「連続ワークショップ」のお知らせ

 プロジェクトPでは、新年2月以降、以下の内容で「連続ワークショップ」を2回に分けて行います。これは、プロジェクトPの関わっている1人1人の考えていることをお互いに知り合い、今後のプロジェクトPの在り方を考えるきっかけとするために行われるものです。これまでプロジェクトPに来られたことのない初めての方でも、興味のある方の参加を歓迎します。また、今後のプロジェクトPの活動の在り方を巡る一番基本的な話し合いの場でもありますので、今後プロジェクトPを積極的につくっていこうという方は、是非ご参加下さい。(参加の申し込みは締め切られました)

連続ワークショップ-その1-
 日程とテーマ(予定)
 ■第1回■2月05日(水) 20:00〜
 「男のジェンダー問題・第3回パレードにおける継続委員会側の対応から考える」
 ■第2回■2月12日(水) 20:00〜
 「ハッシー大暴れ!」
 ■第3回■2月19日(水) 20:00〜
 「寛容と歓待」
 ■第4回■2月26日(水) 20:00〜
 「従軍慰安婦問題についての学習会(その1)」および参加者どうしの交流会

連続ワークショップ-その2-
 日程は未定(4月以降の予定)。テーマは以下のものを予定。
 ■「FUCK! SUCK! TANK GIRL (ノン・モノガミーについて?)」
 ■「セクシュアリティーのことも含めて、話のできる関係をどういうふうに創るか」
 ■「SM」
 ■「私たちにとって「リブ」とは何か」
 ■「家族について」

■各ワークショップの内容については、次ページ以降をご覧下さい。
■「連続ワークショップ-その1-」に参加を希望される方は、必ず事前に参加の予約申し込みをして下さい。電話・FAX・郵便・E-mailのいずれでもかまいません。
■今回の「連続ワークショップ」は、参加した1人1人がちゃんと向き合っていけるものにしたいと思っています。そのために、原則として、全4回のワークショップ全てに通しで参加する意志のある方だけを対象とします。自分の興味のあるテーマのときだけではなく、自分には直接関係ないような話にもちゃんと関わっていくことこそが、立場の違うもの同士がミックスで共存していくためには、大切だと考えるからです。このことを理解された上で、どうしても参加できない日があるなどの方は、必ず事前に下記参加申し込み先にご相談下さい。
■また、この「連続ワークショップ」が開催できるのはプロジェクトPという場があってのことであるという事をふまえ、1人1回のワークショップにつき300円、合計4回通しで1200円のカンパをプロジェクトPにお願いします(第1回目にまとめてお払い下さい)。これは「連続ワークショップ」のときのお菓子代とプロジェクトPの今後の維持運営費にあてます。
■日程及びテーマは参加者同士の話し合いによって変更されることもあります。
■(参加の申し込みは締め切られました)

■その他詳細は下記にお問い合わせ下さい。
 (--連絡担当者の引っ越しのため、記述を削除しました--)

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各ワークショップの内容

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男のジェンダー問題
第3回レズビアン・ゲイ・パレードにおける
継続委員会側の対応から考える

BY ヒッピー

 例えば、なんでも自分に落ち度があったからだと思い込むこと、思わず男性に遠慮して発言を思いとどまってしまうこと、など、現在のジェンダーを巡る文化の中で女性が被る精神的な抑圧については、ウーマンリブ・フェミニズムの闘いの中で、かなり対象化され、語られてきました。個々人の女の人のフォローという点でも、フェミニストカウンセリングや様々な自助グループなどが、(まだまだ不足しているにしても)全国各地に見られます。
 つねに強く正しくあらねばならない、弱音を吐いてはならない、などといった、男性が被るジェンダーの刷り込みは、確実に私たち男性を(そうね、こういう文章を書くときはわざわざ「男性」というカテゴリーを持ち出したくなるのも事実よね。困ったものだ)生きづらくさせています。男、特にヘテロの男の人は、常に自分の意志に関わりなく「加害者」としての社会的地位を押しつけられ(あてがわれ?選択して?)、実際にそういった「男」としての身ぶり(文化・ジェンダーロール)を部分的にしろ身につけ(させられて)てしまっている分、救われる余地がない!「ちょっと間違っちゃったみたいだ、ごめんね」「助けて、しんどいの」こういう一言が言えないからこそ「男」なのよ。ああなんてかわいそうなの。そして、これはもちろんヘテロの男の人に限ったことではありません。
 第3回レズビアン・ゲイ・パレードにおける継続委員会側の人たちに対する私の感覚は、今はこんな感じです。「彼らが悪い」ということが問題なのではなく、なぜ彼らがあそこまで追いつめられてしまったのかをこそ、セクシュアリティーをテーマにする<私たち>であるならば、考えたいといまの私は思う。彼らは下手だっただけなのだ。彼らを「不当な専制君主」として一方的に非難し続けることによってこそ、私たちの社会・コミュニティー・人間関係の中に日常的に潜んでいる「彼ら的なもの」を、隠蔽・温存する事になるのだ、と思う。(「オスバカノンケ」を非難する言葉は皆、「オスバカホモ」「メスバカホモ」「メスバカヘテロ」の私たちに返ってくる!)

 「メンズ・リブ」は、決して、女性に対する加害者としての自分を反省して「抑圧的でない男性」になろうとすることを主要な目的とした活動ではないと私は思っています。結果として、「おとこおとこ」していない人が増えてホモや女の人や「シンジ君」を蔑視しない人が増えることはありうるでしょうが。従って、メンズ・リブは、これまで日本の中にはなかった活動であり、フェミニズム運動やレズビアン・ゲイの運動とは異なる、別の(又は取りこぼしてきた)運動であり、またそれらの既存の運動を支援するための運動・活動でもありません。既存のフェミニズム運動やレズビアン・ゲイの運動がメンズ・リブに出会うときには、既存の運動がこれまで自分たちが苦労して築いてきた文脈・世界観を相対化し、一歩外にでることが要求されます。だからこそメンズ・リブは、必要だし、おもしろいと私は思います。

参考資料◆1973年宣言(Barkeley Men's Center , 1973)
 ぼくたちは、不可能で抑圧的な男性像-強くて、寡黙で、冷静で、ハンサムで、非情緒的であり、成功しており、女の主人であり、他の男に対しては指導者であり、富を手にし、頭脳明晰、スポーツ万能、そして重々しさを持つ男-を達成しようと苦悩し、競争しあうことを望まない。
 ぼくたちは、社会から課せられた男の役割に合致した生き方をするように演技することは、男女関係においても社会関係においても、もうしたくない。ぼくたちは自らの感覚・感情・知性を閉じこめるのではなく、自然に経験し、それを表現したい。
 温かさと感受性、情緒、正直さを持って、他の男や女たちと人間的に結びつきたい。ぼくたちは、自己の周りにつくった壁を打ち壊すことによって他と感情・経験を共にし、男どうしの破壊的競争を終わりにし、女性と対等な関係をつくりたい。自分自身のためにも、他の男たちのためにも、また女たちのためにも、男自身が今、これらの失われていたものを回復し、男どうし互いに愛し、慈しみ、サポートすることが大切である。

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ハッシー大暴れ!


は〜い、お〜い、ハッシーで〜す!
あなたは、男ですか?女ですか?あなたはペニスですか?ヴァギナですか?
あなたは射精しますか?生理がありますか?
男ってなんでしょうかね〜!女ってなんでしょうかね〜!
ハッシーの話は、あなたの性自認とセクシュアリティーを揺さぶります。
来てね〜!
(文責:ハッシー)

(編集部注ー半陰陽者で、ヒジュラニッポンをやっているハッシーの発題によるワークショップです。)

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寛容と歓待


気持ちのいいパーティー
気持ちのいいセックス
気持ちのいい団体
気持ちのいい会話
他人と接することが気持ちいいと感じるときの裏に何があるのかねえと「気持ちよさ」をテーマにした話ができたらと思っています。参考になりそうなビデオテープとかも持ってきたいとおもっています。

文責:阿部大雅

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従軍慰安婦問題についての学習会(その1)と
参加者どうしの交流会
(学習会のあと参加者どうしの交流会とします。)


 最近、小林よしのりさんや何人かの知識人たちによって「新しい歴史教科書をつくる会」がつくられ、「日本軍による従軍慰安婦の強制連行はなかった」「今の教科書は自虐史観に基づいて作られている」などという主張が、かなり精力的になされています。また、元従軍慰安婦の反対があるにも関わらず、国家責任をあいまいにした「国民基金」による元従軍慰安婦に対する支給が開始されました。
 セクシュアリティーをテーマに活動する団体が、いま、従軍慰安婦問題について何も関心を示さないのは、あまりにまずいのではないか?という直感が私にはある一方で、今の日比野の生活圏・時間軸においては、従軍慰安婦問題は緊急でリアルな問題ではないのも事実です。
 従軍慰安婦問題はかなり以前から問題提起はされていたように思うのですが、「運動」の中でそれなりに取り上げられ、社会問題化してきたのはやっと最近のことです。それでさえ、例えば国連の「クマラスワミ報告」による指摘などのいわゆる「外圧」によるところも大きいのではないでしょうか。元慰安婦がわざわざ日本にやってきて政府相手に裁判を起こしたことなど、果たして-私たち-のどれだけが積極的な関心を示してきたでしょうか。この社会的な無関心が、私には、オカマの話・性的指向やホモフォビアの話・女の話に対する社会的な無関心にどうしても重なって感じられてしまいます。
 従軍慰安婦問題が社会的に軽視され、さらには「日本軍による従軍慰安婦の強制連行はなかった」などという主張がでてきても許されてしまう背景には、以下のような理由があるのではないかと思います。
1.問題となっている元従軍慰安婦が女性であること(男性による主張でないこと)。女性の発言はしばしば無視ないし軽視される。
2.問題となっている元従軍慰安婦が日本人ではないこと。単一民族幻想のもとにある日本においては、日本人でないものは権利の主体ではなく管理の対象であり、対等な扱いを受けない。従って発言も無視されやすい。
3.サバイバー(性暴力の被害を受け、立ち直って生き続けている人)やセックスワーカー(性産業で働く人)に対する嫌悪・蔑視があるため。サバイバーである元従軍慰安婦の主張は、無視される。
4.従軍慰安婦の存在は国家政策によるものなので、国家・政府から自立しそれらを相対化して考えることができない限り、問題として認識できない。これは日本では非常に困難なことである。
 このように考えていけば、セクシュアリティーをテーマに活動するのであれば重要な問題が多く提起されているのですが、私の日常生活の中にいると、運動を呼びかけたりするまでのパトスもないのも正直に言うと事実です。
 今回はとりあえず学習会をします。「日本軍による従軍慰安婦の強制連行はなかった」などという主張が全くのうそであることを確信できればいいと思います。   (文責:ヒッピー)

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