「TLGP2007(仮称)に向けての説明会」を受けて、TOKYO Prideが「東京レズビアン&ゲイパレード」の名称について意見を募集していたようなので、12/10の24時の直前に、私も以下のような意見を送りました。
遠藤まめたさんが書かれたTOKYO Prideへのメールも、是非ご一読下さい。よりよりパレードを創るという観点から、丁寧に書かれています。tummygirlさんの意見も読んでみたい~
「東京レズビアン&ゲイパレード」について(意見)
「東京レズビアン&ゲイパレード」について、以下の通り、意見をお送りさせていただきます。
名称問題について主体的に取り組もうという動きに、敬意を表します。【趣旨】
「東京レズビアン&ゲイパレード」というパレードの名称は、「同性愛者」だけをことさら優遇する、差別的な問題のある名称です。しかし名称だけ改めればパレードの問題は解決するのではありません。パレード名称は確かに「分かりやすい」問題点ですが、それは、パレードの中にある「同性愛中心主義」「『非トランス』中心主義」といった問題点の顕在化の形でしかありません。
単に問題のあるパレードの名称を改めるだけではなく、パレードと、そして「同性愛者」の運動やコミュニティーの中にある「同性愛者中心主義」や「非トランス中心主義」などの「『私たち』の内部の差別」をなくしていくという責任を、TOKYO Prideが主体的に果たしていくことを私は求めます。そしてそういう取り組みの過程の一つとして、「パレード名称問題」に、TOKYO Prideが責任を持って主体的に取り組むことを求めることが、この意見書の趣旨です。(1)既にパレードの実行委員の募集が始まっていますが、そこには「性的マイノリティの社会的向上」というパレードの大きな目的が、TOKYO Prideによって明示されています。また既に、実際に、「同性愛者以外の性的マイノリティ」がパレードには大勢関わっています。
2006年の現時点に於いて、「性的マイノリティの社会的向上」を目指す企画の名称を「東京レズビアン&ゲイパレード」とすることは、端的に言って、「同性愛者以外の性的マイノリティ」に対する、「同性愛者」による差別/搾取に他なりません。(2)そもそもが「性的マイノリティの社会的向上」を目指すパレードですので、パレードの名称について「メリット」や「デメリット」を考える時の判断基準の主語/主体は、「同性愛者」であってはなりません。個人としては「同性愛者の都合」を優先したい人がいるということはあり得ますが、TOKYO Prideが名称を決める時には、「同性愛者にとって」何がメリット/デメリットであるか、ということを、判断の基準にしてはなりません。パレードの名称について判断するときの基準として、「同性愛者の都合」が、「同性愛者以外の性的マイノリティの都合」よりも優先されることがあってはなりません。
もし、TOKYO Prideが名称を決める時に「同性愛者にとってのメリット/デメリット」が基準になるのであれば、それは「同性愛者以外の性的マイノリティ」に対する、「同性愛者」による差別に他なりません。(3)「同性愛者の運動/コミュニティー」に中には、バイセクシュアルに対する差別やトランスジェンダーに対する差別、性愛中心主義や男性中心主義が多く存在します。また「同性愛者の活動家」の中にもそういった差別意識は多くみうけられます。「同性愛者の都合」を優先している現在のパレード名称の変更のための話し合いの過程に於いて、一部の「同性愛者」によって、「同性愛者以外の性的マイノリティ」に対する差別的な意見や発言が出されることは容易に想像できます。
「同性愛者の都合」を「同性愛者以外の性的マイノリティの都合」よりも優先することを容認するような意見は、それ自体が「同性愛者中心主義」に基く発言であり、「少数派の内部の少数派」に対する攻撃や抑圧そのものとなります。
もしTOKYO Prideが本当に「性的マイノリティの社会的向上」を目指すのであれば、「同性愛者以外の性的マイノリティ」に対する差別/攻撃に反対することもまた、TOKYO Pride自身が自身の責任として主体的に取り組むべき課題です。
もしTOKYO Prideが本当に「性的マイノリティの社会的向上」を目指すのであれば、「同性愛者の都合」を「同性愛者以外の性的マイノリティの都合」よりも優先することを容認するような意見を、「そういう意見もある」などといって尊重してはなりません。それは「同性愛者以外の性的マイノリティ」に対する攻撃や抑圧にTOKYO Prideが加担することになります。
もしTOKYO Prideが本当に「性的マイノリティの社会的向上」を目指すのであれば、パレード名称について話し合うその過程においても、「バイセクシュアル差別」「トランスジェンダー差別」に反対することはTOKYO Pride自身の責任となります。パレード名称について話し合うその過程が、「同性愛者以外の性的マイノリティ」を差別/抑圧/搾取するものにならないように努める責任が、TOKYO Prideにはあります。(4)もしTOKYO Prideが、「同性愛者の都合」を「同性愛者以外の性的マイノリティの都合」よりも優先するのであれば、安易に「性的マイノリティ」などの言葉を使うべきではありません。
(5)「性的マイノリティの社会的向上」のためには、単にマジョリティー社会の異性愛中心主義に反対する(もしくは同性愛者への差別に反対する)だけでは不充分です。「私たち」のコミュニティーや運動の内部における、「同性愛者」による、「同性愛者以外の性的マイノリティ」に対する差別に反対することも、必要です。
パレードの名称について話し合いという過程が、パレードの内部における差別(同性愛者中心主義)に対する取り組みに留まるのではなく、「私たち」のコミュニティーや運動の内部における「同性愛者以外の性的マイノリティ」に対する差別をなくすための、TOKYO Prideによる主体的な取り組みの第一歩として機能することを願ってやみません。以上、ご検討いただけると幸いです。
ひびの まこと
※そもそも「なぜ『レズビアン&ゲイ・パレード』がいけないの?」という方は、まず私が以前書いた文章をご覧下さい。名称問題をこれまで考えたことがない人向けの分かりやすい文章です。
これまでの経過から考えると、本来なら以下の諸点も書くべきだとは思ったのですが、まぁ、今回は、名称を考えるときの基本的な考え方の話と、将来に向けての話だけにしました。あんまり長いといけないしね。
【本当は書いた方が良かったこと】
●そもそも砂川さんが「東京レズビアン&ゲイパレード」という名称でパレードをやろうとした事自体が、コミュニティーの現実とセクマイ運動の歴史に対する無知に基づいているし、「同性愛者中心主義」に基づいている部分があり、不適切な選択だった。
参考:日本における「バイセクシュアル」の可視性の歴史
●「東京レズビアン&ゲイパレード」という名称に対する批判は、一番はじめの開催当時から実際にあった。既に名称に対する批判はずっと出されてきた歴史があったにも関わらず、パレード実行委員会やTOKYO Prideはそれを適切に取り扱ってこなかった。こういった「するべきことをしてこなかった」という不作為の責任に対する、パレード実行委員会やTOKYO Prideによる主体的な自己批判がまず求められている。パレード実行委員会やTOKYO Prideは、名称問題については決して「中立的な立場」ではなく、適切な批判を無視/黙殺してきた歴史があり、まずその責任をとる必要がある。
●実はそもそも実行委員会や理事の選任自体が民主的な形では行われていないという「そもそも民主的な運営がなされていない」という論点ももちろんありますが、これも割愛しました。
●内容としては、仮に今回パレードの名称が変わっても、パレードの内部にある「同性愛者中心主義」「『非トランス』中心主義」や男性中心主義、性愛強制などがなくなるとはあまり考えられないので、そういった先に繋がる文章にしてみました。「名称だけ変わったとしても解決にはならないが、一つの改善になるという考え方を私は持っています(コメント欄 3. mameta 2006年12月06日 23:39)」というmametaさんの意見に、私は賛成です。一歩ずつ前に進んでいくしかないからね。
同性愛者の都合を中心にしてセクシュアリティーのことを語ることはできないのだ、ということを(特に一部のゲイ男性たちに)明示的に確認させていく意味で、「東京レズビアン&ゲイパレード」の名称を変更することには意味があります。こうやって一つずつ見える形で変化を作ることは、必要だと思います。
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