東京レズビアン&ゲイ・パレードの、来期の実行委員をTOKYO Pride/東京プライドが募集するにあたり、「(これまでに)ボランティアスタッフあるいは実行委員としての参加経験が1回以上あること」を条件にしていました。攝津正さんがこれに疑問を呈したところ、現在TOKYO Prideの理事でもあり、東京レズビアン&ゲイ・パレードに責任もある永易至文さんがコメントを書き込みました。
しかし内容的には、部分的には正しい認識を含んでいるものの、結局は自分の特権を開き直るもので、「昔からの左派運動」によくありがちな、「運動内の二重規範」を実践する自己中心的なものの考え方となっています。
コメントで永易さんは以下のように書いておられます。
もちろん、組織や活動の作り方は、一つではありませんん。いろいろなやり方があると思います。東京プライドのやり方も、また一つのやり方ではないか、と思うしだいです。(永易至文さんのコメント)
しかし、まさにこの東京プライドのようなやり方こそが、コミュニティーの中の権威主義を反映したものですし、また「男達の運動のやり方」としてウーマンリブやフェミニズムによって批判され続けてきたものに他なりません。新しい運動のあり方の実践でもあったサパティスタ民族解放軍の武装蜂起からもう何年もたつ今の時代に、こんな時代錯誤的な間違った運動の作り方をすることは、「私たちのコミュニティー」にとってもよくないことですので、今の東京プライドのような運動の作り方を一掃するまで、今後も継続して批判や働きかけを進めていく必要があります。
なお、この永易さんのコメントにおける「コミュニティ活動」への認識なども、それ自体が「上からものを見る」エリート活動家の傲慢なものだと私は思います。ただ今回の記事ではその点には触れず、まず実行委員会への参加資格の問題に絞って書きます。次回以降もお楽しみに。
条件を付ける事自体は「あり得ること」
まず、東京のパレードのことを想定するのではなく、一般的な組織運営の話として考えてみます。その場合、あるグループの実行委員になるのに「以前にボランティアか実行委員をしたことがあること」という条件を付ける事自体が「常に絶対に不当である」とは、私自身は考えません。もし例えば、それ以前の実行委員会に参加する権利が誰にでも平等だった、現在の意志決定会議の参加メンバーが民主的に選ばれている、グループ内での民主的な合意形成手続きを経ている、その組織の内部に差別がない、などいくつかの前提を満たしていれば、実行委員になるのに条件を付けること自体はあり得ることだと思います。
というのも、私が組織のあり方について考える時にまず気にするのは、その制度が一部の人脈だけを優遇しないか、一部の考え方の人を不利益に扱うものでないか、などということだからです。組織というのは、その組織のその時の執行部が、その組織を私物化する危険性を常に持っています。ですので、「現在の執行部」による組織の私物化を許さないことが何より大切です(要するに、権力というものはそれ自体として腐敗するものなので、それを避けるための監視や工夫が必要だということ)。つまり、「現在の執行部」とは別の人脈の人や、「現在の執行部」とは異なる考え方を持った人たちが、「現在の執行部」と対等な権利を持っているかどうかが、私にとって「組織が民主的かどうか」「不当かどうか」の大きな判断基準になります。
そして、「以前にボランティアか実行委員をしたことがあること」という条件自体は、それ自体では特定の人脈や考え方を優遇するものではないからです。
(ただ、いくらそれが特定の人脈や考え方を優遇するものではないとしても、私はそういうゴーマンな条件は望ましくないと思うので、もし仮に私がそのグループにいたら、「そんなタカビーな条件はやめよう」と必ず毎年、議題にして提案し採決させるとは思いますが。)
問題は、TOKYO Prideによる恣意的な選別の可能性
ですので、話を「東京レズビアン&ゲイ・パレード」に戻すなら、組織のあり方について私が問題だと考える中心のところは、「ボランティアか実行委員の経験」の条件要件ではありません。
TOKYO Prideの実行委員会募集のサイトには、こう書いてありました。
いただいたご応募のなかから人数・業務分担などを勘案して、適任とされるかたに、TOKYO Prideから実行委員への就任を委嘱いたします。
応募人数多数などの事情で、すべてのかたにご就任いただけない場合もありますので、あらかじめご了承ください。
「東京レズビアン&ゲイ・パレード」の実行委員を決める過程における最大の問題点は、全ての応募条件を満たしている人であっても実行委員になることが権利ではないことです。言い換えると、「TOKYO Prideから実行委員への就任を委嘱」するという形式を使って、現在のTOKYO Prideの人脈とは異なる人や、現在のTOKYO Prideのあり方に批判的な人が、恣意的に実行委員から排除される可能性がある、ということです。
言ってみればこれは、大日本帝国時代における貴族院みたいなものです(貴族院の議員は、天皇によって任命された)。少なくとも現代の「民主主義」の理念とはかけ離れています。ですのでここは、「TOKYO Pride理事会って、一体何様なの?」という批判が出てきても当然のところでしょう。
実際、関西レインボーパレードでも「誰が実行委員会に参加する権利があるか」「実行委員会内部に序列をつくるのは不適切ではないか」などと極めて厳しく問題になりましたし、またその結果、次回のパレードの第1回実行委員会は、本当に誰でも参加できるように改められています。「民主主義とは、闘って獲得していくものである」ということが、実践された事例です。
さて「東京レズビアン&ゲイ・パレード」のことですが、私はこれまで、この点についてはあまり問題化してきませんでした。それは、あまりいろんな論点を出すと話が大変ということもありますが、やはり京都在住の私が東京のパレードを主催する側にまわることは現実的に困難だということが大きいです。それに、もしこの点をちゃんと問題化しきるのであれば、自身が実行委員会から排除された場合には実行委員会の会議の現場に毎回出かけて行って抗議行動を行うくらいの覚悟があったほうがいいですが、やっぱりそれには東京は遠いからです。
ここは是非、東京近辺の方、がんばって下さい!
(まずは、自身で実行委員への応募をしてみること。そしてもし排除されたら、その理由の開示を求めること。もし排除されなかったら、他に排除された人がいないかどうかを確認すること。今後、恣意的な人選が不可能なように制度を変更するよう内部の会議で提案すること。これら全てのやりとりは、公開された場で行うこと。などなど、順を追ってできることは沢山あります)
「盗っ人猛々しい」のが永易さんの意見
さて、永易さんのコメントに戻ります。
上にも書いたとおり、一般的な話としては「以前の実行委員などの経験」を条件としてあげることはあり得ます。
しかし、現在のTOKYO Prideの理事でもある永易至文さんが、東京レズビアン&ゲイ・パレードについて言及する場合には、全く話が違ってきます。なぜなら、そもそもTOKYO Prideや東京レズビアン&ゲイ・パレードは民主的というにはほど遠い組織でしたし、内部にも差別が沢山あったからです。そしてなにより、永易至文さんはそういった不適切な制度の中で、単に「不当利益を得てきた同性愛者」であるというだけでなく、パレードについての議論の中で実践的に同性愛者以外の性的少数者を差別し、開き直ってきた張本人の1人だからです。そういったご自身の累々たる誤りの積み重ねに目をつぶって、「東京プライドが、応募にあたって、一度はボランティアなりの経験があることを求めるのには、それなりの理由がある、と私個人は思います」と他人事のように語るのは、あまりに無責任だと言えるでしょう。
確かに、「以前の実行委員やボランティアの経験」を条件として挙げることは、全ての人に対等な、平等な条件であるかのように一見思えます。しかし、そもそもこれまでは、誰でも実行委員になる権利があった訳ではありません。ですので、「実行委員としての経験」を条件にすることは、特定の人脈や仲良しグループ、これまでの執行部による組織の私物化に繋がるものです。
また、「レズビアン&ゲイ」ではない人が「東京レズビアン&ゲイ・パレード」にボランティアとして参加するということは、「レズビアン&ゲイ」によって自身が搾取されることに他なりません。もちろん「それでも敢えて」ボランティアで同性愛者にサービスをしてあげる事を選択する人がいたのも事実ですが、現実には同性愛者に搾取されることを嫌ってボランティアに参加していない人も多いと思います。実際「レズビアン&ゲイ・パレード」という名称については、第1回のパレードの時からちゃんと批判の声が上がり、当時の実行委員長の砂川さんのところにも要望が届いています。にもかかわらず、名称変更のための努力を怠り、あえて「レズビアン&ゲイ・パレード」という差別的な名称をパレード実行委員会や東京プライドが選択し続けてきたということは、忘れてはなりません。
こういったこれまでの事実を観るとき、「ボランティアの経験があること」を条件にすることは、「レズビアン&ゲイ」にとってと、「レズビアン&ゲイ以外の性的少数者」にとっては、平等なことでは決してありません。基準だけ観ればセクシュアリティーに関わらず平等に思えますが、こと「東京レズビアン&ゲイ・パレード」に限っていうなら、「ボランティアの経験があること」を条件にすることは、同性愛者以外の性的少数者に対してのみ一方的に不利に働きます。
もし本当に、永易さんが「バイセクシュアルを差別したくない」「『バイセクシュアリティを承認しないということの問題を承認する』ことに、できれば私は取り組みたいと思います」と本当に思うのであれば、まず最低限こういった間違いに加担しないことが必要です。東京プライドの理事の1人として、同性愛者以外の性的少数者に対してのみ一方的に不利益を押しつける仕組み(「以前の実行委員やボランティアの経験」という条件)に公然とに反対することが、まず何より必要です。そういった、自身が果たすべき責任を一切放棄しておいて、「東京プライドのやり方も、また一つのやり方ではないか、と思うしだいです」と平気で書けるというのは、あまりにも無責任です。まさに「盗っ人猛々しい」「厚顔無恥」という言葉がぴったりです。恥を知っていただきたいものです。
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