実、山谷では天皇主義右翼によって映画監督や労働組合活動家が殺されたりしています。
ごめんなさい、わたしはそういう地域で生まれ育ったわけではありませんでした。なので、浪人中に初めて釜ヶ崎を尋ねた時は、実は少し怖かったです。なんだけど、その後大学に入って日雇い労働者の労働運動の支援や地域の越冬闘争に参加し、そこの人たちと直に接していく中で、そういうイメージはなくなりました。むしろ逆に、公園でひなたぼっこをするとか、夜一緒にたき火を囲むなど、寄せ場独特のゆっくりとした時間の流れ方があることも知りました。確かにそこにはシノギ(路上強盗)もいたりしますが、それはごく一部の人で、むしろ逆に優しい人の方が多いです。というと言い過ぎかもしれませんが、寄せ場やそこにいる人のことを十把一絡げにして怖いと思う感覚や、そこにいる人たちをまず疑ってかかるような視線は、要するに偏見であることが実感として分かるようになりました。言い換えるなら、寄せ場の人たちのことを自分とは違う人たちだと思っているから、「危険から身を守ろう」というような構えた感覚になり、それ故一層怖いと思うわけです。寄せ場と性的な暴力のことを考えても、寄せ場だからことさら危険だと言うよりは、いわゆる「一般」の市民生活において普段は隠蔽されているものが顕在化しやすい状況にあるんだ、とわたしは考えています。
例えばタイ。例えばフィリピン。そして例えばパレスチナ。いろんな国で危ないと言われているところにもわたしは行きました。そして確かに決して安全ではないこともありましたが、でも、そこにも人が住んでいて、暮らしがあります。「わたしはお金持っていますよ」みたいな外見をした観光客が無防備にいたら、それは襲われることもあるでしょう。というだけのことです。
Portlandでの銃声に戻りますが、まぁ考えてみれば日本でも暴力団どうしの抗争はあるわけです。でも関係ない人は基本的には狙われることはありません。Portlandのギャングの抗争でも同様だということでした。パレスチナであまりにひどいものを見てきたということがあるのか、まぁいつ死んでも仕方ないなと思っているからなのか、ドキドキはしましたが、むしろ逆に懐かしい感じがして、そして今わたしが生きている現実を思い出したような気になりました。そう、本当はわたしも、いつ死ぬかも分からない世界の中で生きているハズなんだ、と。
むしろ怖いのは警察だ。一段落した時に、エミさんとそんな話をしていました。日本の中産階級的な生活を京都で送っていると時々忘れてしまうのですが、警察のもっとも基本的な存在目的は、国家や政府(もしくは国家や市民社会の内部の『一応の多数派』)が、自分たちの利害を市民に強制するための暴力装置だとわたしは思います。存在の目的自体が、弱者や少数派の味方なのではなく、強者や多数派の味方です。「銃で撃たれた人が逃げてきたらどうする?警察に助けを呼ぶ?」「それは本人が何を望んでいるかを直接聞かないと分からないね」なんて話が出来ました。分かり易い例で言うと、撃たれて負傷している人が例えばビザなしだったりすると、警察や救急に捕まった方が一層本人にとって状況が悪くなることすらあります。このあたりの感覚、警察には「市民警察」としての側面も確かにありますので絶対的に全面的にその存在を否定するわけではないですが、基本的には警察を信用していない感覚がエミさんと少し共有出来たのは嬉しかったです。
というかさ、クイア系の活動家で基本的に国家や警察を信用していない人って、少ないのよね。逆に、「国家によって公式に承認されたい」みたいな人が運動の中では主流で、わたしは苦手。その辺が「マジョリティーによるマイノリティー運動」ってことなんだと思うけど。基本的に国家や政府や警察のことを「自分を守ってくれるもの」と考えるか、それとも「自分を抑圧するもの」と感じるか。それはまさに国家(日本や米国)内部における自分の地位や階級や権力の有無がダイレクトに関係してくるんだと思います。
話が飛ぶようですが、DVを犯罪化して警察に頼って解決をしようという運動の路線自体に対して基本的に懐疑的(「フェミニズムへの不忠」 )なのも、このあたりのことと関連があるように思います。
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