少し前、世田谷区の男女共同参画プラン素案についてのパブリックコメントが募集されていました。そのことについて触れた大阪府議会議員の尾辻かな子さんのサイトの記事の中に「ぜひ、インターセックスの当事者の方でご意見がございましたら、私の方に送って下さい」と書いてあったのを読んで、少し気になりました。尾辻さんに意見を送っても、無視されるか、利用されるだけなんじゃないか。そんな危惧が頭をかすめたのです。
というのも、私が以前「バイセクシュアル」の扱いについての尾辻かな子さんの政策集に対して意見をお送りしたときに、誠実な応答をしていただけなかったからです。
気になったので、尾辻さんも参加しているあるジェンダー系のMLで、先日、その時のことを尋ねてみました。MLでお返事は頂けましたが、残念ながらそのお返事は、議会でのご自身の発言を挙げて「セクシュアルマイノリティとはという定義の中でバイセクシュアルを入れて使っております」「私の公式発言です」述べるだけでした。残念ですが、「もしそう思うのなら、なぜ今もご自身の政策集において『バイセクシュアル』を不可視化し続けるのか」という私からの質問に正面からお応えいただくようなものではありませんでした。
以下は、尾辻かな子さんの政策集を巡って、ご本人に意見を送ったけれども今でも適切な対応をとって頂けていない、つまり現在進行形の事例です。
尾辻さんは、ご自身の政策集にこう書いています。
セクシュアル・マイノリティ(性的少数者)の存在を、
まず知ってください。私たちの社会には様々な人がいます。セクシャル・マイノリティ(性的少数者)と呼ばれる人もそのひとつです。性的少数者とは、同性愛者(ゲイ・レズビアン)、性同一性障害、インターセックス(先天的に身体上の性別が不明瞭であること)の人々を含む総称です。どのような社会においても、このような人々が3~10%存在しています。
しかし、日本においては人権問題として取り上げられず、これらの人々の存在を無視し、問題点さえ見えない状況です。みんなが「同じ」ではなく、人と違うことが多様性として認め合える社会こそ、すべての人に優しい豊かな社会となるはずです。だからこそ、私たちは今まで議会には届かなかった少数者の声を議会に届けます。
■同性愛者が持っている典型的なバイセクシュアル嫌悪の現れ
この「性的少数者とは、同性愛者(ゲイ・レズビアン)、性同一性障害、インターセックス(先天的に身体上の性別が不明瞭であること)の人々を含む総称です」という言い方は、私には、性的少数者のギョーカイの内部における、同性愛者が持っている典型的なバイセクシュアル嫌悪の現れ(それが言い過ぎなら、バイセクシュアルを不可視化する典型的な言説)に思えます。社会において同性愛者の存在が無視されているのと全く同じカラクリで、「バイセクシュアル」がいないことにされています。
実際にバイ女性の彼女がいたという尾辻さんが、バイセクシュアルの存在を知らないということはありません。バイセクシュアルは、実際に目の前に存在するにもかかわらず、同性愛者たちの運動や表現の中において、実にしばしばその存在が不可視化され、対等な仲間としては扱われていません。(分かりやすい例が「東京レズビアン&ゲイ・パレード」)
特に同性愛者には、「同性愛者ではないけれど同性を好きになることがある人」の抱える独自の課題について、自分でちゃんと考えてみたことがないにもかかわらず、まるで自分が「バイセクシュアル」のことを分かっているかのように錯覚している人がたくさんいます。「バイセクシュアル」の人から学ぼうとするのではなく、「バイセクシュアル」を「受け入れてあげよう」としたり、ひどい場合には攻撃したりすることさえあります。知らないのに「分かったつもり」になっている同性愛者の傲慢さは、「知ったかぶりをする異性愛者」に本当にそっくりです。
■メールで意見を送ってみた
そこで私は、2005年11月に尾辻さんにメールを送りました。上に引用した尾辻さんの政策集の文章を具体的に示して、以下のように書きました。
また「いつもの、ありふれた言説」を見てしまった感じがして、
ちょっと残念に思ったので、そのことだけお伝えしますです。
しつこいようですが、「バイセクシュアルの権利擁護」の話をするときには、
「悪意のない/不注意の隠蔽による、コミュニティーの内部と対外的な運動現場における、一層の不可視化」
という問題は「中心的な主張の1つ」なので、避けて通ることはできないもので。
(2005年11月11日付 ひびのから尾辻さん宛メール)
同性愛者によく見られるこういったバイ嫌悪は、意図的な悪意のあるものではない場合が多いということも、私は経験から知っています。ですので、一度問題を指摘して、尾辻さんが自分で文章を直してくれればいいかな、と軽く思ってメールを出しました。
■改善が見られない
しかし、尾辻さんからは何のお返事もありません。ん?なぜ?と思っていたんですが、その後に直接お会いしたときも「メールありがとう」と言われただけでした。そして、政策集の文章もそのままです。
その当時は私も尾辻さんも関西クイア映画祭の実行委員でしたし、その実行委員会では、コミュニティー内部のバイ差別/同性愛者中心主義についても何度も何度も私は話題にしていました。対外的に出す文章の原案のなかでしばしば「バイセクシュアル」が不可視化されていることを、その度ごとに指摘していました。ですので、「尾辻さんの政策集は、バイセクシュアルを不可視化する問題のある文章だ」ということは私の簡単なメールだけで伝わるはずだと思っていたんですが、もしかして伝わっていなかったんでしょうか。
それとも、尾辻さんは、自身の政策集の文章それ自体が典型的な「バイセクシュアル嫌悪」「バイセクシュアルの不可視化」の実践であることをそもそも理解していないのでしょうか。
もし政策集の文章それ自体の問題点に気が付いていないとすると、とても残念なのですが、尾辻さんは本当に「バイセクシュアル」について何も知らないに等しいと言えます。その場合は、今後は安易に「LGBT」などと言わない方がいいでしょう。
■意見を送っても意味がない?
では、私のメールを読んで、政策集の書き方が「バイセクシュアル嫌悪」「バイセクシュアルの不可視化」だと気がついたにもかかわらず、私に返事もせず、文章も訂正せずにいたとしたら…。
「ぜひ、インターセックスの当事者の方でご意見がございましたら、私の方に送って下さい」と書いてあったのを読んで、少し気になったのは、だからです。意見を送っても、返事も書かず、間違いも認めず、訂正もしないとしたら、尾辻さんに意見を送っても何の意味もありません。
尾辻事務所の別の方からは、「あれは選挙の時の公約だから今は変えられないの」という話も私的には聞いています。もしそうだとしても、選挙の時は尾辻さんが「バイセクシュアル」のことが分かっていなかったから今の政策集のような問題のある書き方になったわけですし、その問題のある政策を今も掲げ続けることはそれ自体で「バイセクシュアル」の不可視化の「現在における」実践になります。ですので、今の問題のある政策集を掲げ続けるのであれば、その行動の釈明を公にすることは必要だと思います。
また、直メールで名前を明らかにして「バイセクシュアル」の当事者から意見が来たときの「同性愛者」の対応としては、黙殺するというのは、やはり私は問題があると思います。
■LGBTと書くだけではダメ
IDAHO以降は尾辻さんはLGBTという言い方を好んで使っておられますが、ご自身の政策集では「バイセクシュアル」を公然と二級市民扱いしておいて、それを指摘されたにもかかわらず何の釈明もなくそれをそのまま掲載した上で「LGBT」と言われても、私にはどうにも内容のある言葉には思えないのです。
尾辻さん、今からでも遅くはありません。政策集の文章それ自体が「バイセクシュアルを不可視化する問題のある文章だ」ということに気がついて下さい。自身の政策(と認識)に不充分なところがあったこと、そのことを対外的に明らかにしてください。そして、今後は「バイセクシュアル」を他のセクシュアリティーと対等に扱う、「バイセクシュアル」の権利も尊重する立場をとっていただけると、嬉しいです。
もう少し説明しておくと、「バイセクシュアル」の権利も尊重する、ということは、単に「LGBT」と言っていればいいというモノではありません。「バイセクシュアル」の権利を尊重するということは、同性愛者とは異なる状況の中を生き、同性愛者とは異なる利害を(も)持つ存在としての「バイセクシュアル」を「同性愛者」と対等な権利を持つ存在として尊重するということでなくてはいけません。言い換えると、「バイセクシュアル」の権利を擁護するということは、「レズビアン・ゲイのコミュニティー」の内部における「バイセクシュアル差別」や、「同性愛者中心主義」に反対するということでなくてはいけません(モノセクシズムに反対することが必要、とも言えるけど、ここでは省略)。「バイセクシュアル」の権利を尊重するということは、「私たちのコミュニティー」の中で同性愛者の都合がいつも優先されかねないという現実に依拠して活動するのではなく、その現実を変える立場に立つということを意味しなくてはいけません。
そしてそのためにも、尾辻さんにも既に直接お伝えした通り、例えば「東京レズビアン&ゲイ・パレード」という名称自体が「バイセクシュアル」を二級市民扱いする問題のある名称だ、ということをはっきりと表明してください。
強制異性愛社会によってだけでなく、同性愛者によってまでダブルで「バイセクシュアル」が無視/不可視化されているという今の日本のコミュニティーの現実に加担するのではなく、そういった状況に反対し、同性愛者中心主義に反対する立場に立ってください。「バイセクシュアル」の活動家に信用される「同性愛者」の活動家になるためには、そういうことが必要だと私は思います。
「異性愛者中心主義」に反対することは、まず何よりも異性愛者自身の課題です。それと同様に、「同性愛者中心主義」や「バイセクシュアル嫌悪」に反対するのは、まず何より同性愛者である尾辻さんのお仕事なのです。
ひびの まこと
以前、私が尾辻さんにお送りしたメールを再掲しておきます。
■=■====メール引用ここから====■=■
From: hip@barairo.net
Subject: 本を読んだよー
Date: 2005年11月11日 0:24:10:JST
To: otsuji@abox22.so-net.ne.jp尾辻さん
こんにちは。
お久しぶりです。尾辻さんの本、読みました。
基本的に、面白く読めました。
一般向けに、よくかけているな、と思いました。映画祭の時に気にしてくれた「LGBT」のこと(バイセクシュアルやトランスジェンダーの扱い)についてだけど、
ざっと一回読んだ限りでは、最低限のPC(政治的正しさ)は踏まえてある感じがしました。
ただ、ではどこまで「同性愛者以外の問題」について分かっているのかな、という不安も同時に抱きました。最低限のPCを踏まえることさえ出来ない同性愛者の活動家が多い中で、
また、必ずしも尾辻さんにとっては直接自分のことではない事項について、
あまり私の立場から要求しすぎるのも無理なところがあるのですが、
カムアウト直後の騒動が一段落したら、
もう少しつっこんでお話し/率直に意見交換する機会をもてるといいな、と思いました。さて、実は尾辻さんのサイトを見ていたら、以下の記述がありました。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/otsuji/policy4.html
—-
セクシュアル・マイノリティ(性的少数者)の存在を、
まず知ってください。私たちの社会には様々な人がいます。セクシャル・マイノリティ(性的少数者)と呼ばれる人もそのひとつです。性的少数者とは、同性愛者(ゲイ・レズビアン)、性同一性障害、インターセックス(先天的に身体上の性別が不明瞭であること)の人々を含む総称です。どのような社会においても、このような人々が3~10%存在しています。< しかし、日本においては人権問題として取り上げられず、これらの人々の存在を無視し、問題点さえ見えない状況です。みんなが「同じ」ではなく、人と違うことが多様性として認め合える社会こそ、すべての人に優しい豊かな社会となるはずです。だからこそ、私たちは今まで議会には届かなかった少数者の声を議会に届けます。 ----- また「いつもの、ありふれた言説」を見てしまった感じがして、 ちょっと残念に思ったので、そのことだけお伝えしますです。 しつこいようですが、「バイセクシュアルの権利擁護」の話をするときには、 「悪意のない/不注意の隠蔽による、 コミュニティーの内部と対外的な運動現場における、一層の不可視化」 という問題は「中心的な主張の1つ」なので、避けて通ることはできないもので。 あと、「性同一性障害」も、止めませんか? とも思ったのですが、これはまたいずれ改めて。 ちょっとささっと書いていますが、ご容赦下さい。 相変わらずうるさいひびのですが、これからもよろしくです。 朝晩は冷えますが、お大事にー ひびの まこと 以下署名 ☆━━━━━━━━━━━━━━━━……‥‥・・・ ・ ・ ひびの まこと hip@barairo.net http://barairo.net/ ………………………………………………………………………… ●国勢調査、どうする?拒否する? http://weblog.barairo.net/index.php?id=1127901520 ■=■====メール引用ここまで====■=■
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