憲法24条は改正するべきだ—「みんな」の条文にするために

明石書店が、福島瑞穂さんの編集で憲法24条についての本を作るようで、原稿の募集をしていました。
「憲法24条への思い」原稿を募集中!

せっかくなので応募したのですが、予想通り没になりました。
以下がその応募した文章です。
なお、福島さんからの不採用の挨拶の手紙はブログに掲載しました。


憲法24条は改正するべきだ
—「みんな」の条文にするために

 憲法24条に対してどのような態度をとるかということは、その人が本当に「個人の尊厳」を大切にした社会を実現したいと思っているかどうか、人権と平等のために社会を変革し続けていくことを求めているかどうかをはかる、リトマス紙だと思います。
 「両性の平等」を明記した憲法24条の果たしてきた役割の大きさ。これはこの本の中でたくさんの人が書いていることでしょう。これは決して過去の事ではなく、自民党の「論点整理(案)」や読売新聞などが実際に24条を変えようと言っていることからも、逆に24条が果たしている役割を知ることができると思います。まさに今も「個人の尊厳」や「男女平等」を主張する必要があると私は思います。
 しかし、ある点において正当で必要だと思われていた条文も、改めて別の角度から見てみると不充分で問題のある条文でもあることがあります。
 憲法24条は、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」「夫婦が同等の権利を有する」と明文で書いています。
 「両性」「夫婦」という言葉が「男女」を指すことは、日本語を理解できる人であれば簡単に分かります。つまり24条は、男女の異性間の婚姻についてのみ言及しています。実際さまざまな形の人々のつながりや生き方が既にありますが、その中の一つのあり方に過ぎない異性間の婚姻だけを特別扱いしている憲法24条の条文は、「一部の人」だけを優遇しており、その条文自体が差別的な内容なのです。
 国家のあり方を書いた基本法の中に、ことさら異性間の関係についてだけ言及した条文があるということは、まさにその条文自体が異性愛中心主義に基づいて書かれている、ということを意味します。今の日本社会が異性愛だけを特別に優遇した異性愛中心主義の社会であることを、憲法24条は明文で象徴しているのです。
 本当に「個人の尊厳」を大切にする社会とは、多数派も少数派も、それぞれの生き方が対等に尊重される社会です。人権が尊重され平等な社会とは、多数派であるか少数派であるかに関わりなく、人々が対等にある社会のことです。言い換えると、多数派による社会の私物化を許さない社会のことです。
 「憲法24条に対してどのような態度をとるかはリトマス紙だ」と私は書きました。いま本当に、もしあなたが「個人の尊厳」を重んじていて、人権が尊重される平等な社会をつくりたいと考えるのであれば、24条が異性愛中心主義の差別的な条文である事実に目をつぶらないことが必要です。そしてその24条は、本当は改正が望ましいことも認めなくてはなりません。異性愛中心主義をなくしていくという立場からは、24条の条文を「守る」のではなく、「変える」ことが必要なのです。政治的な取引のために24条の異性愛中心主義を黙認するのではなく、例え憲法改悪というバックラッシュの嵐の中にあっても、逆にこちらから24条の問題点を社会に対して指摘し、異性愛中心主義の条文と社会のあり方を改める必要性を説くことが大切です。
 実はバックラッシュ派の意図を考える時、異性愛中心主義の問題の重要性が一層明確になります。例えば「新しい歴史教科書をつくる会」の人たちのジェンダーフリー運動に対する攻撃において、しばしば「オカマ」「トランスジェンダー」「インターセックス」などの少数派(典型的ではないあり方の人たち)が名指しで非難されます。事実ジェンダーフリー運動の中では、様々な性的少数派の人についても積極的に取り上げてきた歴史があります。バックラッシュ派は、そういった「典型的ではない少数派」を狙って攻撃することで、強者や多数派にとって都合のいい社会を創ろうとしているのです。
 「改憲派」を含むバックラッシュ派の目的は、単に「両性の平等」の否定だけではないのです。多様な性のあり方と平等を否定し、男性中心で異性愛中心の現在の性差別社会を延命させたいのです。ですので、本来「今の社会」の問題点を指摘してその改善を主張するべき「私たちの運動」が、例えば24条の条文自体が持つ異性愛中心主義に目をつぶって、24条の改正ではなく「24条を守れ」と言い出すことは、まさに「敵」の思うつぼです。
 バックラッシュ派に正面から対抗するためにこそ、「私たちの運動」は、例えば24条の条文自体の異性愛中心主義について、これまで以上に積極的に問題化していくべきです。24条の条文に象徴的に現れている異性愛中心主義を変えていこうと社会に対して呼びかけていくことが、個人の尊厳や人権と平等のためにこそ、24条を「みんな」の条文にするために、今まで以上に必要なのだと私は思います。

(異性愛中心主義だけではなく、性別二元主義や婚姻中心主義という問題が24条にはあることについて触れていないのは、この文章の不十分点です。詳しくは私のサイトをご覧下さい http://barairo.net/)

(以上本文のみで1995文字)


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コメント

“憲法24条は改正するべきだ—「みんな」の条文にするために” への2件のフィードバック

  1. おーつかのアバター

    自民党の憲法改正草案、24条はまったく手つかず。
    彼らって、自分たちが興味のない部分は読んでもいないんじゃないかな。

  2. はましまのアバター

    24条改正に賛成です。私も投稿しましたが没でした。

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