米国で、ある日本人旅行者が飛行機の機内で英語の勉強のために「suicide bomb(自爆)」とメモしたところ、それが乗客と乗務員に見つかって騒ぎになり、結局その飛行機はもと来た空港に引き返し、その日本人は逮捕された。こんなニュースを聞いたのはわたしがポートランドを発ってミネアポリスに向かう数日前のことでした。
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わたしはこのニュースを聞いた時、「冗談でしょ」と思ったし、冗談ではなく本当の出来事だと知った時はなんかとてもばかばかしい気がしました。あのね、ちょっと冷静に考えれば、本当に自爆をしようとしている人が、そんなこと書くはずがないです。ちょっとでも疑われる可能性があるようなことはするはずがないじゃないですか。
わたしはあまりにもばかばかしい事例だと思ったし、今の米国がどれだけおかしな状況にあるのかを分かり易く示す事例だと思いました。なので、米国の状況のおかしさを表す事例として、基調講演でも取り上げようと思いました。
そしたら、エミさんがアドバイスをしてくれたのです。「この事例を挙げても、米国の人に対しては何がおかしいのか分からない。米国では伝わらないのではないか」と。エミさんは、この事例は「米国では車は右側通行だ」というような日常化したいつもの当たり前の事例だというのです。どうしても取り上げるのであれば、「日本では車は左側通行だけど、米国では右側通行だ。なんか変な感じがした」みたいに「変だと感じた理由」を書かないと分からないのではないか、と言われました。「えぇぇぇ、、、そんな馬鹿な」。
結局は、【米国便り15】に流したように最後のトピック(Last Topic)として入れました。米国のLG系のオリジナルTシャツをつくっている「Don't Panic」というその筋では有名な会社というかブランドがあるのですが、それと絡めて話しました。
(念のために言うと、この「Don't Panic」というのは、だれかがクイアだと分かると「ホモだ」「レズだ」ということで勝手に自分でパニクって大騒ぎする訳のわかんない人にたいして「そんなことでパニックにならないでね」と嫌みのアドバイスをするような趣旨のものです。もしくは、意図せずに自分のことがばれちゃった時や、カムアウトするべきかどうか迷っている時にも「パニックにならないでね」という意味もあるかも)
(ちなみに新宿二丁目でも「Don't Panic」のTシャツ買えます。わたしはこのTシャツに影響されて日本語Tシャツをつくりはじめました。ひびのオリジナルTシャツ「変態左翼活動屋」もよろしく。買ってね。)
で、聴衆の反応はと言うと、それなりに受けていました。基調講演全体が暗い話だったのでここで笑わないでどうするという心的機制が働いたのかもしれませんが、とにかく話としては少しは伝わった感じでした。エミさんのような危惧は杞憂であったような印象をわたしは受けました。ちなみにここもあえて書きますが、聴衆の大多数は米国在住の白人たちです。
でね、なるほどね、と思ったのです。
米国在住のアジア人としてのエミさんが毎日の生活の中で感じている危機感や、また送っている毎日の現実のありざまと、米国では基本的には多数派である白人のそれとの間に、ギャップがあったのではないか、と感じました。
似たような話がもう一つあります。エミさんと合流する前、サンノゼではダーリーンの知り合いのお家に泊めて頂きました。その家の人も、サンノゼでいろんな反戦運動とかをしている白人の方でした。ドナほどではないにしても、家の前にイラク戦争反対のポスターを貼ったり、街頭に出たりしています。で、その人から「End the Occupation of Iraq」と大書きされたピカソをもじったポスターを頂きました。わたしはそれを気に入ってスーツケースに貼り付けたりしました。これについて、「空港とかでははずした方がいいのかなぁ?」とそのお家の人に聞いてみたりしたのですが、「もちろんそれはマコトが決めることだけど、はずす必要はない。何の問題もない」ときっぱりと言われたりしました。そりゃそうですよね、仮に政府の方針と異なっていたとしても、自分の政治的意見を表明することに躊躇する必要なんてないし、また思想信条や表現の自由があるのが民主主義国家というものです。何ではずす必要なんてあるのでしょう。わたしも日本で聞かれたら、同じように答えるでしょう。
なんですが、エミさんの意見は違いました。「空港では、はずした方がいい」。
思想信条の自由や表現の自由なんて話が、建前であって、実際にはそんなポスターを貼っていたら警官や空港職員から変な尋問を受けたり、言いがかりをつけられて逮捕されかねない、というのがまた現実であることもまた、わたしは知っています。厳にただ単に「suicide bomb(自爆)」とメモしただけの人が実際に逮捕されたりしているのですから。
で、たぶんこのあたりのことについての危機感、実際に理不尽に疑われたり嫌がらせを受けるかどうかという点についての置かれている状況の違いが、アジア人であるエミさんと、白人であるその家の人では違っているのだと感じました。白人でないというただそれだけのことで、疑われたり、怪しまれたり、尋問されたり、逮捕されたり、場合によっては殺されるという現実を生きている人と、白人であるからこそ思想信条や表現の自由が国家によって守られ、多少反政府的なことを言っても捕まることはないと思っていられる人。実際つい最近も、左折ウインカーを出さなかったというただそれだけのことで警官に射殺された黒人運転手がいるなんて話をエミさんとはしていました。これが白人だったら少なくとも射殺されることはないでしょう。生きている状況が違うので、大きな温度差があるのだと思います。
そういった白人の「良識派」の人たちは、多くの場合「話せば分かる」人たちです。実際、バイコンでのわたしの話も、米国批判もかなりしたんですが、わたしが逆にバッシングされたり攻撃されることは全くありませんでした。むしろみんな素直に耳を傾けてくれる。でもだからこそ一層たちが悪い、と思うこともあるんですよね。進歩的なリベラルでラディカルな多数派こそが、もっともマイノリティーを搾取します。むしろ確信犯の右派の方が、正面からケンカ出来て分かり易い。
ちなみにこの話、もちろん日本のことと比べながら考えています。文化的のみならず法的にも在日朝鮮人を差別し、いまだにアイヌを先住民族として認めず、墜落した米軍ヘリの現場検証さえできなくても何とも思わない日本人。れっきとしたレイシズム社会のなかで、のほほんと暮らしていることが出来ているわたしのような「日本人」の、のどかさというかおおらかさというか、そういったものと比べながら、わたしはものを考えていました。
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はじめまして。ネットをうろうろしていたら辿り着きました。アメリカ在住日本人として、【米国便り16】にいろいろ思うところありまして、コメントまでお邪魔した次第です。
「エミさんのような危惧は杞憂であったような印象」と書かれていましたが、私の個人的な考えでは、杞憂ではなかったのではと思ったりします。ちょうど、観光で大好きだった土地に諸理由で引越して生活基盤にすると、いろいろな問題がみえてくるように、アメリカで生活しているエミさんと、一時の滞在者であるひびのさんの感覚が、ずれたのかもしれません。
英語の発表内容も拝見しましたが、よい意味でストレート、悪く言えばかなりきつい表現をされているように印象をもちましたが、この内容で笑いがとれたということは、やはりひびのさんが書かれているように、白人と非白人の温度差によるのでしょう。
私が聴衆や場所を考慮にいれずにアドバイスを求められたとしたならば、やはりエミさんと同じアドバイスをしているのではと思います。わざわざ災いを招くような行動をしなくても、むこうからやってくる感があるからです。アメリカで最も自由を謳歌しているのは、マジョリティである白人なのかもしれません。
とても考えさせられました。こんな機会を与えてくださったこと、感謝いたします。長文お許しください。
Posted by: Jo : 2004年9月18日 17:22Jo さん
初めまして。貴重なコメントありがとうございます。▼
私の書き込みでは「杞憂であったような印象」と書いてしまいましたが、もっと正確に言うと、「話が全く伝わらないのではないか、というのは杞憂だったような印象を受けたけれど、でも実は一番大事なことは伝わらなかったかもしれない」という風になります。
▼実は当日笑いが出たのは、「Don't Panic!」の話を出したところでした。今の米国のパラノイア的な過剰自己防衛のことを話すのに、クイアの文化の中で通底するものはないかと思って、この例を出したんです。この「Don't Panic!」は、私も初めてみた時も「うまい!」と思ったし、このコードを使えば、類似のことを想像して、自爆の話も伝わるのでは、と思ったのでした。
▼で、確かにその限りでは伝わったと思うの。「過剰だよ、なんか変だよ」というくらいまでなら、「そうだね、変だね」というくらいのリベラルさというか余裕は皆ある感じでした。でも、分かってもらおうと思って「Don't Panic!」の例で説明してしまったことで、おびえて、びくびくして、パラノイア的な過剰自己防衛がやむを得ないと思わずにはいられない米国の状況が、なぜ発生しているのか、どのようにすれば変えられるのか、などということについて、ちゃんと考える契機をつみ取ってしまった、という面もあったと今では思っています。▼もっとはっきり言うと、「(白人である)あなた達が、自分がマジョリティーであることに鈍感だから、白人以外を差別していることに鈍感だから、そういうレイシズム社会の中で安寧と暮らしているから、その当然の報いとしてあなた達は攻撃されているに過ぎないんだよ。マジョリティーであるあなた達の生活は攻撃されてしかるべきものなんだよ、あなたには攻撃される資格があるんだよ。これはどんなに警備を強化しても無駄だよ。米国による世界侵略、米国内のレイシズム、そういったものをなくさない限り、永遠に攻撃は続くよ。」ということを伝えることはできなかった、伝わらなかった、と思っています。
▼言い換えると、自爆+「Don't Panic!」の話で笑ってくれた白人の人には、「自爆の話は伝わらないと思う」とアドバイスしてくれたエミさん置かれている状況や、Joさんの思いは、基本的に分かっていないんだと思うのです。
▼このマジョリティーの「おおらかさという形をとった無責任さ」「悪意のない良心的な、しかし権力を持たない市民としての自覚」「まるで自分がマイノリティーであるかのように思いたがる習性」は、日本における日本人のそれ(男性のそれ、異性愛者のそれ、健全者のそれ、、、)と同じものなので、例えばパレスチナでイスラエル軍に逮捕されるまで在日朝鮮人の市民権のことを詰めて考え来なかった自分のあり方のひどさを自己批判する、みたいな言い方をもっとちゃんとした方が少しは伝わったかも、と今では思います。(あとに続く)
▼参考サイト
ペルー日本大使公邸人質解放事件について(97.4.24)
「覚悟せよ、あなたたちは(今回の人質や私日比野と同様に)占拠され、人質にされる資格をもっている」
https://barairo.net/news/MRTA/comuniqe.html
(前からの続き)
▼伝わる/伝わらない、の話ですが、伝えるべきことは「断絶の存在」だと思います。
▼その意味で、聴衆の反応が二分されるような話をすることができたらよかった、と思います。
(その意味で「Don't Panic!」を使って話したのは失敗だったかも。)
▼というのも、会場には、一定数の非白人もいたからです。
非白人にはとっても受ける、でも白人には何のことか分からない。そんなトピックがいくつかあれば、断絶の存在を伝えることができます。
▼実際、私の話のはじめの方で「I am a Male to X-gender transgender, or in English to say I am GenderQueer, in Japanese "OKAMA".」と話したのですが、この「オカマ」のところで聴衆として来てくれていた1人の人が大笑いしてくれました。日本語を話す人だったので、日本語環境における「オカマ」の意味を知っていたからです。
▼私もよくやってしまうのですが、大勢の前で話をする時、その場のマジョリティーに対して話しかけてしまうという失敗をよくします。でも、その場にはその場のマイノリティーもいる訳で、そういう人に対して話す、マイノリティーどうしの対話の場にマジョリティーをつき合わせる、そういう方法をとることで、「今この場所」に暗黙のうちに隠蔽されているヘゲモニーの存在を顕在化することもできます。
(例えば無責任に言ってみると、萱野さんには国会での初めての発言は全てアイヌ語でやって欲しかった、みたいな感じもします)
▼今回私は、米国滞在が初めてであったこともあり、とりあえずやってみて、とりあえず言ってみて、その反応を見て考え始める、みたいな側面もありました。基調講演も、実はワタシ的には満足のいくできではありませんでした。少なくとも日本で日本語でやっている時と比べると、詰めの甘さや詰め切れていない感じがしてならなかったです。ですが、こういう機会があったおかげで私もいろいろと考えることができました。このあたり、私を基調講演者に呼ぶバイコンの功罪の両面については、また改めて書かせて頂きますね。
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