「はじめまして」は、1995年春に京都大学の新入生に対して無料で配布されたパンフレット。内容は、京大教官のコラム・サークル紹介など。現在は入手できない。
(京都大学全学新入生歓迎パンフレット「はじめまして」95年3月18日)
この人達も「ホモ」と聞くとうっとうしいオヤジ的反応をするんじゃないだろうか
日比野 真
(京都大学全学新入生歓迎パンフレット「はじめまして」95年3月18日)
ついこの前、韓国の「オルス」という伝統音楽のグループが京都で公 演をするのを手伝った。公演自体はそれなりに楽しかったんだけど、今回はその話ではない。京都公演の第1回実行委員会の会議をやったときのことだ。ぼくの知ってる人は数人、その他はその時に初めて会った人達だ。
われながら本当に情けないと思うのだが、「この人達もまた、『ホモ』と聞くとうっとうしいオヤジ的反応をするんじゃないだろうか?」との思いが、その時もどうしても頭をかすめてしまった。いったいこれは何なんだろうか。
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こんなことはすでに分かっている人には自明すぎるのだけど、話の前提を一応説明しておこう。まず、残念ながら(?)この世の中どうもヘテロ(異性愛者-異性を性的に好きになる人のこと)の方が数が多いみたいだ。そして、たいていの人は他人も自分と同じだと思うようで、この世にはヘテロしかいないみたいな振る舞いをする人は実に多い。テレビ・ラジオ・新聞・教科書・本・映画・マンガその他さまざまなメディアで流れてくる情報は、ゲイブ-ムなるものがあったとはいえ、今だに圧倒的に「ヘテロのお話」ばっかりだ。(一部の領域を除く) そしてゲイといえば「性欲しかない変態」「精神異常」みたいなイメ-ジしかない。だから、多くのレズビアン・ゲイ・バイセクシュアル(バイ)自身でさえも、自分がいま話をしている相手(ex.クラスメート)がたとえばゲイ(またはレズビアン・バイ etc)であるかもしれないなんて思いもよらないことも多い。カムアウト(自分のセクシュアリティ-を他者に明らかにすること)どころか、自分が同性愛者であることを否定しようとさえする人もいるくらいなんだから。
それで、ぼくの場合は、カムアウトしたのは予備校時代と意外に早かったんだけど、ゲイバ-やハッテン場・ゲイサ-クルなどのゲイシ-ンの存在を知り、大勢のゲイetcとそれとして出会ったのはつい1・2年前のことだ。だから その頃は、ヘテロの友人がちょっと変な・無神経なことを言っただけでえらく失望したり傷ついたりしてた。ちょっと前まではかなり敏感になってたもんだ。それで最近は、ゲイ・フロント関西というゲイサ-クルに結構顔をだしている。ある程度日常的に、しかもゲイバ-みたいに「夜だけのゲイ」ではなく、たとえばファミリ-レストランみたいな所でもオネエを隠さないようなオ-プンなゲイたちと一緒に過ごす時間がふえたので、かなり余裕をもって人と会い、ヘテロに過剰な期待をしないで暮らせるようになってきている。
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「バイセクシュアル」である、ぼく、の立場からすれば、自分がいま話をしている相手がゲイ(またはレズビアンやバイetc.)であるかもしれないと考えもしないで、人間といえば全員ヘテロであると無邪気にも信じている「ヘテロ至上主義教信者」や、自分が(例えば同性である日比野に)視られ得る・欲望され得るということを微塵も考えないなんて絶対許されない。だいたい、わざ わざ説明してあげないと分からないなんていうこと自体が滅茶滅茶うっとうしいことなんだ。「差別している」とはこういうことを言うのだよ。馬鹿なヘテロの男こそ、「死んでおしまい!」なのは、あったり前のことだ。本当にうっとうしい!
しかし少し余裕のできた日比野はここで少し度量の広さを示すのだ!(笑)この世にはヘテロしかいない・ホモは異常だ、などといったデマは、レズビアン・ゲイ・バイ・馬鹿なヘテロを問わず、日本文化の総力をあげて24時間フルタイムで、ほぼすべての人に教育=洗脳=刷りこみされている。また、ヘテロにとって、レズビアン・ゲイ・バイとの具体的な出会いが無かったなら他者も自分と同じだと考えるのは、まったく不当なことというわけでもない。だからヘテロの人が「ヘテロ至上主義教」を無意識のうちに信仰するようになっても、それはある意味ではその人が悪いというよりはむしろ仕方が無いことだ。その意味で、馬鹿なヘテロも、レズビアン・ゲイ・バイとならんで「ヘテロ至上主義教」に染まりきった日本文化・社会の被害者だと思う。
この手のことはちょっと考えてみればいっぱい思い当ることがある。例えば、ぼくが大学1年のときある女の友人がセクハラを受けた。そのことをめぐって彼女と話をしたんだけど、話をすればするほど彼女はしんどそうな顔をするし、ますますぼくは彼女の言ってることがさっぱり分かんなかった。ホント情けない話だ。悪気は全くなかった。そう、悪気はなかったけど、実際ぼくは女の人が置かれている状況をまったくといっていいほど知らなかったし、関心がなかった。本屋に行って、その時になって初めて「女性問題」の棚の本を1列買い込んで読んでみて、自分の無知と、「何でも知ってる」という思い上りのひどさに気付き、唖然としたことを覚えている。それからもう一つ、ある(生物学的に)男の人が女の人に性的に興味がある場合に、「彼」はかならず「ヘテロの男」なのだろうか。「女だけを好きな男」はみんなヘテロだというのは以前はぼくにとっては自明だったんだ。しかし、ぼくの以前の知り合いの一人がトランスセクシュアル(自分の自認している性と自分のからだが異なり、自分のからだに違和感を持っている人。その中には性転換手術をする人もいる)であるということを後から人に聞いて正直「う~ん」と思ってし まった。いやはや、本当に知らないこと分からないことってのは多い。そして、この「知らないこと分からないこと」ってのが、自分としては意地悪してるつもりは全くないのに、場合によっては本当に人を傷つけしんどくさせ、その場に居づらくさえしてしまうのだから、なんともはや……。そしてこれは、ゲイやレズビアン・バイとヘテロの関係にも言えること。もしかしたらレズビアンとゲイとの関係にも、それから……と……との関係にも……!
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だからこそ!だからこそ考えるのは、そういう情けないぼくや、「馬鹿な」ヘテロや、つまり《ぼくたち》がもっと楽に出会うこと、「知らないこと分からないこと」で傷つけ合うのではなく、「知らないこと分からないこと」を知 り自分がどんどん変わっていける、そんなコミュニケ-ションの方法、そしてそんな関係、そんな場所。
例えば最近のぼくは、基本的に初対面の人を含め、「ぼくがバイであること」を自明のこととしてしゃべるように努めている。(「あのコかわいいね、タイプだわ!」etc.) そうやって話していると、相手がどんな感じの人か分かってくる。どうしようもないホモ嫌いも時々いるけどそういうときは「あなた嫌な人ねえ!」と言い切ってあとは無視する。「へえ-、ネコなのタチなの?」といきなりセックスの話をしてくる人にも「あなたスケベねえ」と言いつつ「じゃああなたはどんなセックスするの?」と逆に聞いて話が弾めば仲良くなるきっかけにできる。要は人の話を聞く気があるか無いかだから、ぼくの話を聞く気がある人なら、まず、思ったことを正直に言ってもらうことだ。お互いに「これを言っちゃあいけないんじゃないか」ってのをなんとか減らすこと。同性愛者自身ですらホモフォビア(同性愛を嫌悪・忌避したい気持ち)を刷り込まれて持ってるんだからヘテロが持ってないはずがないじゃない。とっくにばれてるんだからいい格好しようなんて思わないことよ。言いたいことを言ったら、相手からも相応に言いたいことが返ってくるから、聞くのが大変なんだけどね。でもこういう過程はお互いにとって必要なのよね!なんとか聞き上手になれないかなあ。で、「オレは何でも知っている。教えてやろう」みたいなノリの人とは残念ながらどうしても話をする気になれないし、実際できない。オジサンたちに多いのよねえ、困ったことに。それに比べ若い人は「興味しんしん」とかだったりして、時々めんどくさくなるけど、結構楽しく話せる人が多い。(ぼくが若専なのはこのせいかしらん?)
それからもう1つ。レズビアン・ゲイ・バイetc.に対して理不尽な態度をとる人が多いのは「ヘテロ至上主義教」の悪影響のせいでもあるんだからこそ、ヘテロにとっては「言ってもらわないとわからない」ってのもたしかにある程度本当なんだし、レズビアン・ゲイ・バイetc.自身が周りの人に働きかけていくことも大切だと思う。自分で何もしないで「ひどいひどい」ってぐちってるだけじゃあ、第一に本人の人生がつまらなくない?
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こんな風に、セクシュアリティ-の違いを単なる差異として扱い、人と仲良くなるきっかけとして使おうとするときに、頭が痛いのが左翼っぽい言い方をする人だ。「同性愛差別はいけない」とか言われてしまったら何を言い返せばいいんだろう。「ありがとう」「はいそうですか」「そうですね差別はいけませんねえ」…。そんなことどうでもいいのよ!差別はいけないだって?あなたは何人の同性愛者の友達がいるの?もしぼくがせまったら、あなた「被差別者」たるぼくの言うことに逆らえずに本当は嫌でも拒否できなくなるんじゃないの?その手の倫理主義とはいい加減おさらばしたら?さもないと迫っちゃうわよ!(笑)それと、おじさんの左翼とかによくいるんだけど「ゲイとかセクシュアリティ-とかは所詮セックスの問題でしかなくたいしたことない」みたいな決め付けをしてる人。全然オ-プンじゃないよ!なんかの運動をしたりすると、本当はいろんな人とつながりたいはずなのに、人が嫌な思いをしたり理不尽なことをされるのをやめさせるために運動をしてるはずなのに、自分の運動にしか関心がなくなってしまうのはなぜだろう。他者を、自分の運動に役に立つかどうかで判断するようになってしまうのはなぜだろう。これは何も日本共産党やノンセクトを含む新左翼といった人達だけの問題ではない。ぼくが以前、東京でとっても頑張っているある有名なレズビアン・ゲイのグル-プのある人と話をしたときに「ぼくはバイセクシュアルのことには興味がない。自分でやったら」みたいにとてもつっけんどんに言われたことがある。何でもかんでもぼくたちに頼るな、ってことはわかるけど、ちょっと寂しかった。
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ところで、ここまでは具体的な1対1の人間関係の話をしてたけど、それでは済まないこともある。たとえば、東京の「アカ-」というグル-プが同性愛者のグル-プであるということを明かしただけで東京都の宿泊施設での宿泊が拒否されたこともある。(アカ-は現在これを不当として裁判を起こしている。第一審は勝訴。都が控訴し現在東京高裁で係争中) 職場とかでの「結婚しないの?」攻撃で精神的にまいってしまう人もいる。だから、社会的な運動、権利の主張とかはやっぱり必要なのだ。前のところで「うっとうしい人は無視すればいい」みたいな論調で書いてたけど、残念なことにさまざまな立場・関係のうえで相手を無視できないことがある。そんな時には、やっぱり文句を言って改めてもらわなきゃいけない。そんな時、まず、レズビアン・ゲイ・バイなどの圧力団体の存在は同性愛者を馬鹿にするような態度を確実にとりにくくさせる。またなによりも、いざっていうときに一緒に闘える仲間がいるって思えれば自分に自信や余裕がでてくるし、本当にいざって時にとても助かる。一人一人が頑張りやすくなる。
92年2月には、ヨ-ロッパ議会が同性愛者に対する差別を禁止する宣言を採択したを知っていますか?内容は、すべての市民は性的指向を問わず平等な処遇を受けるべきとの理念の下に?同性間の性行為を違法化し差別化するすべての法的条項を撤廃すること?同性愛者に対して社会保障・養子縁組・相続・住居に関して不平等な処遇に終止符を打つこと?婚姻ならびに同等の法的枠組みからの同性愛者同士の排除をやめること、を加盟各国に求めるもの。また、南アフリカ共和国では、性的指向に基づいて同性愛者を差別することを禁止することが新しい憲法に明記された。こういう状況だってそこにいる人達が時間をかけて周りに働きかけ、時には集団で可憐に闘って創りあげてきたものだ。社会はかえられる。《ぼくたち》の頑張りにそれはかかっている。
ただそういう運動も、たとえば「ゲイ(バイ)のことだけをやる」とあらかじめ決めちゃってそれしかしないってのも、いまいちだなあ。同性愛者の抱え る問題は、実はいろんな問題とつながっている。「男女の同室での宿泊を認めていないから同性愛者の宿泊は認められない」とした東京都の主張は、裁判でのアカ-の「同性愛者の排除は不当だ」という主張によって、結果的に「男女別室ル-ル」自体のもつ問題を明らかにされているといえる。これは明らかに、ヘテロの男女関係がはらむ問題と重なる。また、結婚して家庭をつくることをしない(できない)同性愛者の存在は、今の社会がいかに(セクシュアリティ-を問わず)単身生活者にとって住みにくいものであるかを明らかにするだろう。人の再生産という大義名分のない同性愛者のライフサイクルは、「社会のために」生きるというヘテロ社会の虚構のお題目を相対化するだろう。ホモフォビアの顕在化とそれをふまえたセクシュアリティ-を越えた人々の関係は、一人一人がばらばらにされ他者のことに関心が向かなくなってしまう状況や生きざまに対して、そうではない・もう一つの社会の・人と人との関係のあり方を示唆するだろう。
だからすでにぼくにとって、「セクシュアリティ-の解放」は「セクシュアリティ-の多様性を認めること」だけではない。《ぼくたち》がもっと自由に会話すること、欲望すること、それが可能な関係を求めること……。マイノリティの中にマイノリティをつくるような運動はしたくないなあ。
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そして、である。そんなこんなことを考えて、公に文章を書いたりしてしまうようなぼくなんだけど、この文章の冒頭に書いたような他者への不信が身に染みついてるんよねえ。「この人達もまた、『ホモ』と聞くとうっとうしいオヤジ的反応をするんじゃないだろうか?」なんて身構えてたら「自由なコミュニケ-ション」なんて簡単じゃないのよね。
でもちょっと聞いて。その後、公演直前に知合った実行委員の精華大学の男の子はとってもいいコだったわ。彼とはとっても楽しくお話ができたし、「ゲイの11月祭天国」っていうぼくたちが京大の学園祭でやったイベントの報告集を買ってくれてたの。直接会ってるときは何も言わなかったくせに、報告集を読んだら「ゲイってセックスのことだと思ってたけど、生き方の問題なんですね!」だって。なんて素直なの!しかしじゃあぼくが最初に「バイだ」って教えた時にぼくのこと「セックスアニマル」とでも思ってたのかしら。失礼ね!でも、こういう出会いがあるからカムアウトはやめられないのよねえ
(1995年3月18日)
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