サヨナラ、おまかせ民主主義〜まず関西レインボーパレードから
開かれた、民主的な、多様性のあふれるパレードを、みんなで創ろう!
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今度の日曜日、あなたも関西レインボーパレードに行こう!
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これまでの経過(ひびの史観)
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関西レインボーパレードの何が問題なのか
●閉鎖的な「立ち上げ時の実行委員会」
●パレードは公的なイベント
●実行委員会内部に序列をつくるのは何故?
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尾辻かな子さんについて
●政党との関係について
●「大事なことはみんなで決める」
●社会運動の中のダブルスタンダード(二重基準)
●尾辻さんにみんなの意見を伝えて
●意見の不一致は、私たちの豊かさ
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サヨナラ、おまかせ民主主義〜まず「私たちのパレード」から
●声を上げたから実行委員会は公開された
「バイセクシュアル」「トランスジェンダー」「Aセクシュアル」など様々な性的少数者が参加しているのに……なぜパレードの名称は「東京レズビアン&ゲイパレード」なのですか?
「レズビアン&ゲイ・パレード」の名称問題について、コミュニティーで大きく問題になりました。
上記の2005年の記事も大きなきっかけとなり盛り上がった「レズビアン&ゲイ・パレード」の名称問題ですが、取りあえず名称を「東京プライドパレード」にすることで落ち着いたようです。勝利!!(笑)
「東京レズビアン&ゲイ・パレード」が「東京プライドパレード」に名称を変えました。このことについて私が「これで、少なくとも日本国内で、『レズビアン&ゲイ』の看板で開催されるパレードは1つも無くなりました。とてもよいことです」と書いたところ、佐藤博さんから鋭いツッコミを頂きました。日本には他にも「レズビアン&ゲイ」を看板にしたグループがあるけど、それはどうなんだ、というご指摘でした。
2000年5月20日に関西で「レズビアン・ゲイ・パレード」についての話し合いが行われました。その名称や、パレードをつくるその進め方をめぐり、わたしは問題点をは指摘しました。その話し合いや、その後の展開についての、総合資料ページです。「皆で」何かをしようという時の、大切な「覚書」も掲載しています。今後、大きな集まりをすすめる時の参考になればと思います。
1996年の東京のパレードは約1200人の参加がありました。「プロジェクトPの実行委員会からの排除」「パレード宣言(案)の採択に対する異議申し立てと、混乱」「磯貝宏実行委員による『レズのくせに』発言問題」「アドン11月号における『パレード破壊者』という決めつけ」など、考えることがやまほどあるパレードでした。
プロジェクトPがこの「第3回レズビアン・ゲイ・パレード」についての資料集を発行しています。ここはそのWEB版となります。
札幌で96年6月30日に行われた「第1回LesBiGayプライドマーチin札幌」は、日本では初めて「男のバイ」を含む形で対外的に打ち出されたパブリックな企画です。わたくし、ヒッピーこと日比野は、札幌に住む友人達といっしょに、「私たちは誇り高き『バイセクシュアル』」「無理に『レズビアン』や『ゲイ』を名乗る必要はない」「ヘテロだけ、ゲイだけ、レズビアンだけ、○○だけ、はもうたくさん」「バイはレズビアン・ゲイとヘテロの中間ではない」「女!男!うんざりだ!」というスローガンを掲げて参加しました。