たとえそこがどこであっても

「バイセクシュアル」の主張と、パレスチナの国際連帯運動(ISM/International Solidarity Movement)の非暴力直接行動への参加、イスラエルで「No Pride in the Occupation」と掲げる反占領の立場のQueerグループのこと、セクシュアリティーの話と反戦運動について、総合的にまとめて書いた文章です。ここ数年のわたしの活動のまとめのような文章になっています。超長文。英語版もあり。
(2003年9月 イタリアの雑誌「DeriveApprodi」に寄稿したもの)

日本語版
English version

たとえそこがどこであっても

ひびのまこと

こんにちは。ひびのまことといいます。まずは簡単に自己紹介と、私が活動の中で考えてきたことから始めます。
私は、クイア系の活動家です。単純化して言うなら、「バイセクシュアル」で、最近は「MtXトランスジェンダー」である、と名乗っています。10年ほど前に、ホモフォビアや強制異性愛を問題化するために活動を始めました。「バイセクシュアル」の権利を主張する活動家として、マジョリティー社会に対してだけではなく、ゲイ(やレズビアン)のコミュニティーやゲイ(やレズビアン)の活動家に対しても問題提起をしてきました。
9.11以前はジェンダー・セクシュアリティー関連の運動をメインに活動していたのですが、9.11以降、再び反戦運動などにも顔を出すようになりました。2002年にはパレスチナの国際連帯運動(the International Solidarity Movement /ISM)の活動に個人で参加し、バラタ難民キャンプ(西岸地区)で活動中にイスラエル軍に逮捕されました。日本に帰国後は、規模の小さな報告会をたくさん行っています。

●「バイセクシュアル」が提起する独自の問題

残念なことですが、ゲイやレズビアンの運動や主張になじんでいる人でも、「バイセクシュアル」の提起している課題についてはよく知らない、関心がない場合がたくさんあります。「バイセクシュアル」は「レズビアン・ゲイ」に比べて二義的な存在として扱われることが本当にしばしばあります。
例えば現在日本では、セクシュアルマイノリティーのパレードは東京と札幌で行われています。札幌は「レインボーマーチ」といい、東京のは「レズビアン・ゲイ・パレード」という名前です。また私の住む関西地域でも「レズビアン・ゲイ・パレード」という名前のパレードをしようという動きが一部のレズビアン・ゲイの活動家の中でありました。
「レズビアン・ゲイ・パレード」というと、セクシュアルマイノリティーの権利のための、社会の中の同性関係嫌悪と闘うための、すばらしい運動のように思いがちです。しかし現時点で「レズビアン・ゲイ」という言葉で「私たち」を表象することは、「レズビアン・ゲイ」以外の人たちを「私たちのコミュニティー」において二級市民扱いすることに他なりません。それは「レズビアン・ゲイ」が「私たちのコミュニティー」を私物化することを意味します。確かに同性関係嫌悪(ホモフォビア)と闘うことは必要ですが、そのことを口実に同性愛者以外が不利益を被る理由はありません。
レズビアン・ゲイの運動の中でよく使われる言い方に、「あなたの隣に同性愛者はいます」というものがあります。教室、職場、家庭、その他そこがどこであっても、カムアウトしていないだけでそこには同性愛者がいると見なすべきだ、というものです。だからこそ、そこを異性愛者が独占し私物化することは間違いだ、と主張することになります。
ゲイバー、レズビアンバー、ゲイ雑誌、クラブ、サークル、パレード、その他「ゲイ」「レズビアン」のいる全ての場所に、これまでも、今も、これからも、そこには「バイセクシュアル」がいます。「レズビアン」でも「ゲイ」でもないけれど、マイノリティー当事者としてそこにいる人たちがいます。だからこそ、「ゲイ」「レズビアン」のいる全ての場所では、「バイセクシュアル」も対等に扱われるべきです。
私は、こういったことを主にゲイの活動家に対してしつこく主張してきました。しかし、残念なことにそれは十分に受け止められません。そのため、「それはなぜだろう」「なぜ通じないんだろう」ということをずっと考えて来ました。そして分かったことは、「バイセクシュアル」という存在や考え方、つまり「バイセクシュアル」が問題提起している事項は、レズビアン・ゲイの存在や運動が主張していることと重なる部分(ホモフォビアや強制異性愛との闘い)もあるのだけれど、重ならない部分やはみ出した部分もある、ということです。つまり、レズビアン・ゲイの運動とはまた別の種類の問題をも、「バイセクシュアル」は提起しているのです。
そういったいきさつもあり、私は「バイセクシュアル」の提起する問題を伝えるためのスキルを磨くことになります。以下に掲載するクイズは、レズビアン・ゲイの運動をふまえた上で、さらなる問題提起として「バイセクシュアル」の提起を考えてもらうために、私が独自に考案し、最近使っているものです。他ではなかなか出会えないものだと思います。楽しんでみてください。

●クイズ

ここでは、「バイセクシュアル」についてちゃんと考えるために、クイズを二つしてみましょう。

(クイズA)
恋愛やセックスという点で、どんな条件の人をあなたは好きになりますか?
あなた自身の基準/条件を、とりあえず気楽に3つ書いてみてください。
1)
2)
3)

(クイズB)
あなたが好きになるタイプの人とそうでないタイプの人とにあえて人類を二つに分けるとしたらどうなりますか?図示してください。

●クイズの解説

以下、クイズの解説です。せっかくだから、自分でクイズに答えてみてから読んで下さいね。
まず、これらのクイズは、人は全て恋愛やセックスに関心がある、という前提に基づいてつくられており、Aセクシュアル(性的な欲望を持たない人)の存在を無視したものであるという限界があります。あらかじめお断りしておきます。
さて、質問です。(クイズA)の3つの項目に、あなたは性別条件を挙げましたか?あなたが人を好きになったりする時に、その相手を選択する基準と、性別との関係はどうなっていますか?
この(クイズA)をすると、性別を条件として書かない人がたくさんいます。それは、多くの場合は「好きになるのは異性に決まっている」という前提で行動する人が多いからです。こういった多くの人が無意識のうちに行っている「異性愛前提」の行動こそが強制異性愛社会を作り上げています。さて、ここまでなら、ホモフォビアや強制異性愛と闘うレズビアン・ゲイの運動と同じです。しかし、話には先があります。
では、ちゃんと考え直したら、すべての人は必ず性別条件を書くでしょうか。
相手の性別を条件にしない人たちがいます。そういった人たちの一部は、自身のことを「バイセクシュアル」と名乗ります。そういう人たち、相手の性別を恋愛やセックスの際にことさらに重視しない人たちは、(クイズA)には性別条件を書かないことになります。
そういった「バイセクシュアル」からみれば、じつはレズビアン・ゲイも異性愛者も、同じものです。レズビアン・ゲイも異性愛者も、「まず何より相手が男か女かにこだわる人」「ことさら性別に特別な価値を置く人」だからです。
そして、セクシュアリティーの領域で考える時、今私たちが生きる社会における問題は、強制異性愛だけではありません。「相手の性別によって態度が変わるのは当然」という思いこみや文化は、女性差別/sexismはもちろん、らしさ(性役割)の強制/genderismといった点に加えてさらに、誰を好きになるかという性指向にさえも大きく刻み込まれてしまっています。

●「男/女」という分割線は特別?

(クイズB)は、性指向と性別との関係をいっそう明確にします。そして、人類をことさら「男/女」という分割線で分けることの恣意性に気がつくことができます。
多くの人の場合、つまり、レズビアン・ゲイや異性愛者の場合、分割線の左右には「男」「女」が記入され、そのどちらかを選ぶことになるでしょう。しかし、人類を二つのグループに分けるのであれば、以下の分割線は全て、「男/女」の分割線と対等であるはずです。

(もちろん上図は、安直かつ強引に二つに分けてしまったものです)

そもそも人類を自分の性指向に基づいて二つに分割しようとする時には、本当は人によって、様々な分割線があります。「バイセクシュアル」が提起している問題とは、そういった様々な分割線のうちで「男女」という分割線だけがことさら特別な意味を持ち、特権的に扱われてしまうのはなぜか、それはおかしいのではないか、ということです。そもそも人を「男/女」に分ける必要があるのか。そういうことを今一度、根本的に問い直す必要があるのではないでしょうか。
さて、実はこういった観点から考えると、レズビアン・ゲイの運動や言説は、異性愛を当然視するマジョリティーの言説との共犯関係にあるとすら言えます。異性愛だけでなく、レズビアン・ゲイも、人を「男/女」に分けることにこだわり、相手の性別によって態度を変えるという文化の中にあります。「男」か「女」かのどちらかだけをもっぱら性的な対象として選ぶ、ということが当然視されています。この隠された「前提」からはずれた行為、いつもとは異なる性別の人との関係や行為は、「例外」「一時的な気の迷い」「何かの間違い」扱いをされてしまいます。
こう考えていくと、レズビアン・ゲイの運動は、人を「男/女」に分けること自体は問題にせず、むしろその逆に、人を「男/女」に分ける文化の枠内での平等を目指すことで、「男女という制度」を強化しているとも言えます。

●マイノリティーの中のマイノリティー

ここまで考えると、なぜ「バイセクシュアル」が、強制異性愛のマジョリティー社会においてだけではなく、レズビアン・ゲイのコミュニティーの中でも二級市民扱いをされるのか、分かるような気がしませんか。
ゲイやレズビアンは、強制異性愛という切り口では社会の中でのマイノリティーですが、「性別にこだわる一派」という観点では異性愛者と同様にマジョリティーです(さらに付言すると、ゲイやバイ男性は女性差別sexismという観点からはマジョリティーですが、ここでは触れません)。残念なことに、「バイセクシュアル」の提起する問題をちゃんと受け止めようとしない、自身がマジョリティーとしての特権を持っていることを自覚しようとしない、ゲイの活動家も少なくありません。多くの異性愛者が自身のマジョリティーとしての特権を手放そうとしないことは分かっていましたが、実はそれはゲイやレズビアンであっても同じ事でした。その人がどんな属性・アイデンティティーを持っているかということと、自身のマジョリティーさを指摘された時に適切に行動できるかということの間には、直接の関係はないことを知りました。「マイノリティーの中のマイノリティー」としての自分の経験です。
このような経験を通じて、権力を持った時に人のことを顧みなくなる、というような権力的な行動様式は、決して異性愛者の、男性だけの問題ではないということを私は知りました。むしろ、「自分は社会の中で差別されてきた」という思いが強い分だけ、マイノリティーは自身のことを振り返ることが困難になることすらあるのです。
すでに現在、マイノリティーを含むすべての人の中に、権力的な行動様式は染みついてしまっています。だからこそ、これからの社会運動は、単に表面的な利害関係の一致で行動するような単純でわかりやすいものではなく、一人一人が自身に染みついた権力的なあり方を振り返り、自分自身の生き方を問い返し、検証していくことができるようなものでなくてはならない、と思うようになりました。

●はじめはイベント女装から

10年前の私は、全く性別違和感がありませんでした。今使われている言葉で言うなら、私の性自認は「男性」で、揺らぎはありませんでした。
しかし現在、私は自分のことを「男性」であるとは思っていません。現在私は「MtXトランスジェンダー」という性別を性自認として選択している、と名乗っています。こういった私の変化は、様々な人との出逢いによるものでした。
はじめはゲイコミュニティーでの「オネエ」との出会いでした。オス(male)で男(man)で、しかし「女っぽい」仕草や口調をする人たち。ゲイサークルに顔を出すまで、私は、そんな人と話したことはありませんでした。日本である程度の規模のゲイリブがつくられる創生期に行われた「第1回東京レズビアン・ゲイ・パレード(1994年)」には、サークルの人たちは化粧をし、「女性用の服」を身につけ、参加しました。とてもへたくそな「女装もどき」のいでたちでしたが、強制異性愛社会にまみれた「世間」に「ノー!」をいう方法として、私たちはそれを選択しました。今から思えば、社会的に当然とされる身なりとは異なる「男らしくない」身なりをすることで、「男女という制度」に異を唱えたいと思ったのだと思います。それは、パートタイムの、一時的な、中途半端なイベント女装でしたが、そういった経験は私にとってとても楽しいものでした。「あたりまえ」を押しつけてくる社会に対する抵抗として、異性装はとても効果があり、かつ自分自身にも解放感をもたらしました。
そして実は、それと同時に、そういった形でいつもとは違うジェンダーを演じることに対して、自分自身も「気持ち悪い」と感じたり否定的な違和感を持っていることにも気がつきました。本来服装などは本人の自由なはずなのですが、特定の方向には違和感を覚えず、特定の方向には嫌悪感を覚える自分の意識って、一体何なのだろうかと考えはじめるきっかけにもなりました。

●「このスカート、はいてみない?」

その後も様々な人に出会います。私の生活の中でも、トランスジェンダーの友人(以下ハヤブサさんとします)ができたことが大きな影響を与えました。ハヤブサさんはFtMTSなのですが、女装も好きな人でした。そして私に対しても様々なタイプの服を着ることをすすめてくれました。確かに、「このスカート、はいてみない?似合うと思うよ!」と言われてみると、特に断る理由はありません。そして分かったことは、ロングスカートが私に似合うということです。私の身長は185cmですが、長身の私がロングスカートをはくと、これがかっこいいのです。また、夏場はスカートが涼しいということも発見でした。性役割は生まれつきではなく選択するもの、と頭では分かっていても、実際に日常生活の中で「異性装」をする人はそんなにいません。しかしたまたま人に勧められて「女装」してみて実感したことは、誰でも好きな服装をする権利があるし、実際にそれは可能であるにもかかわらず、私を含め多くの人は、「男らしい」「女らしい」服装をいつのまにか「選んで」いるということです。そして逆に、実際にいろいろな服装をしてみることで、性別(ジェンダー)とは実体ではないんだ、性別とはゲームのようなものなんだ、性別は自分で選ぼうと思えば選べるんだ、ということを実感するようになってきました。「今日はどっちの性別にしようかな」ってな感じです。
このあたりの私の思いの変遷には、ドラッグクイーンたちの表現や文化の影響も受けました。自身でもドラッグショーをしてみることで、「身にまとうもの」としての「男女という制度」を体験したりできました。ジェンダーは、やろうと思えば着せかえできるのです。
この手の話では定番ですが、やはりトイレのことを書いておきます。ロングスカートをはいて私が男子用トイレにはいると、とても不振な目で見られます。ハヤブサさんの場合は性自認が男性なのですが外見上はパスしていません。男子用トイレに入るとやはりとても場が緊張します。かといって女子用トイレにはいることはハヤブサさんにとってはとても苦痛なことです。こういったことを繰り返してみて分かったことは、今の社会は、人間を「男女」に明確に二つに分けることができる、という幻想の上にあるということです。その幻想は、生物学的な性別(sex)・外見上の性別・性自認そして法的書類上の性別が全て一致していることを自明視しています。だからこそ、それらの様々なレベルの性別の間に不一致がある人は、居場所がありません。どちらのトイレに入っても、落ち着くことができません。

●オチンチンを持った女の人

話はどんどん先に進みます。では一体、男とはなんでしょうか。女とはなんでしょうか。生物学的な性別(sex)・外見上の性別・性自認そして法的書類上の性別がそれぞれ独立して別々であるということを、実際に様々な人に出会って知った私は、ますます混乱してきました。スカートをはいている男の人がいます。オチンチンを持った女の人がいます。外見はどう見ても女にしか見えないのに、自分のことを男だと思っている人がいます。男か女かよく分からない人は、もっとたくさんいます。「きのう男友だちと映画を観てきたんだ」と聞いた時、その男友達は大きなオッパイを持っている人かもしれません。そんな現実を目にした時、「男」「女」という記号に一体どんな意味があるのでしょうか。
私自身も、服装だけでなく身振りや口調も、だんだん様々なバリエーションが身に付いてきました。そう、性別(ジェンダー)は学習して身につけるものなのです。「男らしくすること」を目指すことをやめてしまった私は、自由を手に入れました(ここではとりあえずジェンダリズムgenderismのみに触れ、セクシズムsexismには触れません)。

●MtXトランスジェンダー

そうすると今度は、ついに、「日比野さんのことを男だとは思えない」という人も出てきました。
ここまで来てやっと私は気がついたのですが、自分のアイデンティティー、自認は、他者からの認知やレッテル張り、周りの人に自分がどう扱われるか、ということの影響を大きく受けるみたいです。それまで私は、様々な服装や身振り口調はしていましたが、「男である」という性自認は揺らいでいませんでした。しかし、そもそも男とは何かを考え出すと正解がないこともわかり、様々な「男」がいることも知った私は、もはや「男として」生きることを選択したいとは思いませんでした。というよりむしろ、どうして「男としての自分」という自己認識を無理して維持し続ける必要があるのでしょう。そして私はそれと同様な理由で、女として生きようとも思いませんし、女になりたいとも思いませんでした。そういった経緯があって私は、「MtXトランスジェンダー」という性自認を獲得・選択しました。
トランスジェンダーの中には、生まれつきの生物学的な性別と「ちょうど反対の性別」としての性自認を持ち、パスして、典型的な性別役割に乗っ取って生活して生きていきたいという人もたくさんいます。しかし幸い私の周りには、そうでないトランスジェンダーがたくさんいました。「女ではない」からといって、必ずしも「男である」必要はないんだ。必ずしもパスする必要もないし、手術も必ずしもしなくてもいい。それは自分で選択して決めることだ。そんな人たちが使っていた言葉が「X」でした。「X」とは、「典型的な男」になる意志も、「典型的な女」になる意志もない(もしくはパスすることがきわめて困難な)ことを示しています。「男女という制度」の枠の中で、「男」か「女」のどちらかを選ばされる事自体を拒否したいと私は考えています(サードジェンダーとしてのトランスジェンダーです)。

●白人と黒人とトイレの話

以前の南アフリカ共和国で、トイレが「白人(white)」「黒人(black)」用に分かれていたことは有名です。肌の色によって場所を分けるのは当たり前だ、という考え方(正確には、白人が黒人を差別するのが当たり前だ、という文化)が、社会に生活する多数の人たちの個々人の意識にまで浸透し、そういった政治的な権力関係(ヘゲモニー)が実際に存在していたからこそ、あり得た状況だと思います。いまから考えれば、それは白人と黒人との間に何らかの「違い」があるから分けられていたのではないことは自明だと思います。
今では、私は、「男女別に分けられたトイレ」も、これとほぼ同じような性差別の象徴として考えています。トイレが男女別に分けられているのは、自然なことでも、あたりまえのことでもありません。私たちの社会が女性を「二級市民」と見なしており、男性から女性への性的な暴力は防げない、それはやむを得ない、と社会が見なしているからこそ、男女に分けざるを得ないと思われているのです。私たちの社会が、男性による女性への性的な暴力を防げないと考えていることの象徴的存在がトイレの男女分けです。
しかし実際には、トイレや銭湯が男女別に分けられている事は余りにも当たり前になっており、本当にほとんどの人はそれに何の不満も抱かずに一生を終わっていきます。それほどまでに「私たち自身」はジェンダー化されてしまっているのです。私の友人でもあるハヤブサ人生が「銭湯のしきりの壁を壊したい!それが革命だ!」と言っていたのですが、それは決してなにかの例えや極端な例ではなく、性別二元論に基づく性差別をなくすという観点からは当たり前の、最低限の政治的主張です。私たち1人1人が、トイレが「白人(white)」「黒人(black)」に分かれているのを見て当惑するように、銭湯や公衆便所が男女別に「区別」されているのをみて、毎日毎日腹をたて、その設置者に抗議をできるようになって初めて、私たちの意識が「男女という制度」や性差別から少しは自由になれたと言うことが出来るのだと思います。

●ゲームとしての「男女という制度」

ざっと、大まかに私の10年をみてきました。「バイセクシュアル」としてレズビアン・ゲイのコミュニティーに問題提起し、性別についての自身の認識が大きく変わりました。たくさんのトランスジェンダーとの出会いの中で私自身の性役割だけでなく性自認までもが変化しました。性別というものが、制度(「男女という制度」)であることを実感として理解しました。性別は、実体ではなく、ゲームだったのです。
しかし、「男女という制度」はゲームだと言っても、簡単にそこから外に出ることができるようなものではありません。すでに「私たち」は、程度の差こそあれ、全面的にジェンダー化されてしまっています。トイレ、銭湯、ランドセルの色・学校や職場のロッカーや制服、服装、言葉遣い、本当にありとあらゆるものが性別によって分けられています。赤ちゃんが生まれればまず「男か女か」が話題になり、第三者を呼ぶ時には「彼/彼女」とまず性別で表象する社会の中で、「私たち」は普通に生活できています。「男女という制度」によるすり込みは、誰を好きになるかという感情レベルの問題まで性別が基準になるくらい、深く、全面的なものです。「私たち」は、決して「男女という制度」から自由ではありません。
もちろんそれは、フェミニストであっても、レズビアン・ゲイや「バイセクシュアル」の活動家であっても同じ事です。特に「自分はこれまで差別されてきた」「これまで私の意見はないがしろにされてきた」と思っている人の場合は、その自分自身が実のところは「男女という制度」との共犯者であることを見落としてしまいがちです。

●反戦運動に「復帰」すると、、、。

さて、おそらく、ここまで書いてきた「男女という制度」についての話にあまりなじみのない方も、この文章を読んでおられるかもしれません。にもかかわらず、少し長めに書いてきたのには理由があります。ギャップを感じて欲しかったのです。ジェンダーやセクシュアリティーの課題に取り組んできた私にとっての日常がどういうものか、何が問題になっているのか。そのことをふまえて、「それ以外」の社会運動の現場が「私たち」にどう見えるのかを、想像してみて欲しいのです。
9.11以降、正確には9.11を口実にして米国政府がアフガニスタンへの不当な攻撃を加速させて以降、日本政府もこれをいい機会にと日本国内の軍事化を急激に加速させてきました。曲がりなりにも「戦争をしない」という憲法と、「何となく」戦争に反対するという世論が日本には一応あったので、日本政府はこれまでは、戦争の準備をすることなどを公然とは口にできませんでした。しかし最近では、日本政府は米国の「反テロ戦争」と歩調を合わせ、公然と戦争準備の法制化を進め始めたのです。そのあまりにも急激な状況の悪化をみかねて、私は久しぶりに日本の反戦運動の現場にも再び顔を出し始めました。
実は10年ほど前にセクシュアリティー系の社会運動に関わる前は、私も、大学の学生自治運動や、反天皇制運動、反戦運動、日雇労働者の運動の支援などに参加していました。しかしそういった社会運動の現場が、あまりに男性中心で、そしてあまりに異性愛が前提となっていた場所がほとんどであったために、少しずつ距離を取り始めたという歴史が私にはありました。
私にとっては、久しぶりの復帰です。今はどんな風になっているのかな、すこしは変わったかな、と期待して、デモや集会に顔を出し始めました。しかし残念ながら、私がここ10年の間に考え取り組んできたこととは全く違った世界がそこにはありました。
「男女という制度」はゲームとしてではなく、実体として認識されてそこにありました。人が男女のどちらかであることは自明であり、さすがにもう、カムアウトしたセクシュアルマイノリティーが黙らされたり排除されることはありませんが、あくまで「少数派」としての指定席があてがわれるだけでした。「女性」の活動家は確かにそこにいますが、「男女という制度」を相対化することが全体で目指されているわけではありません。まして、女性差別を「今ここで」なくしていくことが場の全体の方針として確認されることはありません。

●セクハラガイドライン

1つ例を見てみます。
実は日本では、1997年に「男女雇用機会均等法」が改正され、全ての事業主に対して、職場におけるセクシュアルハラスメントを防止することが法的な義務として課されることになりました。職場で最も力を持っている事業主こそが、セクシュアルハラスメントを許さないことを明示的に意思表明しなければならないし、そのための取り組みを職場全体の問題として事業主の責任で行え、ということです。これは、日本全国で繰り広げられた反セクハラ裁判や、行政の中に入っていったフェミニストたちなどの努力の成果でした。そして実際、改正法が施行された1999年前後には、いくつかの企業や大学、行政機関などにおいて、セクシュアルハラスメントを防止するためのガイドライン作成などが取り組まれました。
さてここで何が問題かというと、こういったガイドライン作成などの取り組みが、現場における労働者同士の討論や取り組みを積み上げた結果として行われている訳ではないことです。本来ならば現場労働者の間で討論され、労働組合からの要求という形で職場で議題になり、いくつかの企業で労働者との話し合いによって自主的にセクハラガイドラインがつくられてくる、そういった運動の積み重ねをふまえて、法律が現場の運動を後押しする形で制定されるのがベストな形だと思います。しかし残念ながら、労働組合をはじめ日本の現場の運動の多くは、セクハラや性的な暴力を告発する声に誠実に耳を傾けてきませんでした。職場におけるセクハラを告発する声の多くは、男性中心主義の労働運動の中で孤立させられてきました。そのため、多くのフェミニストたちは現場での解決を見放し(現場の運動から実際には排除され)、行政や法律による「上からの」改革を選択せざるを得なかった、という側面があると私は考えています。

●なんて遠いところに来てしまったんだろう

さて、行政や法律、日本政府がセクハラガイドラインの策定を企業に呼びかけるような状況にまで至った今、社会運動の現場ではどうでしょうか。
これまでに、集会やデモ、社会運動のグループの現場でも、幾多の性的な暴力事件が起きてきました。私が以前に参加していた運動団体でも、実際に性的な暴力の事件が問題提起されていました。しかし残念なことに、そういった問題提起は多くの場合は受け止められず、組織的に生かされることもなく、今に至っています。社会運動の内部で、セクハラガイドラインを持っているところがいくつあるでしょうか。運動内部における性的な暴力に対する方針を持ち、取り組みを行っている運動団体がどこにあるでしょうか。本来なら、社会運動の現場こそが、「内部」における性的な暴力の問題に関して、先行した取り組みを行ってきた場所であるはずでした。なぜなら、性的な暴力に対するフェミニストによる告発は、まず社会運動の現場でなされていたはずだからです。
集会やデモの主催者には、自身が組織した場における性的な暴力に対して方針を持ち、取り組む義務があると考えるべきです。全ての社会運動をするグループの中で、グループ内部における性的な暴力の問題について、重要な問題として全体で話し合われるべきです。事業主に対しては、すでにそういった法的義務が課されているのです。
日本政府でさえ取り組みを呼びかけているセクハラ対策。もちろんそれは、上からの、しかも不十分なものでしかありません。しかしそれすらないのが日本の社会運動の現実です。
性の課題、「男女という制度」に関係する課題のなかで最も歴史があり、最もたくさんの取り組みが行われてきたのが女性差別(sexism)に対する闘いです。そして、少なくともこれまでは女性に対する暴力をなくしていくという文脈で主に訴えられてきた、性的な暴力に反対する取り組みですら、この程度です(性的な暴力は、男性から女性に対するもの、女性差別/sexismに関連するものだけではありませんが、ここではこれ以上触れません)。日本の多くの社会運動の現場では、性の課題、「男女という制度」に関係する課題は、いまだに女性や少数派の問題だと思われ、全体で扱うべき中心的な課題の1つだと認識すらされていません。
10年前と違うところは、私が年をとり、その分権力があるということ。それから、私自身が自信と言葉を獲得したので、ジェンダーやセクシュアリティーの課題を争点としていつでも多少は問題提起できる、ということくらいでしょうか。
例えば「『MtXトランスジェンダー』という性自認を選択する」というようなことを考えてきた私は、なんて遠いところに来てしまったんだろう、と思わざるを得ません。気が遠くなります。

●新しいものを夢見よう

私は、大衆的な社会運動の現場、例えばデモ・パレードや集会などに多くの人が集まるのは、その場所に行くと、「いつもの毎日の生活とは違う」新しい社会・人間関係・コミュニケーションのあり方などを実感できるからだ、だと考えています。もちろん、例えば反戦といった掲げられているタイトルも大事ですが、次の時代の「あるべき」「あって欲しい」「あったらいいなと思う」文化が先取りされているからこそ、運動の現場に魅力があります。そして逆に言うなら、自分の毎日の生活と同じルールで運動現場がまわっているようでは、わざわざ出向こうとは思いません。
先にも書いたとおり、「私たち」は程度の差こそあれ、すでにジェンダー化されてしまっています。「私たち」のだれ一人として、無罪な人間は居ないのです。「私たち」は、「いつものように」「フツウに」毎日行動することで、「男女という制度」の維持や強化に荷担し、「男女という制度」との共犯者になっています。
だからこそ、よっぽど自覚的に、「今」とは異なる状況をつくることを意識的に目指さない限り、「男女という制度」から私たちは自由になることはできません。よっぽど自覚的に、「今」とは異なる状況をつくることを意識的に目指さない限り、そこでは「いつものように」性的な暴力が蔓延し、「いつものように」性的な暴力は存在しないことにされ、「いつものように」その問題化は妨げられます。
しかし実は、だからこそ逆に、「男女という制度」を問い直すことは、新しい社会や文化・人間関係のあり方を「いまここ」でダイレクトに模索することでもあります。「男女という制度」を問い直すことで、「今の毎日の生活」とは異なる次の社会のあり方を、身近な具体的なレベルで実感し、夢見ることができるのです。そういった過程がどれだけ変化に富み、とてもわくわくする、楽しいものであるかは、私の10年間からも明らかです。

●素敵な活動家に会うために

日本とは違い、欧米の社会運動の分野は、ジェンダーやセクシュアリティーに関わる課題を中心的な課題の1つと認識して運動が組織されているらしい、という印象を私は持っていました。様々な議論があり決して単純に肯定すればいい訳ではないということも知っていますが、例えばEU各国が同性間のカップルに対する法的保護を試みたり、議員数のジェンダー比を改善しようとしたり、賃金格差をなくそうとしたり、様々な試みが欧米の社会運動の中では行われているという印象でした。私もそうでしたし、日本でジェンダーやセクシュアリティー系の運動をする人たちの中には、そういった世界の他の国で取り組まれている実践にとても励まされてきた人がたくさんいます。
冒頭に、私は昨年パレスチナの国際連帯運動(the International Solidarity Movement /ISM)に参加したと書きました。しかし実は、私は、パレスチナ問題については、それ以前はほとんど関心もなく、何もしてきませんでした。そんな私がパレスチナに向かったのは、もちろん、断片的にではありますが新聞等でも報道される、あまりにもひどいイスラエルのやり方に対する怒りからでもありました。しかし直接のきっかけになったのは、ISMに参加していた清末愛砂さんが京都(私の居住地です)で報告会をした時の一言、「日比野さん、パレスチナに行こうよ。素敵な活動家に会えるよ」がきっかけでした。
私にとって「素敵な活動家」とは、当然ジェンダーやセクシュアリティーの領域を中心的課題の1つとして認識する人のことです。ジェンダーやセクシュアリティーに関連する運動についてのある程度の経験をつんだ人たちが、ジェンダーやセクシュアリティーの運動領域以外でどんな文化を創っているのか、興味がありました。清末さんは、以前からジェンダー・セクシュアリティー系の運動での顔見知りでした。その人が「素敵な活動家に会えるよ」というのですから、これは信用できる、と思いました。日本の社会運動の中で、大きなギャップや違和感・距離感を覚え、やや参ってしまっていた感のある私は、逃げ場を求めるような気持ちでISMに関心を持ったのかもしれません。

●国際連帯運動/ISM

家に帰って、インターネットで「International Solidarity Movement」を検索してみると、英語ではありますが、出てきました。そしてますます、これなら行ってみようか、という気になりました。
まず第一に、政治的な路線が支持できました。ISMのホームページには、当時こう書いてありました。

・私たちは、武装した闘いを通してイスラエルの暴力と占領に抵抗するパレスチナ人の権利を理解します。それでも、私達は、非暴力が闘いの圧迫の中での強力な武器でありえると信じます。そして、私達は非暴力主義的な抵抗の原則に身をゆだねています。

We recognize the Palestinian right to resist Israeli violence and occupation via armed struggle, yet we believe that nonviolence can be a powerful weapon in fighting oppression and we are committed to the principles of nonviolent resistance.

武装闘争を否定しないこと、しかし自分たちは非暴力直接行動を行うこと、この路線が私には納得できるものでした。
第二に、そのオープンな運動のあり方が共感できました。ISM参加者のメールグループのやりとりは公開され、誰でも読むことができました。またホームページには、個人登録フォームさえありました。ISMの活動に参加したい人は、名前やパレスチナ滞在予定期間、ベジタリアンかどうか、などをフォームに記入して、登録ボタンを押すようになっていました。まるで、フツウのスキーツアーに登録を申し込むような手軽さで、「誰でも」「個人で」ISMに参加することができ、それが歓迎されていることに、とても共感できました。戦場に出向いて活動するにもかかわらず、「エルサレムに着いたら以下の電話番号に電話して!電話がつながりにくかったらこうするといい」「宿泊はここが安い」とも書いてありました。組織の情報を隠すような作風が日本の運動にはあります。そんな運動のあり方に飽き飽きしていた私は、こんな開けっぴろげの運動のあり方に、とても興味を引きました。
さらに、「パレスチナで会おう!」「目撃者になる」「まさに今こそが、私達が、どんな人でもここにいることを必要としている時」「難民キャンプの家庭に滞在して、市民に保護を提供する」「カメラ、ビデオ、E-mailやインターネットを通して発表される日記、によって、パレスチナで起きている事実を実証する」という内容のことが繰り返し書かれていました。私は日本語でクイア系(ジェンダー・セクシュアリティー系)の活動をしているに過ぎず、アラビア語もできず、医療技術があるわけでもなく、そんな私が戦場に行っても足手まといになるだけなのではないか、という危惧は、実は現地に行くまで払拭できませんでした。しかし、ISMのページには「来い、来い!」としつこく書いてあります。まぁ、足手まといになるようだったらすぐ帰ろう。「来い」と書いてあるし、行ってみても文句は言われないだろう、と思い、行くことにしました。

●目撃証人/witness

そして実際にISMに参加し、パレスチナ人のバラタ難民キャンプに行って分かったことは、そう、まさに今、パレスチナで目撃証人になることには、積極的な意味がある、ということでした。
占領下のバラタ難民キャンプでは、イスラエル兵士がパレスチナ難民の家の壁を破壊していました。また、家財道具や、家自体の破壊が行われているところもありました。ISMの創設者の1人ネタ・ゴランが、その場で兵士たちに抗議します。「なぜ、あなた達は、この壁に穴をあけようとするのか!この家に入りたければ、あそこのドアから入ればいい!あなたの家が壊されたらどう思うの!」。私ははじめ、あっけにとられていました。兵士たちの多くは、10代から20代の若者がほとんどです。そういう兵士一人一人に、直接、「あなたはなぜ家を壊すのか」と質問していきます。問いつめられれば、兵士もこう答えざるを得ません。「私は不必要に家財道具を壊したりはしていない。一部の兵士にはそういう人もいるかもしれないが、私はそういうことはしない」。そして、私は理解しました。外出禁止令が引かれ、戦車が徘徊し、銃撃の音が聞こえ、兵士に占領された戦場で、非武装で、まるで観光旅行に行くようないでたちで、兵士一人一人に問いかけをする。「なぜ人の家を壊すの!」。「戦場だからやむを得ない」ことなんてない。東京やローマや、そしてテルアビブでしてはいけないことは、ここバラタ難民キャンプでも、してはいけない。こんなあたりまえのことが、戦場だからということで「やむを得ない」と容認されることの方が間違っている。もちろんそれは、兵士一人一人に対するメッセージでもあります。しかしそれは同時に、「戦場だから仕方がない」と思っていた私の意識をも、問うていました。
私たちInternationalsが路地を歩いていると、何人もの人が声をかけてきます。「ちょっとこれを見ていって。さっきイスラエル兵が家に穴をあけていったの」「この部屋を見て、この荒らされた部屋を見て!」「これを世界の人に知らせて!」そしてこう言われます。「うちにご飯を食べに来ないかい?」「よければうちに泊まっていってくれないかい?」。
 ISMのホームページには「民家に滞在して保護を提供する」と書いてありました。私はこれがなんのことなのか、実はさっぱり分かりませんでした。何で私が泊まることが『保護の提供』になるんだろう?。しかし、実際には、Internationalsの目があるところでは、イスラエル兵も無茶を比較的しにくくなるという現実があることを知りました。
思い起こしてみれば、サブラとシャティーラでの虐殺(the massacres at Sabra and Shatila 1982年)は外国人たちがいなくなったあとで遂行されました。2002年のジェニンでの虐殺についての国連の調査団がイスラエル政府の入国拒否にあったことも最近の記憶にあります。外部の、第三者の目がなくなると、本当に何をされるかわからないという恐怖がそこにはありました。
目撃証人/witnessとは、ただ単にぼうっと見るのではありません。公平な第三者の位置から物事を積極的にちゃんと目撃する、ということです。
そして、私は「ああ、なるほど」と腑に落ちました。
例えば教室でゲイの誰かがカムアウトした時。実際には、比較的中立な反応や無関心に囲まれることが日本では多いでしょう。しかし、運が悪いと一部の確信犯による悪意の攻撃を受けることもあります。そんな時に、これまた周りに見て見ぬふりをされると、攻撃はどんどんエスカレートしていきます。そんな時、1人でもいい、「あなたはなぜそんなことをするの?」とその場でいけしゃあしゃあと問う第三者がいれば、一体どれだけ事態がましになるだろうか。
例えば誰かが「私はAさんに性的な暴力を受けた」と話したときのことを考えてみます。残念なことですが「性的な暴力なんて大したことはない」とか「自分だってこんな事をされて我慢しているんだから」などと合理化して、被害の告発が無視されてしまうことが少なくありません。そんな時に、「暴力を受けたと言っている人の話をちゃんと聞こうよ」「誰がやったとしても、間違いは間違い」と言ってくれる公平な第三者が一人でもその場にいたら、どれだけ状況が良くなるでしょうか。
目の前で起きていることを「見て見ぬふり」「聞かなかったこと」にされることのあの痛さを、本当に私が「目撃証人」を必要としていた時のことを、私は思い出しました。そして、私の生きる日本の生活の中で目撃証人が必要であるのと同じように、パレスチナにおいても目撃証人が本当に必要とされているんだということを、心から理解できました。

●レインボーフラッグとイスラエル国旗

イスラエルで私は強制退去処分を受けたため、その取り消し訴訟を起こしていました。裁判の期間は保釈されていたのですが、その保釈中に、セクシュアルマイノリティーのプライドマーチがテルアビブでありました。私にとっては、アラブ・イスラム文化圏も、ユダヤ教の文化圏も、セクシュアリティーの観点からは窮屈さがありました。ですので、パレードに参加することはとても楽しみでした。しかし、会場に着いてみて驚いたことは、集会会場やパレードコースには、レインボーフラッグと並んでイスラエル国旗が大量に、大々的に掲げられていたのです。パレード参加者の中には、小さなレインボーフラッグと共に小さなイスラエル国旗を持っている人もたくさんいました。
 これは一体どういうことでしょうか。レインボーフラッグとは、セクシュアルマイノリティーの多様性を祝福するために世界中の運動の中で使われている6色の旗です。マイノリティーの権利のための闘いの旗です。少なくとも二種類の旗を手に持つ参加者や、パレードの主催者にとっては、イスラエルの国旗は、レインボーフラッグと同様に、マイノリティーの人権運動を象徴する旗として認識されている、と理解するほかありません。現実を丁寧に見てみれば、イスラエル国家自体が、パレスチナ人の土地を奪って強引に「建国」された侵略国家です。今も入植や壁の建設という名前で続けられているその侵略行為が、レインボーフラッグと並べられる「マイノリティーの人権運動」として表象され認識されているのです。
ユダヤ人に対する差別や迫害は、過去のことではありません。特に欧米のキリスト教圏では、今でもユダヤ人に対する差別があります。だからこそ「ヨーロッパでユダヤ人が迫害された状況に対する闘いとして、ユダヤ人の生存権のために、ユダヤ人の国をつくる」という物語が、現在でもそれなりに大きな力を持ってしまっているのだと思います。

●マイノリティーの仮面をかぶったマジョリティー

「自分たちは差別されている」「私は被害者だ」と思っている人たちが、他者のことに想像力を失ってしまい、自分たちだけの「正義」や「人権」のために間違ったことをする主体や運動のあり方は、実は私には慣れ親しんだいつもの光景でした。イスラエル国家の姿は、私には、日本の一部のゲイ男性の社会運動と二重写しになったのです。(もしくは、例えば運動団体の内部におけるミソジニーの告発を受け止めることのできない男性活動家で例えることもできます。というのも、日本においていろいろな運動が敗北し続ける中で「負け組」のルサンチマンを持っている人も多いからです。)
マジョリティー社会の中で、ないがしろにされ、抑圧され、無視されてきたゲイ男性が「自分たちの場」をつくる時に、そして自分の「安全」を求める時にこそ、その間違いは起こりやすい。自分たちの都合を優先できる「場」というのは、実はそれはつまり自分たちがその場で権力を持ったマジョリティーであるということを意味するのです。しかしそのことに気がつかない、否、そのことを直視しようとしない。しかもそれがやっかいなのは、そういった形での権力の形成、コミュニティーでのゲイ男性の特権の獲得、「ゲイ」で「私たち」代表するようなヘゲモニーが、「マイノリティーの人権運動」という看板で行われるからなのです。
もちろん、規模も内容も違う話ではあります。しかし具体的にイスラエルで二つの旗を振る人を目の前にして、人の生き方の問題として考える時、私は同じものを感じました。
これはつまり、イスラエル国家やその侵略占領を、「自分とは根本的に違う外部」の犯す不当な行為だと見るべきではない、と思ったということでもあります。確かにイスラエルの「ユダヤ人至上主義」は確かに分かりやすく極端です。しかし「自分たち」のことにしか関心が向かないことは、マイノリティー運動の中では決して例外的なことではないと思います。だからこそむしろ、少数派の権利を主張する社会運動が犯しやすい間違いの典型例の1つとしてイスラエルを見るべきなのではないか。イスラエルに対する批判は、「私たち」自身もやりかねない間違いに対する批判、運動内部の自己批判として行われるべきではないか、と感じました。

●私のパレスチナ報告会も同罪?

しかもさらに考えると、「パレスチナ人」はパレスチナにおける最大のマジョリティーです。ではパレスチナの地には、「パレスチナ人」以外の少数民族はいないのでしょうか。イスラエルによって占領され土地を奪われ迫害されているのは「パレスチナ人」だけなんでしょうか。「パレスチナ人」というアイデンティティーを持つことのできる人による、「パレスチナ人」というアイデンティティーを持たない人に対する差別や迫害はないのでしょうか。
現時点で私は、それ以外にも名の付いた少数民族はいるかもしれませんが、少なくとも「サマリア人」という名で呼ばれる人々がいることしか知りません。そして、「パレスチナ人」のことを中心にして「パレスチナの地」で起きていることを日本で語ることが、どういう力関係を「パレスチナ」において創り出しかねないのか、私にはちゃんと分かっていません。
日本でパレスチナ報告会なども何回か開いたのですが、私の報告は残念ながら、「マイノリティーの中のマジョリティー」について語ることで「マイノリティー」を代表させているものである可能性を、捨て切れません。
もちろん私には何の悪意もないのですが、私の意図とは関わりなく、私の行動がマイノリティーの中のマジョリティーとの共犯関係になっている可能性すらあるのです。社会運動をすることは、なんて恐ろしいことなんだ、と思わざるを得ませんでした。もちろんこういったことをも含めて私は報告会で話そうとするのですが、「イスラエルによるパレスチナへの攻撃」を分かりやすく非難する方が一般に受けがいいのも事実なのです。

●NO PRIDE IN THE OCCUPATION/占領の中に私たちのプライドはない

イスラエル国旗が高々と掲げられたイスラエルのパレードには、しかし公然と主催者を批判する人たちも参加していました。パレード全体の参加者15000人の中の250人程度ですが「Black
Laundry (Kvisa Sh’hora/ヘブライ語では『黒い羊』という意味も重ねてある)」というグループです。この人たちは、レインボーフラッグのかわりに、それを白黒コピーしたグレーの6色のフラッグを掲げ、「占領が続く今はカラフルなお祭りをする時ではない」と主張して黒尽くめのいでたちでパレードに参加していました。セクシュアルマイノリティーの権利を主張することと、占領に反対することとを同時に主張しているのです。また、ナチス政権によってユダヤ人が強制収容所に送られた時に、同性愛者も同様に強制収容された歴史をふまえ、ピンクや黒の三角形の形をしたプラカードをたくさん掲げていました(ユダヤ人には星印がつけられたように、男性の同性愛者にはピンクの三角印、女性の同性愛者には黒の三角印がつけられた歴史をふまえている)。これは、ホロコーストに反対することと、同性愛者に対する差別に反対することと、さらに占領に反対することを重ねているのだと思います。このようにBlack
Laundryのメッセージは、ダブルミーニングが多く、とても共感できるものでした。

●ISMのユダヤ人

イスラエル軍に逮捕され、強制退去処分取り消し訴訟を共に闘ったダーリーンは、実は米国籍のユダヤ人でした。他にもたくさんのユダヤ人やイスラエル市民がISMには参加していました。現地で活動に参加してこのことを知った時に、私は始めはとても驚きました。「ユダヤ人なのに、なぜ?」。
しかし思い起こしてみれば、カテゴリーや属性ではなく、個人の主体性を最大限大切にしていたいからこそ私はISMに興味を持ったのでした。
イスラエル政府のあまりにひどいやり方を見ると、イスラエル市民やユダヤ人はなんてひどいんだという印象を「私たち」は持ちがちです。実際、明確なテロリストであるシャロンを首相に選んでいるのは、イスラエル市民なのです。
しかし、「だからユダヤ人は信用ならない!」というイメージが広がると、ますますユダヤ人は「自分たちの最後の逃げ場所としてのイスラエル」の現在の政府を批判しにくくなります。マイノリティーとしての自分を守るために、「祖国」の間違いには目をつぶらざるを得ない、、、。どこの運動団体にもよく見られる、いつもの光景です。こんな悪循環に入らないためにも、個人として自分の責任でISMに参加していたダーリーンに私は共感できたし、また逆にISMも個人の責任で参加する形態をとっているのだと思います。

●不一致を実り豊かさだと考える

コミュニティーのなかで、もしくはある運動や組織の中で、マイノリティーのなかのマイノリティーとして表現することには困難さが伴います。コミュニティーや運動を内部から批判することは、「運動破壊」「裏切り」と受け止められかねないからです。
日本の社会運動の中で、運動内部で起きた性的な暴力を問題化することが困難だった理由にも、同じような側面があります。実際に起きた事件をちゃんと問題化してしまうと、運動や組織自体が崩壊してしまう可能性がある中で、「運動のために」黙ることを選択した人。また「組織のために」性的な暴力を告発する人を見殺しにした人。
そして、そうやって黙り黙らされてきた経験の積み重ねこそが、日本における「運動嫌い」「組織嫌い」の意識を創り出しているのだと思います。組織だって行動することが、何か理不尽なことを甘受させられることを意味してしまっているのです。
だからこそ、これからの社会運動は、「私たち」の「内部」にも重大な問題点や矛盾点がある得ることを、まず公式に認めることが必要なのではないでしょうか。そして、そういった「内部」の問題を「私たち」は誠実に解決していけるという文化を育てること。それこそが、「私たち」の運動の「イスラエル化」を避ける唯一の方法だと思います。
そしてそのためにも、「私たち」の「内部」で異論を唱えることを躊躇しない文化を育てる必要があります。「私たち」の「内部」にある不一致や多様性を、否定的にではなく肯定的な財産として見直し、「私たち内部」の多様性を、隠蔽するのではなく、意識的に顕在化させる事が必要ではないでしょうか。
これまで社会運動といえば、物事をできるだけ単純化し、例えば何か特定の1つのことに対して社会の注目を集めるようなものが多かったように思います。しかし1つのこと「だけ」に注目を集めるということは、実はそれ以外のことを意図的にないがしろにすることと結果として同じです。そしてそれは、運動の「内部」における問題点を告発することを妨げる圧力にもなります。
先ほど、Black Laundryの主張がダブルミーニングだと書きました。これからの社会運動を考える時、こういったやり方、複数の視点を持つこと・同時に二つ以上のことを表現することは、必要になるような気が私はしています。マイノリティーとしての自身の表現や主張をすることと、そういう「自分たち」のあり方をも問い返す視点を持つこと、その両方を、自覚的に目指すべきなのではないでしょうか。

●たとえそこがどこであっても

まず何より「私たち自身」こそがジェンダー化されており、だからこそ、「私たち」のだれ一人として、差別意識のない人間はいない。そして同時に、「私たち」はなくすべき制度や差別、相対化するべき意識や感情があることも理解している。「私たち」自身こそが率先して変わって行かなくてはならない。私はこういったことを「男女という制度」との闘いの中で学びました。そして、自身が無実ではない、ということは、他者の過ちを黙認しなくてはならない、ということでもありません。目撃証人witnessになることも大切なことです。「仲間だから」「事を荒立てると大変だから」「その人は精一杯やっているのだから」などと表面的な人間関係を維持しようとすることこそが「男女という制度」を支えていることを考えれば、むしろ逆に、加害/被害を曖昧にしない、場合によっては加害者に責任をとらせることも必要です。それは、時には運動やコミュニティーの内部で公然と異を唱える事を意味しますし、運動内部の問題点を公然化してしまうことにもなります。また実際に目の前の「運動課題」を一時的に邪魔しているように見られることもあるでしょう。
しかしそこで、もし私が本当に世界を変えることを夢見るのであれば、そして「私たち」の文化を本当に変える勇気があるのであれば、自分の責任で、遠慮なく、そこがどこであっても、表現を続けていくことが必要なのだと思います。無実の人が有罪の人を断罪するような方法ではなく、しかし問題を曖昧にするのではない、運動の方法を創り出すためにも、いけしゃあしゃあと、相手の目の前まで出向いていって、公然と、異を唱えること。そこが戦場で兵士を前にしたとしても、そこが中東で唯一のプライドパレードであったとしても。戦争に反対するための集会の場であったとしても、東京のレズビアン・ゲイ・パレードにおいても。家の中でも、教室でも職場でも、そして恋人や友だちとの関係においても。

**参考 URL
http://barairo.net/
(作者のページ。ほとんど日本語)
http://www.palsolidarity.org/
(国際連帯運動/ISM, 英語)
http://www.zmag.org/ZMagSite/Dec2002/katzprint1202.htm
(ブラックランドリー, 英語)

http://barairo.net/special/palestine/photo/blacklaundry/index.html
(photos of Black Laundry,at the pride march 2002 in Tel Aviv)

captions for the pictures

no.1 (nothing)
no.2 (nothing)
no.3 my drug queen show
no.4 internationals protest against soldier
no.5 Israeli national flags in pride parade
no.6 Black Laundry with placards

旧掲載元

参考テキスト

現にここにある矛盾を顕在化させ イスラエルを自分の位置から批判するために

パレスチナ特集

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