「セックスワークの非犯罪化を要求するグループ UNIDOS」の構成員であったブブさんを、京都★ヘンナニジイロ祭のゲストとして迎えることについて

 2006年9月に行われる京都★ヘンナニジイロ祭では、【前夜祭企画】として「セックスワーカーとカムアウトーー『売女日記』の上映中止をめぐって」というプログラムがあります。このプログラムには「売女日記~お客と一緒に撮るポルノ」の監督であるブブ・ド・ラ・マドレーヌさんをゲストとしてお迎えします。
 ブブさんは京都のメトロなどでも長年パフォーマンスを続けてきた人で、セックスワーカーであることを明らかにして表現を続けてきました。
 そして、実はブブさんは「セックスワークの非犯罪化を要求するグループ UNIDOS」のメンバーでもありました。
 私はこれまで、厳しく「UNIDOS」の運動のあり方を批判してきました。京都★ヘンナニジイロ祭の実行委員の1人でもあるひびのが、自身が主催側である京都★ヘンナニジイロ祭に、「UNIDOS」の構成員であったブブさんをゲストとして迎えることについて、これまでのひびのの立場からの態度を明らかにしたのが、この文章です。なお文責はひびの個人にあり、京都★ヘンナニジイロ祭とは関係ありません。


「セックスワークの非犯罪化を要求するグループ UNIDOS」の構成員であったブブさんを、京都★ヘンナニジイロ祭のゲストとして迎えることについて

(文責:ひびの まこと)

1)「UNIDOS」について

 1998年頃「セックスワークの非犯罪化を要求するグループ UNIDOS」というグループが京都にありました。当時は講演会を開催したり、冊子を創ったりと活発に活動していました。セックスワーカーを含む形で創られた団体で、セックスワーカーの権利を政治的な文脈で明確に主張しました。
 セックスワーカー当事者の運動としては、「売春防止法」に反対した赤線の従業員組合などの例もありますし、政治的な活動の業界には出てこない形での現場の争議なども現在でもあるようです。そして「UNIDOS」は、フェミニズム運動の中にも性労働への嫌悪/差別があることなどを明確に指摘した最近の運動だ、という特徴があります。

2)性労働/セックスワークの非犯罪化について

 私は、まず何より性労働者の人権と労働権を確立するために、性労働の非犯罪化を支持します。「UNIDOS」が対外的に提示した主張の内容は、基本として妥当であったと私は思います。

3)「UNIDOS」の実態

 京都の運動のコミュニティーはとても狭いということもあり、また「UNIDOS」の主張の正しさもあって、「UNIDOS」の構成員の多くは私の以前からの知り合いでした。言い換えると、「UNIDOS」の内部事情、人間関係の軋轢までもが流れてくる、そういう距離の中に私はいました。
 そしてだからこそ私は、「UNIDOS」の対外的な主張内容が正しいにもかかわらず、「UNIDOS」のあり方に対して直接、厳しく批判をし続けてきました。
 私は「UNIDOS」は、セックスワークの非犯罪化という政治的目的の正しさを利用して、京都におけるセックスワーカーどうし、そして支援者間のつながりと連帯を破壊した団体だった、と考えています。人脈による恣意的な組織化を行うことにより、京都の地で「セックスワークの非犯罪化という運動」が人々のつながりを得て広がっていく、ということを阻害し、破壊してきました。とても残念なことでした。

4)公的な団体を装いながら、恣意的な入会審査があった

 具体的には、「UNIDOS」に参加することが人々の権利であることが明確に会内で確認されておらず(当初は誰に入会の権利があるかが明確に確認されておらず)、「知り合いだから入れる」「声をかけてもらった」「入れてもらう」「入れてあげる」という権力関係を、「UNIDOS」は友人知人の関係の内部に作り上げました。本当に信じられないことですが、複数の「UNIDOS」メンバーが働いていたあるセックスワークの職場の、職場の同僚(セックスワーカー)の「UNIDOS」への参加が、事実上拒否されるということまで起きています。友人や知人であってさえ、セックスワーカーであってさえ、職場の同僚であってさえ、歓迎される人と歓迎されない人がいたのでした(その後、一応謝罪はした模様)。
 私は、「UNIDOS」メンバーである複数の知り合いに対して、直接出向いて、なぜ「UNIDOS」のあり方が間違っているのかについて、丁寧に話してきました。その結果何人かは「UNIDOS」を辞めることになりました。そのうちの1人であるおくのなおこさんが書いて一般に公開/配布した、退会に当たっての自己批判の文章が以下に掲載されています。
 ●元「UNIDOS」構成員の自己批判及び謝罪の文章
 なお、このことは私のサイト上にも簡単にではありますが以前から掲載されています(ページの下の方に、「UNIDOS」への言及があります)。

5)「UNIDOS」の組織としての無責任さ

 こういった「UNIDOS」に対する批判について、「UNIDOS」(のコアメンバー)と私とが「意見が違う」ということはあり得ます。もしかすると事実認識の違いがあるのかもしれません。
 しかし繰り返しますが、私はこれまで何人ものUNIDOSメンバーに対して、直接出向いていって「UNIDOS」の問題点を指摘しました。それだけでなく、私の「UNIDOS」批判は、「UNIDOS」の公式な会議の場で、私の名前を出して報告されています。にもかかわらず、これまで一度も、「UNIDOS」から、いかなる形であれ、私はお返事を頂いたことがありません。
 自らが公的に受けている批判に対して返答さえしないというのは、少なくとも社会的に活動する団体として、あまりに無責任な態度だと思います。

6)「UNIDOS」だけの問題ではない

 私もこれまで色々な運動団体/市民団体に参加してきました。しかし残念なことに、「UNIDOS」のように「公的な社会運動団体」を対外的には装いながら、「会の意志決定過程」に参加する権利が誰にあるのかが明確ではなく、一部の「コアメンバー」によって会が私物化されているような団体や運動は、実は「UNIDOS」だけではありません。逆に言い換えると、ある政治的な目的のためにある会や運動を支援しようと思って集まりに参加しても、対等な権利を持った仲間として扱われず、笑顔で雑用を押しつけられたあげく、会の意志決定過程からは恣意的に排除されることは、珍しくありません。「みんなのため」「みんなでやろう」と対外的には言っておきながら、実は会自体が一部のメンバーによって私物化され、恣意的に運営されている運動/団体が沢山あります。日本において社会運動/市民運動それ自体に対する信用が低くなってしまっている主要な原因の一つが、ここにあると私は思っています。
 だからこそ私は、「UNIDOS」だけでなく、「UNIDOS」のようなあり方の運動に対しては厳しく批判を行ってきました(例えば2000年に、一部の人だけで重要なことを決めて開催されようとした「大阪レズビアン&ゲイ・パレード2000」を批判したのも、「みんなで、対等に」運動を作るということが何より重要だからです)。また、私が現在参加している団体では、意志決定過程への参加の権利を明確化し、組織としての対外的な責任を果たせるようにグループのメンバーに訴えてきています。

7)「間違い」だと気付かないと、同じ事を繰り返す

 そしてまた、「UNIDOS」のメンバーだった人と何らかの縁があったときには、必ず「UNIDOS問題」についての話をし、その間違いを指摘し続けてきました。これは、「UNIDOS」が過去にやった間違いを「間違い」だと今でも認識できていない場合、今後も同じ事をしてしまうからです。「UNIDOS」を退会したあるメンバーからは「今になってやっとひびのさんの言っていた批判が分かった」と言われたこともあり、継続して人と話していくことの大切さを思います。
 現在「UNIDOS問題」を私が指摘したとき、私に対して少なくとも個人的には耳を傾け、少なくとも形の上では応答しようとはする何人かの元「UNIDOS」メンバーもいます。しかし残念ながら、現在もセックスワークについて積極的に発言をしている元「UNIDOS」メンバーの中には、直接私から「UNIDOS」問題で批判を伝えても全く応答さえしようとしない、誠実さの全く見られない無責任な人もいます。「UNIDOS」の間違いに気がついていない人に対しては、今後も同じ間違いを繰り返させないように、批判を継続して行く必要があります。

8)ブブさんの場合

 「UNIDOS」構成員であったブブさんをゲストとして京都★ヘンナニジイロ祭のお迎えするにあたり、「UNIDOS問題」についてお話をしました。
 京都★ヘンナニジイロ祭は、様々な異なる意見の人が参加できるお祭りであり、仮にブブさんの意見が私と異なっていても、そのことで参加が断られることはありません。ただその場合には、ブブさんに対して公的な場での対話に応じることを求め、それを断られたら企画会場の場で私が「UNIDOS」への批判をブブさんに対してすることになります。京都★ヘンナニジイロ祭は、誰でも参加できる場だからこそ、逆にその場でどんな意見でも表明することが出来るのです。ただ「UNIDOS」批判は、企画趣旨として対外的に告知されているテーマとはややずれているので、企画会場で「UNIDOS」批判をしないで済むなら、それに越したことはありません。
 そして幸いなことに、ブブさんからは、だいたい以下のような認識を聞くことができました。

  • 「UNIDOS」は、「公的な社会運動の言説」を使っていたので、まるで公的な社会運動のように見えた、もしくは自分達でもそう思う必要があったが、実際には個人的な(私的な)集まりだった。
  • その当時、私(ブブ)にはそういう動きは必要だったが、「公的な社会運動」として表明するには不十分であったと思う。そもそも「公的な社会運動であるために必要なこと」について、私自身は意識的ではなかった。
  • 公的な運動が成立するためには、そこに参加している個人(少なくとも責任を負うメンバー)が運動に依存してしまうのではなく自立している必要があると思っている。しかしセックスワーカーを含むメンバー個々人がそもそもエンパワメントされていない場合が多かったので、多くの人が運動に依存せざるを得ない状況であった。
  • 「個人をエンパワメントするような場や運動」と「公的/社会的な運動」とは、それぞれがいずれも必要。場として重なることもある。しかしそれらの目的は異なるということを意識する必要がある。
  • 「UNIDOS」では私は自分のことで精一杯だった。私自身、外部からの批判を直接聞くことは精神的に出来なかった。まず、自分の存在と主張を、全面的に肯定する/されることを最優先していたし、それが当時の私にはどうしても必要であった。
  • その当時「公的/社会的な運動体としての対外的な責任」という発想が、そもそも私にはなかった。私自身は「マイノリティーが自己を特権化する」ような発想には意識的であるつもりであったが、外部からの批判を丁寧に分析するような余裕は私には無く、「UNIDOS」という集団がそういった批判全般に耳を貸さないという状況を後押ししたと思う。
  • 「UNIDOS」という集団のある種排他的な構造は、例えばメンバーのひとりである私というひとりのセックスワーカーが、「外部からの批判を直接聞くことができない」という精神状態にある時、それをあらゆる「外部」から守ろうとする行為も含んでいた。それは必要なサポートであった。しかし「公的」な仕組みとは別のものである。
  • 現在私はかつての「UNIDOS」のメンバーと個人的に会うこともあれば会わないこともある。しかし「UNIDOS」は今どうなっているのかとか、過去の活動をどうとらえて、どう表明するのかについて話すことはあまり無い。これにはみっつぐらいの理由があると考える。ひとつは、私自身を含めてそのひとりひとりが、セックスワークということについての考えと態度を表明する事が、未だに困難であること。また、セックスワークにかんする公的/社会的な運動を起こす基盤や議論がまだ不十分で、相対化しにくいということ。もうひとつは、ひびのさんが指摘するような「社会的な運動体」としての必要な条件共有の不十分さと、女性を含めた社会的マイノリティーの発言のためのエンパワメントの不十分さがあいまって、どちらも成熟しにくいということ。
  • 以上のような私自身の考えすら、かつての「UNIDOS」のメンバーとは共有していない段階なので、私の発言は当然ながら私個人のものである。ひびのさんの今回の問題提起を受けて、表明する機会を得ることができたと思っている。

 ブブさんは「UNIDOS」のあり方の問題点を明確に認識し、今後についてもその反省を踏まえて行動するという方向性がはっきりしていると私は思います。
 「UNIDOS問題」を曖昧にすることなく、その反省を踏まえて、ブブさんと京都★ヘンナニジイロ祭で場を共有できることを、心より嬉しく思います。

(2006.9.1)

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