4:企画内容の問題点

●内容の批判点

 リバティ大阪の方に伝えた批判点は、確かだいたい以下の通りです。

 で、リバティ大阪の方は、とても辛そうな顔をしていました。悪意は全く感じませんでした。
 「あなたは『レズビアン・ゲイ・パレード』をどう思うのか?どういう方向で取り上げるのか?」と聞いたら、「コミュニティー内で評価が定まっていないことを取り上げることはできない」と答えてくれましたが、「それは性同一性障害特例法でも一緒でしょ」とさらに問うと黙っちゃいました。黙るなよ、ホントに、ってかんじでした。「評価が定まっていない」なんていうのは、単なる言い逃れでしかないと私は思います。現時点で「レズビアン・ゲイ・パレード」というものを提案することが「バイセクシュアル」に対する二級市民扱いであることはあまりに明らかですし、もしリバティ大阪がそのことを明確に認められないのであれば、それはなぜなのか、自分自身でよく考え直してみるべきです。
 実はG-FRONT関西は数年前からリバティ大阪に対する働きかけを継続しています。そういう流れもあり、G-FRONT関西の特定のメンバーの意向が企画内容に反映されるであろう事は、想像に難くないことでした。
 関西において実際に「レズビアン・ゲイ・パレード」を一方的に提案し、コミュニティーの中の信頼関係を破壊し、結果その提案自体の撤回を余儀なくされた一連の動きのその中心にいた人たちが、現在のG-FRONT関西の中心にいる人たちです。そういった人たちの意見を聞いてつくられた企画の内容に問題があるのは、言ってみれば当たり前のことです。
 そもそも、限られたメンバーだけをワーキンググループとして集め、その人たちと相談して事を進めようとしたことが間違いでした。例えば、関心のある人なら誰でも参加し自由に意見を言うことができるような場をつくるなどの方法で、マイノリティーの中のマイノリティーの声も積極的に聞こうという姿勢を持って初めて、間違いを犯す可能性が低くなるのです。もちろんどんなやり方をしても不十分であることからは逃れられませんが、少なくとも意思形成過程そのものを公開することで、ある程度その不十分さは補えるからです。

 現時点で、改めて企画内容を評価すると以下のようになると思います。

 「マイノリティーのコミュニティー」の内部の「権力者/マジョリティー」の主張を尊重することで、「私は差別していない」と理解者のふりをするという「悪しきリベラルっぽい左翼雰囲気」の弊害が典型的にでた企画という印象です。何が悪いかというと、これは、「マイノリティーのコミュニティー」の内部の「権力者/マジョリティー」が、世間のウルトラマジョリティーと手を組んで、結果としてコミュニティー内部の力関係の再生産や維持が図られるからです。

5:私の思い→

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