あなたもトランスジェンダーになれる--もし望むのなら。
性別の自己決定権を確立しよう。

2003年5月25日 東京早稲田 あかねにて

当日配付資料
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性的な暴力についてのチラシ(全日配布)
ひっぴぃ の自己紹介チラシ(全日配布 JPEG 122KB)

レジュメ(PDF 118KB)

冒頭のゲーム (PDF 103KB)

 

 それで、今日のお話…というか、トランスジェンダーに関わるようなお話というのは、本当に、その人、一人一人によって、随分考え方が違ったり、立場が違ったりすることがあります。だから、私が言ってるのは、とりあえずあくまで私の意見であって…そういうことを留意しておいてください。本当に色んな意見の方がおられるので、それは一つ一つすごく大事なんじゃないかな、と思いますので。

始めに、ちょっとゲームをしてみて下さい。

(ゲームをする)

…ハイ、それでちょっとゲームをしてみました。
今日考えるのは、この質問…ゲームのところに戻ってくる感じになります。

(注釈:このゲームの解説は、あとの方でします。とりあえず、ご自身でゲームをしてから先に進んでください。ちゃんとやってみた方が楽しいよ!!)

まず、本当にあまり性別ということに関して考えたことがない方もおられるかも知れないので、ちょっと基本的なところから説明させていただきたいと思います。それは、レジュメの方の…ゲームのあとの…2ページに書いてあるようなことです。

 私達は「性別」と言った時に、何か一つのものを想定することが結構あるんですが、実は性別といっても色んなレベルの性別があることが、私達…というか、私は理解するようになってきました。
  それは「法的書類上の性別」、これは戸籍、外国人登録、パスポート…に記載されてるものです。これは男女のどちらかしかありません。
  それから「身体の性別」…身体の造りですね。これも色んなレベルがあって、染色体のレベルでも、XYとXXが有名ですけど、それ以外の性染色体の構成を持っている方もおられますし…細かく書くと本当にたくさんあるんですが、性腺の構成、内性器の形態、外性器の形態…これも本当に色んなバージョンがあります。明確に男女に分けられるというものではないですね。特に法的書類上の性別というのは明確に男か女かのどちらかしかないですが、身体の性別という風に言った時にも、お医者さんの勉強する医学の教科書にも「間性(かんせい)」、intersex…間の性と書いて間性と言います…、intersexの人達のことはお医者さんの教科書にも載っています。日本語、和語で…昔からの言葉で「ふたなり」という言葉もあるように、そういう、典型的な身体をしていない人達の存在というのは、日本では割と昔から知られていた筈なんですけども、ちゃんと思い出しておこうということが一つです。
  それから三つ目「社会的な意味での性別」、ジェンダーというのがあります。このジェンダーにも色んな種類があって、まず、対外的にその人が表現している性別、言葉遣いであるとか、服装であるとか、身なり、身振り、そういうので表現している性別(性役割)というのもある。
  それと、もう一つは「性指向」ですね。誰を、もしくはどんな人を好きになるか、これが結構、その人の性別が何であるのかということと、今の社会の中ではすごく結びついていると思います。「男を好きになるから女だ」、「女を好きになるから男だ」という思いが非常に強くあったりしますので、これも一つの性別であると…性役割の一つであるという風に思います。それから、もう一つはジェンダーアイデンティティ、「性自認」と言われる、自分が自分の性別をどう思っているかというのがあると思います。

 それで「様々なレベルの性別がある」という風に書くということはどういうことかというと、これは全部別々で、独立している…と言い切るのも若干問題があると思いますが、一応別々のもので、自動的に全部が一緒のものである訳ではない、一致しているという訳ではない、と。そのことを言うために「様々なレベルの性別」という言い方をして、こういう風に書かせてもらいました。
  だから、ずれがある訳です。勿論、色んなずれ方がある訳ですが…様々なレベルでいっぱいありましたよね、いっぱい入れちゃいましたので、その組み合わせはたくさんあるという風に思います。

 もう一つ忘れてましたが、性自認、自分のことをどういう性別だと思っているかというのも…「男」や「女」の人もたくさんおられますが、そうでない人もいっぱいいます。自分のことを「男でない」けど「女でもない」と思ってる人も、それから、「今日は男、昨日は女」だったり、そういうような見方をする人もいる。中間だと見る人もいる。あと、その他、色んな言い方をされる方もいます。だから「男か女か」のどっちかじゃないというのが、事実としてそうです、ということを言うしかないんですが。

 それで、私達の社会にはある迷信があって、それは性別…いくつかのレベルの性別を挙げましたが、これらの性別全部が一致していて当たり前だと。人間ていうのはパスポートにオス、男って書いてあったら、当然おちんちんも付いてるし、本人も男だと思っている、と。これらは全部一致していて当たり前なんだという、言ってみれば、思いこみと誤解が、とっても広く多くの人に信じられています。でも、それは単純に、事実に反する。そういうことを、まず当たり前のことですが、そのことを非常に分かりやすく提示してくれたのが、トランスジェンダーという人達の存在であり、その言葉だという風に思っています。それで、言葉がこの先バンバン出てくる可能性もあるので、言っておきますと、要するに、(私が今日ここで)トランスジェンダーと言った場合、ほとんど「広義のトランスジェンダー」という意味で言葉を使います。だけど、一応、TS、TG、TV…この順番、書き方も色々あるんですが、トランスセクシャルとトランスジェンダー、トランスベスタイトと、広義のトランスジェンダー、言葉の意味を場合によって使い分けることがあるので、これもちょっとだけ説明をします。

 トランスセクシャルというのは、とにかく、身体の性別と自分の性自認、自分が自分のことをどう思っているかということとを…特に身体、外性器が一番多いと思いますが、性器の形と、自分の思ってる性自認の間にすごいずれがあって、それをすごく苦痛に感じている…「おかしい。なんで私はこんな身体に生まれてきたんだろう」という風に思っている人達を分かりやすく例として挙げますが、それをトランスセクシャルと言います。そういう人達の中には、性再指定手術…(いわれる性転換手術ですけども…もうあまりそうは言いません)…もしくは性別適合手術という言い方をしますが、そういうことを望む人達がおられます。

 それから、トランスジェンダー(狭義)というのは、外性器の手術までは別に望まないけれども、性別に違和感がある、と。そういう人達がトランスジェンダー。

 トランスベスタイト、もしくはクロスドレッサーという言い方もするんですが、主に服装を異性装をするような人達をトランスベスタイト、クロスドレッサーと言います。性別違和がある人も、ない人もいる、という風に思います。これがポイントなんですけど、性別違和って固定的に「ある」とか「ない」とか、生まれつき「ある」とか「ない」とかいうものではないという風に私は考えてますし、やっぱり実際に女装のコミュニティのところに行ってみても分かるんですけど、最初は服を着ていた、クロスドレスをしていただけだという風に言ってたんだけど、でも実はやっぱり性別違和があったんだと気が付いたり、もしくは変わる、ということもあるんじゃないかという風に思います。でも、それは基本的に人による。本当に異性装をしたいだけだ、という風に思ってる人もたくさんおられますし、その辺は本当に人によるんですが、性別違和感を持つ人も、持たない人もいる、と。性別違和感って主に性自認とそれ以外のずれのことを主に言うんですが。

 それで、最近すごく有名になった「性同一性障害」という言葉がありますよね。この言葉をどのように使うかというのは、割と政治が関係していて立場性が問われるんですが、基本的に私はこの言葉は医学上の言葉である、と。医療サービスを受ける時に、そういう診断名が必要になるから使っているに過ぎない…というか、基本的にそういう言葉だ、という風に考えるのが一番ベターなんじゃないかなと思う。でも、このことに関しては若干人によって路線が違いますので、本当は色んな人の意見を自分で当たるのが一番いいと思う。

これで、ごく基本的な説明をざっとしてしまったんですが、一番大事な今日のテーマは「性別の自己決定権」ということをやっています。

またクイズです。私はクイズが好きなんですが(笑) 一つずつちょっと考えてみたい…ということでクイズ。(レジュメ参照)

Q1…「ボク」という自称を誰かが使いたいと思ったら誰かの許可は必要でしょうか?

プライバシーに関わることなので…手を挙げたくなければ別にいいんですが…「ボク」という自称を使うために許可は必要だと思う人は手を挙げてください。

必要じゃないという人、手を挙げてください。…私もそうです。誰が「ボク」と言っても全然問題ないと思います。

スカートを誰かが履こうと思ったら誰かの許可が必要でしょうか? 許可が必要だという方、手を挙げてください。

「必要じゃない」という人、手を挙げてください。…ハイ、私もそう思います。

誰かにスカートを履かせようとして無理強いすることが許されるか。許されるという人、手を挙げてください。

許されないという人、手を挙げてください。…私もそうです。

化粧をしたいなと思って「化粧をしよう」と。化粧をしたい人がする時に誰かの許可は必要ですか? 必要だと思う人、手を挙げてください。

必要じゃないという人、手を挙げてください。

…この調子で一つ。(観客からの声に答えて)いや、だから、分からない。本当に色んな人が来ることがあるので、一つずつやるのが丁寧かなと思ってやっているので。…まあ、ごめんなさい、分かっている人には何をやっているのか分かってるとは思うんですが(笑)、ちょっとお付き合いください。

では、化粧を誰かに強いることは許されるのか。「許される」という人。

「許されない」という人。

(観客から「化粧をしていないという理由で解雇されたことがある」との声)

それは不当解雇ですね。全くもって不当解雇だなあ。

(「私もズボンを履いてきたからという理由で首になった」「化粧というのは身だしなみなのかな」「男はヒゲを剃るんだから女は化粧するのがマナーだと言われた」などの声)

 これね。本当に言ってくれてありがとうございます。これはすごく大事なことの一つだと思っていて、性別の自己決定権ということを言った時に、ここまで射程に入れたいんです。性別を自分で決定すると言った時に、自分で化粧をするかどうか、どういう行動をとるか、ズボンを履くかどうかということ、そこまで含めて、私達は「性別の自己決定権」と言うべきだろう、という風に思います。それは侵害されているということは、今、はっきり分かったと思います。
  あとでもう一回繰り返してくっつけて言うことになると思うんですけども、私はウーマンリブやフェミニズムの主張と、トランスジェンダーの性別の自己決定権という主張を、もっとちゃんと交差させる、つまり、利害関係が一致しているところはたくさんあるので、このことをちゃんと肯定的に交差させたいという風に考えています。勿論、現実には性役割の強制…今の話は性役割の強制ですね…身振りとか、化粧とかっていうのは「らしさ」の性別ですから。性役割の強制というのを主に考えてる人達が、性自認という考え方に鈍感であることが非常に多いのは事実なんですが、だからといって、むげに「嫌ってもいい」と言っちゃうんじゃなくて、逆に言うと、性役割の強制を問題化してきた人たちは、性別の自己決定権を求める闘いのフロンティアだった訳です。だいたいフロンティアというのは時代が経つと間違ったことをするんですよね。それはいつものことなので。分からなかったというのは仕方ないんだから、そこはちょっと大目に見て、ちゃんと関係が作れるといいなあ、と。そういう思いを込めて言っております。つまり、ないがしろにしない方がいいと思う。利害関係が一致するんだから。そして何より、その人たちの闘いがあったからこそ「ジェンダー」という言葉ができたし、その人たちの闘いと「ジェンダー」という言葉がなかったら、そもそも「トランスジェンダー」なんて言葉すらないんですから。

では、次に「ヒゲの永久脱毛をするために誰かの許可は必要か?」。必要だという人。

…ごめんなさいね。なんか当たり前のことをやっている。でも、これって、いまここでね、仮にYESとか必要とかホントは思っていても、この会場の雰囲気では手を挙げられませんよね、これね(笑)…困ったね。実はその話をして思い出したんですけど、すっかり忘れてましたが…今、ここでたとえば「ヒゲの永久脱毛をするのに許可は必要だ」というのにすごく手を挙げにくいという風にもしかして感じられた方がおられるかも知れません。非常に申し訳ないんですが、誘導尋問的なのは確かです(笑) そういった力関係がこの場にはあったりしますよね。

 ちょっと順番が入れ替わってしまうのですが、本当は始めにしなくちゃいけないんですが、こういう緑色のちらし(性的な暴力についてのもの)を…場合によってはコピーになってる人もおられるかと思うんですが、配布させていただいています。…これは実は話がクイっと飛びますが、これはお楽しみということで。性的な暴力を考えるためのちらしを、私はオフィシャルな場所でお話しさせていただく時には必ず入れることにしています。性的な暴力は「今、ここ」で起こりうる、ということはすごく大事な認識だと思います。つまり、人と人が場所をシェアしていたり、特に大勢の人がいたり、もしくはいなくても二人だったとしても、人と人との関係が性的な暴力になってしまうということは必ず有り得るという風に思っておくことが、問題を解決していくにはとても大事なんじゃないか。そして、今、力関係がこの場所であると言いました。こういう場所で力のある主催者やパネラーやお店の人、そういう人が一番加害者になりやすい。どうしてかっていうと「イヤ」って言いにくい「NO」って言いにくいから。そういうのは間違ったことだという風に私は考えています。力を持った人に対して「NO」って言っていいんだ、と。すごく大事なことだと思います。それから、誰かが「NO」って言った時に、それはやっぱりみんなで考える。だから、いざとなったら…なんか変な嫌なことをされたと思ったら「NO」って言ってもいいんだ。で、言ってやめてくれないなら、周りの人に助けを求めてみよう。そうしたら、みんなですぐ考えて「それはどうなんだろう」っていう風になるような、周りのウィットネス(目撃証人)がいるところだと、ひごいことが起こりにくい。逆に、密室で閉じられて誰も関心を持ってくれないような状況だと、ひどいことが起こっちゃう可能性が高くなっちゃうという風に思ってます。…という風なことをあらかじめちゃんとやると、これで一日かかりますので、私がそう考えているということだけ伝えさせていただいて元に戻ります。忘れてたんでちょっと。

どの辺から行きましょうか。「許可は必要か」って奴だけ一つずつ確認していきましょう。8番、顔の美容整形をするために誰かの許可は必要ですか? 必要だと思う人。

必要じゃないと思う人。ハイ、そうですね。

では、自分の意志で自分の乳房を除去する場合に誰かの許可は必要ですか? 必要だという人。

必要ではないという方。…ちょっとずつ、迷いが入って来ますか?

ホルモンを投与したいと思った時…本人がそのように思ってる時に、誰かの許可がいるでしょうか? 許可が必要だという人。…ああそうなんだ、ハイハイ。

許可は必要ないと考える方。

(客席から「ホルモン投与とはどういうものか」という質問。その答。「身体に悪い影響を与えることだ」という声、その他)

(ホルモンというのは)薬品です。たとえば人から奪って摂る訳ではなくて。

(「自然から生成出来ないものなのか」「相応の知識の基で摂るべきものでは」「アドバイスはあった方がいいだろう」)

確かに、私はそれはそう思います。

(「それは許可ではなく、本人が望む方向に指導出来るかという問題」「本人が元々持っているホルモンを調べ、適量を判断出来る医者の元で行うのが望ましい」「ホルモン剤の個人輸入では100%本人の意思だが、病院で処方してもらう場合、医者の許可という問題は出てくる」「糖尿病や基礎代謝疾患があった場合OKは出ないので、そいう意味では許可という問題はあるが、そのような行為そのものを承認してもらう必要はない)

この方が言われたのは、ちゃんと情報をもらえた方がいいので、とにかくOKなんだとパーンと言っちゃうんじゃなく、もうちょっと情報がちゃんと入った方がいいんじゃないか、ということを言われている…

(「決断する上でのハードルはたくさんあるので、あまり単純に判断しない方がいい」「薬剤の効能に対する知識がない」)

二つすごく大事な感じがしていて、ケミカルなものを投与するのである以上、それがどのような効果を生むのであるかということを、少なくともある程度知りうる情報をちゃんともらえるというのがすごく大事なのと、最終的に情報をもらった上で…私は本人が最終的に自分で決めることだという風に思う。

(「女性の場合、更年期障害のため婦人科でホルモンを投与されたりということはある」「それは純粋な医療行為」「骨粗鬆症もそうなのでは?」「医療行為の場合、覚悟もなしにそれを受け入れなければならないことも多い」)

ホルモンの話も、この先の外科的手術を考える時の話もそうなんですが、確かに後戻りが出来なくて、身体に対する負荷が非常に大きいから、本当に…怖いんじゃないかというのが確かにある。事前に十分に考える時間を本人がとる必要があるとかいうのも、全くもってそうだなという風に私も思います。ただ、そのことと最終的に、そういう情報を得て、少なくとも十分に知識を得た上で、医者と判断が分かれることがあるんですよね。そういった時の事例というのを想定していただくと、言いたいことが分かっていただけるかなあと言う気がします。

以前、私も確か性別の自己決定権の話をしていた時に、非常にたくさんのトランスジェンダーの当事者の人達に「そんなに簡単に言うな」ということはやっぱり言われていました。それは今では私もそう思います。自分の状態なんかについて、十分に、人と話をする機会がない/できない状況下で、自分の状態に近い事例が一つポンとあると、すぐそこに飛びついてしまうというようなことは、やっぱりあるので…だから、すごく言い方はすごく難しいですよね。リアル・ライフ・テストが必要だ、という風に…ホルモン投与とか、特に手術をする前に、本当に手術をしたい人がしたいかどうかということ、それで実際それでやっていけるかどうか、ということを確認するとかいうような意味で、自分の精神/性自認に基づいた服装でしばらく過ごす、生活をする期間を設けることが、手術とかをする要件になっているんですね。それは確かに必要だ…システムを作るんだったら仕方ない、という気がするのと同様、実は、分かってる人にとってはそんなのは昔から、小さい時から自分で既にやってることで、今更医者のお墨付きがないと出来ないなんていうのは、そもそもすごいひどいことだということがあって、すごい難しい領域ではあると思います。その辺に触れてないのは私のレジュメの不十分なところなんですが。とりあえず、でもそういうのを踏まえた上で、医者と判断が分かれ場合に、決める権利は誰にあるんだろうか、という当たりの話として理解してください。その意味で、私は、ちゃんと情報を得た上で、しかも反対意見も賛成意見もいっぱい聞いた上であるのなら、決めるのは医者ではなくて本人だ、だから許可はいらないんだと私は思っているんですがね。

なんていう話をしてしまうと、最後まで行ってしまった訳ですが(笑) でも、私達、物事を普通に、順当に考えていったら、今言ったような注釈、というかエクスキューズはすごく大事なことだと思うんですよね。でも、そのエクスキューズをセットで考えたら、順当に、自分の身体なんだから、やるのは本人が決めるしかないということは、私達普通に話をしたら理解出来ますよね。…出来る。すごくこれは大事なことで、突飛なことを言っている訳ではないです。ごく当たり前のことを言っているに過ぎない。で、ポイントは、です。「にも関わらず」というところに来る訳ですね。にも関わらず、日本国内で、少なくとも、外科的な手術、外性器、生殖能力を失うような手術をするというようなことは、母体保護法の28条によって明文で禁止されています。それも一応レジュメの次のページの所に書いてあります。「性同一性障害と母体保護法」…母体保護法、旧優生保護法第28条、「何人も、この法律の規定の場合の他、故なく生殖を不能とすることを目的として手術またはレントゲン照射を行ってはならない」。実際に1964年に、一応ブルーボーイ事件と呼ばれているような裁判があって、外科的手術をした医者が違法となったことがあります。日本の場合には、この判決の影響があって、これ以降公の場所では、手術はオフィシャルにはされてこなかった訳です。細かいことを言い始めると、このブルーボーイ事件の時の判決でも、実は性再指定手術というのは十分可能でありうるし、条件さえ揃えばできると言ってたとかね。そういうこともあるんですが。ちょっともういいです。それは置いておきます。

つまり、違法だという風に法律に書いてあるという風で、しかも裁判になって有罪になった、という歴史があるもんですから、医者が手術しようとしたら嫌な訳ですね。捕まるから。でも、医者の所には来る訳です。実際に私はこんなに苦しんでるという人が来て訴えると、医者だって人間ですし、それから私達こうやって話をしていても、本人が自分で決めればいいんじゃないかということは普通に考えれば分かる訳ですよね。じゃあ…手術を本人が求める訳じゃないですか…どうする…っていうところで、一応ウルトラCとして持ち込まれた概念が「性同一性障害」という考え方です。要するに、故がある…ここね、「故なく」生殖を不能にすることを禁ずる、と。「故なく」という所をクリアするのに「故があるんだ」と。この手術には故があるから許されるんだということを、まさにそれを言うことを目的として出てきたのが性同一性障害という考え方ですね。

で、元の…さっきのにも戻る訳なんですけど、故があるのか、ないのか、と。だけど、思い出して欲しいのね。確かに色んな情報をみんなが知ることはとっても大事なことだと私は思うんですけど、故があるかないかというのを医者が決めるというのは、私はやっぱり間違ってると思います。ひねくれてるのは何故かといったら、母体保護法28条があるからなんですね。そもそも母体保護法28条自体が性別の自己決定権をないがしろにするというか、明確に侵害する法律…つまり、これはどういうことかっていうと、私達の身体というのは、私達自身のものではなくて、国家のものだと言ってる訳ですね。社会のものだ、国家のものだ。私達が自分で自分の身体を管理してコントロールするということを認めない、と。国家がまず禁止していた。それが許可制になったということなんですね。

勿論、手術が出来ること自体は、まあ以前に比べればそれはそれでいいことだ、という風に私は考えるんですが、そもそも母体保護法28条がある、ということが間違っていて、その間違ってる状況をどうやって誤魔化すかという風に出てきたのが「性同一性障害」という診断名で今やられている手術なんです。だから、思い起こして欲しいのは、手術が出来るようになって、日本も進んでる、と。自由になっていていいなあという風に、もし思われているとしたら、それは真っ赤な誤解だ、と。そもそも人の自由というのを法律で奪っておいて「お前だけは特別に許してやろう」と。そういうすごい傲慢で、人をなめて侮蔑した状態にあるのが、今の性同一性障害という言葉と、今日本で行われている性再指定手術…という風に私考えています。
このことをもう少し分かりやすく、というか…なんというか、私、本当にちょっとこの日本の状態がね、仕方ないというか何というか…

(観客からの声。「性再転換手術において、職業上の利得を目的とするものは排除されていた。ガイドラインが第二版で変更になり、特定の職業を指すものではないという風に変わった。つまり、接客業を行うニューハーフは医療の場から排除されている」)

オフィシャルな医療の場からは(以前は)排除されていますね。

(「細かく言うと埼玉医大から排除されている」)

岡山?

(「岡山ではMtFの第一号はニューハーフだった」)

今のお話、全然分からない方もおられるかも知れませんので、簡単に説明をさせてもらいますと…というか、してよ(笑)(と会場の人に振ってみた)

(会場の人:「補足するつもりで言っただけなので」)

本当にこの「ひっぴい♪♪スペシャル」は、お初めての人から本当にすごい考えてる人まで来るのを売りにしているので。とりあえず、私の知る限りでちょっと説明をさせてもらうと、性再指定手術が埼玉医科大学というところで、オフィシャルに、合法的にされた時に、どういう人を性同一性障害であると医学的に認定するのか…まあ、基準とかを作ったりする訳なんですが、その時に、さっき言われたセックスワーカー、つまり仕事のために、金のために…というか、正確に言うと金をもらっている人を手術の対象から事実上除外するっていうことがされました。それはすごい差別が激しい話だと思うんですが、それはつまり可哀相で、やむを得ずどうしてもっていう人だけ特別に許してやろうという発想だったから、そういう風になった訳です。つまり、金儲けのためにやってるんだったら、それは好きでやってるんだから、そういうのは別に面倒みてやる必要はない、と。そうではなくて、本当に可哀相で「お願いだから手術をさせてください」っていうような、非常に媚びたというか、制度に楯突かない人は許してやろう、そういう概念で…そもそも概念自体が作られたという歴史がある。そういうことです。勿論、それは間違ってますので。だって、実際に、手術を受けたい人の中で、ニューハーフとして働いている人がいっぱいいる訳ですから、それを除外するというのは、明らかにひどい。なんてのは普通に話をすれば分かることですから。そういう風な抗議とかがあって、ガイドラインは第二版で一応改められた、と。そういう歴史がある訳です。そもそも、ものの発想の順番が、人々の自分の意志を尊重しようということではなくて、母体保護法28条という間違った制度を前提とした上で、誰を可哀相な人として恩恵を与えてあげようかという、そういう発想で物事が一貫して動いているから、今言ったようなお話、ひどい例なんですが、いっぱいそういう例は出てくる訳なんですね。そもそもが間違っているというのが、ものすごく大事。だから…

(ブルーボーイ事件についての観客からの声)

そうだと思います。私もそう思います。何故重罪になったかというと大麻があったからですよ。まあ、いいじゃないですか、それは。

(「別件逮捕だったのでは」「罪状に28条違反は含まれていない。その点非常に政治的な判決」)

だいたい法律自体が、そのように恣意的に使われているというのが、非常に分かりやすい…法律自体が弾圧立法だという…「だんあつりっぽう」…ちょっとこういうのは分かりにくいですね(笑) 非常に恣意的に人々を管理するために使われる…本当にそのことを目的としているというより、管理するために使われる法律だという証明になると思います。

そのことを障害学という学問のフィールドで使われている「医療モデル」、もしくは「個人モデルと社会モデル」という言い方でも説明をしておこうと思います。本当に、性同一性障害とかトランスジェンダーの話をする時の、世界に対するアプローチの仕方が、やっぱりちょっとひどいんですね。なので、アプローチをちゃんと変えてください、お願いしますということで、これをちょっとやります。

これは主に身体障害者の運動の中で言われているようなことなんですが、障害を持った人がいるから、つまり、特別な事情を持った人がいる、と。だから何か問題が起きるんだ、と。だから、そういう特別な条件を持った人に対して社会というのは特別な配慮をしなけりゃいけない。こういうものの見方が私達の社会の中では割と一般的でした。次のページに具体例とか書いてあるんですが、たとえば、耳の聞こえない人、難聴者とかを例に挙げています。個人モデル、医療モデルっていうのは、その人が聞こえないんだから、恩恵的に手話を用意してあげよう、と。聞こえない人がいるから、その人を特別扱いしてあげよう、と。可哀相だから、と。それが個人モデル、医療モデルという考え方です。そういう考え方は間違っているということが、ずっと障害者運動の中で言われてきました。ちょっと読みますか、四角の中。これ分かりやすいので読んでください。

レジュメに転載させていただいた文章を読む。

「障害者問題を扱う人権啓発」再考――「個人―社会モデル」「障害者役割」を手がかりとして――
(松波めぐみ)

『部落解放研究』151号 2003.4(2003年4月25日発行)所収

松波さん、非常にクリアに短い言葉で書いておられるので、これ以上言うことはないと思うんですが、そのまんまですね。障害者という人がいるんじゃなくて、社会がある人を障害者だという風にレッテルを貼ってマイノリティ扱いをしていくことによって障害者が成立するんだという。私、だから障害者が作られていく過程に立ち会っている気がしています。
  同じことはLDもそうですね。Learning Disabilities、学習障害児というのも。私が生まれて物心付いた頃はそんな名前の障害者はいませんでした。学校に、勉強苦手な人なんていっぱいいた訳ですよね。で、仕方ないからみんなでわいわい言いながらやったり、ちょっと補習をするとか、なんかそうやってなんとかなってたのを、そういう人達はLDだ、と。Learning Disabilities、学習障害児だとレッテルを作って、その人達を障害者だとして、普通の人とは違う人だという風にして隔離していくとか、別の場所を作るというようなこともやって。なんか、昔と同じ状態があったとしても、今だったら「ハイ、この人は学習障害児」。そういうワールドね。そうやって障害者が作られるんですね。同じように制度の内に障害者って作られてしまっている。
  「性同一性障害」っていうのも、そういう過程に私達はいるんじゃないか、と。そういう風に思っている。でも、そもそもそのパラダイムがある、と。…しつこいね。しつこいですね(笑) ということが、とにかく言いたいです。それがすごく大事。…まあ、そういうことです。

パラダイムの何が問題なのかという風に言うと、やっぱり性別二元論という言い方を私はしたりしますが、そういう間違った考え方が社会の中に流布していて、みんなに共有されているから、まるで性別違和がある人が特別な人であるかのように思われている…という事実があるんじゃないか、と。つまり、最初の方にやりました。色んなレベルの性別があります。これは別々でずれてる人というのはいっぱいいる。単なる事実を言ってる訳ですね。でも、その事実をないことにする訳です、世の中というのは。色んなレベルの性別はみんな一致している、つまり、パスポートの性別と身体の形と本人が自分のことをどう思っているか、もしくはどんな格好をするのかということが、全部一体のものなんだ、という風な、なんと言いますか…分かりやすい誤解がある。だから、問題は…変えるべきは、その誤解の方、社会のそういう認識の方を変えるということが必要なんであって、「性同一性障害者」に何をしてあげるかというのは、そもそも発想の仕方から非常に傲慢で、まさにそういう発想の仕方こそが差別である、と。また、手術がされた頃はどういう言い方をしていたかというと、誰に性再指定手術を受ける権利があるのか、ないのかなんてことを他人が議論すること自体が差別である、と。それはそうです。「あなたが今日ビールを飲むことを認めるかどうかを、今から議論しましょう」と。そう言っているのと一緒なんですよ(笑) 「ビールって身体に悪いでしょう?」、あるいは、「酔っぱらうと大変なことになるでしょう?」。やっぱり慎重な判断が必要で、専門家の意見も聞かなきゃいけない。だから、あなたが今日ビールを飲んでいいかどうかはあなたの健康状態をまずチェックして、話し合って医者が決めます。いいですね? そのパラダイム自体が間違い。…しつこいですかね。これぐらい言ったから伝わりますよね(笑)

性別の二元論というのは、私、3点ほど考えてることを言ってますが、一つは「世の中は男か女かしかいない」という誤解。二つ目は色んなレベルの性別、身体とか心の性別とか服装の性別とか法的書類上の性別とか、そういったものは全部一致していて当たり前なんだ、という誤解。それから、性別というのは他のことよりもすごく重要なことなんだ、と。性別はすごく大事だという誤解。まあ、三つ合わせて「性別の二元論」と私は言っているんですが。

…というあたりを考えていただいた時に、最初にやったゲームを思い出して欲しい訳ですね。あなたの性別はなんですか? あなたは何を根拠にその性別を主張しますか? こう改まって聞かれると困りますよね? というのは、ちょっと悩んで欲しいからやっただけです。で、質問の3、色んなレベルの性別があるということを質問の3では書いてあります。その人の性別というのはどれですか? 私は端的に一番下の性自認だと考えている訳ですが、そうすると、次が面白い訳ですね。面白いというと何なんですが…色んな、5種類の性別がある、という風に言った時に、一致していない、つまり性別の間にずれのある人に出会ったことがありますか?…まあ、「ある」というのは本人がそう言ってたら「ある」ということになるんだと思います。でも、逆のことね、「ない」。たとえば、女装しているような人は今日が初めてである、と。今日までは、色んな性別の間にずれがある人に出会ったことがない、と思ったりされた方はおられませんか? でも、ちょっと考え直して欲しい訳です。どうやって、その人の性別の間にずれがないということを、あなたは知りましたか? 
  性別二元論というのはそういうことなんですね。正確に考えるなら、答えは「分からない」しかない。ですから、分かりやすい話をすると、普通だったらね(会場の一人に向かって)「いや、彼がさあ、今日さあ」というような言い方を普通にさっさっと言いますよね。でも、私、この方に性別を尋ねたことはないです。だから、分からないんですね。この人の性別はね。だけど、勝手に「彼」とかさ、言ってしまう。そういうものすごい…何というのかな…性別二元論というのはどういうところに出るのかというと、こういうところに出てくる。非常に分かりやすい例として出てきていて。だって、世の中は男か女かしかいない。で、何となく男っぽい格好をしているし、図体もでかい、と。「ああ、この人は男に違いない」と。非常に乱暴に決めつけるっていうことが許されてしまっているということ。これが性別二元論の一つの分かりやすい例だと思います。

じゃあ、もうちょっと具体的に、どんなに嫌な思いを実際に性別違和のあるような人、トランスジェンダーが持っているのかというのをちょっとだけ見てみましょうね。

たとえば、まず、ずっと説明をしてきました母体保護法28条の存在によって、本当に、自分の身体は自分のものじゃなくて、国家のものだ、ということが、法的に宣言されている。これは明らかに間違っているし、実際、それで手術出来なくて困った人がいっぱいいる。まあ、裏でやったり、危険な闇行為で…「危険な闇」って言うと闇が悪いようですね。闇…全然悪くないんですよ…

(観客から声)

まあ、それはあるでしょうね。…いや、微妙でね。違法だと確認されていない以上、合法ではないとも微妙に言えない。だって、オフィシャルに、公的に合法だと宣言されていないというか、まあそういうことなんですよね。だって、なんか、おかしい訳。許可がそもそもいらない訳でしょ。自分の身体をどうするか、と。爪切るのに許可がいったらどうします?(笑) いや、そういうことなんですから。そう書いてあったって、みんな切るじゃないですか。爪切る時はあらかじめ警察の許可を得て、三日前までにと書いてあったって、知りませんよ。みんなやりますよ。で、「深爪しちゃった、ああ…」(笑)という話ですから。違法かといったら、判例が間違ってるとかね。そう言う風に考えることが出来るか、微妙ちょっとややこしいですかね。すいません。それが母体保護法28条。

それから、これは非常に微妙な問題があるので丁寧にお話をしなければいけないんですが、トイレであるとか、銭湯、更衣室というのは、ほとんどが、今、男女別に分けられています。で、どっちに…入る権利が…つまり、これってね、人ってのは、男か女かのどっちかだと思ってるから、まず二つに分けられる。それから、それだけじゃなくって、一致しているから…見かけの性別、服装の性別、(可愛く)声のトーンが…(太い声で)声のトーンが(笑)、(高い声で)それから、その人が醸し出してる雰囲気、そういうものが全て一致している、と。だから、「その人が男か女か」というのは非常に分かりやすく、外見で簡単にどっちか分かる、ということになっているから、分けることは意味がある訳ですね。というか、それが一致していると思っていなかったら、分けれない。そもそも分けるということが原理的に不可能になってくる筈です。だから、困る…非常に困る例としてのトイレ、銭湯で、実際にどっちに入ったらいいのかということで困る人がたくさんいて、本当に困る。で、障害者用トイレが時々真ん中にある訳ですよ。それがあって良かったと言ってそれを使ってる人がやっぱりたくさんいたりします。
  それから、あとはもう一つ、現実にどうなるかというと、新聞の報道だとこのように書かれますが…「女装した男が女子トイレに入ったので、建造物侵入で逮捕」。これは現実に、今、日本であることです。その人のことを「女装した男」という風に言っていました。それは本当なのかどうか、私にはちょっと本人に会わない限り何も分からないんですが、明確に逮捕されるということが起きます。それは覗きであったなら、当然逮捕されるべきなんですが、「どっちに入ればいいんだ?」という問題であった場合…、まさにそう、プライバシーがない。

具体的に私の思いを、これとかには割とベタに書いたんですが、トランスジェンダーの友達とかと一緒にいるじゃないですか。割と、私、ノンパス系の…というか、見た目の、外見の性別が性自認とちょっと違う感じの人が多いんですね。トランスジェンダーの友達と町を行くじゃないですか。で、デパートに行くじゃないですか。「トーイレ、トーイレ」。私は一応男子トイレに行くことが多いんですが…ほとんどそうなんですけど。おっぱいがあって、おちんちんがなくて、背が小さくて、きゃしゃで、どう見ても女の子に見える友達。その友だちが「ボクは男だ」と言ってる訳ですね。一緒に来る。…当然、この場合はあえて「彼」と言いますが、彼の権利なんだけど、すごい場が凍るのね。同じことを銭湯でやったことがあるんですが、銭湯はすごかったです。その友達はFtMの、身体が女の身体を持ったまま、自分のことを男だと思ってるFtMの友人だったんですが、一緒に銭湯に行きました。男風呂に行きました。もう、場がシーンと…(笑) ものすごい緊張します。端っこで目立たないように洗ってるんですよ。だけど、みんなさっと入ってきてシーンとしていて。そそくさと出ていくのね。ものすごい緊張でね。本人でない、友達でしかない私ですら、あれだけの緊張がある訳ですね。当人にとっては、もう…行けないですよ。というか、もうずっと言ってるのは「銭湯の壁を壊すことが革命だ」と。これは本当にそういう風に思っているし、そう言ってるし、その通りだ、と。私達は本当に性別というので強固に分けられている、恐ろしいほどの性別社会なんだ、というのを目の当たりにして参っちゃったとかいうのがあるんですね。そういう感じで、トイレ・銭湯・更衣室もすごい問題です。

ただ、一点、これと女性に対する性暴力の問題がありますが、ちょっとあとで。この辺は興味があったら言って。今は言わない。

(注釈:発言者の方々の承諾を得ていないので、掲載はしていませんが、この論点については、後の会場とのやりとりの中で、大きな話題になり、たくさんのやりとりがなされました。)

あと、現実にトランスジェンダーが被る不利益として、たとえば書類の性別欄があります。男か女か丸を付けるところがあるでしょう? でね、性別はプライバシーなので…。身長とか体重をアンケートで書かせますか?、普通。まあ、そういう問題。ちょっと雑ですかね。まあ、ちょっと雑に飛ばします。
  あと、世の中が男と女に分けられているというのも、すごく分かりやすい例が、やっぱりランドセルの色と、ロッカーが男女別に分けられているような「学校」ですね。
  で、そうそう、この間会った友達が…子どもをつくった友達がいるんですが、その友達と話をしていて、その子ども、面白いのね。とりあえず身体的にはオスの子ども、赤ちゃん…赤ちゃんじゃない、今は1年8ヶ月と言ってたかな。一応オスの子ども、本人の性自認は分かりませんけど、身体的にはオスの子どもなんですが、その子がままごとをして遊んでいると…つまり、「はい、これはスープです」とか言ってその子が持ってきて遊んでくれると、周りの大人がなんて言うかというと「エラいのね、おかあさんのやることをよく見ていて、よく真似しているんだね」って言う。車で「ブッブー、ブッブー」とか言って遊んでると「男の子だね、やっぱり、この子は」と周りの大人が言うんだそうです。つまり、そうやって、その子は男の子だからっていう…要するに理由付けの仕方が…つまり、子どもっていうのは割と好きに遊んでるんですが、それを大人の方が、本当に「お前は男なのか、女なのか」っていうことで、口の利き方、態度、ものの見方が全然違う。そうやってジェンダーは刷り込まれていくし、性別は刷り込まれていくし、世の中は男か女かしかいないということに馴らされていく。そういう本当に恐ろしいワールドだな、と。

最後、「カレ」、「カノジョ」の呼称問題はさっき言ったような例です。

一応、今までのところが、ごく基本的なというか…特に難しいこと言ってないですよね。…ここまでで質問がある人。

(性自認の認識を得る際の両親による刷り込みについての質問)

現実にはそうやって作られていますね。その暴力性を明確に問題にして、「私が何者であるか」ということに関しては本人が決める権利があるんだということを…

(そういう反発で初めて認識が生まれるのであって、初めから性自認を決定するのは無理ではないかという意見。性別の「らしさ」は生まれる以前から決定されている要因もある、という意見)

遺伝子の決定論ですか?

(「一説によるとホルモンシャワーとか」)

ああ、性自認がそれで決まるという奴ですね。

(「母子家庭の男子が男らしくなる場合も多いし」「子どもに直接あれこれ注意するのではなくて、ある一定の行動を子どもがした時に周りの人が笑ったりすることが、結果として子どもへの強制/暴力として機能していることもある」)

今言われたような、非常に柔らかな圧力が、まさに真綿で首を絞めるようにジェンダーを作ってるいうことは、まさにそうだと思います。

まあ、それと、確かにさっきも言われたことに関して言うと、人の性自認が、つまり、人の性自認が男だと思うか女だと思うか、それ以外のあり方だと思うか、その辺のことが何故そうなるかというのは、正確なことは誰も分かっていない以上、だからこそ、どう考えるべきかといったら、少なくとも大人になっているんだったら、自分で決めるというしか、現実的な対策としても手がないんじゃないかなと思う。若干文脈が離れるんだけども、そういう意味でも、現実的な意味でも、自分の性別というのは自分で決めるものだよ、という風に見るのが一番無難かなあ、とは思います。

ハイ、それでここからがウルトラCと言いますか、言いたいこと言うところなんですが、性別の自己決定権という話をしてきました。で、まるでこれがトランスジェンダーの問題であるという誤解がある。というあたりを何とかしたい、というのが、本日のメインでございます。でも、やっぱりマイノリティの人達の主張やマイノリティの人達の存在、つまり、要するに外れた人達の存在や行いや主張というのは、現実を非常にクリアに見せてくれるという意味で今日はそれをなぞった訳ですけども、性別の自己決定権があるね、と言った時に、「私は、あなたは、どういう性別を自己決定しますか?」という問いをもう一度一から考え直して欲しい。

 分かりにくいかな? 実は、私は5年ほど前までは、私自身に性別違和があるとは全く思っていませんでした。自分のことは「男である」という風に自覚があり、かつそのことに関する揺らぎというのは皆無でした。その時点からバイセクシャルだというのは分かってましたが、性自認や性別違和とは全然関係がない。全然関係がない問題として、私は明確に性別違和はなかったです。
  ちょうどこれが私が「男である」と言っていた時代の最後のテキストです(「ばらいろパンフレット Vol.1 『性別にこだわっているのは誰??トランスジェンダーが提起している問題とは、本当はなんなのか』」)。ここには日比野が「自分は男である」と思っているのはどういう意味なのか、ということが書かれています。200円で売ってるのであとで買ってね(笑)
 ところがさあ、周りにいっぱいトランスジェンダーの友達が出来ちゃった訳よ。非常に失礼で露骨な言い方をするならば、男か女かよく分からない人が非常にたくさん周りに、友達に、出来て、もしくは「男である」と言ってるんだけど、どう考えても私の過去のイメージと違う人がいっぱいいて、自分で「男だ」って言ってる、呼ぶ時は「彼」って呼べって言ってる、ええっ? とか思ってさあ…みたいなことがガンガン続いて、「そんなあ」とか言うのがあって、しかも問われる訳、「ひっぴい、自分のこと男だって言ってるけど、それはいったいどういう意味? どうして?」。…ずっと考えていて、やっと分かったの。
  でね、それ何かというと、ちょっとパーンと戻すんですが、大昔、そもそもジェンダーという概念がなかった頃、男に生まれたら男らしくするのは当然だし、スカートは履かないし、力強くなって、「オレ」とか「ボク」とか自称するものだという風になっていた世界があるでしょう? すごい昔はそうだった訳。それに対して、一つずつ…つまり、最初に色んな性別があるって言いましたけど…一つずつ剥がしていったんだと思います。だから、最初は性役割の部分が剥がされた。つまり、どういう身体を持って生まれたかということと、どういうスタイルで、身にまとう対外的な表現をするかということとは関係ないですよ、と。つまり、セックスとジェンダーは別だというのはそういうことですね。どういう身体を持っているかということと、性役割、どういう口の利き方をするかということと身体の話は関係がない。ということをまずはっきりさせた。
  でも、その頃のことを思い出してくださいよ。というか、私も思い出すというか、知らない…知識で知ってることなんですけど、ジーパンを履いてきた学生さんに単位を出さなかった大学教官がいたとかね。本当みたい。嘘じゃなくて、本当にそうらしいですね。今から見たら「バッカじゃない」と思うんだけど、つまり、選ぶことを許さない訳です。自分の対外的に表明する性役割を選択することを許さない社会だった。それに対して、どういう性役割を選択するかということは、本人が決めることだということをさんざんこう…やっぱりこれはウーマンリブとフェミニズムのお陰でやって、今では、そのレベルのことは当たり前…当たり前というか、自分で決めるものだよって。まあ、男がスカートを履くっていうのは(抵抗が)若干まだ残ってるんですけど、でも、十代の学生がいっぱいいるところに行くとね、平気でいるんですね。全然、いて当たり前で違和感なくやってる風でうらやましい…ってことがいいたいだけですね、今のは。意味がなかったです(笑) それくらい「選択するものだ」と。どういう見せ方をしていくのかということは自分で選択するものだという風に…。昔は当たり前だと思って履いてたし、当たり前だと思って着てたし、当たり前だと思って「オレ」とか言ってた訳ですね。それは今の人達は選択出来るようになってきた。つまり、神話が少しずつ剥がれてきた結果として、当たり前のように選択出来るものになったということなんですね。

それから、次に性指向の話が性役割のあとで問題になってますが、それは要するに、異性愛が当たり前だ、と。だから、男に生まれたら女が好き、女に生まれたら男が好きというのが当たり前だ、と。当たり前…当たり前でないのもいますけど。そうじゃなくて、それは色んな差があるだけに過ぎないんだよということを明らかにした訳ね。でも、ほら、友達のゲイの子に詰め寄られた経験ないですか? 友達のレズビアンの子に詰め寄られた経験ないですか? 「あなた、本当にヘテロなの?」。言われても困ったりして。「やったことがないから分からない」とか、色んな言い訳を多分すると思うんですが(笑)、ちゃんと性指向のことを考えてみたら、やっぱり選ぶというか、異性愛者を選び直す。やっぱり色々やってみたけど、私は異性が好きみたいなんだっていう風に選び直すことなんだってことは分かってきますよね。つまり、自明のように異性愛者であった時代が終わって、それはたくさんある中の一つとして選択し直す、という言い方が、まあ一番分かりやすいんじゃないか、という風になってきたのが分かってきた、と。
  つまり、縛りがきついものだから、順々に来るんだという風に思ってます。性自認というのも自明性からどれだけ解き放たれるか、ということになるんじゃないかと。時代と共に。もう流れとしては確定していて、だけど、まだそんなこと言ってる人は少ないから、一応性自認というのは生まれつきで自明だという言い方の方が世の中では力を持っていますが、性役割が辿ったように、そして、性指向が辿りつつあるように、将来は性自認に関しても、選択するもの…というか「あなたはどうするの?」という問題として見えてくる…でも、その場合「あなたはどうするの?」というのは、自由に任意に選択するという場合だけでは全然なくてね、「生まれてからそうなんだからこれでいいの。うるさいわね」というのもあり。勿論そういうのを含んだ、最終的には本人が決めていくんだという風になるんだろうなあという実感が変わってきました。

でね、よくよく思い起こしてみると、私自身、性別違和がなかったし、男だと思ってたんだけど、私が変わっていった順番はね、まず、色んな服を着せられたんですよ(笑)  で、割と最初ゲイ受けするような普通の格好をゲイコミュニティに行って色々してみたりとか、あと、おねえっぽい格好とか口紅とかも面白いからやったりする。それから、割とトランス系の人に勧められてスカートとかも履いてみたりとか色々すると、これが楽しい。私の場合、そこからスタートだったんですね。で、「いいジャン」と。楽しいし。考えてみたら、たいしたことしてるんじゃなくてさ、可愛いと思ってるからしてるし、「イケてるじゃない」(笑) 「世界で一番美しいのはだーれ? それは私よ」という(笑)、そういう私の世界を満足させるためには、これは非常に…イ・イ・ワ・ケ。なので、私の場合、やっと服装の選択の自由を手に入れたくらいだったところ、でも、口の利き方とかもちょっとずつ変わってきたり、それから…変わるのね、やっぱり。姿形は心を規定すると言いますか、思い起こせば、男の子扱い、女の子扱いをされて、私は男の子だと思ってたんだけど、時々パスすることがあったり、それから、時々「ひっぴい、男の子だと思えなーい」とか言われたりするようになってくると、そうかも知れないと思ってくる訳ですよ、これがまた。

(「パスとは何か」という質問)

ああ、ごめんなさい。パスというのは、例えば私をぱっと見て「ああ、デカい女だ」と思われる、そういうこと。一応女性ジェンダーっぽくしてあるんですが、そういう風に「女として」見られることを「パス」と言って、リード、見破られるっていうのは、要するに「デカいオカマだったなあ」(笑) これがリードです。あるいは「ノンパス系」というのは、パスすることを全然望んでいないの。二つ、「望んでない」というのと「不可能だ」というのと、両方の意味をわざと重ねてあって、あまり明確にしないんですが。「まずムリ」「まあいいじゃない」(笑)…非常に不謹慎なことを言っておりますので、非常に辛い思いをされてる方がおられるかもしれないのですが…でまぁ、そういう感じで、私は「ノンパス系MtXトランスジェンダー」と名乗ることにしました。養殖物のトランスジェンダーとして、「ノンパス系MtXトランスジェンダー」という性別を選択しています。

昨日も言ってたんですが、ほとんどの人は、実は自分の中にそういう揺れの部分というのは皆持ってますよね。性自認でパーフェクトな男だとなんていうのは、やっぱりやってられないと思う訳ですね。「私だって休みたい時がある」とか、色んなことがあったり、「女の子だ」と言われてたりしても「ズボン履くのが好き」…から始まって、時折「オレ」と言ってみたいとか、ずれの幅というのは、いっぱい…性自認のところまでぐいっと行くかどうかはともかく、そんなずれを皆持ってる。私は色んなレベルでのずれ、色んな性別のずれの部分を広げた方が面白い、という選択をすることにしたんです。で、それは自由だからしたくない人はしなくていいんですよ、そんなことはね。実際には、そのちっちゃなずれをほとんどの人はむしろ存在しないことにして「私は男だ」「私は女だ」という風にアイデンティティを作って生きていくことを、多くの人は多分選択しておられる。無意識のうちにね。なんだけど、私はずれてる部分をね、肥料を撒いて、水をやって、広げて、それで何が出てくるかっていうのを楽しむっていうのは、ジェンダーとの付き合い方としては、私にとって一番楽しい…活動家としてもカッコいい(笑)…ということを思って、それで行くことにしたのー。

だから、そういう風に性別というのは、私は、もし望むのであれば、トランスジェンダーになることは選択は出来る、と非常に不謹慎…非常に不謹慎ではありますが、そういうことに、本日、オフィシャルに宣言いたします。(拍手)

日比野真談