「HIP's Home Page」での投票結果は以下の通り。

設問および票数
 あなたは、「パレード継続委員会」によるプロジェクトPのパレード実行委員会への参加の拒否についてどう思いますか?

 その理由は?(記入しなくてもかまいませんが、よければ書いてください)


理由などを書いて送っていただいたのは、以下の7人の方々です。

■拒否は不当で問題だ  Wed, 19 Jun 1996
いろんな人が集まって「わああああっ」ていうお祭りが、ある特定の少数の人たちだけで動かされるのは気味が悪い。
ごちゃまぜでいいやん。たのしかったらいいやん。いろおんな人がいてんねんから、いろおんな人がいて当たり前やねんから。
「限定」を、なんでうちらがすんの? 枠決められんのがいやで、このパレードも始まったんちゃうの?
主張すんのは大事やし、! うちも主張したがりーやけど、しまっくてもなんか逃げられてしまうやん?
考えんの嫌いな人多いし・・・
パレードってわいわい楽しいお祭りってイメージがあんねんから、この際があああと馬鹿騒ぎしてしまえば・・
「あ、なんかごっつう楽しそお」って、その方が、普段「関係ない」人の意識は、集めやすいんちゃうかなあ。
そりゃ大所帯のイベントやから、実行委員会は必要やろ! けど、いろおんな人の意見もきかんとたったの3人で「枠決め」て「排除」すんなよな!

■何も問題はない  Sat, 29 Jun 1996
もともと、このイベントは、主催者側としては、ゲイのみを対象としたいのではないかという、フシがあります。そのような方々が中心となって、企画立案から、祖無、準備をするわけですから、当然、ゲイ以外のセクシャリティをもった人が企画運営に参加されることによって、当初目指していた方向性が曲がるわけですから、なんらかの因縁を付けて、拒否することは、仕方%C! 8いと考えます。
このような情況下で、遠いところをわざわざ来てまで、参加する意義はないのではないですか?
いっそのこと、東京か他の場所で、実施したほうがよいかも知れません。
そうでないのなら、人が起こすイベントに便乗するわけだから、多少の我慢は、必要ででは、ないかと思う。
ところで、このアンケートは、なんらかのかたちで公表されるんですよね?

■拒否は不当で問題だ  Mon, 15 Jul 96
どうもどうも、お久しぶりです。畑@立命法です。
僕も基本的にはちょっとおかしいんじゃないかなぁ、と思います。これはやっぱりゲイコミュニティの弊害だと思うんです。基本的に政治的な意味合いを強くさせたい、というのが基本的な主催者側意見なんでしょうが、パレードというのはそういう政治的な側面を結構緩和するためのもの、と、!いΔ�殴ぁ△箸�譽坤咼▲鵑箸い�ヘ達があなたのそばにもいるんですよ、ということを示すものであるわけで、そこに必要以上の政治的意味合いをもたせて、思想なき団体は排除する、とかいうのはちょっとおかしいかな、という気がしています。まぁ、セクト争いといいますか、人間が村を作ったらこうなるな、という良い例だと思います。僕はこういう閉鎖的な人達とは話しもしたくないし、その人達がやっているようなパレード自体は村祭一緒で全然面白くないだろうな、という気がします。

■その他  Sat, 03 Aug 1996
拒否は不当で問題だ!という気もするのですが、継続委員側の文書がよく読めないので限られた経過すらよく理解できませんでした。個人的には、パレードの「頭脳的部分」を果たす実行委員というのが、どうにも僕の頭脳では理解できない。実行委員は首から下みたいなもので、みんなに考えてもらっている間に、手や足や腰を動かすものだよね。
by ひまじん

■拒否は不当で問題だ  Tue, 06 Aug 1996
継続委員会ではなくて低俗委員会ではないのかな?排除と仕切りたがりのスターリニスト文化官僚(こりゃまた古くて申し訳ない)根性まるだしで気分悪いったらないね。日比野氏らの提案はまったく正当だと思いますよわたしゃ。
崎山政毅

■その他  Sat, 17 Aug 1996
 このホームページを拝見し、私も投票させていただきます。
 この公開投票を見て、非常に残念な気が致しました。というのも、パレードの実行委員会に名を連ねるかどうかといった問題は、あくまでパレード主催者の内側のお家の事情でしかなく、パレードが社会に、人々に、そして実行委員会に何をもたらすかという本質とは無縁であると思います。もちろんプロジェク!gPの提起した問題は重要ですが、そもそも、ここで認識されているように実行委員会の実体そのものがやわな仮の枠組みでしかなく、こうした問題を受け止め議論できるほど成熟しているものでないことは明らかでしょう。だからこそ、実行委員会は基本方針を再検討することはできないが、パレードへの参加は断らないとしているのではないでしょうか。このプロジェクト!Pが提起している問題は、パレードに参加する中で訴えかけていけばいいのではないでしょうか。ここで、成熟していない実行委員会を、非難しても何も建設的な論議にはつながらないと考えます。私個人は、実行委員会とは無縁でありますが、パレードには自分なりの考えで参加したいと思っております。パレードへの参加は事実上オープンになっているわけですし、実行委員%E!Fの基本方針が参加者全員に貫徹されている、あるいは、強制されるべきものとも到底思えません。さらにこの投票について言えば、2つの選択肢しか与えない投票のあり方が、問題を矮小化してしまっていないでしょうか。疑問を感じるところです。
垣 内 研 kakiuchi@mars.dtinet.or.jp


■その他  Mon, 02 Sep 1996
こんなことが、あったんですねぇ。
あたしは、例年通り、昼間はいそがしくって参加できなかったんですけど。。
元々、あたしは第一回からなーんかこのパレードに興味がもてなくって、あたしのあくまで私的な意見だと
「お祭り?デモ?どっちなの?」って感じが拭えないのが一つと「差別を無くそう!なんてスローガン掲げてるのみると結構悲しくなちゃって。。」%! 82ネんか、どっか別のサイトで「ゲイ&レズビアン差別禁止法案をどーしたこーした」ってのをみたけど、そんないい加減な考えで法案化なんてされちゃったら(まずされることは無いとは思うけど)かえって逆差別の元になるし、その法案があり続ける限り差別は無くならないって事になっちゃうってことわからないんでしょうか?
結局現状では「ゲイ社会」を守るって事し! ゥ考えてないで、「ゲイ社会」と一般社会の区分けを自ら引いていこうみたいなことじゃいつまでたっても何も変わらないとあたしは思ってます。
もし、あのパレードが単なるゲイのお祭り!!っていうなら、あたしは大賛成なんだけどね。

     Trans Genders Cafe 店主
     http://www.NetLaputa.or.jp/~mike/trancont.html
     mike@NetLaputa.or.jp



■そのほかに、直接メールで頂いたご意見があります。(05 May 1996)

 日比野 真様

 凄く遅くなってしまいましたが、L&Gパレードに対する如月十七の見解を書きます。
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 この件に関する最初のメールで

》8月のL&Gパレードに関する文書を載せているページがあったわね。それ
》を読むと何だか政治色の強いパレードになりそうなんで、去年参加して今年
》も出る予定のあたしはちょっと戸惑っている。

 と書いたんだけど、それに対するあなたの返事は、

》デモすること自体は、ごく自然で当たり前のことだし、ぼくもこれまでいろ
》んなデモに参加していろんな主張をしてきました。それにそもそも、「セク
》シュアルマイノリティーのパレード」は参加者の意志に関わりなくそれ自体
》としては極めて政治的なデモです。ぼくはそう思う。

 ということだった。
「あ。そっかあ、なるほど」という感じね(^_^;
 んで、あなたの引っかかっているところは、

》あたかもパレードがコミュニティーを代表しているような顔をして

》多くの人の参加が保証されたオープンで徹底的な討論を経ることなく、限定
》された実行委員会だけで勝手にスローガンや主張がつくられてしまいかねな
》い状況にある

 ってことなのね?
 じゃあそれを踏まえた上で如月十七の考えを書くけれども、まず事務局の側からこういう話が出てきた背景には、去年パレードの申込を警察側へした時に、「これはパレードなのかデモなのか、どちらかはっきりさせなさい」というようなことを言われたように聞いているので、そのことを踏まえて「もっとL&Gパレードそのものの色(性格)をはっきりさせよう」という考えがあったのではないかと思う。

 でも如月十七に言わせれば、「性格なんて既にはっきりしてるじゃないか」と思う。つまり「"普通"とは"違う"と言われている人たちの生きざまを見せる」ってことでいいと思うの。
 それは「統一スローガンを掲げる」なんてことじゃあなくて、「ある人は人生の歓びを謳い、ある人は人生の苦しみに怒り、ある人は人生の哀しみを嘆く」という、その人の生きているままの姿を見せるということ。
「喜怒哀楽」全ての感情をそれぞれの立場で訴えれば、それで十分だと思う。

 今回如月十七が一番引っかかったのは、事務局が作ろうとしているメッセージが「それ以外の人々」にだけ向けられていると感じたところかな。
 パレードの性格として、何より「同じ仲間への呼びかけ」というものがあったように思うのに、「違う人々」への対立の姿勢を助長するようなスローガンを作ろうとしているように感じたのよ。

「日本では"対立の姿勢"さえ取られていない」という議論があるけれども、今現在無いものを敢えて作る必要があるのかという疑問があたしにはある。
 無論、「それを乗り越えてこそ勝ち取れるものがあるんだよ」という批判もあるだろうけど、日本という国はそも性に対してずっと大らかな国だったし、なんてったって「なあなあ文化」だし(^_^; そこのところをうまく利用してやっていく方法もあるんじゃないかな、と思うの。
 そりゃあ「法律上の差別」なんて問題には「なあなあ」では対処できないけれども、単に「受け入れてもらう」ってことに関しては「なあなあ」でいけるんじゃあないかな(^_^;
 どんなセクシャリティも混然として当り前に在る、っていうのが如月十七の理想と感じる社会だから、何処かにきっぱりとした線引きをしようとする考え方は、あたしには受け入れられないのよね。

 あるいは、よくL&Gパレードへの批判として「女装等の奇抜な格好をした人しかとりあげられない」ということがあるわね。「自分たちはもっと"普通"なんだ」「何にも"変わらない"んだ」という主張なんだけど、如月十七は「それって違うよ」と思う。
 あたしは今さら"普通の人々"の中に取り込まれたいとは思わないし(むしろ「そこから如何に抜け出るか」を人生の課題にしているわけだけど(^_^;)、"違っている"からこそ言える言葉もあるはずだから。
「違うってことをもっと大切にしようよ」って感じかな。

 誰の人生にも歓びがあり哀しみがある。怒りもあるし迷いもある。そういう人生の姿そのものを見せられる場を、L&Gパレードが提供出来ればいいんじゃないかと思う。誰もが「本当にしたい格好」をし、「本当に見せたい顔」を見せ、「本当に話したい言葉」を叫ぶ場所であればいいのじゃないかと思う。そういう意味でそれらは多種多様であっていいし、またそうあるべきだと思う。「同じじゃない」ってことにこそ、大きな意味があるように思う。それをこそ"全ての人"に向けて訴えていけばいいと思う。

「否、L&Gパレードってそんなもんじゃあないんだよ」とか言われてしまいそうだけど(^_^;
 ま、あたしにとっての定義付けはそんな感じかな。そんな場所なら参加したいと積極的に思えるから、「そういう場所であって欲しい」という気持ちを込めて書いてみました。
如月十七(PXX02273@niftyserve.or.jp)


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