実はわたし、バイコンのことは日本の友人であるルカさんに教えてもらいました。バイの仲間で、1999年に一緒に「ぽこあぽこ12号 特集『バイセクシュアル』である/ない、ということ」をつくった人です。このバイ特集号にもルカさんのバイコン参加レポートが載っています。
ちょうどその数年前くらいから、わたしは、レズビアン・ゲイのコミュニティーの中において、バイセクシュアルという言葉を使って表現を始めていました。「私は同性愛者でも異性愛者でもない」ということを強く表現することにいろんなとまどいと迷いを感じながらも、でもそういう自分のことを主張し始めていた頃です。札幌で開催されたパレードに初めてバイセクシュアルを表す言葉「Bi」が入ったこと、そのパレードで「私たちは誇り高き『バイセクシュアル』」という大きな看板を掲げたこと。その直後から「アニース」がサブタイトルを「女を愛する女たちの雑誌」から「レズビアンとバイセクシュアル女性のための雑誌」に変えたこと。「第3回東京レズビアン・ゲイ・パレード」が「レズビアン・ゲイのためのパレード」なのか、それとも「レズビアン・ゲイ以外の性的少数者を含めたパレード」なのかで大もめになったのもこの頃でした。いろんな動きがあった頃でした。
当時の私の文章は、今から読むとやや稚拙な感じもしますが、でも一生懸命さと丁寧さは、今よりも勝っているかもしれません。
***私は誇り高き『バイセクシュアル』
https://barairo.net/works/TEXT/bi.html
***女!男!うんざりだ!あらゆる‘暗黙の規範’から自由になろう!
https://barairo.net/works/TEXT/poko.html
端から見ている人には、私の表現や主張、行動は、自身にあふれた、確固たるものとして見えているのかもしれません。でもやっている本人には、結構揺れやとまどいもあったりします。特に「バイセクシュアル」の主張は、マイノリティーの中におけるマイノリティーの主張という側面があります。あまり強く主張したらコミュニティーから追い出されるのではないかという危惧がないというとウソになりますし、また「ゲイとしてのプライドがもてないから『バイセクシュアルだ』と言っている」という種の中傷も決して珍しい話ではないので、「ん?私って、ホモフォビアに負けて『バイセクシュアル』とか言っているのか?」と一瞬考えたりもしていました。また、ホモフォビアな社会の中で疲れたりして、またそういう社会に怨念をためている人たちに対して、「異性間の性的な関係」を肯定的なものとして提示し認めさせ扱うことを要求する、というのは、いくらそれが必要で正しいことが自分では分かっていても、「いやぁ。無理だろうなぁ」と思ったり、躊躇があったりしました。そのヘテヘテな社会と文化のなかで疲れている感じ、異性愛がことさら自明視され強制されていることのうっとうしさ、そのなかで同性間の関係を肯定的に受け止めることの困難さ、そんな思いは、私自身のものでもあるし、だからこそその「バイ嫌悪」の感覚は「分からないもの」ではないのです。でも、だからといって、自分がいないことにされたり、自分が2級市民扱いされるのはやっぱりおかしいのではないか。そう思い始めて、おずおずと主張をし始めていたのでした。
そんななかで「国際バイセクシュアリティ会議(バイコン)」や「バイネットUSA」「バイセクシュアル・リソース・センター」をはじめとするバイセクシュアルの運動の存在を知ったことは、実はとても励みになったのでした。パレードで、外見上の男女2人で「バイセクシュアル」の看板をもって歩くというのも、米国でそういうことをしている人がいた、というところからアイディアをもらったものでした。
そしてさらに驚いたことは、「バイネットUSA」の発行しているパンフレットに書かれていることが、私が自分で考えていたことととても似ている部分があったということでした。
「なぁんだ、私みたいに考えている人は、結構いるんじゃん!」
私にとってのバイコンは、まさに私がいろいろと思いをめぐらせている自己形成の過渡期に、私自身をとても励ましてくれた存在でした。その当時「バイセクシュアル」を肯定的なものとして扱って公然と表現されているものは決して多くはありませんでした。誰もやっていない(と思える)ようなことを始めようとしていた私にとって、バイコンや米国のバイの運動は自信を与えてくれたのでした。私が今でもかなり精力的に表現を続けているのには、そういう人の存在によって励まされる人が実はかなりいるということについて、自身の経験からも確信しているからというのがあるのです。
こんな歴史が私にはあるので、バイコンで基調講演に呼ばれるということは、私にとってはとても嬉しいことだったのでした。「バイセクシュアル」をキーワードにしていろいろと表現してきた私の運動の、一つの区切りとして、バイコンへの参加は私にはとても意義深いものでした。
ただ実は、今の私からみると、バイコンは一言で言うと「メインストリーム系の運動の場」だったと思います。しかしそのことについては、また改めて書くことにします。
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