先日、埼玉医科大学で性再指定手術(性転換手術)が行われた。
「ああよかったね、これで日本でも手術できるようになったんだね」と無邪気に思っているあなた。あなたはいったいどの立場からそんな無責任な発言ができるのか。
(初出「女?男?いちいちうんざりよ!–性別の二元論を問い直そう」資料集 98年12月5日)
![]() |
初出収録元
「女?男?いちいちうんざりよ!–性別の二元論を問い直そう」 発行:変態生活舎
発行日:1998年12月5日 価格:非売品・企画参加者に配布 |
以下の文章は、1998年12月5日に行われた企画「女?男?いちいちうんざりよ!–性別の二元論を問い直そう」において日比野が発言した要旨を、その後の様々な意見を参考に改訂したものです。性自認と性別の二元論の話を分かりやすく分析して書いた、おそらく日本でも数少ない文章です。是非読んでみて下さい。
母体保護法第28条を削除せよ!
日比野 真
先日、埼玉医科大学で性再指定手術(性転換手術。**注1)が行われた。
「ああよかったね、これで日本でも手術できるようになったんだね」と無邪気に思っているあなた。あなたはいったいどの立場からそんな無責任な発言ができるのか。
あなたの性別を決める権利は誰が持っているのか。問題の核心はそこにある。外性器(**注2)の形状や、他人から本人がどの性別にみえるのかとか、性染色体の構造など様々なことをを理由に、本人以外が人の性別を決めつけることは、本人の性別の自己決定権を侵害する暴力である。自分の性別を決めることができるのは本人だけであり、かつ本人がその性別を決定/選択した理由を他者に説明する義務は全くない。人が自分の性別を決定/選択するの当たって周りの人間の納得や社会的な承認は必要でないということは、今日私が肉まんを食べるのかカレーまんを食べるのかということを決める/選択するときに周りの人間の納得や社会的な承認は必要でないということと、全く同じ話である。なぜあなたが納得しないと私は肉まんを食べてはいけないのか!
従って、どのような条件があれば性再指定手術または性器形成手術を許可するべきであるかといった議論を行うこと自体が、手術を望む人たちに対する最大の侮蔑であり、手術を望む人に対する差別そのものである。手術を希望する全ての人は、その理由の如何を問わず任意に、本人の身体に対する所有権や性別の自己決定権を根拠として、性再指定手術または性器形成手術を受ける権利があることをまず確認しなければならない。手術の際に、性同一性障害や性別違和(**注3)の有無を条件にすることは、許されない。趣味としての手術も本人の権利である。
同様に、戸籍や外国人登録に記載される性別も、本人の性別の自己決定権を根拠として、任意に変更することが直ちに認められねばならない。その場合に、性同一性障害や性別違和の有無を条件にすることが許されないのは、手術の場合と同じである。戸籍や外国人登録に記載された性別の変更を希望する者にその理由を尋ねてはならない。理由の如何・有無・その合理性などを本人以外があれこれいうことこそが性別の自己決定権に対する侵害である。(但し本来は、性別の記載、もっと言うなら戸籍制度や差別的入管体制そのものは廃止するべきであり、それまでの過渡的措置)
残念ながら、ここに書いたような性別の自己決定権が今の社会では全く認められていない。そのため、自己の身体の性別に関わる手術を行おうとした場合、不当にも性同一性障害を持っていることが必要な条件にされてしまっている(そしておそらく今後は、戸籍や外国人登録の性別変更を申し立てた場合にも性同一性障害の有無が条件にされてしまうであろう)。これは、母体保護法第28条「何人も、この法律の規定による場合の外、故なく、生殖を不能にすることを目的として手術又はレントゲン照射を行つてはならない。」があるためで、「故なく」行っている手術ではないということをいうために、「性同一性障害」という概念が導入させられているのだ。しかし先に見たように、「故があるかないか」を手術の条件(及び戸籍と外国人登録の変更の条件)にするということは、その身体は本人のものではなく、性別を決定するのは本人ではなく社会(又はその権力装置としての国家)であるということを宣言しているのに等しい。
もちろん、非常に限定された条件下ではあっても、日本で合法的に性再指定手術ができることはうれしいことだ。しかしまだ今のそれは、性別の自己決定権を理由にしたものではないため、大きな問題もある。現在は性同一性障害がないと性再指定手術や性器形成手術を受けることができず、かつその人が性同一性障害を持っているかどうかを決めるのは本人ではなく医師であるため、例えば、医師の持っているジェンダーイメージに合わせて振る舞うことが「患者」としてみなされる手術希望者に強いられる危険性は極めて大きい。具体的には例えば「性自認(**注4)は男性であるがスカートをはくのも好き」という「女の体」を持ったトランスセクシュアル(**注5)に出会ったときに、医師が自分の性別のイメージを問い直すことがない場合には、その人がスカートを違和感なくはくことをを理由に性同一性障害の認定がなされない可能性がある。従ってその人が性同一性障害を持っていることを医師に認めさせるためには、その医師の前でスカートをはくのをやめてズボンをはき、いかにも男らしい男を日常的に演じて生活しているかのように話したりふるまったりする必要が出てくるということになってしまう。
理由の如何を問わず任意に性再指定手術または性器形成手術を受ける法的な権利を確立すること(母体保護法第28条の削除)と同時に進めなくてはならないのが、実際に性別違和を持つ者自身が、様々な情報を得た上で自分のことを見つめなおし、自己の問題の解決のための最善の方法を見つけることができるようなサポートを受けることができる支援体制を整備していくことだ。具体的には、性別違和を持つ人が安心して相談できる医師やソーシャルワーカーなどがいること、自助グループで自分以外の人の経験や情報を知ったり話し合ったりすることができるようになることなどは最低限必要だ。
様々なカウンセリングもあり性再指定手術については進んでいるといわれている合州国においてさえ、術後に手術を後悔し、ひどい場合には自殺してしまう事例も残念ながらある。今の日本では、性別違和の無い人だけでなく性別違和のある人も「性別は性器の形状によって決まる」「性器形成までして完全な男/女にならなければ自分の望む性別で生きていけないし、自分の望む性別として認められない」と思い込まされていることが多い。しかし実際には、性別違和感を持ったトランスジェンダー(**注6)と一口にいっても性の在り方は本当に多様で、性ホルモン投与や体毛の外科的除去、声帯手術、乳房除去(形成)術、戸籍/外国人登録の変更、望む性別で働けることなど、性器形成術を伴わなくても他の条件がそろいさえすれば実は十分だったという人もいることには留意しなくてはならない。「性別違和=完全な性転換手術しか方法がない」と思ってしまうのは、今の社会が強固に性別二元論に固執していて「中性」「第3の性」といった存在を許していないからであり、半陰陽(インターセックス。**注7)が半陰陽者として生きることをを認めず、非典型的な男女の存在が隠蔽されているからだ。手術の内容にも、性別の在り方にも、様々な選択肢があり得るということを具体的に詳しく知ったり考えたりすることができない状況下において、そして典型的な男女以外の存在がまったく尊重されない社会の中において、「性再指定手術をするのかしないのか」「男になるのか、女になるのか」という選択を本人に強いるということは、自己決定権に名を借りた性別二元論イデオロギーの強制に他ならない。言い換えれば、性別の自己決定権を単に形式的に認めて「自己決定の責任」を本人に押しつけ、今の性別二元論強制社会の問題を不問にしてしまうのではなく、「必ずしも典型的な男女とは限らない自分の性別を自分で選択し、決定する権利」を実質的な中身のあるものにすることも必要だということだ。
いったい誰が、トランスジェンダーに「男らしく」「女らしく」ふるまうことを強いているのか。私たち(というより私)が考えなくてはならないのはまさにこのことなのだ。典型的な男女しかいないとされ認められていない今の社会を自分自身が何の疑いもなく支えておきながら「病気なんだから仕方がない、手術を認めてやろう」と恩恵的に手術を合法化して「日本でも手術できるようになってよかった」などとひと事のように話すことは許されない。
性別の自己決定権と自己の身体に対する所有権が現在は社会や国家によって侵害されているという事実を明らかにし、それらの権利を社会や国家から奪い返すという視点から母体保護法第28条の削除を求める声を上げるということは、もし性別違和について言及するのであれば最低限必要不可欠な内容になるのではないかと私は考えている。
(付記)
性別の自己決定権と自己の身体に対する所有権という問題領域に於いては無視することはできない問題が少なくともあと3つはある。
一つはインターセックス(半陰陽)に対する手術である。例を挙げれば、「正常な(正確には典型的な)」オチンチンを出生時に持っていない赤ちゃんに対して、医師と親が共謀して(場合によっては親さえ知らないところで医師の独断で)勝手に性器形成手術をしてオマンコを作り上げてしまうということが、現実に行われている。この例では「立たない男は男でない」という医師のジェンダーイメージが投影されてしまっている。そういったインターセックスチルドレンが成長して大きくなった時にどういう性自認を持つか、またその性器形成手術やそれによってつくられた自分の体の形状をどう思うのか。出生時の勝手な手術はインターセックス本人に対する身体の所有権の侵害であり、性別二元論を強制する暴力であって、性別の自己決定権の侵害であるということも忘れてはならない。直ちにやめるべきだ。インターセックスの人たちの自助グループである「PESFIS」が主張しているように、本人が成長して自己のことを決定できる年齢になってから、十分な情報を与えられたうえで、手術しないことも含め、自分で自分の体の性別を選択できるようにすることこそが必要だ。出生時や幼少期に勝手に手術されることのなかった「運のいい」インターセックスも含め、その手術の際には、どういう性別の再指定を希望しても本人の意志によって任意にそれが認められなければならないのはこれまで述べてきたとおりだ。
二つ目は、オチンチンがなくてオマンコやオッパイのある、いわゆる「女の体」を持つ人の権利の問題だ。例えば刑法第29章には堕胎罪が存在する。産むか産まないかは他者の了解や許可などを必要とせずに妊娠した本人だけが決める権利を持っているはずなのに、現在の日本では妊娠中絶(堕胎)は原則として犯罪とされている。これは子宮を持ち妊娠する可能性のある体を持つ者の身体の所有権の侵害以外の何者でもない。他にも、レズビアン・ゲイ・パレードにおいて「女性(正確には乳房を持つ者)が胸を露出すること」が「猥褻だ」として警察だけでなく実行委員会にも禁じられたり、「据え膳食わぬは男の恥」「嫌よ嫌よも好きのうち」といった言葉が存在し実際に多くの人が性的な暴力に日常的にさらされ続けていること、自己の意志で売春労働している売春婦が売春防止法によって「補導処分」「保護更生」の対象にされていること、などのように「女の体」を持つ者は自己の意志を持つ主体とみなされず、国家や社会の「保護の対象」とされて自己決定権が剥奪され続けている。こういった、「女の体」を持つ人に対する蔑視と支配を基底とした今の社会の在り方も問われなくてはならない。
そして三つ目は、障害児の中絶と、施設などにおける身体障害者に対する不妊手術の強制だ。形の上では「不良な子孫の出生予防」を目的とした「優性保護法」の条文は削除されて「母体保護法」に改正されたようにみえる。しかし実際はほぼ全員の妊娠した人に対して行われている出生前診断(マスクリーニング)によって、胎児が障害児だと分かると中絶するケースが多いのもまた、事実だ。「五体満足」でない身体障害者は「あってはならない・生きる意味がない存在」とされ、今でも殺され続けている。これは、身体障害児に対する殺人である。そしてさらに、出生時に殺されずに生き延びた障害者も、どこにでもいる一人の人間として見られ扱われることは少ない。なぜ障害者用トイレには男女別がないことが多いのか。それは決して障害者が男女の性別にこだわらないからではなく、一人で自力で社会生活を営む力のない障害者は、性別のない存在だとみなされ、性欲やセックスはあり得ないものとされてきたからだ。ひどい場合には、生理・月経時に介護者に「迷惑をかけない」ために子宮を摘出することを障害者施設が障害者に実質的に強制するということが実際に起きている。なんて迷惑な介護者であろうか。こういった事例も、身体の所有権や性的な自己決定権の侵害として考えるべきだ。
注釈
性再指定手術(性転換手術。**注1)
性別違和や性同一性障害を持つ人が、性自認にあった体を取り戻すために、出生時に誤って与えられた身体の性別を再指定するために行う手術。性器形成術だけでなく、カウンセリング、性ホルモン投与、体毛の外科的除去、声帯手術、乳房除去(形成)術など、性別の再指定に必要なすべての医療行為を指す。
性同一性障害や性別違和(**注3)
身体の性(sex)と性自認(gender identity)との間になんらかのギャップがあること。
性自認(**注4)
自己の性別についての自己の認識。自分がどのジェンダーに属しているかという認識。「女」「男」以外の性自認を持つ人ももちろんいる。
トランスセクシュアル(**注5)
身体の性別に違和感(性同一性障害)を持っていて、性器形成手術をしなければそれを解消できない人たち。「性転換症」「変性症」などの訳語があるが、多くの人は「病気」のレッテルを拒否している。その多くは性器不快感をもっていて、自分の体を見たり触れたりすることにさえ嫌悪感を感じ、なかには灯りを消して真っ暗にしなければ入浴すらできない人もいる。また多くが手術を完了してからが本当の人生だと感じ、手術しないくらいなら死んだ方がましだとさえ考える人がいる。
トランスジェンダー(**注6)
?狭義のトランスジェンダー(TG)は、トランスセクシュアル(TS)とトランスベスタイト(異性装者。TV)の中間的な人をさす。TVと違って身体とは別の性自認をもつが、TSのように手術を必要としない。?広義のTGは、TS/TG(狭義)/TVおよび、このどれにもあてはまらない人々のすべて。性同一性障害を持っていてもTSでもTG(狭義)でもない人がいる。自分が男でも女でもないと感じたり、男でも女でもありたいと感じる人、性自認が時によって変化する人もいる。TG(広義)はTSやTVも含めて、ジェンダーに混乱やギャップを持つすべての人々の総称である。TS/TV/TG(狭義)という分類法は、こういう分類のできない人たちを排斥したり、不可能な選択を押しつけてしまったりすることがあるので注意が必要。
半陰陽(インターセックス。**注7)
性染色体・性腺・外性器など身体の性別(SEX)が明瞭でない人々。(詳しくはこちらのサイトで)
コメントを残す