戦時性奴隷制度(従軍慰安婦制度)について書いたチラシに、コラムとして書いたテキストです。以下の一文で始まる、きりっとしまった文章。
「今ここ、目の前に不正がある以上、その不正をただすことによってのみ平和は訪れる。」
私たちはジェンダーを擁護する共犯者。制度の外に出る気は始めっからない。
今ここ、目の前に不正がある以上、その不正をただすことによってのみ平和は訪れる。
今ここ、私たちの関係の中にあまりに不当な権力関係がある以上、その不当な権力関係を改めることによってのみ、平和が訪れる。
不正と不当な権力関係の存在に目をつぶり、権力者となれ合う者たちは、不正の共犯者となる。
不正と不当な権力関係の存在に目をつぶり、お互いが楽しい時間をともに過ごせると幻想する文化や意識は、不正を支えている。
Hey, get up, stand up
Stand up for your rights
Get up, stand up
Don’t give up the fight
あなたはちゃんと自分を表現しているか?
自分が被った不当な扱いを。自分がおかれている理不尽な状況を。私たちがつくることが出来るかもしれない新しい関係についての夢を。あなたは自分のことを周りの人にちゃんと伝えようとしたか?
あなたはちゃんと耳を傾けているか?
あなたは聞き逃していないか?
精一杯の思いで語られているあの人の言葉を。
もう二度と聞くことができないかもしれない、
あの人の言葉を。
「出来ること、やりたいことをすればいい」というセリフは、決して、しなくてはいけないことをしないで済ますための言葉ではなかったはずだ。
個人間の私的な関係の中だけでは解決できない問題がある、社会的な権力関係が変わらない限り解決しないことがある、という事実に正面から向き合ってきたのが、左翼なのではないのか。
強い者が勝つ、勝った者が正しい!
「レズビアン・ゲイの人権」「セックスワークの非犯罪化」「女性にとって居心地のいい場が必要」という政治目的の正しさを利用して、自らの権力掌握を試み、他者と向き合わなくてもいい状況をつくろうとする人たち。
マイノリティー団体を支援するふりをすることで、マイノリティーと向き合ってこなかった自分の生き方を免罪しようとする人たち。
そもそも自分で考えることすら拒否して堂々と私の目の前にいるあなた。
自らを賭けて表現することをしないでもすむことがあらかじめ分かっている場所、目の前にいる人の問いかけに応えなくてもいい場所、それが私たちがいま望んでいるもの。
よりましな権力の確立ではなく、権力の廃止を!
誰のわがままが通るのか、の力比べは
もうたくさん。
Get up, stand up
Stand up for your rights
Get up, stand up
Don’t give up the fight
(BOB MARLY)
「ダメなものはダメ!」という当たり前のことが、性の話になるといきなり通用しなくなる私たちの日常生活があります。力を持った誰かとの人間関係を維持するために、正しいことを言う人が常に妥協と譲歩と屈服を強いられ、強いもののわがままがまかり通っている私たちの生活があります。
身体と時間の限界を持ち、過ちをおかすことがある失敗もする私たち1人1人が、つぶれることなく性別秩序との闘いを進めるためには、まず、(性のことだけではなく)ダメなものはダメ、という正しさが通用する場所を、公的につくることが有効且つ不可欠だと私は考えています。あなたや私が癒される場所ではなく、あなたや私が叱咤激励しあう、人間に対する信頼感を取り戻すことの出来る場所が必要だと私は考えています。
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