ひっぴぃ ♪♪ こと
ひびの まこと
1967年5月21日生まれ
183cm/63kg
京都市上京区在住

こんなことをやってきました

札幌マーチ  「レズビアン?ゲイ?バイ?ヘテロ?......?生と性はなんでもありよ!の会 プロジェクトP」結成(1995年)に関わり、また以前は「ゲイフロント関西」の役員もやっていた(2001年以降は役員辞職)。東京レズビアン・ゲイ・パレード(1994〜1996年)や第1回 LesBiGay プライドマーチ in 札幌(1996年)、関西パレードのついての話し合い(2000年)などにも積極的に参加した。その間一貫してゲイ(及びレズビアン)のコミュニティーの中における「バイセクシュアル」への不当な扱い(例えばパレードの名称から「バイセクシュアル」ははずされる)を問題提起し続ける。ゲイフロント関西役員在職中に作成した「ぽこあぽこ12号(バイセクシュアル特集)」は(ゲイ男性以外には)大好評。
 また、性別を考え直す企画「女?男?いちいちうんざりよ!」(1998年)以降はトランスジェンダーの提起する問題を考え続ける中で、「男女という制度」(性別秩序)総体を相対化/批判する必要性を痛感。本当に「男女という制度」を廃止するためには性的な暴力を本当になくしていくことも必要だと考えたことと、コミュニティー内外でしばしば性的な暴力が問題になり場がこじれていくのを目の当たりにし、最近では「性的な暴力」に対する取り組みを日常的に行うことにも力を入れている。
 その他には、全力オナニーズにゲスト参加して「革命ROCK」で「売春労働者に労働組合を!」と唄い(1993年)、サルサバンド「ティト野鳥とザグレートカブキ」ではドラァグショーとストリップショーをやり、また「サパティスタのマルコス副司令官が同性愛者であるかどうか」という歌やオカマの唄を唄っていた(現在バンドは活動中止)。
 また、セックスワークの非犯罪化を目指すグループ「UNIDOS / ウニドス」の組織のあり方へ批判を行い(「セックスワークの非犯罪化」という正しい政治目的を利用して、セックスワーカー当事者や支援者の中に分断を作り出し、もってセックスワーク非犯罪化の運動の広がりを破壊した)、タイ旅行からの帰国時に関西空港でタイのゲイ雑誌を取りあげられたことに抗議して大蔵大臣に異議通告(1999年)、離婚を祝うイベント「リコン♥リコン」開催(2000年)、京ガスの賃金女性差別に抗議する署名集め(2000年)に少しだけ協力、「まこちゃんの性のしくみ教室」開催(2001年)、「2001年 夏だ!ストップ性暴力キャンペーン」参加、戦争とテロに反対する集会やデモに参加して左翼運動の中にある性差別を問題提起(2001年)、イラク空爆に反対(2003年4月)などなどここに今改めて書いてみるといまさらながら色々頑張っている感じ。
 バラタ難民キャンプ1 バラタ難民キャンプ2 バラタ難民キャンプ3 2002年には、パレスチナで非暴力直接行動の運動を行っている国際連帯運動(ISM)の活動に参加し、イスラエル軍に身柄拘束された。リアルな写真などを持ってわたしがあなたのお宅に「パレスチナ問題」を配達する「ひっぴぃ ♪♪の出張サービス」は大好評。
 米国で開催された「国際バイセクシュアリティ会議」に基調講演者として招かれた(2004年)のを利用し、せっかくなので米国西海岸の講演ツアーを行った。同年に解放出版社から出版された「知っていますか 同性愛ってなに 一問一答」は、「バイセクシュアル」の権利や、レズビアン・ゲイのコミュニティーの内部における差別にも触れるなど、類似書にはない斬新的な内容。同じく「プロジェクトP」改め「プロジェクトQ」が発行した冊子「『サバイバー』と名乗った私の経験から考えたこと」も、単に「性暴力はいけない」というスローガンではない、真摯な対話の記録です。
 2003年2004年には「ひっぴぃ★スペシャル」も開催。
 同じく2004年、6月に京都で開催された「京都プライドパーティー」でも「バイセクシュアル」のワークショップを担当。
 2005年にはタイで開催される「第1回アジアクイア学会」で発表予定。7月の「関西QueerFilmFestival」の実行委員会にも参加している。




私の変わらぬ思い

 魅惑の30代。
 「ゲイ」から「誇り高きバイセクシュアル」を経て「誇り高きオカマ」「変態左翼」、果ては今では「ノンパス系MtXトランスジェンダー」を名乗る若専。あくまで「バイセクシュアル」であって、デレック・ジャーマンの「オカマ」や、ミッシェル・フーコーのいうところの「ゲイになろう」とは志していますが、決して「同性愛者」ではありません。なんにせよ、小さくて華奢なコが大好き!
 もともと新左翼過激派の流れをくむ学生運動や、釜ヶ崎の日雇労働者の運動の支援、西部講堂のパンクスたち、全国をドサ回りするテント芝居といった、マイナーで確信犯的な場に居続けて遊んできたのだけど、セクシュアリティー(特に性指向やジェンダー)に関して居心地のいい場をもとめて一時的にゲイのコミュニティーにたどり着いた歴史を持つ。「レズビアン?ゲイ?バイ?ヘテロ?......?生と性はなんでもありよ!の会 プロジェクトP」には発足時から参加し、また以前は「ゲイ・フロント関西」のスタッフでもあった。しかし、社会運動を行うゲイ男性の文化の中に、多数派社会に取り入ったり、自らが多数派になって権力を持つことで自身の生活の安定を図ろうという雰囲気を感じ、嫌になる。また、トランスジェンダーとの付き合いの中で、自身のトランスも始まった。
 2001年9月11日の自爆攻撃以降は、ジェンダーやセクシュアリティーの運動だけでなく、反戦運動などにも再び積極的に参加し、人の生き方や社会のあり方を根底的に問い直す運動をしようよ、と呼びかけ続けている。
 またここ数年は「ティト野鳥とザ・グレート・カブキ」というラテン/サルサのバンドもしてきた。「コーヒールンバ」改め「オカマの唄」や、サパティスタ民族解放軍のコミュニケ「マルコスが同性愛者であるかどうかについて」をネタにした「ワツシー」はおかげさまで大好評。バンド休止中なのが残念です。
 最近はホモネタヤバイネタにも飽きてきたので、次は何をしようかと模索中の日々を送っている。髪染め仲間募集中。

ひっぴぃ2004年
TheWall上映会 2004年

お話しするひっぴぃ
パレスチナ報告会にて 立命館大学 2002年

ビラを撒くひっぴぃ
第3回レズビアン・ゲイ・パレード 1996年

ティト野鳥
ティト野鳥とザグレートカブキ

オークランドでショー
オークランドにて

ひっぴぃ ♪♪スペシャル
ひっぴぃ ♪♪スペシャル 2003年

ひっぴぃ★スペシャル2004
ひっぴぃ★スペシャル 2004年


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